まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スウェーデン王インゲ2世妃 ラグンヒルド

2011-06-30 22:19:15 | スウェーデン王妃
聖人の名を持つ王妃
インゲ2世妃 ラグンヒルド・アヴ・タリエ


生年不詳~1117/在位 1110~1117

インゲ1世の後に即位した、フィリップ王(ハルステン王の息子)の妃は
デンマーク王オーロフ1世の未亡人インゲゲルドです。

その後を継いだインゲ2世の最初の妃はラグンヒルドという
セーデルマンランド地方限定の聖人です。

“ ハルステンの娘 ” と記されていますが、それがハルステン王なのかどうかは
定かではありません。
でも、ハルステン王の王女だとしたら、もし母親が違うとしても
兄妹同士の結婚になっちゃうからね… いくら中世でもそれはどうなの?

また、叔父インゲ1世の妃だという説もあります。
曖昧模糊としておりますが、いずれにしても実在はしていたようです。
           
タリエという名はラグンヒルドが教会を建てたといわれるセーデルタリエ由来で
後々与えられた名前みたいです。

壁画によれば、ラングヒルドは他にも、ウップランドのボリエ、ヴィクスタ、および
ヘルシングランドのエノンゲルに教会を設立したそうです。
そりゃあ聖人にもなりましょう。

ラグンヒルドが注目を集めたのは17世紀頃で、宗教改革がおこっていた頃でした。
スウェーデン王も後に新教国になっていきます。
なにかカトリック派の思惑がからんでそうですよね。



怪しい噂とともに去りぬ
インゲ2世妃 ウルヴヒルド・ホーコンスドッテル


1095~1148/在位 (スウェーデン王インゲ2世妃)1117~1125
          (デンマーク王妃)1130~1134
          (スウェーデン王スヴェルケル1世妃)1134~1138

インゲ2世の再婚相手はデンマーク編でご紹介済みのウルヴヒルドです。

1118年、インゲ2世の兄フィリップ王が亡くなってしまうんですが
この時、ウルヴヒルドが毒を飲ませたという噂がたちました。

そして1125年、インゲ2世が「悪魔の飲み物を飲ん」と言って亡くなった時にも
ウルヴヒルドと愛人のスヴェルケル(後の王とは別人)が毒殺したと言われました。

ウルヴヒルドは危険な女だというレッテルを貼られてしまい、逃げ場を求めて
デンマークへ向かいました。
そしてデンマーク王ニルスと再婚…という運びになりましたとさ。

順番が複雑なんだが、ウルヴヒルドは、二代後の王スヴェルケル1世の最初の妃にもなります。
補足で家系図をのせときます。
          

(参考文献 Wikipedia英語版)
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スウェーデン王インゲ1世妃 ヘレナ

2011-06-28 09:30:02 | スウェーデン王妃
               神話の女神シリーズ、Sagen作ノルン

兄の宿敵の妃になった
インゲ1世妃 ヘレナ・アヴ・スヴェリィエ


生年不詳~1105以降/在位 1079~1084、1088~1105

へレナはエステルイェートランド地方の、ユグリング家の傍系の出身でした。
ロシア出身説もあってはっきりしませんが、アイスランドの言い伝えや多くの叙情詩で
“ イングヴァールの娘で、ブロット・スヴェンの姉妹 ” と書かれているそうです。
ということは、いとこ同士ですね。
        
スウェーデンはキリスト教化が進んでいましたが、初めて洗礼を受けた
オーロフ・シュートコヌング以降、宗教の自由は認められていました。

インゲ1世は宗教の自由を廃止して改宗を促進し、異教徒を弾圧したことで有名です。
ブロットはそんなインゲ1世への不満を盾に王の座を奪った人です。

インゲとへレナの結婚は、インゲの最大の敵であるブロットをおさえるための
キリスト教と異教がからむ政略結婚と思われます。
ヘレナはキリスト教に改宗して結婚しました。

1084年、インゲ1世は敗れて廃位されてしまいましたが返り咲きを狙います。
ヘレナは1087~1088年の間、夫と兄の争いを目の当りにすることになりました。

結局ブロットが戦死して異教徒たちは敗れました。
ヘレナはもちろん悲しみましたけど、その頃にはかなりキリスト教に染まっていたらしい…
異教徒を敗った後には、エステルイェートランドに、スウェーデン初と考えられている
ベネディクト派のヴレタ女子修道院を設立したりしています。
従順というか、臨機応変な人だったのかしらね?

