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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

24コマのダヴィンチ

2009年12月07日 | movie
『イングロリアス・バスターズ』

ナチス占領下のフランスに潜入、ナチを暗殺する特殊部隊“イングロリアス・バスターズ”を描いた歴史ファンタジー。
1941年、SSのランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)に家族を惨殺されたショシャナ(メラニー・ロラン)は、エマニュエル・ミミューと名前を替え、パリで映画館主に。たまたま彼女の映画館でナチのプロパガンダ映画『国民の誇り』がプレミア上映されることになり、彼女はひそかに復讐を企てるのだが、連合軍側でも“プレミア作戦”が進行しており、ユダヤ系アメリカ人で構成されたイングロリアス・バスターズが投入されようとしていた。

いやー。おもしろかった。うーん。
ぐりはタランティーノ映画だと『レザボア・ドッグス』がとにかくいちばん好きで。だから最近の作品は逆にあんまし観てないんだよね。大作すぎて。
でもこれも大作なんだけどしっかりB級してて、やっぱタランティーノはこーでなくちゃねーって感じで。観ててやたらにまにましちゃいましたです。だってさあ、戦争映画なんて多かれ少なかれみんなファンタジーじゃない?けどここまで史実をバッサリ書き換えちゃった映画って今までなかったと思うんだよね。そーゆーのっていわゆる「大作」映画じゃ禁じ手だったんじゃないかな?それを思いっきりやっちゃうんだからさすがタランティーノです。

『レザボア』にも多用された三すくみ的な緊迫シーンがこれでもかとしつこく出て来るのがすごくおもしろくて。
とくにカンヌで男優賞を穫ったクリストフ・ヴァルツは確かにスゴイ。語学力もさることながら、タランティーノ映画独特のあの長広舌を完全に自分のものにしちゃってる。この映画だとブラピもけっこーよく喋ってるけど、量にしたらヴァルツのが全然スゴイです。論理は弱冠破綻してるんだけど、聞いてるうちに「もーいーよー、あんたの好きにしなー」的な気分になってくる。うまい。

映画館を教会に例えてみたり(『愛を読むひと』)、ヒッチコック映画からフィルムの可燃性を説明するシークエンスを引用したり、今回も過去の映画へのオマージュがたっぷりで、映画ファンには楽しい作品になっている。残念ながらぐりは単なる“映画好き”なのでそこまでついてけなかったけど、でもじゅうぶんおもろかったですよー。
それにしても痛いシーンが多かった。血が苦手な人にはちょっとオススメできないかもです。

資本主義の崩壊?

2009年12月07日 | movie
『キャピタリズム マネーは踊る』

銃社会、対テロ戦争、保険制度を糾弾してきたお馴染み突撃ドキュメンタリー作家マイケル・ムーアの最新のターゲットは資本主義。
うーん。大きく出たね。
まあおもしろいんだけどね、ちょっとデカすぎたね。やっぱ微妙に散漫とゆーか・・・眠かった(爆)。これまでの作品に比べても弱冠理論がランボーとゆーか、いやいつもランボーなんだけど、ランボーさばっかし目についちゃうとゆーかね。だから全体的になんとなく漠然としちゃうってゆーかねー。
んー。思うに今回はムーアも対象を消化しきれてないんじゃないかなーとゆー感じがどーしてもしてしまい。映画としてもつくってる途中のを見せられた気分で。なんだかなー。

次、頑張って下さい。何撮るのかは知らないけど。


オランダのファラフェル

2009年12月07日 | movie
『戦場でワルツを』

1982年のレバノン内戦に従軍し、パレスチナ・ゲリラを匿う家の犬を26頭殺した悪夢を見続けているという友人ボアズの話を聞いて、自分も従軍したはずの内戦の記憶がないことに気づいたアリ・フォルマン。
わずかに残されたイメージをもとにかつての戦友を訪ね歩き、当時の体験を掘り起こそうと試みるのだが・・・。

