それはもう春のあめゆき じゅくじゅくと理由を濡らす春の あめゆき
村上きわみ (北緯43度)
初めは、「理由を濡らす」のは「あめゆき」であると考えました。
しかし何度か読んでいるうちに、濡らすのは「春」そのものではないかとも思えてきました。
つまり、「じゅくじゅくと理由を濡らす」が「春」にかかっていて、そんな春に降る「あめゆき」が「それ」のようだ、と。
このように思った理由は、二つの文字空けにあります。
「あめゆき」=みぞれのぼたぼたした感じを表現したのかとも思いましたが、それにしては入る場所が変則的です。
それより、センテンスを区切るために配置したのだと考えたほうがしっくりきました。
読み違えていたら、申し訳ありません。
この歌は、宮沢賢治「永訣の朝」の本歌取りにもなっています。
「あめゆき」は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」へつながり、「じゅくじゅく」も「びちょびちょふってくる」を連想させます。
そこに「理由」を絡め、さらに新しい世界を作り出しています。
村上きわみ (北緯43度)
初めは、「理由を濡らす」のは「あめゆき」であると考えました。
しかし何度か読んでいるうちに、濡らすのは「春」そのものではないかとも思えてきました。
つまり、「じゅくじゅくと理由を濡らす」が「春」にかかっていて、そんな春に降る「あめゆき」が「それ」のようだ、と。
このように思った理由は、二つの文字空けにあります。
「あめゆき」=みぞれのぼたぼたした感じを表現したのかとも思いましたが、それにしては入る場所が変則的です。
それより、センテンスを区切るために配置したのだと考えたほうがしっくりきました。
読み違えていたら、申し訳ありません。
この歌は、宮沢賢治「永訣の朝」の本歌取りにもなっています。
「あめゆき」は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」へつながり、「じゅくじゅく」も「びちょびちょふってくる」を連想させます。
そこに「理由」を絡め、さらに新しい世界を作り出しています。