お子様は一男三女ですが、王子はインゲ1世より早く亡くなりました。
次女のマルグレーテがノルウェー王マグヌス3世に嫁いで
後にデンマーク王ニルスと再婚しました。
三女カタリーネがデンマーク王子ビョルンと結婚して
その娘クリスティーナが後にスウェーデン王エリク9世の妃になります。

夫よりは長生きしたようで、インゲ1世が1105年に亡くなった後
ヴレタ修道院に修道女として入りました。

エリン・アヴ・シェブデ(セント・ヘレナ)と同一人物というのは誤りですって。



スウェーデン最後の異教徒の王妃
ブロット・スヴェン妃 ブロツルカ


生没年不詳/在位 1084~1088

王妃とはいえブロツルカについて何ひとつわかっちゃいないんだが
ブロット・スヴェンが王になる前には結婚していて、即位中は生きていたそうです。
エリク豊作王の母親である可能性が高いらしいです。
ブロット・ツルカとも言うらしいので、ブロットの何か、って意味かもしれません。
           
言い伝えによると、ブロットが殺された時、王宮は火が放たれ焼け落ちましたが
女性は誰一人殺されず逃がされたということです。
キリスト教の影響か? 騎士道精神がありますね。

なのでブロットより長生きしてるはずですけど、その後のことはさっぱり…

息子のエリク豊作王は、実在はしていて評判も良いってことまでわかってますが
即位したかどうかが不明…後々王の座を狙う誰かが作り上げた話しかもしれません。

スウェーデンで最後の異教徒の王妃と言われていて、異教徒たちの間では
“ 犠牲者スヴェン ” と “ 生け贄の処女 ” と語り継がれたそう。

殉教者はその後祭り上げられて(真偽はともかく)神秘的なエピソードが
あったりするものですが、やはりキリスト教化を推し進める国家の中では
伝承が難しかったんでしょうか?
古い話しが語り継がれる山奥あたりに伝説が残ってそうな王妃ですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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スウェーデン王ステンキル妃 インガモー

2011-06-26 15:47:10 | スウェーデン王妃
                  北欧神話シリーズ
                      ラッカムのノルン(女神)


名前は仮称…伝説の王妃
ステンキル妃 インガモー・カーラ


1043~1090/在位 1061~1066

インガモーの父はスウェーデン王エームンド老王、母はアストリドです。
          
ヴェステルイェートランド地方では聖人ということになっておりますが
教会で正式に認められているわけではありません。

ところでインガモーというのは “ インゲ(1世)の母 ” という意味の仮称でして
本名はわかっていません。

母アストリドの前夫と、ステンキルの父の名が同名だったために誤解を受けて
教会の台帳から名前を消されてしまったらしいです。

それどころか一生についても何もわからず、伝説みたいになっちゃってるらしい…

王家が変わる時に、新王が箔をつけるために伝説の人物をこさえたり
うまいこと家系をいじっちゃう… というのは結構あります。
インガモーもそんな創作物のひとつかもしれないです。

果たしてインガモーひとりが生んだのか、別の女性の子かどうかは別として
ステンキル王の死後、王子たちの間で骨肉の争いがおこりますよ~。



相次いで二人の王に嫁いだ妃
エリク異教徒王妃 および ホーコン赤王妃 ギーラ


生没年不詳/在位 (エリク7世妃)1066~1067 (ホーコン妃)1075~1079

エリク異教徒王というのは降って湧いたような王でして、ステンキルの死後
エリク・ステンキルセンと共に王位につきましたが、1年ほどで戦死しました。
もうひとりのエリクもステンキルセンとなってますが、誰の子供だかわかりません。
ステンキルの隠し子なのか?
     
