今年の311も東北で過ごしたのですが(去年の311)。
土日に仕事が入っていたので、それが終わってから夜行バスで向かい、当日一泊して昨日帰京した。
時間もなかったし行かなくてもよかったのだが、何をせずともとりあえずその日を東北で過ごしたいと思った。とくに予定も立てず、地元で活動している仲間に連絡をとって、いっしょに地域をまわって記録をとったり、地震発生時刻に道ばたで黙祷したり慰霊祭に出たり、宿で同宿の人と話したり、宿の確定申告のお手伝いをしたり(!)して過ごした。ボランティアらしいことは何もしなかったし、メモリアル的なことも何もなかった。ただそこにいたかったからいただけ。
いてみてわかったことだけど、やっぱり、2周年などという「節目」は、“被災地”から遠く、震災から遠くにいる人にとって記憶を呼び覚ますために必要なものであって、ずっとそこにいる人間や震災と常に向き合っている人間には何の意味もない。
あえていうまでもないが、震災は今も続いている。復興の道程はまだまだ長く、誰にも先は見えていない。瓦礫はだいたいかたづいたし、一部地域ではかさ上げも始まった。早いところでは高台移転用地の整備も進んで、着工日が決まっているところもある。
しかし被災地があまりにも広く、被害があまりに大きかったがために、そんな部分的な復興の進行では全体の復興のバランスは測れない。何をどれだけ耐えればいいのかわからず、精神的なストレスも極限まで達している人も多い(関連ニュース)。
節目も何もない。ただただ苦しくつらい日が続くだけ。
ぐりは2011年3月11日から今まで、一度たりとも、一瞬たりとも東北を忘れたことはない。
何ができるか、何をするべきか悩み続けた2年間。何もできなかった気がするし、これからも何ひとつできない気がする。
それでも、ただ思うことしかできなくても、通うことだけは続けたいと思っている。
節目も何もいらない。続ければいいんだと思った、そんな311だった。
とはいえ2年の節目の日にふさわしいこともあった。
震災で不通になっていたJR気仙沼線が2日にBRT(バス高速輸送システム)で開通したので、さっそく乗ってみた。地元の人たちにとって大切な生活の足だった公共交通機関の復旧は確かに嬉しい。まあぐりは鉄道好きではないのでそれ以上の感興はとくにないわけだけど。
もうひとつ。
3月11日というのは気仙沼ではフカヒレを干す季節なのだそうだが、去年、たまたま気仙沼湾西側の地域を訪問した時、全壊した建物でフカヒレを干している人たちを目撃してとても感動した(地図)。水産加工業者がぎっしりと軒を並べていたはずの街で周囲に残った建物は一軒もない寂しい風景の中、津波で鉄骨と階段と屋上だけを残して完全に破壊された建物に無数につり下げられたフカヒレと、その間で働く人たちの姿に、人間の生命力の強さと輝きを猛烈に感じた。ぐりはフカヒレなんか好きでもなんでもないけど、その時生まれて初めて、高級品といわれる気仙沼のフカヒレが食べたいと激しく思った。
今年、あの人たちがどうしているかと思って見にいってみたら、壊れていた建物はかさ上げも済んですっかり元通りに建て直されて、去年よりもたくさんのフカヒレを干していた。働いている人も去年よりずっと多かった。なんだかとても嬉しかった。
周囲は瓦礫がすっかりかたづいて、ところどころでかさ上げが進んでたけど、それでも完全に復旧している建物はまだほとんどない。そんな中でいち早く元通りになったこの業者の強さに、やっぱフカヒレ、食べてみたいなと思った。
気仙沼では以前フカヒレラーメンなるものが名物だったそうだけど、できればそれが食べたいなあ。
東北の皆さんがいつか、このフカヒレ業者のように、震災前のように元気に楽しく働ける日を祈って。

リアス・アーク美術館。お休みだった。
土日に仕事が入っていたので、それが終わってから夜行バスで向かい、当日一泊して昨日帰京した。
時間もなかったし行かなくてもよかったのだが、何をせずともとりあえずその日を東北で過ごしたいと思った。とくに予定も立てず、地元で活動している仲間に連絡をとって、いっしょに地域をまわって記録をとったり、地震発生時刻に道ばたで黙祷したり慰霊祭に出たり、宿で同宿の人と話したり、宿の確定申告のお手伝いをしたり(!)して過ごした。ボランティアらしいことは何もしなかったし、メモリアル的なことも何もなかった。ただそこにいたかったからいただけ。
いてみてわかったことだけど、やっぱり、2周年などという「節目」は、“被災地”から遠く、震災から遠くにいる人にとって記憶を呼び覚ますために必要なものであって、ずっとそこにいる人間や震災と常に向き合っている人間には何の意味もない。
あえていうまでもないが、震災は今も続いている。復興の道程はまだまだ長く、誰にも先は見えていない。瓦礫はだいたいかたづいたし、一部地域ではかさ上げも始まった。早いところでは高台移転用地の整備も進んで、着工日が決まっているところもある。
しかし被災地があまりにも広く、被害があまりに大きかったがために、そんな部分的な復興の進行では全体の復興のバランスは測れない。何をどれだけ耐えればいいのかわからず、精神的なストレスも極限まで達している人も多い(関連ニュース)。
節目も何もない。ただただ苦しくつらい日が続くだけ。
ぐりは2011年3月11日から今まで、一度たりとも、一瞬たりとも東北を忘れたことはない。
何ができるか、何をするべきか悩み続けた2年間。何もできなかった気がするし、これからも何ひとつできない気がする。
それでも、ただ思うことしかできなくても、通うことだけは続けたいと思っている。
節目も何もいらない。続ければいいんだと思った、そんな311だった。
とはいえ2年の節目の日にふさわしいこともあった。
震災で不通になっていたJR気仙沼線が2日にBRT(バス高速輸送システム)で開通したので、さっそく乗ってみた。地元の人たちにとって大切な生活の足だった公共交通機関の復旧は確かに嬉しい。まあぐりは鉄道好きではないのでそれ以上の感興はとくにないわけだけど。
もうひとつ。
3月11日というのは気仙沼ではフカヒレを干す季節なのだそうだが、去年、たまたま気仙沼湾西側の地域を訪問した時、全壊した建物でフカヒレを干している人たちを目撃してとても感動した(地図)。水産加工業者がぎっしりと軒を並べていたはずの街で周囲に残った建物は一軒もない寂しい風景の中、津波で鉄骨と階段と屋上だけを残して完全に破壊された建物に無数につり下げられたフカヒレと、その間で働く人たちの姿に、人間の生命力の強さと輝きを猛烈に感じた。ぐりはフカヒレなんか好きでもなんでもないけど、その時生まれて初めて、高級品といわれる気仙沼のフカヒレが食べたいと激しく思った。
今年、あの人たちがどうしているかと思って見にいってみたら、壊れていた建物はかさ上げも済んですっかり元通りに建て直されて、去年よりもたくさんのフカヒレを干していた。働いている人も去年よりずっと多かった。なんだかとても嬉しかった。
周囲は瓦礫がすっかりかたづいて、ところどころでかさ上げが進んでたけど、それでも完全に復旧している建物はまだほとんどない。そんな中でいち早く元通りになったこの業者の強さに、やっぱフカヒレ、食べてみたいなと思った。
気仙沼では以前フカヒレラーメンなるものが名物だったそうだけど、できればそれが食べたいなあ。
東北の皆さんがいつか、このフカヒレ業者のように、震災前のように元気に楽しく働ける日を祈って。

リアス・アーク美術館。お休みだった。