まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王ルイ9世王女 マルグリート

2011-12-14 22:07:32 | フランス王妃・王女
                こちらは五女アニェスです

完璧な男性を手にした王女
ルイ9世王女 マルグリート・ド・フランス
ブラバント公ヨハン1世妃


1254~1271

ルイ9世とマルグリート・ド・プロヴァンスの四女マルグリートは
3歳の時にブラバント公ハインリヒ4世と婚約しました。

ところが、ハインリヒがあまりに低能だということで婚約が破棄されました。

中世って、けっこうおバカさんとか乱暴者とか狂気を孕んだ人なんかが
平気で即位して結婚もしてたもんだと思ってるんですが、こういうこともあるんですね。

ハインリヒは1267年に廃位されて弟のヨハン(ジャン)がブラバント公になり
兄の婚約者だったマルグリートと1270年に結婚しました。
            

ヨハンは当時の封建的社会において、完璧なプリンスの一人と言われていました。
どんな方だったかあげてみますと…
騎士道精神に富み、勇敢で、正義感溢れ、スポーツ万能。
おまけに人柄が良いってことで人気者。
当時の詩や物語にも数多く登場しています。

当然もてますな…
というわけで庶子もたくさんいました。
美しい貴婦人たちとの恋愛沙汰も、人気者の証しってことになるんでしょうね。

マルグリートは結婚後すぐに妊娠しましたが、出産の時に母子ともに亡くなりました。
一瞬でも “ 完璧な男性 ” の妻になれて幸せだったかしらね?
なかなかいるもんじゃないし…



隠れたやり手なのかしら?
ルイ9世王女 アニェス・ド・フランス
ブルゴーニュ公ロベール2世妃


1260~1327

ルイ9世とマルグリート・ド・プロヴァンスの五女アニェスは
本人にはこれといったエピソードがないんですけど、子供たちに注目!

11歳ぐらいでロベールと結婚しまして四男四女をもうけました。
          
その中で、次女マルグリートはフランス王ルイ10世に嫁ぎ
次女ジャンヌはフィリプ6世妃に。
次男ウードはフィリプ5世王女ジャンヌを妃に迎えています。
省いたけど長男ユーグは、フィリプ3世を祖父に持つ
カトリーヌ・ド・ヴァロワと結婚してます。

もう、フランス王位がどこに転んでも縁続き、という関係を築いてます。
フランス王家はブルゴーニュ公領をがっつり手中に収めたかったということもありますが
こんな豪華な顔ぶれ… 縁組み作戦成功だったと言えましょう。
ただ、結婚した本人たちがどうだったかは別ですけど…

中世の王侯家の縁談は、もちろん政策重視ですから
偉い人たちが「あーでもない、こーでもない」と話し合って決めることが多かったわけですが
けっこう母君たちも根回しなんかに暗躍してたのよね。

もしかしたらアニェスも、実家の効力を最大限に利用して縁談をまとめた
知られざるやり手ママかもしれませんね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王ルイ9世王女 イザベル

2011-12-12 23:29:26 | フランス王妃・王女
純情すぎた王女
ルイ9世王女 イザベル・ド・フランス
ナヴァール王テオバルド2世妃


1241~1271/在位 1258~1271

聖王とよばれたルイ9世とマルグリート・ド・プロヴァンスには
フィリプ3世を含む11人のお子さんが生まれまして、王女は5人です。
長女ブランシュは3歳で亡くなっています。

次女イザベルはナヴァールと和平を築きたかったルイ9世の意向で
テオバルドに嫁ぐことになりました。
            
テオバルドが18歳、イザベルが13歳の時に結婚しました。

花嫁が幼いので、新婚当時はもっともだと思われるんですが
この二人、極度に内気で恥ずかしがりやだったということで
一緒に眠る時も服を脱がなかったと言われています。

かなり前にNHKでやっていた(主にフランス)王家とカトリックの番組を思い出した!
まだ教皇の権限が絶大でカトリックが崇め奉られていた当時
快楽のみのセックスは罪とされていたんですって。
でも後継ぎは生まなけりゃいけない、ってわけで
胸のところと脚の付け根のところに穴が開いた、ゴワゴワの麻袋みたいな服を着て
痛みを伴いながら床入りをしていたっていう内容だったわけですが…
胸のところも穴が開いてるっていうのがさぁ… 逆にいやらしくないですか?

閑話休題

だからかどうか、テオバルドとイザベルには子供はいなかったといわれておりますが
近頃では16歳ぐらいで子供が生まれたという説もあるそうです。

敬虔なイザベルは、父王ルイ9世とテオバルド2世が参加した第8回十字軍に同行しました。
しかし、遠征中の1270年8月にまずルイ9世が、12月にテオバルド2世が亡くなりました。

イザベルは妊娠中だったと言われています。
フランスに戻りプロヴァンス(Provence)で過ごしましたが
2ヶ月後に出産で亡くなったとされています。
夫が眠るプロヴァン(Provins)に埋葬されました。

死に瀕したイザベルが何をしたかって言うと…
「死体をしっかりくるんで、骨になるまで一部分でも肌が見えないようにしなさい」と
侍女に言いつけたそうです。

さすが聖王の娘! って、他に言い残すことはなかったんでしょうか?



              
わざわざスペインに嫁いだのに…王妃にも王大后にもなれなかった
ルイ9世王女 ブランシュ・ド・フランス
カスティーリャ王子フェルディナンド妃


1253~1323

三女ブランシュは、ルイ9世が第7回十字軍に参加し、捕虜になっている間に生まれました。

1268年にカスティーリャ王アルフォンソ10世の王子フェルディナンドと結婚しました。
ルイ9世の長男ルイはフェルディナンドの姉ベレンガリアと婚約してますので
(長男)ルイが16歳で亡くならなければダブル婚となったんでようね。

結婚から7年後、フェルディナンドが父王に先立ち亡くなります。

ブランシュには二人の王子が遺されましたが、まだ王位継承権はありませんでした。
フェルディナンドの弟サンチョが「自分が王だ」と言い張りまして
兄のフィリプ3世はカスティーリャ侵攻まで考えたのですが
結局サンチョが父王アルフォンソ10世までも倒して即位します。
        
ブランシュはフランスに帰り、二度とカスティーリャには戻りませんでした。
二人の王子は祖母のヴィオランテ・ディ・アラゴンが必死でサンチョ4世から守り抜きました。

二人の王子アルフォンソとフェルナンドはカスティーリャ王位を奪い返そうと
アラゴンなんかの力を借りて戦ったようですが、王になることはかないませんでした。

ブランシュはパリで亡くなっています。

アルフォンソは後にシャルル9世から称号をもらってますんで
フランスに行ったんじゃないかしらね?
その時に母ブランシュと会えていたらいいんですけど…

(参考文献 Wikipedia英語版)
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