エリク異教徒王との次には、ステンキルの王子ハルステンが即位しましたが
在位3年で戦死しています。
妃は不明、でも子供(フィリップ王、インゲ2世)はいます。

ホーコン赤王は王の選出の際有利にことが運ぶよう、王子オーロフを抱える
エリク異教徒王の未亡人と結婚しました。

ギーラという名は、ホーコン赤王と息子のエリクについて記されている
ルーン石碑に刻まれているそうです。

この当時王様は、日本の首相みたいに短いスパンで目まぐるしく変わります。
共同統治王もいるし、廃位されたり返り咲いたりしてぐちゃぐちゃです。
順番は君主リストに従ってますが、ちょっとずれたりしてるかもしれません(言い訳…

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『未完の肖像』いつ本題に入るのか?

2011-06-25 18:55:38 | アガサ・クリスティ
UNFINISHED PORTRAIT 
1962年 “ メアリ・ウェストマコット ” アガサ・クリスティ

ウェストマコット名義なので推理小説ではございません。

クリスティ贔屓な私ですが、この『未完の肖像』は
なにが言いたいのかよくわからないお話しでございました。

ある男性が絶景の孤島である女性に会い、彼女が死のうとしている!と直感し
それを止めるところから物語が始まります。

あとは延々とその女性が語った生い立ちが続くんですが
これが…だらだらと聞かされてもさぁ、というのが素直な感想です。

幸せな少女時代。
冗談好きの父、一番の理解者である母、ヴィクトリア気質の祖母、
ナニーたち、コック、メイドのエピソードに、フランスへの療養…
読んでて楽しかったですよ。
クリスティの子供時代の思い出がふんだんに盛り込まれていそうです。

思春期になって、彼女に求婚して来た男性たち。
一度は長年に渡るプロポーズを断り、二度に渡って婚約を破棄し
熱烈に愛し合った男性と結ばれました。
昔ながらのロマンスに頬が緩むし、奥ゆかしくて微笑ましいです。

新婚時代、相手の男性は彼女をものすごく愛しています。
生活は質素になりましたが、新しい生活は新鮮で幸せに溢れていました。
娘も生まれ、前途は明るく感じられました。
しかし、母は一抹の不安が拭いきれません。
そして彼女も少しずつ夫のことが理解し難くなっていきます。

ちょっと暗雲がたちこめてまいりました。
なんとな~く、話の続きが読めてきた気がします。

最後になぜ彼女は死のうと思ったのか…

まあ、女性が死まで考えると言えば、だいたい原因はわかっているんですけどね。
でもそんなに判りきった原因ではありませんでした。

正直言うと、私はなんで死にたくなったのか判りません。
ものすごい修羅場をくぐってきたのに、なんで?

主人公が感受性が強すぎるのか、私が鈍感なのか、もうどうでもいいんだけど
長々と読まされたのに、「それが原因?」と、ちょっと納得いかないです。
過去は反省して未来に活かそうじゃないか!

メリハリがないまま終わっちゃったんですよね。
3歳の誕生日から彼女が思いつめるところまで、同じテンションで進んでます。
ずーっと序章のようであり、核心のようであり、てな感じで
盛り上がりに欠ける一作でした。

でも文章は面白いの。
短時間で読んじゃいましたよ。

クリスティは一度失踪事件をおこしてますが、もしかしてこの作品が
彼女の心を知る、なんらかの手がかりになるんでしょうか?
だとしたらもう一回読んでみましょうかしら?
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スウェーデン王アーヌンド・ヤーコブ妃 グンヒルド

2011-06-24 10:27:44 | スウェーデン王妃
            しばらく肖像画が無いので北欧神話の女神様でいきます
                雰囲気重視です…こちらはペンローズのフレイヤ


