『リプリー』
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アラン・ドロンの出世作『太陽がいっぱい』のリメイク。
ぐりはこの旧作を中学生のころにみて結構ハマった記憶があるのだが、今リメイクを観ても内容をあまり思いだせない。ただアラン・ドロンのギラギラするような美貌と、ショッキングなエンディングの印象だけはよく覚えている。
1999年版『リプリー』は旧作のサスペンス色はそのままで、そこへ恵まれない青年の屈折した変身願望と同性愛的な同化意識をドラマチックに加えてあるのだが、それにしても主人公トム・リプリー(マット・デイモン)の惨めったらしさはちょっとやりすぎかもしれない。ディッキー(ジュード・ロウ)のキャラクターがあまりにも魅力的なためなのか、彼のいう通り、トムがただただ貧乏くさくて退屈でうす気味の悪い、何の長所もない人間のようにみえてなかなか共感しにくい。それが狙いなんでしょーけども。
この物語はもしかすると女性よりも男性の方がより深く共感出来るのではないだろうか。同性に憧れて相手に同化したくなる欲求は、女性よりも男性の方が強いからだ。女性も同性に憧れてファッションや生き方を真似たいと思う場合はあるが、その深刻さでは男性には及ばない。そうした感情と同性愛は同じではないだろうけど、ある部分では重なりあっているということをこの映画では強調してみせている。
トムはディッキーというひとりの人物に魅せられ、溺れ、自分自身を見失うが、おそらく彼は本来は同性愛者ではない。彼がディッキーにどうしようもなく焦がれてしまったのは、これまでに会ったこともないほど魅力的な人物に間近に接し過ぎたのと、解放的なイタリアでの華やかな生活というそれまでの彼の人生と激しくかけ離れたシチュエーションのせいだったかもしれない。その場所から振り返った彼のもとの生活はどんな風にみえただろう。孤独で、平凡で、灰色にくすんで、省みる価値もない生活。逆にいえば、ある程度の条件が揃えば、人の恋愛感情に性別なんか関係なくなるのだろうか。
旧作ではどうだったかよく覚えてないけど、モンジベロ、ナポリ、サンレモ、ローマ、ヴェネツィアとイタリア各地の情緒的な風景が、太陽のように輝くディッキーと同じようにトムのいじらしさをひきたてている。みている間じゅう、「ああイタリア行きたい!!」と思ってました(笑)。この映画は舞台が1958年なんだけど、イタリアだけじゃなくてヨーロッパって100年や200年じゃ街の風景が変わらないから、こういう撮影は楽でいいねとも思い(笑)。こないだ観た『ミュンヘン』だ?チて70年代のヨーロッパが舞台だけど、走ってる車と人物のファッションだけあわせれば、建物の飾り替えとかほとんどいらないもんね。
旧作のラストシーンもインパクトあったけど、今作のはある意味もっともっとひどい。考えたね。
ところでグウィネス・パルトローとケイト・ブランシェットってキャラかぶってません?遠目だと見分けつきにくいよ。
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アラン・ドロンの出世作『太陽がいっぱい』のリメイク。
ぐりはこの旧作を中学生のころにみて結構ハマった記憶があるのだが、今リメイクを観ても内容をあまり思いだせない。ただアラン・ドロンのギラギラするような美貌と、ショッキングなエンディングの印象だけはよく覚えている。
1999年版『リプリー』は旧作のサスペンス色はそのままで、そこへ恵まれない青年の屈折した変身願望と同性愛的な同化意識をドラマチックに加えてあるのだが、それにしても主人公トム・リプリー(マット・デイモン)の惨めったらしさはちょっとやりすぎかもしれない。ディッキー(ジュード・ロウ)のキャラクターがあまりにも魅力的なためなのか、彼のいう通り、トムがただただ貧乏くさくて退屈でうす気味の悪い、何の長所もない人間のようにみえてなかなか共感しにくい。それが狙いなんでしょーけども。
この物語はもしかすると女性よりも男性の方がより深く共感出来るのではないだろうか。同性に憧れて相手に同化したくなる欲求は、女性よりも男性の方が強いからだ。女性も同性に憧れてファッションや生き方を真似たいと思う場合はあるが、その深刻さでは男性には及ばない。そうした感情と同性愛は同じではないだろうけど、ある部分では重なりあっているということをこの映画では強調してみせている。
トムはディッキーというひとりの人物に魅せられ、溺れ、自分自身を見失うが、おそらく彼は本来は同性愛者ではない。彼がディッキーにどうしようもなく焦がれてしまったのは、これまでに会ったこともないほど魅力的な人物に間近に接し過ぎたのと、解放的なイタリアでの華やかな生活というそれまでの彼の人生と激しくかけ離れたシチュエーションのせいだったかもしれない。その場所から振り返った彼のもとの生活はどんな風にみえただろう。孤独で、平凡で、灰色にくすんで、省みる価値もない生活。逆にいえば、ある程度の条件が揃えば、人の恋愛感情に性別なんか関係なくなるのだろうか。
旧作ではどうだったかよく覚えてないけど、モンジベロ、ナポリ、サンレモ、ローマ、ヴェネツィアとイタリア各地の情緒的な風景が、太陽のように輝くディッキーと同じようにトムのいじらしさをひきたてている。みている間じゅう、「ああイタリア行きたい!!」と思ってました(笑)。この映画は舞台が1958年なんだけど、イタリアだけじゃなくてヨーロッパって100年や200年じゃ街の風景が変わらないから、こういう撮影は楽でいいねとも思い(笑)。こないだ観た『ミュンヘン』だ?チて70年代のヨーロッパが舞台だけど、走ってる車と人物のファッションだけあわせれば、建物の飾り替えとかほとんどいらないもんね。
旧作のラストシーンもインパクトあったけど、今作のはある意味もっともっとひどい。考えたね。
ところでグウィネス・パルトローとケイト・ブランシェットってキャラかぶってません?遠目だと見分けつきにくいよ。