まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポーランド王ヤン2世カジミェシュ妃 クローディーネ

2015-09-28 21:35:55 | ポーランド王妃
三度の結婚でランクアップ
ヤン2世カジミェシュ妃 クローディーネ・フランソワーズ・ミグノー


1624~1711/在位せず

もうすぐポーランド王妃編は終わりを迎えるんですけれども(やっと!)
だんだん家系図がつまらなくなってきてるのよね… 王が選挙で選ばれるもんで…
頑張って早く終わらせよう…

ルドヴィカ・マリア・ゴンザーガの突然の死にうちのめされた
ヤン2世カジミェシュが退位した後結婚したのが、クローディーネです。

素性はよくわからんのだが、グルノーブル生まれらしい。

      

16歳の時、皇太子のお気に入りのピエール・des・Portes d'Ambieriuxの秘書と
結婚の約束をします。
彼の家族は反対しますが、彼は結婚を実行します。
クローディーネはチャンスをゲット!

クローディーネは結婚した直後から独学で教養を身につけていったようで
「いつかさらに上流な社会に入ってみせる!」というガッツが感じ取れますね。

しかし、やはり家族の反対がひどかったんですかね?
クローディーネはパリに向かうと、フランス陸軍元帥フランソワ・ド・ロピタルに
保護を求めます。 “ 保護 ” って、つまり、そういうことよね…

二人は出会った週のうちに結婚しました。
しかし、ロピタル元帥、その時75歳!! これはさぁ… みえみえ…

7年後にロピタル元帥が亡くなると、クローディーネはけっこうな遺産を手に入れます。
男の子がひとり生まれましたが、3歳ぐらいで亡くなっています。

クローディーネはまだ20代前半なはず。
お金は手に入れて、身軽になって、まだまだいける!って感じよね。

しかしその後のクローディーネの消息はしばらく途絶えまして
48歳の時にヤンと再々婚します。
なんでもヤンが亡くなる数週間前に結婚したということで、これまたミエミエな気が…
お付き合いはその前からしていたらしく、ヤンとの間に女の子が生まれて
2歳ぐらいで亡くなっています。
ただ、ヤンは突然亡くなったらしく、それもまたアヤシい気が…

その後どうしてたかはよくわかりませんが
晩年はカルメル派の修道院で過ごし1711年に87歳で亡くなりました。

クローディーネの三度の結婚は全て身分違いでしたが、相手もランクアップし
遺産も多くなっていくという…
不幸を糧に、富を増やし社会的地位を上げていってますね。
脚色すればすごい悪女の物語ができそうです。

彼女の生き様は、やはり後年いろいろな方が物語にしてますね。
その際にいろいろ書き換えられたり盛られちゃってるみたいです。
後世に名を遺すのもいいですが、まったく違う人生を与えられている人も多いのでしょうね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと深夜番組コーナー
やったね! 『孤独のグルメ』が帰ってくる~!!  直前祭りももちろん見てます
待ち遠しいぜ! エキストラに応募しちゃおうかなっていきおい 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ポーランド王ヴワディスワフ4世妃 ルドヴィカ

2015-09-14 21:17:51 | ポーランド王妃
秘めた恋心を実らせたとしか思えない
ヴワディスワフ4世妃/ヤン2世カジミェシュ妃 
                ルドヴィカ・マリア・ゴンザーガ


1611~1667/在位 (ヴワディスワフ4世妃)1645~1648
          (ヤン2世カジミェシュ妃)1649~1667

アンナ・ヤゲロニカの後を継いだスウェーデン王太子ジグムンド3世は
アンナとコンスタンシアの姉妹と相次いで結婚しました。

父から王位を継承したヴワディスワフ4世は、1637年にツェツィリア・ハプスブルザンカ
結婚しましたが、はその前にルドヴィカとの縁談が一度ありました。

ルドヴィカの父親はマントヴァ公カルロ1世ですが、ルドヴィカはパリ生まれです。
母親はカトリーヌ・ド・ギーズです。
パリではマリー・ルイーズと呼ばれていました。

少女時代を母親とパリで過ごし、16歳の時にオルレアン公ガストンと
結婚することになりましたが、これに兄のルイ13世が猛反対!
反対するだけならまだしも、ルドヴィカをバンセンヌの要塞に閉じ込められたあげく
小さな修道院に移しちゃう始末。
そんなに結婚させたくなかったですかね?

この年父カルロがマントヴァ公になりますが、反対意見が多く継承戦争に突入します。
ルイ13世はやっかいな親戚を抱えたくなかったんでしょうか?

ヴワディスワフ4世と結婚する前の1640年、ルドヴィカはパリで、ヴワディスワフの異母弟
ヤン・カジミェシュと出会い、その後ヤンを文学サロンに招くようになります。
たぶん、二人の間には恋心なんか芽生えちゃったりして…(想像)

1645年に、ヴワディスワフ4世とルドヴィカが結婚することになった時
ヤンは結婚式の代理夫を務めているんですけど、どんな気持ちだったのでしょうね?

二人の気持ちを知っていて代理夫をさせたとしたら、ヴワディスワフは意地悪よね
「悲しむがいい~、悔しがるがいい~」なんて…(妄想)

ひと言メモ
代理夫とは、王侯貴族の娘さんが他国へ嫁ぐ時、夫になる相手が国を離れられなかったりして花嫁の元へ来れない時
故国で結婚式を挙げるために誰かが身代わりの夫を努めることです
花嫁はその後夫のいる国へ向かい、そこで本当の結婚式を挙げるわけです


1648年、ヴワディスワフ4世が亡くなり、ヤンが新王に選出されます。
翌年、たぶん喪が明けるやいなや、as soon asですよ! ヤン2世とルドヴィカが結婚します。

     

ルドヴィカは、エネルギッシュで経済と政治に関心があったらしく
ポーランド議会の選挙システムの変更と、君主の権力増大を望んでいました。
貴族たちはルドヴィカの政治姿勢が中世的だと呆れましたが
たぶん王より知性が秀でていて、かなりヤンをサポートしていたと考えられています。

また、ポーランドで初の文学サロンを開いたり、初の新聞を作ったりと
文学面でも国を向上させようとしていたようです。

1667年に亡くなりますが、これは誰も予期せぬ死だったようです。
怪しいね… 強い女は煙たがられるものだから…
ただ、ヤン2世はルドヴィカの死にかなり打ちのめされたようなので、夫説は消えるね。
ヤン2世はルドヴィカの死から1年後に自ら退位します。 さてはそれが狙いか…?

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
急いで『SMTOWN THE STAGE 日本オリジナル版』を観に行って来たけど、なんかすごいわ…EXO
韓国初のドームのこけら落としかぁ…  とりあえず全員の名前を覚えてみようっと
コメント
この記事をはてなブックマークに追加