つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

言葉の帝王、諦める(明らかにする)

2024-03-27 | Weblog
「諦める」という言葉は、途中で投げ出してしまうという事ではない。
諦かに見るということである。「明らかにする」ということにある。それは、
真理について明らかに知るということである。
「真理」=正しい道理の事。
だから、「諦めろ」という意味は、物事に対して「明らかにしなさい」という事。そのために、言葉という文字に最高の位をあらわす帝の文字をつけて、言葉の最高として「諦」としている。
投げ出してしまいなさいと言う意味ではない。これも一つの洗脳教育されたことである。物事の正しい道理を明らめて、本当の事を知りなさいと言う事の意味である。それは、真理を知られては困るために、反対の意味として諦めなさいと教育されて来たことである。騙されてはならない。
なんでも諦かに見てこそ物事を正しく判断できていく。誤った習慣というのは恐ろしいことだ。
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