(5)まとめ
以上、マスメディア、歌壇双方の面から、『サラダ記念日』ブームについて考えてきた。
この文の始めにおいて私は、〈現代短歌〉と〈「現在」短歌〉の区切りを、この歌集刊行の2年後である1989年に設定した。
その理由については、今までに述べてきたとおりだが、とりわけ、先に挙げた岡井隆の
〈(俵万智は)最初のランナーではなくて最終ランナーだった〉
という発言が、端的に物語っているだろう。
比喩を許してもらえるなら、『サラダ記念日』ブームとは、ある一つの島を襲った暴風雨だった。
それはあまりにも大きなパワーを持っていたので、島にある多くの物が吹き飛ばされ、多くの物が混乱に巻き込まれた。
島のある部分では、地形や植生まで変化してしまった。
そして暴風雨が去った後、変化した部分の土壌には新種の種子が土着し、成長し始めた。
変化した地形・植生と新たな種子のその後について語ることは、この文の本義ではない。
とにかく、このようにして『サラダ記念日』ブームは歌壇に少なからぬ変化をもたらし、新たな土壌を作るきっかけとなった。
時代の区切りとしての役割を、十二分に果たしたのである。
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