すいません。これ、そんなに傑作でしたか?
ぶっちゃけぐりにはよくわからない・・・レバノン戦の映画だったら『ボーフォート』の方がいい映画だと思うし、中東もののアニメなら『ペルセポリス』の方が完成度は高いと思う。
あるいは『シン・レッド・ライン』あたりがお好きな向きにはいいかもしれないけど、ぐりアレもついてけなかったんで・・・。

この映画は監督自身の体験をもとにしたノン・フィクションで、全編インタビューばかりのドキュメンタリー形式になっている。これがぐりにはキツかった。もー眠くて。ごめん。
ぐりはここ数ヶ月、仕事でいろんな人をインタビューしてるんだけど、人間て誰でも自分が基準だから、自分がした経験の異常性にはなかなか気づかないものなんだよね。たとえば「ずいぶんご苦労なさったんですね?」と聞いても大抵の人は「いや、フツーだよ」っていう。「そーなんだよ、もう大変でさあー」なんて人は実はあんまりいない。そこが人間のおもしろいところとはいえ、その主観と客観のギャップがわからなければおもしろくもなんともない。
監督は友人の話を聞くまで自分の記憶の欠落に気づかなかったけど、その欠落をもうちょっと客観的に表現してみればもっとわかりやすくなったのかもなと思いましたです。

ところでオランダに移住したカルミが売ってた「豆コロッケ」ってファラフェルのことだよね。一度食べてみたいけど、東京だとどこで食べれんのかなー。

かあさん万歳

2009年12月07日 | movie
『母なる証明』

静かな田舎町で漢方薬店をきりもりしながら女手ひとりで息子トジュン(ウォンビン)を育ててきた母(キム・ヘジャ)。
あるとき町で女子高生惨殺事件が起き、軽い知的障害を持つトジュンが容疑者として逮捕されてしまう。自ら潔白を証明することができない息子を守るため、母は真犯人を探して奔走するのだが・・・。

ぐりは在日韓国人なので、家族も親戚もトーゼン全員韓国人なワケですが。ただ、ぐりの祖父母が国を出てきたのはもう80年とか、もっと前だったりして、たぶん今の韓国に住む韓国人とはいろいろ違っちゃってると思う。
けど、ぐりの知る限りでは、韓国人の母と息子の関係は、多かれ少なかれこの映画の母子みたいなものだ。母は息子を溺愛するし、息子にとって母は一生を支配する絶対的な存在であり、その関係を邪魔するものはどちらにとっても敵でしかない。
なので、映画の中で母親の狂気が強調されればされるほど、なんだか滑稽に感じてしまった。え、フツーじゃん?そんなにヘン?みたいな。この映画は韓国映画だし監督も韓国人=韓国人の息子だから、ある意味では自虐ギャグなのかもしれない。それとも、現代の韓国には、ぐりの身内のよーな病的な母息子ってのはもういないのかな?いやいやそんなことないでしょー?

ぐりはポン・ジュノの『殺人の追憶』が大好きなんだけど、同じクライム・サスペンスでもこの映画は『追憶』より何段かは落ちるなという感じで残念です。
思うに、『追憶』が事件当時の社会背景や複数の登場人物の視点を反映させたバランスの良いパースペクティブで描かれたのに対して、『母』では全編を主人公=無名の母ひとりの主観で表現しようとしたのがマズかったのかもしれない。まあ、単純に画面が暗すぎる上にストーリー展開のテンポがユルくて、観てて疲れてしまったとゆーのもありますが。
ただし、ストーリー上にわざわざいくつも矛盾をしかけておいて、観る者にとって何通りにもとれる結末にもっていく手法は好きです。何でもかんでも簡単に説明がついちゃったらつまらない。それだけに説明っぽいパートが目立つのがすごく惜しい。

やっぱ映画はバランスです。せっかくいい俳優が一生懸命演じてるのに、全体のバランスが悪かったらなにもかも台無しです。
ところでどこのストーリー紹介にもトジュンの障害についてふれてないけど、そんなにクレームがコワイのかねえ〜?まあね、気持ちはわからんでもないですけど、いちーち「子どものような純粋無垢な青年」なんちゅー口がカユくなるよーな説明されるとイラッとくんだよねー。