まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

プロイセン王フリードリヒ1世妃 エリーザベト

2009-10-31 12:18:24 | ドイツ系王妃
母親の売り込み大成功!
フリードリヒ1世妃 エリーザベト・ヘンリエッテ
                フォン・ヘッセン=カッセル


1661~1683/在位せず

ドイツはですねぇ、ちょっと複雑なので詳しい事は学者の方に任せますが
ものすごーくざっくりご紹介しますね。

現在のEU加盟国並の広大な領土を有していたフランク帝国は
840年代にルートヴィヒ1世の息子たちの争いによって大きく3つに分裂します。
長男ロタール1世は中部フランク(イタリア方面)王国を、
四男シャルル2世は西フランク(フランス方面)王国をそれぞれ手に入れました。

三男ルートヴィヒ2世が手に入れたのが東フランク(ドイツ方面)王国です。
東フランク王国はその後西ローマ帝国になり、神聖ローマ帝国になっていきます。
当時の神聖ローマ皇帝は国内の有力な領邦君主によって選ばれていて、
ドイツ王は、次期神聖ローマ皇帝のための、いわば “ 皇太子 ” の称号でした。
皇帝位はそのうちハプスブルク家の専売特許みたいになっちゃいますが…

もともと領邦君主の力が強かったドイツは、王とか皇帝とか言ったって
国中を支配する力は無く、各領邦君主が王様のような暮らしをしていたわけね。
特に選帝侯といわれる神聖ローマ皇帝を選ぶ権利を所有する領邦君主は名家ぞろいです。

そんなわけで、家系図も複雑だし、歴史も入り組んでて面白いドイツ、
まずは後にドイツ皇帝となったホーエンツォレルン家をご紹介。

ホーエンツォレルン家は、代々ブランデンブルク選帝侯に就いていた名家です。
初代プロイセン王フリードリヒ1世の父、フリードリヒ・ヴィルヘルムは
ブランデンブルク=プロイセンを躍進させ、大選帝侯と呼ばれてます。
フリードリヒ1世は、スペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝側につくことを条件に
プロイセン王の称号を手に入れました。

フリードリヒ1世の最初の妃エリーザベトの母は大選帝侯の妹ヘドヴィヒ・ゾフィーで
早くから娘を従兄のフリードリヒに嫁がせようと考えていました。

          

ヘドヴィヒはエリーザベトの売り込みに余念がなかったのですが
一時フリードリヒが神聖ローマ皇帝レオポルト1世の妹と結婚しようとしたために
頓挫しそうになりました。

たぶん、ロートリンゲン公と再婚したポーランド王未亡人エレオノーレ・マリアか
プファルツ選帝侯と結婚したマリア・アンナが候補だったと思われますが
この縁談が叶わなかったため、エリーザベトは晴れてフリードリヒの妃に選ばれました。
良かったね

1678年、母親とともにベルリンへ出発したエリーザベトでしたが
フリードリヒはナイメーヘン条約締結のためオランダに向かっていて
なんと1年間ベルリン宮殿で待ちぼうけを食らう事に…
嫌われている感じでですよね? しつこく縁談をせまりすぎたのかしら?

けれども、結婚後のふたりはものすごく愛し合っていたそうです。
結婚の翌年には娘のルイーゼ・ドロテアも生まれて幸せ一杯だったのですが
エリーザベトは結婚から4年後の1683年、21歳で亡くなりました。

結婚した相手と愛し合えるというのは、当時の王侯貴族にとって
大変幸福なことですね。

この後のプロイセン王妃はけっこうつらい人生を送るのですけれど… つづく

(参考文献 阿部謹也氏『物語ドイツの歴史』 坂井榮八郎氏『ドイツ史10講』
      堀越孝一氏『中世ヨーロッパの歴史』
      鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)

ドイツ史10講 岩波書店


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イギリス王ジョージ4世愛妾 エリザベス

2009-10-28 02:17:11 | 王の寵姫・愛妾
宝石の後光で光り輝く
カニンガム候夫人 エリザベス・カニンガム


1769~1861/愛妾 1819~1830

エリザベスの父親は銀行で財を成した人でした。
25歳の時にアイルランドの貴族、カニンガム子爵ヘンリーと結婚します。

       

エリザベスはとても美しかったにもかかわらず非常識さが先に立ち
貴族社会では “ 卑しい女 ” よばわりされていました。
それでも愛人や崇拝者には事欠かなかったっていうんだから
陰口をたたいていたのは女性陣だったってことでしょうね?
エリザベスのお相手にはロシアのニコライ1世もいたそうでございます。

ウェリントン侯爵によれば、エリザベスは1806年頃から
摂政ジョージの愛妾になろうと心に決めて頑張っていたらしいですよ。

1819年にはどうやら努力が実ったようで、ふたりで酔ってふざけあう姿が
しばしば見られるようになります。
ジョージはエリザベスが側にいないと退屈で寂しそうなのに
一緒にいるとウィンクしたりうばずきあったりと少年の初恋並みに大忙し…
とても分かりやすい人だったみたいですね。

しかし、エリザベスは50歳ですよ
しかも肖像画じゃ分からないけれど、かなり横幅が広い人だったそうです。
若い美人にはしる王様はたくさんいるけど… ジョージ4世ってなんか憎めないタイプね。

エリザベスはとんでもなく強欲だったと言われています。
ジョージはもともと愛人に宝石を贈るのが大好きで借金を作ったようなものですが
しまいには国の宝物庫にあったスチュアート家から伝わる宝石を持ち出す始末。

エリザベスにパーティーで会うと、体中に宝石をつけていたせいで眩しくて
霞んで見えたらしいよ
シャンデリア状態だったのかしら?

