はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

「短歌語」と「非短歌語」 (3)

2011年09月23日 15時52分03秒 | インターミッション(論文等)

    3.挑戦者たちの短歌


 例を挙げようと思えばたちどころに十指を超えるが、代表として二人の歌人を挙げる。
 まず、平成二一年短歌研究新人賞受賞者の、やすたけまり。
 彼女の運営するブログを見るに、やすたけは短歌を始めて以来一貫して口語による作歌にこだわり続けている。それも、従来短歌には馴染まないとされてきた語を駆使して独自の世界を築いている。「非短歌語」を積極的確信的に用いた、新しいタイプの歌人だ。

 《(前略)やすたけまりは、受賞作を見てもその後の作品を見ても、完全に現用語で作歌する意志が明らかで、その徹底ぶりは現在の歌壇では稀だ。もう一つの特徴は構成主義、連作主義で、一首の独立性を犠牲にしてでも連作全首で一つの作品世界を強固に作り上げる手法を取る。
    (『〈口語〉うわさの真相』谷村はるか)》

 谷村の言うとおり、やすたけの魅力の一つは物語の創造性にある。連作もそのための武器の一つだが、彼女の童話的、短編小説的物語を構成する材料として、やはり口語の徹底的使用を一番に挙げないわけにはいかないだろう。
 仮に、やすたけの短歌を無理矢理文語に「改作」したとしたら、その世界はたちどころに崩壊してしまう。口語でありながら「文語」として認められた「短歌語」を使用したとしても同じだ。それほどまでにやすたけの短歌世界は「口語」(非短歌語)と不可分となっている。先に彼女の短歌を「童話的」と言ったが、実際、彼女が短歌に使用するボキャブラリーの多くの部分は童話、絵本、マザーグース、民話等の世界から取られている。短歌研究新人賞受賞作「ナガミヒナゲシ」、受賞後第一回作品「ジャマロ・バンブルリリイという蛾」等、比較的眼に触れる作品を挙げても良いが、むしろ数首で構成された掌編を見た方が、彼女の特質を把握しやすいかも知れない。

    うわのそら、ってどこですか手をつなぐ右のカエデと左のケヤキ
    似ていない木と木の間あるいたら「きつねの窓」のかたちの空だ
    眼であるとすればおおきくおそろしく狐の影のひとみはひかる
    こっそりと鏡を(きみを)見上げてた下りの(秋の)エスカレーター
    ひとさしゆびおやゆび空をきりとって桔梗の青がきえないうちに

 平成二一年一二月一九日朝日新聞掲載の「窓をみあげる」八首中から五首を引いた。
 やすたけが従来の短歌観にとらわれず、と言うより、今までの短歌の「型」を充分に意識してなお、それとは別種の世界を築こうとしているのが分かる。
 好悪の分かれる作風ではあろうが、これを「短歌ではない」などと否定するのは、短歌にとって成長の拒否でしかない。

 二人目の例として、笹井宏之を挙げる。
 笹井は平成二一年に二六歳で惜しくも夭折した歌人だが、デビュー当時から馬場あき子をして「出色の才能」と言わしめるほどの評価を受けた。
 その作品世界の魅力を一言で言ってしまえば、「短歌らしくない」ということになるだろうか。少なくとも、従来の短歌の持つ私性、情念、具体性からは、笹井の短歌は離れたところにある。代わりにあるのは、心象風景をダイレクトに模した虚構性、地から数寸離れたような浮遊性、それでいてその世界と現実世界を自然に(と見せかけて半ば強引に)結びつけるリアリズムである。その、心象風景と現実世界を結びつけるアイテムとして、「短歌語」に頼らない、独特の言葉選びがある。
 第二歌集にして遺稿集の『てんとろり』から何首か抜いてみよう。

    星まみれの空があなたを奪っても私はきっと骨のない傘
    砂時計のなかを流れているものはすべてこまかい砂時計である
    こどもだとおもっていたら宿でした こんにちは、こどものような宿
    世界って貝殻ですか 海ですか それとも遠い三叉路ですか

 名詞、動詞だけでなく助詞や句点、一字空けも含めて、従来の短歌ではほとんど使われなかった手法を用いている。少なくとも笹井宏之として作られた作品は全て口語で作られており、その多くは、先に論じたとおりの「非短歌語」で占められている。

 《先づ連作の歌ではなく、一首一首ぽつんと独立してゐる。意味の上で完結してゐる。短歌といふより短詩といひたいぐらゐ、伝統的な和歌の韻律や様式を失つてゐる(棄ててゐる)。近代短歌以来短歌は作者の生(生活、職業、私的な履歴、など)とは切り離せない〈私詩〉であつたが、笹井氏の歌は、さういふものを背景にして歌はれてゐない。むしろ、さういふ私歴を背後に背負つてゐないから、軽くて親しみやすいと思はれてゐるらしいのである。
  (中略)童謡風の発想である。たしかに五・七・五・七・七の音数律は守られてをり、短歌の常道をゆくものだし、昔をさぐれば北原白秋の童謡とか斎藤史の初期の口語歌に通ふところがある。
    (『詩歌の岸辺で』岡井隆)》

 岡井は「短歌といふより短詩」のようだと表するが、それでも笹井の歌は紛れもなく短歌である。短歌でありながら、歌人以外の人々にも愛されるのは、非短歌語ではあるが詩語(少なくとも笹井的詩語)で綴られた、言葉の新しい息吹ゆえではないだろうか。
 先に「笹井宏之として作られた作品」と書いたが、わざわざこんな注を入れたのは、彼には本名の筒井宏之名義で作られた作品群も存在するからだ(『てんとろり』の巻末に集められて収録)。こちらは主に佐賀新聞に掲載された作品で、特徴として文語・歴史仮名遣い(正確には小島ゆかり命名の「文語と口語のミックス文体」が多い)で作られている。

    わが里を大鴉二羽飛びゆけり そののち銀の黄昏は来ぬ
    ひらはらといふ姓を持つ唄ひ手のゐてひらはらと声をだしをり
    knifeよりこぼるる「k」の無音こそ深きを抉る刃なりけり

 なぜ彼が文語作品も歌ったのか、その問も興味深いが、本筋から外れるので今は措く。
 重要なのは、笹井は決して文語歴史仮名を嫌ったのではなく、ましてや使えなかったのでもないこと、もっと言えば「口語」「文語」の問題について、彼なりの確固とした考えがあった、ということだ。『てんとろり』の制作ノートにおいて中島祐介が書いているとおり、笹井は第一歌集『ひとさらい』(笹井が自分で編集した唯一の歌集)に「筒井宏之」名義の作品を収録しなかった。それは、歌人としての笹井宏之は口語(イコール非短歌語)によって生きる、との決意表明に他ならないのだ。


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