Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

トワイライトエクスプレスの乗車前日

2008-06-18 15:46:25 | 旅行記

6月14日(土) トワイライトエクスプレス乗車記-プロローグ2

恐れていたことが起きた。

朝8時、岩手宮城内陸地震が起こったのだ。

トワイライトエクスプレスに乗る前日だと言うのに、大変な事になってしまった。

亡くなった方・行方不明の方には申し訳ないのですが、自分は羽越本線が再開することだけが気になっていた。

トワイライトエクスプレスの通る線路だからだ。

昼の時点では、羽越本線・東北本線どちらも不通であった。

帰りの北斗星の切符も買っていたが、北斗星はあきらめるからせめてトワイライトエクスプレスだけは乗せてくれ。

トワイライトエクスプレスは大阪発なので、東京住まいの自分は大阪まで移動しなければならなかった。

でも、不通となれば移動は意味がなくなる。

移動をどうするか迷っていた、夢はどうなる。

自分の行いが悪いのだからしかたないとあきらめかけた夕方、羽越本線再開のニュースが入ってきた。

飛び上がって喜んだ、落ち込んでいた気持ちが急に明るくなった。

決めた、大阪に向かう決心をした。

でも、余震もあり運行するかはわからなかった。

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東京20時発、のぞみ700系新大阪行で出発した。(上)

-トワイライトエクスプレス乗車記・つづく-


ヒーローになりそこねた中学野球

2008-06-09 19:44:57 | スポーツ

当時誰もがプロ野球選手にあこがれた。自分も中学に入学すると迷う事なく野球部に入部した。一年の時は球ひろいばかりで半分以上が辞めていった。

二年の夏レギュラーになれたが練習らしい練習をした記憶がない。先生はほとんど来なくて毎回三年(特に二人)がコーチに来た。強くしようと言うのではなくしごくのが楽しみでやって来るのだった。

その先輩たちに声出し、ウサギ飛び、ベースランニングそんな事ばかりやらせられた。おもしろくないので練習を休むと次の日ケツバットが待っていた。まともな練習は試合数日前に少しやるだけだった。

それでも秋の新人戦の時が来て、わが野球部は快進撃を続けていた。一回戦、二回戦を勝ち抜き準々決勝に進んだ。チームが強いからではなくピッチャーが優秀だったからだ。中学の野球なんてそんなもんだ。

準々決勝は夏に練習試合をした相手だった。その試合自分はレフトを守っていて平凡なフライをバンザイして負けていた。

試合前連中はそれを覚えていたらしく自分を指差し笑っていた。ムカついた絶対勝ってやろう。試合は始まり六回まで同点できていた(点は忘れた、七回が最終回)。

そして七回表一死満塁で自分に打順が回ってきた。先生に呼ばれた「スクイズできるか」。できるわけなかった一回も練習してないのだから。無言でいた。

すると先生は一瞬、間をおいて「打つか」。自分は勢いよく「打ちます」と答えた。打つことだけには自信があった。

いつもは初球からガンガン振っていったがこの打席だけは慎重に行った。不思議に高ぶりも緊張もなく冷静だった。カウントは覚えていないが何球目かを力いっぱい振りぬく・・・打球はライナーでセンターにぬけた。

夢中で一塁に立つと一塁コーチのヤツが笑って握手してきた。力投していたピッチャーだった。 このまま行けば自分はヒーローになれる。人生は浮き沈み、高い所に位置するときはそう何回もない。その時一瞬だが自分は立てたのだ。

しかしその裏セカンドの一塁悪送球で同点にされる。自分はヒーローになりそこねた。もしあのヒットが裏の攻撃ならサヨナラ勝ちでヒーローになっていたのに。

延長に入り円陣を組んだ時さっき一塁で握手したピッチャーが全員に向かって「エラーしたら一生恨むぞ」そんなような事を言ったので緊張は頂点に達していた。チームワークもへちまもない、あの先輩たちがピッチャーを天狗にした。