政治的な野心はなかったけれど、家族の地位獲得には熱心でした。
夫は子爵から侯爵に格上げされています。

エリザベスに対するジョージの愛は死ぬまで変わらず
年をとるにつれて彼女に依存するようになっていきます。
もちろん健康も衰えてくるので、エリザベスはけっこううんざりしたらしいけど
1830年にジョージ4世が亡くなるまで付き添っていました。

さて莫大な宝石ですが、誰かにデュ・バリー夫人(宝石を取り返そうとして処刑された
ルイ15世の愛妾)の話しを聞かされて、全てを国に返還しました。

ウィリアム4世の時代になると完全に宮廷から閉め出されました。
看病までしたのにね…

92歳で亡くなりました。

ちなみに孫のジェーン・チャーチルは後にヴィクトリア女王の寝室係になり
良き友人にもなっています。

単純で “ 可愛い女 ” タイプの人だったんじゃないかしら?
宝石だってその気になれば手に入れられただろうし、年金だってもらえただろうに…
戦略的でも思慮深くもない… そういう天真爛漫さが
ジョージ4世には好ましかったのかもしれませんね。

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
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『第三の女』時代はビートルズ旋風の頃!

2009-10-27 01:41:53 | アガサ・クリスティ
THIRD GIRL 
1966年 アガサ・クリスティ

突然若い女性がやってきて「人を殺したかもしれない」と言いだす… 困りますね。
引き止めて通報すべきか、冗談だと思って聞き流すか。

ポアロは「なんのこっちゃ?」と思って
彼を訪ねて来た若い女性ノーマ・レスタリックを帰らせてしまったのですが
後々彼女が嘘をついていたのではないと思い直しました。
しかし彼女はすでに行方不明になっている… さあ、ポアロはどうする?

ポアロはノーマのアパートで起こった女性の転落死に注目します。
自殺か事故とされた女性の死でしたが、ポアロは見逃しませんよ!

ノーマのルームメイトのフランシスは、ノーマが麻薬や薬をやっていて
幻覚を見ることがあると言いました。

ノーマの父、大富豪のアンドリュウは娘が行方不明だというのに
決して警察に頼もうとはしないでポアロに一任しました。

事件の鍵を握ると思われていたデイヴィッドもノーマの部屋で死んでいて
その傍らにはノーマが立っていました。

この物語では、度々ポアロの小説に登場する推理作家オリヴァ夫人が活躍します。
彼女はいつも事件に関係する人たちに人脈があって、向こう見ずに活動的で
勝手な推理がたまに役立つという、相棒にはもってこいのタイプ。
オリヴァ夫人も殴られたりしてひどい目に遭うのですが
彼女がいなかったらこの事件は解決しなかったかもしれません。

クリスティの小説に登場する人物の背景に多いのが植民地帰りなのですが
確かに何十年も海外にいて戻って来た人を見分けるのは難しいですね?
写真やムービーをメールで送れるわけじゃないし
頼りになるのは昔の記憶と不鮮明な写真のみ。
そう言われればそうかもね、というあいまいな確認で終わってしまう。
… というのがヒントです。 今なら成立しないでしょうね。

ところで、この物語は1966年に書かれています。
ビートニクとかビートルズなんて言葉がでてきちゃって
初期クリスティを読み付けている者はハッとさせられます。

クリスティが小説を書き始めた1920年代は遠い昔…
あたしゃ、やっぱり初期の方が雰囲気があって好きですねぇ。

でも、いくつになってもアンテナをはって新しい風潮を吸収しようという
クリスティの知識欲には頭が下がります。

やけに現代風になっちゃってビックリ
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イギリス王ジョージ4世愛妾 イザベラ

2009-10-27 01:34:51 | 王の寵姫・愛妾
王子を説き伏せる政治好き
ハートフォード候夫人 イザベラ・イングラム・シーモア=コンウェイ


1759~1834/愛妾 1807~1819

アールヴァイン子爵の娘イザベラは
16歳の時に32歳のハートフォード侯爵フランシスと結婚しました。

       

りりしく優雅なメアリーはすぐに王太子ジョージの目に留まりました。
ハートフォード侯爵は王の下心に戸惑い、イサベラをアイルランドに行かせて
離しておくことにしました。

でもねぇ、障害がある恋愛は燃えちゃうわよね。
ジョージの気持ちはおさまるどころかヒートアップして
とうとう1807年にイザベラを手に入れてしまいました。

30年越しですよ! すごい執念じゃない?
十代で見初めた女性が48歳になっても好きでいられるものなのかしら?
若いだけが女の武器じゃないですね。
勇気を頂きました

ジョージはロンドンのハートフォード邸だけならまだしも
ウォーリックシャーのラグレイホールにもしばしば顔をだすようになります。
夫も「もうどうでもいいか…」の境地に達していたかもしれませんね。