本当だとしたらすごい人生
アーヌンド・ヤーコブ妃 グンヒルド・スヴェンスドッテル


生年不詳~1060/在位 (スウェーデン王妃)1022~1050 (デンマーク王妃)せず

グンヒルドはデンマーク王妃でも紹介したんですけど補足を…

グンヒルドについては、いろいろと議論が交わされているらしいのですが
有力なもののひとつとしてノルウェーのヤール(副王)スヴェン・ホーコンソンと
スウェーデン王女ホルムフリドの娘説があります。
         
ということは、アーヌンドとはいとこ同士ということになります。

アーヌンドはノルウェー王と組んで、デンマークに対抗していましたので
政略結婚でしょうね? やっぱり。

アーヌンド亡き後は、娘ガイダが嫁いでいたデンマーク王スヴェン2世と再婚しました。
ただ、ガイダも娘じゃない説があります。

もう少し議論が固まるのを待ちましょう…



伝説の王女の母
エームンド老王妃 アストリド・ニールスドッテル


生年不詳~1060/在位 1050~1060

アストリドはノルウェーの貴族ニール・フィンソンの娘です。
    
1035年頃、スウェーデンのヤール(摂政)ラングヴァルド・ウルフセンの後妻として嫁ぎ
1040年頃に死別しました。
その後しばらくしてエームンドと再婚しました。

エームンドは義理の母、というか本妻エストリドに意地悪されて
ちょっと心に傷をおっちゃったのかしらね?
ひどく無愛想な人で、不道徳王と呼ばれてました。

王子は二人生まれたのですが、そろって父エームンドより早く亡くなり
成長したのは伝説の王女インガモーだけでした。
インガモーはステンキル王家の始祖ステンキルの妃になります。

ところで、家系図を見て頂きたいのですが、アストリドの最初の夫と
ステンキルの父親とされる人の名は “ラングヴァルト・ウルフソン” と同名で
しばしば同一視されることがありました。
そうするとインガモーとステンキルは異母兄妹ということになります。

実はこれは誤解で、二人は兄妹ではないようです。
ですがキリスト教的には「異母兄妹で結婚なんて、けしから~ん!」ということで
過去の教会はインガモーの名前を排除してしまったらしいのね…
それで伝説の王女ということになってしまったわけなのです。

アストリドは夫エームンドより1年早い1060年に亡くなったとされています。
エームンドの死で王家はユグリング家からステンキル家に移ります、けど
延々と混迷は続きます…ふぅぅ。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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ゴージャス・カランコエ

2011-06-23 12:23:32 | 鉢植え
私は地震があった日家で仕事をしてまして、家中が揺れるのが恐ろしくて
庭に逃げたんですよね。
そうしたら庭も左右に大きく揺れるし、鉢植えも全部グラグラしていて
(うちのマンションは斜面に建っているので)このままズルズル崩れていくのでは…と
本当に怖い思いをしました。

だもんで、今年は春植えをする気にならず、放ったらかし状態だったのですが
現在失職中の身、草苅ぐらいしましょうかね、と草を刈り、鉢を整理したら
ほとんどの鉢が死滅… ミニ薔薇もデイジーも惨憺たる状態だったので
涙ながらに引っこ抜きました。
残ったのはイチゴとビオラの鉢だけ… 庭が寂しくなっちゃった

買い物にいったらスーパーの前に花屋さんの出店があって
鉢植えが安かったのでカランコエを購入しました。

カランコエって花びらが4~5枚のイメージがあったんですけど
なんだか花びらの枚数が多くて可愛いの…

            
ほうら、こんな…ゴージャスでしょ?

大きな鉢に植え替えたら、見栄えがしてきました。

それでも庭が寂しいので、「遅いかなぁ…」とは思いつつ
ダイソーで買って来た朝顔とコスモスの種をまいてみました。

うまく育てばよいのだが…
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スウェーデン王エリク勝利王妃 エーダ

2011-06-23 00:10:36 | スウェーデン王妃
                 肖像画がありませんのでね…
                 まずは当時のスウェーデンのチェスのQueenです


