粗塩を揉みこみながら思ひ出す大きな手をしていたひとのこと
空色ぴりか(美利河的題詠百首)
「揉みこ」むという動作から、夕食用の肉塊に塩を塗しつけているのでしょうか(お腹の脂肪に、という読み方もありますが、ちょっとねえ…)。
その作業中、ほんのちょっとした触感から、ある人のことを思い出す。
この場合、あの人の「大きな手」ならこの作業も簡単にできるな、と思ったのではなく、その人自身の「手」の手触りがよみがえったと読むべきでしょう。
その手の持ち主を恋人と読むこともできますが、僕は父親ではないかと思います。
「していた」と過去形を用いているので、ひょっとして故人なのかもしれません。
遠い昔に握って歩いた手の感触が、料理という日常の動作からふっとよみがえる。
それをやさしく懐かしむ気持ちが、後半のひらがなの連なりで表現されています。
空色ぴりか(美利河的題詠百首)
「揉みこ」むという動作から、夕食用の肉塊に塩を塗しつけているのでしょうか(お腹の脂肪に、という読み方もありますが、ちょっとねえ…)。
その作業中、ほんのちょっとした触感から、ある人のことを思い出す。
この場合、あの人の「大きな手」ならこの作業も簡単にできるな、と思ったのではなく、その人自身の「手」の手触りがよみがえったと読むべきでしょう。
その手の持ち主を恋人と読むこともできますが、僕は父親ではないかと思います。
「していた」と過去形を用いているので、ひょっとして故人なのかもしれません。
遠い昔に握って歩いた手の感触が、料理という日常の動作からふっとよみがえる。
それをやさしく懐かしむ気持ちが、後半のひらがなの連なりで表現されています。
思いこみが激しいもので、トンチンカンな読み方をしてしまうことがよくあるのです。お許しくださいー。
アウトドアは確かに好きですが、野外で肉に下味を付けるなんてめんどくさいことはできません。たいていはレトルト食品で。
はい、けっこう無精なんです。
これに懲りずに、また遊びに来てくださいね。
塩をもみこむ作業=>手をおもいだす というのは,いわゆる「つきすぎ」かなーとびびりながら出した ので,勇気をいただいたきがしてうれしかったです。