イザベラは熱烈なトーリー支持者で、彼女の邸宅はトーリーのたまり場でした。
そこでイザベラは今までホイッグを支持してきたジョージを
トーリー支持者に変えさせようとします。
その上摂政になったジョージの組閣にまで口を出すという…

でも、父王ジョージ3世の内閣とことごとくぶつかっていたジョージを
うまくなだめて妥協させたのもイザベラだったってことで
彼女がいなければ大英帝国は混乱に陥っていたかもしれないですね。

そんなに信頼されていたイザベラなのですが
1819年にジョージはカニンガム夫人エリザベスに心を移しました。
ふたりの関係は終わりをむかえます。

カニンガム夫人というのは政治的にはアッパラパーな人で
才女だったイザベルにしてみれば悔しい敗北だったでしょうね。
自分なら王になるジョージに良いアドバイスができるのに…と。

ジョージの死から4年後の1834年に亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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イギリス王ジョージ4世愛妾 メアリー

2009-10-26 00:56:44 | 王の寵姫・愛妾
王子と結婚した未亡人
フィッツハーバート夫人 メアリー・スマイス


1756~1837/愛妾 1784~1811

この人、結婚運が悪いんだかいいんだか…

ハンプシャーで生まれてパリで教育を受けたメアリーは
19歳の時に16歳年上の裕福な領主エドワード・ウェルドと結婚しました。
しかし夫は3ヶ月後に落馬して急死し未亡人に。

3年後にスタッフォードシャーのトマス・フィッツハーバートと再婚します。
ところが、10歳年上の夫が3年後に亡くなり再び未亡人になります。
メアリーはメイフェアの屋敷と年金を手に入れますが
これが彼女をロンドン社交界へと連れ出します。

     

なんたって23歳の未亡人、すぐに人気者になるってば!
1784年には王太子ジョージに紹介され恋人関係になりました。

1785年、メアリーとジョージは彼女の自宅でこっそり結婚したと言われています。
ちゃんと国教会の牧師もいたし、立会人も(メアリーの親戚だけど)2人いて
手続きには問題なかったらしいのだが、父王の承認を得ていなかったので
違法とされて、まったく相手にされませんでした。

ジョージの友人たちも「いくらなんでも軽はずみすぎる 」と思ったらしく
メアリーに、王太子妃ではなく愛妾として接していました。

でもジョージは王位継承権を失う恐れもあったのね。
見栄っ張りで、贅沢好きで、浪費家で、洒落者のジョージが
それでも彼女と結婚しようと決心したところはえらいよね。

ふたりは同棲をしていたのですが、ジョージは40万ポンドに膨らんだ借金を
チャラにするため、ちゃんとした結婚をすることにしました。
1794年にキャロライン・オブ・ブルンスウィック と結婚するために
メアリーと別れたジョージでしたが、早々に妃に嫌気がさしてメアリーのもとへ。
1800年から再び一緒に暮らし始めました。

ジャージー伯フランセス・ヴィリアーズには打ち勝ったメアリーも
1811年、ハートフォード候夫人には敗れ去りました。
55歳で捨てられてもねぇ…
まあ、彼女の場合は亡き夫のお金があるから生活には困らないだろうけど…

1830年にジョージ4世が亡くなると、即位した弟のウィリアム4世は
兄に対するメアリーの苦難に報いるため公爵夫人の地位を与えようとしましたが
メアリーは辞退したそうです。
愛妾じゃない、王太子妃であり王妃だったんだから… という意地があったのかもね。

本当なら王妃だったかもしれないメアリーは
1837年にフィッツハーバード夫人として亡くなり、ブライトンに葬られました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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『リスタデール卿の謎』新たな一面を見せるクリスティ

2009-10-26 00:56:32 | アガサ・クリスティ
THE LISTERDALE MYSTERY 
1934年 アガサ・クリスティ

“ チャンチャン ” ていうエンディングが多いバラエティに富んだ一冊です。
収載されているのは12篇の短篇。
小さなアドベンチャーとミステリーがちりばめられています。

『リスタデール卿の謎(The Listerdale Mystery)』
金詰まりになったヴィンセント夫人親子が格安で提供された美しい邸宅。
持ち主はリスタデール卿という謎に満ちた人物です。
息子ルパートは何か裏があると睨み探りをいれます。

この物語は、雰囲気は嫌いじゃないのだが内容はあまり好きじゃないですね。
貴族は貴族らしく暮らしてほしいという思いが詰まっているのですけど
食べたきゃ働きなよ! と言いたいですね。
特に娘と息子、アルバイトぐらいしたらどう?

『ナイチンゲール荘(Philomel Cottage)』
遺産を手に入れてジェラルド・マーティンと結婚したアリクスは
ふとしたことから夫の過去が殺人鬼だということを知りました。
逃げ出そうとしたアリクスですが夫が何食わぬ顔で帰って来ます。
アリクスは以前ロマンスがあったディックに助けを求めようと試みます。

これは面白いですよ。
短い物語ですが、緊張感あふれるサスペンスの要素が凝縮されています。
現代では携帯電話があるから難しいことかもしれませんが
アリクスの機転がすばらしい! 私には無理だわ、と思いました。

『白鳥の歌(Swan Song)』
大富豪の田舎の城で公演を依頼されたオペラ歌手ポーラは『トスカ』ならと
条件を出して出演を承諾しました。
急遽相手役に選ばれたブレオンは、開演前に、遠い昔に裏切ったオペラ歌手の
思い出を語りました。