万事はっきりしない王妃
エリク勝利王妃 エーダ・ホーコンスドッテル


生没年不詳/在位 不詳

スウェーデン…資料と家系図はでき上がっていたんですけど、なかなか踏み切れなかったのは
デンマーク同様、名前と地名が読めませんのじゃ

なるべく調べましたが、わからないものはアルファベット読み・そのまま表記という
手抜きをしています。
間違っていたら教えて下さい、随時訂正いたします。

どこの国もそうですが、国ができたばかりの頃は王の入れ替わりが激しいです。
しかし、スウェーデンは輪をかけて在位期間が短い気がします。
ですので、王妃のエピソードもあまりないんですよねぇ…

まずは、エリク6世とも言われますが、初代王とされているエリク勝利王の妃エーダから。

エーダは、ノルウェーを事実上支配していたヤール(副王)ホーコン・シグルソンの
娘ですが、それ以外は何から何までわかりません。
         
エリク王が、後にデンマーク王スヴェン1世妃になったシグリドと結婚しておきながら
その後で結婚した相手らしいです。
重婚ってことになりますね? 愛妾だった可能性も高いです。



スウェーデン初、洗礼を受けた王妃
オーロフ・シュートコヌング妃 エストリド・アヴ・オボトリテルナ


979頃~1022/在位 1000~1022

エストリドはオボトリテスの族長の娘で、言い伝えによりますと
メクレンブルク地方から戦利品としてスウェーデンに連れてこられたらしいです。
        
エストリドの持参金(賠償金かもね)は莫大なもので、スウェーデンは
スラブ西部を手に入れることができました。

北欧では、9世紀初頭からキリスト教への改宗が始まりつつありました。
1008年、オーロフはエストリドや家族たちと、英国人宣教師から洗礼を受けましたが
これがスウェーデン王初の洗礼だと言われています。

さて、故郷から連れ去られて可哀想な気もするエストリドですが、実は…

オーロフにはエストリドと同郷のエドラという愛妾がいました。
二人のあつかいはまったく分け隔てなく、子供も同じように生まれたのですが
どちらかを王妃に…という時になって、オーロフはエストリドを選びました。
実家の力の違いでしょうかね?

エストリドは、エドラが生んだ子供たちに対してとても冷酷でした。
あまりにも意地悪なので、オーロフはエドラとの息子エームンド(後の王)を
バルト海沿岸のベントラントに避難させたほどです。
暗殺…なんてぇことも考えられるものね。

それから態度がでっかく、派手好きで贅沢好み、召使いにはガミガミ言ったそうです。
あまり同情できないですね。
むしろ連れてこられて嬉しかったんじゃ…とさえ思えちゃう。

オーロフの死後どうしていたのか詳しいことがわかりません。
息子アーヌンド・ヤーコブが王に即位してますんで
母后として宮廷で幅をきかせていたのではないかしら。

ちなみにアーヌンド・ヤーコブという名前はスカンジナビア系ではなくて
国民から不評だったということでございます。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
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フランス王ルイ15世愛妾 ジャンヌ

2011-06-22 23:28:42 | 王の寵姫・愛妾
フランス最後の公妾
デュ・バリー伯夫人 ジャンヌ・ベキュ


1743~1793/愛妾 1764~1774

『ヴェルサイユの薔薇』でおなじみ、デュ・バリー夫人です。

愛妾は大別すると、からだと快楽で王の心をとらえているタイプと
安心感や信頼で王をとらえているタイプに分かれると思います。

ポンパドゥール夫人や、ルイ14世の愛妾で結婚までしたマントノン夫人なんかが後者ですね。
デュ・バリー夫人は前者にあてはまると思います。

ジャンヌの母アンはお針子さんでしたが、とっても官能的な女性でした。
父親は修道僧ジャン・バプティスト・ド・ボーベルニエでは? と言われています。
        
子供の頃は母親のパトロンの一人だったデュモンソーの家で暮らしていました。
デュモンソーの愛人フランチェスカはジャンヌのことが大好きで
高価な物を与えたり甘やかしたりしていました。
変わってるよね… ライバルの娘なのに。
修道院系の女学校へもデュモンソーの援助で入学しました。

