葉の裏で私はシャンプーあわだてて今日だけは傷つきたくなかった
(西宮えり) (aglio-e-olio)
非常に小さなちいさな自分。葉っぱに雨風から守ってもらい、その
裏で頭に泡をたてている。
身をかがめてちょこんと座っている姿が見えるようです。
「今日は傷つきたくなかったの。だから守ってもらったの」
と読みたいところですが、
「今日だけは傷つきたくなかったのに。だから守ってもらったのに…」
という情景がどうしても浮かんでしまいます。
四句と五句の句またがりによる破調が、そんな諦念を伝えている
ような気がします。
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ハミングもされなくなってひとり湯に忘れられゆくシャンプーの歌
(斉藤そよ) (つれづれつづり)
大人と、あるいは兄弟といっしょにお風呂に入っていたとき、よ
く歌った歌。
おー目めをつぶって あーたまを下げて
おー耳をふさいで ゆーすぎーましょ (適当に作詞)
ひとりで入るようになっても、時々口ずさんでいたのに。
そうした様々な「シャンプーの歌」を口にしなくなることが、
〈自立する〉ということなのかもしれません。
そんな歌があったことも忘れたある日、自分でも思いがけず
にふと口を衝いて出る。
それが、自分の子の頭を洗っている時だったら、にっこりす
るほどいい情景なのでしょうけれども。
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シャンプーをしている君のくちびるがドナルドみたいで また好きになる
(彼方) (心を種として)
好きな人とお風呂に入る機会というのは、実はそんなに数多
くありません(人によるのかな?)。
当然、ある程度緊張しているのでしょう。
でも、頭を洗っている時はなぜか例外。
目を閉じて触覚のみで作業をしているぶん、周りへ注意が行
きにくいのかもしれません。
それを見ている人も当然緊張していたのだけれど、相手の顔
が(作業に集中するあまり)ゆがんでいるのを見て、吹き出す
と同時にリラックスする。
相手自身も知らないことを発見したような気がして、その人
をもっと身近に感じる。
一字あけが、笑いの意味の変化(可笑しさの笑み→慈愛の
笑み)を伝えています。
(西宮えり) (aglio-e-olio)
非常に小さなちいさな自分。葉っぱに雨風から守ってもらい、その
裏で頭に泡をたてている。
身をかがめてちょこんと座っている姿が見えるようです。
「今日は傷つきたくなかったの。だから守ってもらったの」
と読みたいところですが、
「今日だけは傷つきたくなかったのに。だから守ってもらったのに…」
という情景がどうしても浮かんでしまいます。
四句と五句の句またがりによる破調が、そんな諦念を伝えている
ような気がします。
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ハミングもされなくなってひとり湯に忘れられゆくシャンプーの歌
(斉藤そよ) (つれづれつづり)
大人と、あるいは兄弟といっしょにお風呂に入っていたとき、よ
く歌った歌。
おー目めをつぶって あーたまを下げて
おー耳をふさいで ゆーすぎーましょ (適当に作詞)
ひとりで入るようになっても、時々口ずさんでいたのに。
そうした様々な「シャンプーの歌」を口にしなくなることが、
〈自立する〉ということなのかもしれません。
そんな歌があったことも忘れたある日、自分でも思いがけず
にふと口を衝いて出る。
それが、自分の子の頭を洗っている時だったら、にっこりす
るほどいい情景なのでしょうけれども。
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シャンプーをしている君のくちびるがドナルドみたいで また好きになる
(彼方) (心を種として)
好きな人とお風呂に入る機会というのは、実はそんなに数多
くありません(人によるのかな?)。
当然、ある程度緊張しているのでしょう。
でも、頭を洗っている時はなぜか例外。
目を閉じて触覚のみで作業をしているぶん、周りへ注意が行
きにくいのかもしれません。
それを見ている人も当然緊張していたのだけれど、相手の顔
が(作業に集中するあまり)ゆがんでいるのを見て、吹き出す
と同時にリラックスする。
相手自身も知らないことを発見したような気がして、その人
をもっと身近に感じる。
一字あけが、笑いの意味の変化(可笑しさの笑み→慈愛の
笑み)を伝えています。