結末はみえているのですが、ドラマティックなので選びました。
主人公ポーラの大物然とした姿が超然としていてクールです。
腰の低い二流タレントよりは傲慢な天才の方が見ていて美しい気がします。
傲慢な二流タレントは… いてもいなくてもどうでもいいや。

ポアロやミス・マープルで名声を得たクリスティが
新しい方向性を模索しているようにも見えます。
でも、やっぱり名探偵シリーズの方が好きかなぁ…
キャラクターがはっきりしているだけに、ストーリー以外の楽しみがあるもの。

火サスや土ワイがシリーズ化されるのもむべなるかな、なんて思います。
家政婦やママチャリや温泉若女将なんて、よく考えたら笑っちゃうけどね

名探偵は登場しませんが、一話一話楽しめる一冊です
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『山の音』無力な親の嘆き

2009-10-25 17:58:44 | 日本の作家

1954年 川端 康成

まず感想から言わせて下さい。
ひと言で言うなら、老いた親は無力… かしら?
分かりきったことのようでも、全編に漂う無力感には心が沈みますよ。

父権がまだ強かった時代においても、所帯を持った子供の問題は
自分たちに解決させるしかありません。
言う事なんか聞きやしない!

鎌倉に住む東京の(たぶん)会社社長尾形信吾は、妻の保子、
息子修一と嫁の菊子の四人暮らしです。

はたからは成功した老人の安閑とした家庭に見えますが
同じ会社で働く修一は他所に女をつくり、帰って来なかったり休日に出かけたり…
信吾も保子も、菊子を不憫に思うけれども修一を止めることはできません。

そんな家に、嫁に行っている娘の房子がふたりの娘を連れて帰って来ます。
家財も着物も売り払い無一文、夫相原はウンともスンと言って来ないから
房子は居着いちゃうわけね…
その上信吾のお気に入りの菊子には意地悪です。

信吾が、修一も房子も親の自分がなんとかしなければ!と思う反面
どうしようかと戸惑っているうちに、事は良くない方へ向かいます。

これがだいたいのあらすじ…

そしてその他に、不思議で後味の悪い夢の話し、同年代の友人たちの死、
少年時代から憧れていた保子の姉の面影、物忘れが激しくなった焦り、などが盛り込まれて
老人のノスタルジーと無力感により拍車をかけています。

なんだか、本筋へのエピソードの挿入の仕方が絶妙なの。
分量といいタイミングといい、まったく関係なさそうで、でも自然な流れ。
さすがですな…

起伏はあまりないですが、ドラマはいくつかあります。
菊子が流産したり、信吾が息子の愛人宅へ乗りこんで行ったりね。
でもなにも解決しちゃいない。
未解決でも進むしかない、人の一生なんてそんなものかもしれませんね。

ところで、いくら房子が菊子ほど器量良しじゃないからって
信吾の態度はどうかと思うよ。
ふたことめには「不器量だから性格悪くなっちゃって…」って親が言っちゃあね。

何はともあれ、妙に落ち着ける一冊です。
喧噪を忘れて読み耽るに良いのでは?

山の音 新潮社


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イギリス王ジョージ4世愛妾 フランセス

2009-10-24 01:46:24 | 王の寵姫・愛妾
くされ縁? ずっと二番手の愛妾
ジャージー伯夫人 フランセス・ヴィリアーズ


1753~1821/愛妾 1782~1803

フランセスはジョージの愛妾のひとりではありましたが
どうしても一番にはなれなかったみたいなのよね。

アイルランドの主教の娘だったフランセスは
17歳の時20歳年上のジャージー伯ジョージ・ヴィリーアーズと結婚しました。

ヴィリアーズ家ってことは、チャールズ2世の時代バーバラ・ヴィリアーズのおかげで
ランクアップした家柄です。
ちなみにジャージー伯の爵位はウィリアム3世の愛妾になったエリザベスのおかげで
お兄様のエドワードが手に入れたものです。

そんなジャージー伯がなぜに貴族ではなくアイルランドの主教の娘と結婚したのか?
当時は不思議がられたそうです。

     

夫のジャージー伯ジョージは王太子ジョージの主馬頭でした。
そんなご縁があってか、フランセスは1782年頃からジョージと関係がありました。
ただ彼女はジョージだけってわけでもなく、いろんな方と関係があったらしいのね。

ふたりは、いわゆるセックスフレンドという関係だったと思うのですが
フランセスはなぜか1794年にフィッツハーバート夫人からジョージを奪おうと決心し
積極的に誘惑するようになります。

フランセスも41歳、ここらでトップに上りつめ老後を安泰にしておきたかったのかしら?
けれどこれはあまり上手くいかなかったようで
ジョージは相変わらずフィッツハーバート夫人と暮らしておりました。

その頃ジョージは借金をチャラにするために結婚したキャロライン に嫌気がさし
フランセスと食事をしろと強要したり、公式の場へわざとフランセスを連れて行ったりして
王太子妃をいじめだします。
フランセスは一緒になって王太子妃いじめを楽しんでいました。

しかしそんな長いくされ縁も1803年に終わりを告げました。
ジョージがハートフォード候夫人に夢中になり、とうとうフランセスを退けたのです。

フランセスはかなり悪名高い愛妾だったそうです。
夫との間には10人の子供が生まれていますが、誰の子だかね?