15歳で修道院を出ると髪結いのアシスタントになり、その後は老婦人のコンパニオン、
帽子店の店員など仕事を変えましたが、紳士洋品店で働いている時
カジノのオーナーで成り上がりのデュ・バリーの目に留まります。

家政婦としてデュ・バリーに雇われたジャンヌは(やっぱり)愛人になりました。
デュ・バリーはジャンヌがクルティザンヌとして身を立てられるように
マドモワゼル・ランジェという名で売り出し後押ししました。
ジャンヌの美しさはパリにセンセーションを巻き起こします。

ルイ15世の友人リシュリュー公はすぐさまお得意様になりました。
もはや売れっ子ジャンヌで飯を食っていたと言っていいデュ・バリーは
リシュリュー公を通じてジャンヌをルイ15世に会わせることに成功します。

もちろんルイは夢中になりますが、侍従ル・ベルが
ジャンヌが未婚なので愛妾には相応しくないと進言しました。
ルイは早速ジャンヌの相手選びを命じまして
デュ・バリーの兄弟ギョームと結婚することになりました。

ルイ15世も54歳、宮廷医はルイに「過度なセックスはおやめ下さい」と
再三注意していたけれど、ジャンヌを目の前にしたルイは言うこと聞きやしない

ジャンヌはとにかく美しくて、男性の目を惹くコツを心得ていました。
うっとりして言うべきことを忘れてしまう男性もいたそうです。
肌が綺麗で見事な金髪と大きな青い瞳の持ち主…まるでお人形みたいですね。

知性があったとは言い難いようですが
ポンパドゥール夫人とは違った形でルイを楽しませることができました。
服装もインテリアも全てをルイの好みに合わせ、大好物で胃袋も掴みました。

ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』のデュ・バリー夫人は黒髪でしたっけ?
でもキャラクターとしては近いような気がします。

ルイ15世の王女たちは、無作法でルイに無茶をさせるジャンヌが大嫌いでした。
1770年に王太子妃マリー・アントワネットが嫁いでくると
ヴェルサイユは二分されます。
あまりにも有名なエピソードなので割愛するけど、ジャンヌは勝利を収めます。

でもルイ15世はやはり王だけあって不穏な空気に気づいていたのね。
1774年、天然痘で命が危なくなったルイは、ジャンヌに宮殿を去るよう言い渡しました。

ジャンヌはモー近郊の修道院に入り、2年後ルーヴシエンヌ城に移りました。
城にはジャンヌの崇拝者たちが訪れて、けっこう楽しく暮らしていたみたいです。

王の亡き後も平和に過ぎて行く日々でしたが、1789年、フランス革命がおこりました。
この時ジャンヌは城を解放して負傷兵たちの手当などをし
マリー・アントワネットから感謝の手紙を受け取ったりしています。
昔は宿敵だったとしても、王家の一大事の時には一緒になって戦わなければね!

一度はロンドンに逃れたジャンヌでしたが、城に残してきた宝石のことが
気が気でありません…たーくさんあったんでしょうね。
よせばいいのに、フランスに戻ってしまいました。
そして案の定捕まってしまいました。

ジャンヌもマリー・アントワネット同様一方的な裁判で死刑が決まり
マリー・アントワネットが最後の日々を過ごした牢獄に入れられました。

ギロチンに向かう途中で気を失ったジャンヌは、死刑執行人に支えられて
断頭台に上がりました。
一瞬目を覚まして「あと一分だけ待って」と言ったそうです。

フランスはこの後、共和制、帝政、王制が目まぐるしく入れ替わります。
宝石も気になりましょうが、もう少し待っていれば堂々と帰国できる日が来たのに…
でもジャンヌは71歳になっちゃってるか…

のこのこと帰るあたり、世相に疎いか楽観的すぎましたね。
政治に疲れた晩年のルイ15世には、ジャンヌのそういう無邪気なところが
魅力的に見えたのかもしれませんね。

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』
      ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      川島ルミ子氏『国王を虜にした女たち』 Wikipedia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

