1.「文語」ではなく「短歌語」
「文語」「口語」の語義については、大辞林その他辞典類で規定できるが、ここ数年の『「文語」「口語」問題』についての論争の不毛さは、辞書的語義と短歌世界におけるこの語のニュアンスの微妙な(あるいはあからさまな)相違に原因の一つがあるのではないか。
この相違について比較的わかりやすく討議を行っているのが『短歌の想像力と象徴性~短歌と日本人Ⅶ』における座談会である。出席者は岡井隆、永田和宏、小池光、小林恭二、北川透。関係のあるところを抜粋してみよう。
《小林 (中略)文語表現というのは詩法の花園の中で育て上げられてきたものですから、比喩とか、あるいは言葉の言い回しとかとっても、やはり口語とは違う練り上げられ方をしているわけであって、しかも五七五にのりやすいという性質もあります。これは当たり前であって、文語体はそもそも五七五の花園の中で育ってきた文体ですから、(中略)少なくとも現在の文語体イコールかつての短歌文体ではない。現在の文語体はそれ自体独自のような気がします。
小池 (中略)文語というのを平安末期に使われた短歌の言葉であり、口語というのを現代語というふうに理解すると、間違うんですね。現代短歌で使われている文語というのは一種の現代語なんです。かつて日本の中にああいう文語体系が存在していたわけではない。(中略)文語と思っているものが実は文語ではなくて、現代短歌語なんです。俳句もそうだと思うんですが、短歌というジャンルは短歌語で書かれた一つの表現で、いわば「短歌語」というものがある。それが短歌の文体をつくっているいちばんベースにあるものだという感じがするんです。》
これらの発言に見られるように、短歌が用いる言語は通常と異なる物であると言って差し支えない。斎藤茂吉、土屋文明、石川啄木等近代短歌の巨人達も、それ以前の「和歌」と呼ばれた時代の語法からすれば明らかに文語とは言い難い語を積極的に短歌の一部としてきた。そして現代短歌以降、その傾向はますます強まっている。
それについて、現代歌人達はどのようなとらえ方をしているのか。同じ座談会から永田和宏の発言を抜いてみる。
《岡井 永田さんは、小池さんが言ったように、短歌というのは基本的には文語定型だと思いますか?
永田 まさにそれ以外のものではあり得ないと思います。
(中略)いまの口語短歌が成熟する頃には、それは文語になっているんだと思うんです。
(中略)文語というのは、そういう形でいつの時代もあり得るんじゃないかな。みんな口語的なものをどんどん入れようとしていくんだけれども、それが快く感じる頃にはある種の文語的な感じられ方をして、うまくおさまっている。そういうものだと思います。》
永田の意見が文語に固執する歌人すべての総意ではないだろうが、これに沿って考えると、多くの歌人が短歌イコール文語を主張すること、その割にはそれらの歌人が(辞書的な意味での)「文語」にさほど執着しないで歌を創作していることの説明が、ある程度つく。
要するに、先に挙げたように大多数の歌人が言う「文語」とはすなわち、先に小池が発言した「短歌語」であり、「口語」とはその範疇に入らない他の語~ここでは仮に「非短歌語」と名付けるが~のことであるようだ。
まだ前衛短歌が産声を上げたばかりの一九六〇年、岡井隆は歌集『土地よ、痛みを負え』のあとがきにおいて、こんな風に述べている。
《短歌は短歌固有の歌言葉―単語だけでなく語と語のつなげ方つまり語法句法も含めて―を持っているので、短歌を作るとは、歌言葉に翻訳することである。歌言葉といっても、僕は、古典的な句法や単語だけを指してはいない。むしろ、僕らの努力で、現代日本語から採取して歌言葉を豊富にしてゆくことこそ、現代短歌が真に現代短歌たるために必要なのだと思う。が、一方、僕らが普通、それによって表象したりしゃべったりしている日本語が、そのまま歌言葉たりうるとする誤解ほど、歌を枯らすものはないのであって、俗流大衆路線派は、日常語の平明直截性をよろこんでとり入れたがるが、歌に用いられた場合、その種の言葉は、意外に無力化するのだ。》
岡井はこの文で「文語」「口語」という単語は用いていないが、考え自体は永田の意見とそう変わるものではないだろう。つまり、五〇年以上前から、短歌の世界で使われる「文語」とは辞書的意味でのそれではなく、短歌の世界でのみ通用する「短歌語」であることは、認識されていたのだ。しかしその認識は意外なほどに短歌世界内には広まっておらず、ゆえに五〇年後の論争でも議論の食い違いや無用の迂回を強いることになる。
少しくだくだしくなったが、要するに「文語」「口語」という単語を用いて議論するから話がややこしくなる。ある者は短歌世界的な意味でこの語を用い、ある者は辞書的にこれをとらえる。あるいは一人の中で無意識に(意識的に)これを混同し、使い分ける。
「文語」を「短歌語」、「口語」を「非短歌語」と呼んで議論を行えば、余計な誤解も減り論議もスムーズに進むのではないかと思うがどうか。
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