夫ジャージー伯は1805年に亡くなりました。
その後は大人しくしていたのかしら?
保養地チェルトナムで1821年に亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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イギリス王ジョージ4世愛妾 メアリー

2009-10-23 02:46:14 | 王の寵姫・愛妾
放蕩王子初の愛人
ロビンソン夫人 メアリー・ダービー


1758~1800/愛妾 1779~1781

大英帝国のジョージ4世といえば亡くなった時でさえこきおろされたという
借金まみれの放蕩王です。
もちろん愛人はいたのだけれど、若い女に次から次へと手を出して遊んでは
ポイポイ捨てるタイプではなかったみたい… どちらかといえば熟女好き?

王妃キャロライン・オブ・ブルンスウィック が少しでも理想に近い女性だったら
ジョージ4世の人生も少しは違っていたかもしれないですね。

そんなジョージ4世が最初に恋人にしたというのが
メアリー・ロビンソンという女優で4歳年上の人妻でした。
ジョージは17歳、青春真っ盛りですね!

王太子ジョージは遊び人の叔父カンバーランド公にシンパシーを感じていて
一緒に遊び歩いていたのですが、その時に知り合ったのが彼女。
ジョージはメアリーに豪華なアパートや宝石を贈り続けたそうで
これが彼の借金人生の始まりだったようです。
         

メアリーはブリストルで船長の娘として生まれましたが
父親はあまりあてにはならなかったみたい。
母親のへスターが5人の子供たちを育て、女学校まで開いていました。

将来遺産を相続をするというトマス・ロビンソンとメアリーを結婚させるために
頑張ったのもへスターです。
とかろが結婚してみると、実はトマスが遺産を相続するというのは嘘でした
しかもとんだ浪費家で、メアリーが家計を支えていたそうです。
それなのにトマスは借金のせいで収監されてしまいました。

夫が釈放されると、メアリーは劇場に出る決心をします。
家計を支えるのって大変!
メアリーはよっぽど亭主を愛していたのかしら?
かなり甲斐性なしだと思われるが…

女優として舞台に立っていた時にジョージと知り合いました。
ジョージはメアリーに20,000ポンド出して愛人にしたそうですよ。
メアリーは一躍脚光を浴び、トレンドセッターになったということです。

でもジョージは早々に飽きちゃったらしく、1781年には関係を絶つことにしました。
ジョージと別れると、メアリーはラブレターを本にして出版するぞ!と
5,000ポンドを要求します。
ジョージはあれほど反抗していた父王ジョージ3世にお金を出してもらったとさ。

いくら王子のラブレターっていったって
べつに他人のラブラブな手紙なんか読みたかないけどね。
どうせこっ恥ずかしいことが書かれてるだけでしょーが

別れた後で相手の欠点を言い出したり、秘め事を公表したりって
今でもあんまりみっともいいものじゃありませんね。
いい気になって暴露本とか出さないように!

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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『謎のクィン氏』愛のパズルを解く

2009-10-23 01:23:35 | アガサ・クリスティ
THE MYSTERIOUS Mr.QUIN 
1930年 アガサ・クリスティ

ちょっと幻想的な愛の謎解き短篇集です。

主人公は密かにスノッブで社交好き、偉大なる傍観者サタースウェイト氏で
愛が絡む物語が始まりそうになるとなぜか現れるハーリ・クィン氏の力を借りて
解決へと導いていきます。

『ルーレット係の魂(The Soul of the Croupiet)』
モンテカルロで若い男と歩くザーノヴァ伯夫人を見かけたサタースウェイトは
彼女がどこか必死だということに気がつきました。
ある夜、ルーレットで夫人の隣に座ったサタースウェイトは
自分の勝ち分をザーノヴァ夫人に横取りされそうになれます。
ところがルーレット係は夫人に金を押しやります。

踏みつけられた男の一途な愛のお話。
ただルーレット係とザーノヴァ伯夫人がうまくいくとは、どうしても思えんのだが…

『闇の声(The Voice in the Dark)』
ストランリー夫人から娘のマージョリーを押し付けられてしまったサタースウェイト。
マージョリーは幽霊の声が聞こえると言っています。
その声は「盗んだものを返せ」というものでした。
マージョリーを説き伏せて降霊会を開いたサタースウェイトは
船の事故で死んだストランリー夫人の姉の声を聞きます。

これは『予告殺人』と同じパターンですね。
ストランリー夫人は、あまり登場しないわりにかなり重要人物なのよね。
暗い過去を引きずっているようにも見えないんだけどな。

『世界の果て(The World's End)』
侯爵夫人と訪れたコルシカで、無愛想な女性ネイオーマイと知り合いました。
一緒にドライブに出かけたサタースウェイトですが彼女の言動が気がかりです。
丘の頂上の小屋で知り合った女優のロジーナが盗まれたオパールの話しを始めましたが
実は犯人として逮捕されたのはネイオーマイの恋人だったのです。

解決するというよりは、そこつ者ロジーナがしまい忘れたオパールが
見つかったことですべてが丸くおさまります。
じゃあなぜ今さら見つかったのかというと、偶然が偶然を呼んだんですね。
これもクィン氏のパワーでしょうか?