 
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フランス王ルイ15世愛妾 マリー・ルイーズ

2011-06-21 21:59:25 | 王の寵姫・愛妾
若さの過信が失墜のもと
マリー・ルイーズ・オミュルフィ


1737~1814/愛妾 1752~1754

マリーはルーアンで生まれましたが、靴職人だったアイルランド人の父が招集されて
亡くなると、母親とともにパリに出ました。

         
稀代の女性讃美者カサノヴァによると、彼がマリーを見いだした時
みすぼらしく薄汚れていて小動物のようだった…ということです。
マイ・フェア・レディみたいに磨きあげ甲斐がありそうですね。

絵のヌードモデルになっていたということですから
母娘ともどもパリにやってきてからは(いろいろと)苦労していたと思われます。

14歳の時にモデルをつとめたブーシェの絵画がマリーの人生を変えます。

この絵に高値をつけて買ったのが、42歳・男盛りのルイ15世でした。
ポンパドゥール夫人が早速マリーを鹿の園に呼び寄せ愛妾の一人になりました。
すぐにお気に入りになったということです。

愛妾になって2年ほどたった時、マリーは決定的なミスをおかします。
そのミスとは、ポンパドゥール夫人の座を奪って公妾につこうとした、というものです。

自分は20歳前後の瑞々しい娘で、相手は33歳で容色が衰え始めた女性…
すでに愛妾になって10年近くたっているし、王の寝所からは退いている…
娘のアガタ・ルイーズも生まれました。
お気に入りの自分がとってかわれないわけがないと考えがちですよね。
たぶん、鹿の園にいた女性たちの中でそう考えた人も多かったでしょう。

しかしこの思惑は失敗に終わり、マリーの宮廷での立場は失墜します。
ポンパドゥール夫人は素早くマリーとボーフランシェ伯を結婚させました。

ボーフランシェ伯は1757年にロスバッハの戦いで亡くなりました。
マリーはその後2回結婚しています。
3人目の夫は30歳も若かったそうですが離婚に終わっています。

フランス革命中は王家と関係があったということで投獄されましたが生き延び
77歳で亡くなりました。

若すぎたのね… なぜポンパドゥール夫人がルイ15世とベッドを共にしなくても
愛妾として高い地位にいられたかをよ~く考えてから行動しなければ…
そうすればもう少し長く贅沢ができたかもしれなかったのにね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王ルイ15世愛妾 ジャンヌ・アントワネット

2011-06-19 01:17:41 | 王の寵姫・愛妾
格が違う!! 王妃の風格漂う愛妾
デティオール夫人、ポンパドゥール侯爵
              ジャンヌ・アントワネット・ポワソン


1721~1764/愛妾 1745~1764

あまりにも有名だし、本もいっぱい出てるので書かなくてもね…とは思いつつ
シリーズの華ですので、一応生い立ちなどをサクサクっと入れときますね。

父親はパリのブルジョア、フランソワ・ポワソンとなっていますが
実は金融業者のシャルル・ド・トゥルヌエムではないかと言われています。
ジャンヌはポワシー修道院で良い教育を受け、社交界に出るための勉強もしましたが
教育費のほとんどはド・トゥルヌエムが出していたっていうんでね…
          
母親マドレーヌもものすごく美人だったらしいのですが
ジャンヌも早くから美しく洗練されていると評判でした。
美しい肌の持ち主で、大きな明るい瞳をしていました。
背は高くスタイルは良かったそうです。

19歳の時に、ド・トゥルヌエムの甥にあたるシャルル・デティオールと結婚しました。
チャーミングで知的なジャンヌは、パリの最先端の人々の間で口にされるようになり
彼女のサロンにはヴォルテールなど名高い哲学科なども集まりました。

もちろん、ルイ15世の耳にも入りましたとも!
ただ、公妾にしたばかりのマリー・アンヌ・ド・マイイがいる間は
どんなにジャンヌが頑張って目を引こうとしてもダメだったようです。

