まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スウェーデン王ヨハン3世愛妾 カリン

2018-07-23 22:22:51 | 王の寵姫・愛妾
意外と、おねだり上手(?)な愛妾
廷臣ラルス・ヘンリクソン夫人 カリン・ハンスドッテル


1539〜1596/愛妾 1556〜

異母兄エリク14世を廃位して、王になったヨハン3世がカタリーナ・ヤゲロニカ
結婚する前からお付き合いしていたのがカリン・ハンスドッテルです。

カリンは、ストックホルムの修道士ハンス・クラッソンと
貴族の庶子で修道女のインゲボルグの間に生まれた娘さんらしいです。
当時の修道士と修道女って結婚してよかったのかしら?
そもそも出会う場があったのかしら?
ちなみに、ハンス・クラッソンは浮気で職を失ったらしい… とんだ聖職者ですな。
   
カリンは10歳そこそこで、グスタフ1世の未亡人カタリーナ・ステンボックの城で
働くことになりました。

フィンランド公だったヨハンとはそこで何度か会って
17歳の時に愛妾になり、フィンランドのトゥルク城で暮らすようになりました。
カリンは城の女主人としておおっぴらに過ごしていましたが
1560年には、子供たちを連れてストックホルヘ向かいました。

1562年、ヨハンがカタリーナ・ヤゲロニカと結婚する前に
ヨハンの使用人のクラス・アンダーソンと結婚しました。 これは隠れ蓑ですよね?
夫はフィンランドのカンガサラに領地をいただきました。
けれども翌年、夫はエリク14世に殺されてしまいます。

ヨハンがエリク14世に反乱をおこしている間に、カリンは多くの財産を失ってしまいます。
でも大丈夫! ヨハンは王に即位すると、カリンと子供への援助を続けました。
やはり関係は続いていたということですよね? 奥さまがパワフルなのでね…
それともヨハンが義理堅かったのか? カリンがおねだり上手だったのか?

カリンは1572年にラルス・ヘンリクソンと再婚しました。
3年後、ヨハンはラルスを、自分とカリンの子供たちの面倒をみるという条件で領主にし
息子ユリアスはトゥルク城の城主にしました。
長女ソフラはヨハンの妹エリザベットの侍女になりました。
もうそろそろ面倒みなくてもいいかな… ということかしら?

1580年からはトゥルク城で多くの時間を過ごしていました。
ヨハン3世は1585年に「若い子がいいから…」とグニラ・ヨハンスドッテルと再婚します。
完全にお役御免ってことですよね。

1591年に未亡人になると、エリク14世の未亡人カリン・マンスドッテルのご近所にある
自分の領地にリタイアしました。

1596年、カリン・ハンスドッテルの領地では農民の反乱がおこっていました。
結局領地は農民に略奪されてしまうのですが、カリンはその直前に亡くなりました。
自分の領地が奪われていくところを見ずにすんでよかったですね。
でもご近所のカリン・マンスドッテルの領地は何事もなかったようですが…
なぜ反乱がおきちゃったのでしょうね?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
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ひとことお洗濯コーナー
暑いですね! 掃除する気にならなくて、なんだか洗濯に励んでいます
先日テレビで知った “ 白ものの黄ばみ・シミとり ” があまりにも楽しくて何回も洗濯機をまわす始末

わたしはいただきもののアタック(粉)とハイドロハイターを使ってますが、本当に真っ白になりますです


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スウェーデン王エリク14世愛妾 アガタ

2018-07-12 21:24:50 | 王の寵姫・愛妾
ハレム王最初の恋人?
貴族クリストファー・オラフソン夫人 アガタ・ペルスドッテル


生没年不詳/愛妾 〜1565

エリク14世は、結婚前からハレムのようなものを持っていたという女性大好き王ですが
結婚後は妻一筋なので、お相手はみな愛妾ではなく恋人ということになりますね?

エリク14世が王太子時代に出会い、(記録では)最初の恋人になったのがアガタです。
でもアガタの全盛期は1558年で、当時エリクは25歳だから、初恋ってことはないと思う…

アガタはストックホルムの裕福な商人ペデル・クレメントソンの娘といわれていますが
定かではありません。
        
ものすごい美人で、ピーク時にはカルマル城の主役でした。
“ アガタの間 ” というのがつくられて、アガタがいなくなってからもそう呼ばれました。

1660年、エリク14世が即位します。
1661年、アガタは貴族のヨアキム・フレミングと結婚しました。
この時エリクとの関係は終わりを告げるのですが、1663年にアガタが未亡人になると愛再燃。

エリク14世には恋人がワラワラいたわけですが、アガタは上位をキープしていました。

アガタとエリクの間にはヴィルジニアとコンスタンティアという女の子がいましたが
エリクは娘たちの面倒を妹のセシリアにまかせていました。

なぜかっていうと「アガタには、子供たちによいしつけをして、ちゃんと育てるってことは
できないからね〜」ということでした。
で、セシリアがバーデン=ローデマヒェルン辺境伯に嫁いだ後は
妹のエリザベットにお願いしました。
エリザベットの侍女で、姉妹の世話をしていたのがカリン・マンスドッテルです。

アガタにしてみれば、娘の世話をしてくれるありがたい人だったと思うのですが
結局カリンはエリクの恋人になり、さらに結婚までしてしまって
ハレムの恋人たちはお城を追い出されることになってしまいました。
こんなことなら自分で育てりゃよかった!! と悔んだことでしょう。

アガタはその後貴族のクリストファー・オラフソンと再婚しました。
以降のことは不明です。
もし安泰に暮らしていたのなら、カリンのその後の波瀾万丈ぶりのことを考えると
追い出されてラッキーだったかもしれませんね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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ひとことサッカーコーナー
驚いたよね!やっぱりフェルナンド・トーレスがサガン鳥栖に来るってか? 川崎か横浜に応援にいこうかしら?
そしてワールドカップの準決勝と決勝にEXOとBTSがかかるってね! おめでとうございます EXO-L & A.R.M.Y


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