ハーレクイン・ロマンスって、もしかしてハーリ・クィンが由来になってるの?
本当のハーリクインがどんなだか詳しい事は知らんのだが昔話?
とりあえず愛がテーマだからピッタリね
ハーレクイン・ロマンスは残念ながら読んだことないのですが…

美しく不思議な愛の物語の数々
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フランス皇帝ナポレオン1世愛妾 マリー

2009-10-22 01:54:31 | 王の寵姫・愛妾
従順にもほどがあってよ!
ヴァレフスキー伯夫人 マリー・ヴァレフスカ


1786~1817/愛妾 1807~1814

マリーはポーランドの貴族ラクズィンスキー家の娘ですが
貴族とは名ばかりの貧しい家でした。

父親が亡くなって借金で首がまわらなくなったところへ訪ねてきたのが
古くからの友人アナスタシオ・ヴァレフスキー伯爵、68歳です。
妻をふたり亡くしたやもめ暮らしで、大変な財産家でした。
根はいい人で、家族を助けてあげたいと思ったところまではよかったが
このじい様、目を付けたのが母親じゃなくて16歳のマリーってところがどうよ?

もちろんマリーは渋りますが、家族に説得され嫁ぐことになりました。
けれどじい様は優しくダンディだったようで、マリーにも愛情が芽生えたらしい…
アントニーという息子も生まれています。

ロシア、オーストリア、プロシアにズタズタにされたポーランドに
救世主という期待を一身に受けたナポレオンが姿をあらわしたのは1807年でした。
愛国者マリーももちろんその場で彼を見つめていました。
そのマリーに惹かれたナポレオンは早速アタックを始めます。
いつものように花束、舞踏会、ラブレターと女性が喜びそうなものを贈り続けますが
マリーは夫を裏切れないと相手にしませんでした。

そこでナポレオンは「ポーランドのために尽くすかどうかはマリー次第」と
なんと臨時政府にまで通達しちゃう始末。
結局政府代表がマリーの説得に出向き、マリーは泣く泣くナポレオンのもとへ…
ってことになってるんですけどねぇ、どうでしょう?

だって訪ねて行ったきり4年間帰ってこないんですもの。
しかも本気でナポレオンを愛しちゃったっていうんですからね。
息子アレクサンドルも生まれました。
(この時出産の手助けをしたのは夫のヴァレフスキー伯爵なのね

マリーは劣勢になったナポレオンに会いにパリへ向かいます。
エルバ島に流された後も、アレクサンドルを連れて会いに行きますが
皇后マリー・ルイーズとローマ王がやってきたという噂が流れ
スキャンダルを恐れたナポレオンに帰されてしまいました。
百日天下の時にもエリゼ宮を訪ねています。

しかしセントヘレナ島に流されたナポレオンは帰って来ませんでした。
夫ヴァレフスキー伯も亡くなっています。

そんなマリーに求婚したのがナポレオンのまた従兄弟オルナノ伯でした。

      

オルナノ伯はナポレオンに同行してポーランドを訪ねた時からマリー一筋で
うちひしがれた彼女を妻にしようと思ったのです。
拒み続けていたマリーも説得に負けて1816年に再婚します。
翌年息子ロドルフを生みますが健康が衰え始め
思い出の地パリでナポレオンの名を呼びながら亡くなりました。
31歳でした。

オルナノ伯はナポレオンに電報をうったのだけれど届かなかったんだって。
マリーを亡くした後40年間を独身で通したオルナノ伯は
彼女の心臓を肌身離さず持っていたそうです。
オルナノ伯を愛した方が幸せになれたんじゃないかね?

どの男性とも泣く泣く…っていうのが可哀想ですね。
少しは自分の意見を主張すればよいものを、家族の言いなりになって
国の言いなりになって、最後は押し切られ…
従順な性格が仇となり短い一生をおえるはめになってしまったマリー、
性格が弱すぎる女性に思えますが、当時は当たり前のことだったんでしょうかね?

              
                  あどけないですね
                 これで68歳の嫁にやられてしまうとは… ううむ


アレクサンドルはオルナノ伯に引き取られ外務大臣になりました。
ロドルフの子孫ユベール・ドルナノはシスレー化粧品のオーナーだそうです。

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      川島ルミ子氏『ナポレオンが選んだ3人の女』 Wikipedai英語版)

ジョゼフィーヌ、ナリー・ヴァレフスカ、マリー・ルイーズを詳しく紹介
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


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『美女と野獣』6歳になった気分・・・

2009-10-21 00:09:34 | フランスの作家
LA BELLE ET LA BETE 
1757年 マダム・ルブランス・ド・ボーモン(ボーモン夫人)

『美女と野獣』をラブストーリーだと思ってる人… それは間違いですよ
これは完全に道徳の本です。

児童文学である『子供の雑誌(Magasin des Enfantes)』から
15篇の短篇が収められています。

『美女と野獣(Le Belle et la Bete)』
清く正しく生きるベルは、父親が自分のために立派な城でバラの枝を折って
野獣の怒りをかってしまったために、かわりに城へ行くことになりました。
最初は野獣を恐れたベルも、次第に好意を持つようになります。
しかしベルの意地悪な姉ふたりは、ベルの豪奢な生活が許せなくなります。

