はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (4)

2012年09月21日 19時54分13秒 | インターミッション(論文等)

   4.まとめ


連作「日本空爆 1991」を近的、遠的に眺めてきた。
これは、ニューウェーブ運動全体から言っても、一種の極北的作品であり、一首としてはともかく、連作ではこれ以上過激な一連は発表されていない(発表されても、すべてこの連作の亜種としてしか見られなくなっている)。
実際、荻原裕幸も、この一連を含む記号短歌を作った後、盟友である穂村弘や加藤治郎から「そろそろ帰ってこいよ」と言われた、と述懐している(2011年『未来』創刊六〇周年記念大会「ニューウェーブ徹底検証」席上において)。
それほどまでにこの一連は実験的であり、同時に荻原裕幸自身の短歌観が詰まった作品だった。

同時に、短歌が示すことの出来る機会詠、時事詠としても、この作品は、その裾野をぐっと広げた、と言って良いだろう。
湾岸戦争以後、日本を波状攻撃的に襲い、今も襲い続けている様々な事件について、短歌が曲がりなりにも対応を示し続けている一つのきっかけとして(反発、拒否も含め)、この「日本空爆 1991」は位置してはいないだろうか。

初出誌に付されたコメントで、荻原裕幸はこう言っている。

「日本もまた湾岸戦争といふ物語を、悪意があるかないかは知らないが、特殊な演出をしながら報道してゐるやうにしか見えないのだ。なぜこんなにリアリティがないのだらう。(中略)「日本空爆 1991」は、リアリティを失つて困つている僕の、精一杯のところで出した答である。」

また、歌集『あるまじろん』のコメントでは、こうも言っている。

「湾岸戦争でのアメリカ軍の力はもの凄かつたけれど、湾岸戦争そのものが世界にふりまいた力は、そのアメリカ軍もかすんでしまふくらゐに烈しかつたと思ふ。(中略)一九九一年、それはぼくたちが、そして言葉が、いかに無力かといふことを思ひ知らされた年だつた」

「リアリティ」を失い、「言葉」の無力を思い知らされる。
我々は、何度もその思いを噛みしめてきた。
「湾岸戦争」とはこうした、世界が高度に情報化され、同時に、言葉が単なる言葉として機能することが難しくなるほど複雑化された《現在》への、入口だったのかも知れない。


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