八回裏のピンチで自分の所に弾丸ライナーが飛んでくる。一歩も動けず頭の上を越えられる。フライならまだしも練習なんてほとんどしてない取れるわけない。サヨナラ負けした。

人生は浮き沈み、かくして自分はヒーローから奈落の底に落とされた。試合後相手連中の言い草がいい「やっぱレフト穴だった」。不思議に頭に来なかった。本当の事だし緊張感から開放されて気分はよかったのだ。

その後七、八人で「こんなおもしろくない野球部なんか」と野球部を辞める。「楽しい野球がしたい」ただそれだけだったのに。

でも自分らはすべて先輩たちのせいにして逃げ出しただけだったのかも知れない。逃げるヤツはヒーローになれない。


長沼健氏を偲んでメキシコ五輪

2008-06-08 18:58:57 | スポーツ

長沼健氏がお亡くなりになりました。

長沼健氏といえば元サッカー日本代表監督でメキシコ五輪銅メダルに導いてくれたことを思い出します。僕らの夢をふくらませてくれた人でもありました。

1968年10月14日長沼氏はメキシコ、プエブラの空の下にいた。監督としてメキシコ五輪のサッカー予選リーグ初戦ナイジェリア戦が始まろうとしていた。

予選リーグB組 日本、ナイジェリア、ブラジル、スペイン

現在のワールドカップで考えると卒倒しそうな組み合わせだ。

ナイジェリアといえば今ではアフリカの強豪だが、当時は無名で当然勝つと踏んでいた。

第一戦 日本3-1ナイジェリア

エース釜本がハット・トリックで日本初戦を飾る。

次はブラジル戦だ。プロが出場できないとはいえサッカーの本場ブラジルは優勝候補の一角であった。初戦スペインに破れ崖っぷちだった。

第二戦 日本1-1ブラジル

前半1点取られ後半に入る。ここで長沼監督の采配が的中する。あせりが出てきた38分途中交代で入っていた一発屋渡辺が同点ゴールを決める。

最後はスペイン戦。この組では一番の強敵と思えた。しかも日本は勝点が必要だった。

最終戦 日本0-0スペイン

日本は互角以上に戦った。シュートが何回もバーに当たった。最後には長沼監督は決勝トーナメントのことを考えて地元のメキシコよりフランスを選び引き分け狙いに行ったのだ。

日本は第一目標である「ベスト8入り」を果たすのである。

決勝トーナメント

日本-フランス、メキシコ-スペイン、ハンガリー-グアテマラ、ブルガリア-イスラエル

狙い通りフランスと戦うこととなる。しかしフランスはメキシコを予選リーグ4-1でくだしており強敵に変わりはなかった。

準々決勝 日本3-1フランス

「メキシコの奇跡」前半25分釜本のシュートで日本先取点もすぐに同点にされる。後半14分杉山から釜本で逆転、さらに25分渡辺が3点目をあげる。日本は新しい歴史を作った。

ベスト4

日本-ハンガリー、メキシコ-ブルガリア

戦後の五輪ではソ連を始めとする東欧圏が優勝していた。なぜなら東欧共産国はステートアマとして名目はアマチュアだが実力はワールドカップ級だったからだ。

ハンガリーは前回東京五輪でも優勝しており、日本は本大会初めてワールドクラスの国との対戦となる。日本が世界にどの位通じるか指針となる試合になった。

準決勝 ハンガリー5-0日本、ブルガリア3-2メキシコ

世界の壁は厚かった。前半0-1と持ちこたえたが、後半は息もつかせぬ猛攻を受け防ぎようがなくPKだけで2点取られての大敗であった。

日本は銅メダルを賭けて地元メキシコと対戦することになった。正直落ち込んで勝つ見込はないと思っていた。

三位決定戦 日本2-0メキシコ

長沼監督以下日本は立ち直っていた。クラマー氏の「固くなるのはメキシコだ」という話に勇気をもらっていた。前半18分日本の得点パターンである杉山からのセンタリングを釜本が受けシュート先取点を取る。39分また杉山アシスト釜本ゴールで前半終了2-0とする。