たしかに、恋の要素も少しは含まれているのでしょうが
正直さ、心の美しさと優しさ、これがいかに大切かをメインに書いた物語です。
ベルは幸せに、意地悪な姉たちは姿を変えられちまって…
勧善懲悪の王道!この本にはこのパターンが一番多かったような気がします。

『告げ口好きな少女(Joliette)』
仙女に20歳まで口をきけなくされてしまったジュリエットは、賢い子になりましたが
なにしろ告げ口好き! 身振り手振りで言いふらします。
待ちに待った20歳、仙女から自分の告げ口のせいで不幸になった人たちを見せられ
心を入れ換えようと思ったジュリエットですが…

そんなにねぇ… 簡単に人って変わらないわよね。
めずらしくハッピーエンドでない教訓話… 子供にもシビアね。

『どれいの島(L'lle des Esclaves)』
嵐のせいである島に流れ着いたアテネの令嬢エリーズとどれいのミラ。
その島では立場を入れ替えねばならず、ミラは泣く泣くエリーズに横暴に振る舞います。
それはミラがアテネでエリーズに受けていた仕打ちでした。
いよいよ島を離れる日がやって来ました。

この “ 立場を入れ替わる ” って面白そうですよね!
誰と入れ替わるのがいいかしら? やはりお互いの配偶者(恋人)かしらね?
今だと民主党と自民党が立場を入れ替わってお互いどう出るのか…TVタックルが楽しみです。

原文の『子供の雑誌』では、まずお説教をしたい子供がいて、教師がその子に
「むかしむかし…」と物語を語るようになっているそうです。

だから子供に、信心、敬虔さ、博愛、慈愛、正直さ、謙虚さ etc の素晴らしさを
語る内容になっているのですね。

美しい姫、プリンス、仙人(魔女)、怪物などを駆使し
そこはやっぱりフランスだから、ちょっぴりロマンスも盛り込んで
子供たちに楽しく教えるための本みたいです。

『シンデレラ』とか『白雪姫』と同じですから、つまらなくはないです。
夢あふれてますよ。 お子様にいかがかな?
でも大人は… 5~6篇読めばいいかな?って感じです。

美女と野獣 (ディズニー・プリンセス) 竹書房


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ディスニー版…どんな感じなんでしょね。

余談です
昨日、旦那さんんが熱をだしました。
今は私がゾクゾクしています。さては…
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フランス皇帝ナポレオン1世愛妾 エレオノール

2009-10-20 02:04:25 | 王の寵姫・愛妾
ジョセフィーヌの安泰を打ち砕いた女性
エレオノール・ドニュエル


1787~1868/愛妾 1806

ナポレオンとエレオノールの関係は一瞬芸で終わっていまして
彼女自身はとりたてていうほどの女性ではないのです。
しかし、エレオノールが子供を生んだことがジョゼフィーヌ の未来をぶちこわす!
そんな女性でありました。

エレオノールはプレーニュの中流家庭の生まれで、美しい娘でした。
18歳の時に陸軍士官ジャン・フランソワ・ラヴェルに嫁ぎますが
3ヶ月後に夫が詐欺罪で逮捕され離婚することになりました。

      

そんなエレオノールをナポレオンに引き合わせたのは、ナポレオンの妹カロリーネ。
ナポレオンの要望かもしれませんが、実はナポレオンの家族はジョゼフィーヌが大嫌い!
なんとかして別れさせたいと女性を紹介していたのかもしれません。

1年後にエレオノールが男の子を産みました。
これはナポレオンにとってものすごい自信になります。
今まで子供ができないのは自分のせいだと思っていたら、自分じゃなかった!!
ってことで、ジョゼフィーヌと別れて若い女性と再婚することにしちゃいました。

ナポレオンは特にエレオノールが好きだったわけではなく
相手になってくれるなら…てな感じでつき合っていたようで
子供が生まれた後は会おうともしませんでした。 ひどいね

エレオノールは金銭的な援助と家と、そして中尉オージェを結婚相手に与えられます。
しかしオージェは1812年のロシア遠征の時に行方不明になります。

1814年にルクセンブルク伯シャルルと再々婚。
しかし結婚生活はあまり幸せではなく、加えてナポレオンとの間に生まれた
息子レオンはギャンブル好きで借金まみれという放蕩息子でした。
老後は安泰だったそうですが…
80歳で亡くなりました。

名もなき愛人が歴史を変える! というのは大げさですが
自分もどこかで世界の何かを変えているかもしれない、と思ったら
少しは毎日が楽しくなるかもね

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 Wikipedia英語版)

有名な愛人や愛妾をピックアップしA〜Zの順で紹介しています
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

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フランス皇帝ナポレオン1世愛妾 マルグリット

2009-10-19 00:59:05 | 王の寵姫・愛妾
とんだお転婆さんな新妻
“ ラ・ベリドット ” マルグリット・ポーリーヌ・ベリール


1778~1869/愛妾 1798~1799

王妃シリーズの息抜きに愛人シリーズを… ナポレオンなんかどうでしょう?

