いつからか夜ごと新芽が生えてきて辞書に根ざしてゆくゆびのさき
(小軌みつき) (小軌みつき-つれづれ日和-)
あまりにも自然に読み込まれていたので、読み終わってから、
「あ、そういえばこの歌のお題が『辞書』なんだっけ」
と気づきました。
初めは、意味を調べるための道具として利用してきた「辞書」。
それがいつのまにか、好奇心という「新芽」が生え、辞書を繰ることを目的として辞書を手に取る。
その変化を歌った、「ゆびのさき」が「根ざしてゆく」という表現に、うっとりとしました。
なんとなくセクシュアルな匂いすらするのは、読み過ぎでしょうか。
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意味なんて書かれていない逆引きの辞書にしずかな海をみつけて
(おとくにすぎな) (すぎな野原をあるいてゆけば)
とても誤解を招きそうな言い方をあえてしますが、すぎなさんのお歌はときどき、読み解きをしていて空しくなってくることがあります。
語句をひとつずつ検討していけばいくほど、初めに感じた心持ちから遠ざかっていくような。
この歌もそうで、一読して目の前にしずかで煌めく海が、さあっと拡がり、どんどんどんどん拡がっていきました。
そんな光景を充分堪能して、さて読み解こうとすると、とたんに陳腐な解釈になってしまう。
「意味」の書かれていない「辞書」とは何か、「逆引きの辞書」ということは、海の風景から「海」という文字にたどり着いたのか。
そんなことを考えれば考えるほど、なにかとても無駄なことをしているような気持ちになります。
結局は、僕の力量不足なのでしょうけれども。
どなたか、この歌にふさわしい、すてきな解釈をお願いします。
(小軌みつき) (小軌みつき-つれづれ日和-)
あまりにも自然に読み込まれていたので、読み終わってから、
「あ、そういえばこの歌のお題が『辞書』なんだっけ」
と気づきました。
初めは、意味を調べるための道具として利用してきた「辞書」。
それがいつのまにか、好奇心という「新芽」が生え、辞書を繰ることを目的として辞書を手に取る。
その変化を歌った、「ゆびのさき」が「根ざしてゆく」という表現に、うっとりとしました。
なんとなくセクシュアルな匂いすらするのは、読み過ぎでしょうか。
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意味なんて書かれていない逆引きの辞書にしずかな海をみつけて
(おとくにすぎな) (すぎな野原をあるいてゆけば)
とても誤解を招きそうな言い方をあえてしますが、すぎなさんのお歌はときどき、読み解きをしていて空しくなってくることがあります。
語句をひとつずつ検討していけばいくほど、初めに感じた心持ちから遠ざかっていくような。
この歌もそうで、一読して目の前にしずかで煌めく海が、さあっと拡がり、どんどんどんどん拡がっていきました。
そんな光景を充分堪能して、さて読み解こうとすると、とたんに陳腐な解釈になってしまう。
「意味」の書かれていない「辞書」とは何か、「逆引きの辞書」ということは、海の風景から「海」という文字にたどり着いたのか。
そんなことを考えれば考えるほど、なにかとても無駄なことをしているような気持ちになります。
結局は、僕の力量不足なのでしょうけれども。
どなたか、この歌にふさわしい、すてきな解釈をお願いします。
ほんとに歌を超えたイメージを描いてくださってありがとうございます。
どこかで逆引き辞典見て、「あ!しょうもない~」って思ってください。ふふふ。
読んだ時点でぜんぶそれはあなたにとってのほんもの~
↑何者?
ただ今、「逆引きの辞書」を探しております。
すぎなちゃん(汗、、やっぱり)がお持ちの辞書は、どこのですか?
ちゃんとふいておかないと、お風邪をひきますよ。
ばあやの辞書は、「日本語尾音索引」(笠間書院)という、たいそう古いものでございます。平成元年の普及版ですが、初版は昭和53年でございます。いまはもっといいものが出ていますよ。個人でお持ちの方はかなりの物好きと思われますが、図書館に行けば、「逆引き広辞苑」があるのでは
図書館で「逆引き広辞苑」「逆引き大辞林」など見てみたんですが、どれも大きいし値段も高いですね。
アマゾンで調べてみたら「日本語尾音索引」、売ってました。
一冊持ってたほうがいいかな。
遊べそうだし、誤読も少なくなるかもしれないし。