個人技ではメキシコが上回る。後半早々PKを取られるが失敗してくれた。この頃からファンは応援から非難に変わって行く。残り5分でメキシコが決定的チャンスを逃すと座布団の雨が降る始末となる。

やがてタイムアップ日本は銅メダルを獲得したのだ。グランドで抱き合う選手たち、そこに笑顔の長沼監督たちが寄って行く。

そして長沼監督はアステカの空に舞った。

試合内容他はサッカーマガジンを参考にしました。長沼健氏のご冥福をお祈りいたします。

追記

日本はフェアプレイ賞を受賞した。岡野俊一郎コーチは選手登録しており銅メダルをもらっている。釜本は7得点で得点王に輝いてメキシコのヒーローとなる。

ある在留邦人は「メキシコ人は日本のスポーツ選手といえばボクシングの関光徳しか知らなかったが、これからはカマモトになる」と話している。

関光徳氏は元東洋太平洋フェザー級チャンピオンでメキシコでも活躍した選手でした。現在はジムの会長をしていましたが先日お亡くなりになりました。

くしくもメキシコで活躍されたお二人が2008年6月にお亡くなりになられたのは運命でしょうか。お二人のご冥福をお祈りいたします。


安田記念の思い出

2008-06-08 00:29:51 | ギャンブル

安田記念の思い出はなんといってもヤマニンゼファーが勝った1993年。二着に人気薄イクノディクタスが入り 馬連 6-14 68,970円の超大穴となった。なんとその馬券を500円買っていたのだ。

ヤマニンゼファーから総流ししていた。ただ二着が混戦でどの馬が来たかわからなかった。ちょうどテレビのスローが流れ当時解説していた大川慶次郎が「(二着は)あーイクノディクタスですね」と力ない声を発したのを覚えている。

68,970円と聞いて手が震えた。33万の儲け。後にも先にもこれ以上儲かったことはない。

あと1998年も記憶に残る。その日友達四人と北海道にいた。新冠の牧場にナリタブライアンを見に行った帰りで静内ウィンズで馬券を買った。

北海道は快晴で大雨の東京を想像出来なかった。雨に強い香港馬を消して自分だけ馬券を外した。自分だけ悔しい思いをしたから記憶に残っているのではない。ナリタブライアンが三ヶ月後に胃破裂で亡くなったからである。

ショックだった。自分らが見に行ったからストレスが溜まったのだと、自問自答し続けた。あの時見たナリタブライアンの黒光りする体を忘れることができない。競馬界の宝物を失った。

さて安田記念の予想。

軸馬の推理。香港組と京王杯組が強い。京王杯組には地の利があるが、馬場が重くなれば香港組か。他からは可能性低い。

あなたの夢は何ですか。私の夢は武豊17スズカフェニックスです。武がなぜスズカフェニックスを選んだか。馬場さえもてば最速の上がりがものを言う。

続いてヒモの推理。

まずは香港馬。三頭とも強力だがブリッシュラックはすでに九歳馬なので消し、7グッドババ、16アルマダ。京王杯組からは11スーパーホーネット、2キストゥへブン、9アイルラヴァゲイン。マイラーズC組は勝ったカンパニーが回避ですべて消し。ヴィクトリアマイル組は5ウォッカのみ。東京コース得意の14エアシェイディ。一発屋6オーシャンエイプス

結論 三連複 17-2、5、6、7、9、11、14、16 28点買い

追記

安田記念は5ウォッカ復活岩田が最内をつきダービー以来のVとした。馬体の張りも戻っていた。やはり「東京だよウォッカさん」(報知より)だった。岩田の鞭使いはカッコいい。2着は16アルマダ、3着3エイシンドーバー。

三連複 3-5-16 31,710円 ハズレ

スズカフェニックスは外を回りとどかず5着、でも3、4着とはほとんど差がなかった。アルマダも終始二番手で2着強かった。グッドババはやはりアウェイの難しさだろう。エイシンドーバーは昨年安田記念6着で買いだった。

また負けて八連敗。トンネルの出口はあるのか・・・。