“ 英雄色を好む ” という言葉は、ナポレオンが由来なのかどうなのか分かりませんが
ナポレオンも愛人が多かった人ですね。

ナポレオンは自分の容姿にコンプレックスがあったのか、女性にはマメだったようです。
英雄になってからはほっといても女性が寄ってきたのでしょうが
だんだん高望みするようになって、やはりプレゼント攻撃は続いたようです。

マルグリットはナポレオンが遠征先のエジプトで愛人にした女性です。
なにしろ結婚式の2日後に、ジョゼフィーヌ の愛人バラスに
遠征に出されちゃったというナポレオン。
ジョゼフィーヌは呼んでも来やしないし、ちょっと遊びたくなっちゃうわよね。

夫のフーレ中尉について来るために兵士に変装までしてやって来たマルグリットは
美しくて魅力的で、すぐさまナポレオンの目に留まります。

        

ナポレンはね、夫を呼ばずに妻のマルグリットだけを夕食に招くというあからさまぶり。
しかも副官が彼女のドレスにコーヒーをこぼすという失態をしでかし
なぜか長官であるナポレオン自らが別室に案内するという… 戦場なんだけどね

ナポレオンはフーレ中尉を厄介払いしようと、偽の任務を与えて英国軍に捕らえさせますが
英国軍はナポレオンを困らせちゃおうと、さっさと釈放してしまいます。
結局フーレ中尉とマルグリットは離婚することになりました。
マルグリットはめげるどころか、おおっぴらになったそうです。

しかしフランスに帰るともはやナポレンにとってマルグリットは用なしなのね。
立派な家と立派な再婚相手を与えられ、マルグリットは捨てられます。

マルグリットは、どうやら絵や小説を書いて90歳まで生きたそうなのですが
絵も小説も探せませんでした。
ご存知の方は教えて下さい。

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』)

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オランダ女王 ユリアナ

2009-10-17 08:05:36 | オランダ王妃
庶民派の賢王
オランダ女王 ユリアナ


1909~2004/在位 1948~1980

ユリアナは王女とはいえ宮殿内の教室で同年代の少女たちと一緒に
女性のための一般的な教育を受けて育ちました。

                
               お母様ヴィルヘルミナ女王と一緒に

しかし兄弟が生まれないまま18歳を迎えると王位継承者になることが決まるり
急ピッチで勉強が進められます。
18歳の誕生日には祝典が開かれ国会議員に指名されました。
同年ライデン大学にも入学します。

恥ずかしがりやで内気なユリアナは、国会議員のイメージにはそぐわなかったのですが
しばらくすると国民から慕われるようになっていきました。

同じ頃母ヴィルヘルミナ女王はお相手探しに明け暮れていました。
当時プロテスタントの独身の王子を探すのは至難の業だったそうです。
英国やスウェーデン王子には辞退されてしまいました。

1936年、バヴァリア冬季オリンピックで(女王のはからいがあったみたいですけど)
リッペ=ビーステルフェルト公子ベルナルドと会い婚約へ。
ベルナルドは丁寧な物腰の紳士で、真面目そうな都会人でした。

ユリアナはベルナルドを深く愛するようになります。
ふたりには戦争による別居や、ベルナルドの庶子問題などがありましたが
ユリアナの愛情は終生変わりませんでした。

結婚はヒトラーのナチス=ドイツの誕生で危ぶまれましたが無事行われます。
しかし、ベルナルドがオランダの国籍をとり名前を改めたのに
ヒトラーはふたりの結婚をドイツとオランダの同盟の証だとにおわせました。
これには激しい気性の母ヴィルヘルミナ女王が大激怒で
微妙な時期にも関わらず公式に非難しました。

いずれにしてもドイツはオランダへ侵攻してきます。
ユリアナ一家は英国へ渡った後カナダへ移りました。

カナダでは子供たちは普通の学校に通い、ユリアナはウルワースへ買い物に、
隣人に子供が生まれた時にはベビーシッターもかってでています。
庶民派のオランダ王室一家はカナダで人気者になりますが
子供たちのマナーは乱れてしまって、国に帰ってから夫婦の意見が食い違うことに…

ユリアナは君主制はいずれ廃れると考えていて、子供たちの暮らしを
できるだけ市民生活に近いものにしようと考えていました。

ユリアナはオランダに戻ると戦前におこった飢饉に対する北部への救済策を
冬が来る前に実施しようと、赤十字等にアクティブに働きかけました。
国民のために動き回る彼女の姿に国民は尊敬の念を抱き愛されるようになります。
ヴィルヘルミナ女王は退いて娘に国を託すことにしました。

ユリアナは女王になってからもちゃりんこで市内を走り回っていたそうですよ!
すごく素敵 でも現代の方が難しいかもしれませんね。
テロなんかもあるし、危なくて勝手に出歩けないかもしれない。

1980年に王位を現女王ベアトリクス女王に譲ったユリアナ女王は
1990年頃から体調が衰え公式の場には一切出なくなりました。

その後は24時間体制で看護下におかれていましたが
2004年、眠っている間に亡くなりました。
夫ベルナルド公は8ヶ月後に亡くなり、ユリアナ女王の側に眠っています。

ユリアナ女王からベアトリクス女王一家まで。
娘さんやお孫さんたちの結婚にもいろいろとあったようですが…
        

オランダか北欧だか忘れてしまいましたが、王族がちゃりんこで会社に通ってるって
以前聞いたことがありますよ。
オランダだったかなぁ…? だとしたらユリアナ女王時代に培われた
自由で庶民的な王室のスタイルが守られているのかもしれませんね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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