1745年、マリー・アンヌの喪に服していたルイ15世にジャンヌを売り込んだのは
なんと! 夫デティオールの父親でございます。

ヴェルサイユの舞踏会に招かれたジャンヌは、今度こそガッチリ王のハートを掴み
宮殿内に部屋を与えられました。

けれどもここで問題が…
ブルジョアとは言っても平民は平民、貴族ではないジャンヌを公妾にすることに
宮廷内で抗議が続出しました。
ルイ15世は思案の末、男の後継者が絶えていたポンパドゥール候の称号を買い与えます。

しかしジャンヌがルイ15世と頻繁にベッドを共にしたのは
愛妾になってから5~6年の間でした。
実はジャンヌは体が強い方ではなく、セックスがあんまり好きではなかったようなのね…
1754年に娘のアレクサンドリーヌを亡くしてからは完全にルイの寝所から身を引きました。

ではどうやって王の心をを掴んでいたかというと、とにかく好みをしっかり押さえ
気分を察し、退屈しないように心を砕いてもてなした…ということらしいです。
どんなに眠くても、うんざりしても、ルイが話している間は熱心に耳をかたむけました。
みなさん、見習いましょう。

相手をできなくなってからは、ルイが飽きないように、しかも深入りしないように
自ら厳選した娼婦たちを集めて “ 鹿の園 ” を作ってあげましたとさ…
“ 鹿の園 ” の300人に及ぶ女性たちがルイの相手をして、60人の庶子が生まれたんですと!
庶子たちについてはジャンヌが面倒をみていたようです。
必死にしがみついてうんざりされる愛妾も多い中、戦略で勝負、見上げたもんです。

それから、ジャンヌは王妃マリー・レクザンスカをいたわることも忘れませんでした。
ブーケを送り食事に招き、王妃が慈善事業でつくった負債をルイに払わせたりもしたし
フォンテンブローの王妃の部屋を贅沢でオシャレなインテリアに改装しました。

宮廷内で地位を守るための戦略だったとも言われていますが
愛妾を持つ他の王の王妃にくらべて、マリーは幸せだったでしょうね?
自分を見下す愛妾に夫がメロメロで蔑ろにされるなんて…
妻としてこんなに悔しいことはないものね。

ジャンヌは政治にも興味があって、次第に権力を持つようになります。
閣議にも参加し、最終的には大臣の任命権、戦争の指揮権なども手に入れています。

有名なのは、神聖ローマ皇后マリア・テレジアとロシア女帝エリザヴェータと手を結んで
プロイセン王フリードリヒ2世に対抗した “ 3枚のペチコート作戦 ” ですね。
女帝と型を並べる愛妾…なかなかいるもんじゃありませんよ。

1764年、ジャンヌは42歳という若さで亡くなりました。 肺病でした。

後年は太り気味で、美貌の衰えを隠すためドレスや宝石も派手になっていたらしく
長生きしていたら、さて、いつまでもルイが愛していたかどうかはわかりません。
でもルイ15世とポンパドゥール夫人は、もはや男女の恋愛関係を超越した
長年連れ添った夫婦みたいになっていたんでしょうね。

葬儀は盛大で、ルイ15世は悲しみに暮れました。
その後しばらくは部屋に閉じこもりがちになったそうです。

でーもー、4年後にはデュ・バリー夫人が登場しますよ、お楽しみに

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』
      川島ルミ子氏『国王を虜にした女たち』 Wikipedia英語版)

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『メトロポリス』徹底的な格差に背筋が凍る

2011-06-16 22:57:49 | ドイツの作家
METROPOLIS 
1926年 テア・フォン・ハルボウ

『メトロポリス』と聞いて思い出すのはQUEENの挿入歌と『Radio Ga Ga』のPVで
フリッツ・ラングの映画は見に行ってないんですけどね…
小説でこんなに面白いなら映画はどんなに素晴らしいんでしょうね?

映画用の脚本が先にあったというこの物語、そのせいか文章で読むと
随所で動機付けが希薄な気がしないでもないですが、それはおいといて…
目くるめくスピード感でぐいぐい引っ張られていきます。
ちょっと忙しいけど…

詳しくは書きませんが、メトロポリスという未来都市を舞台にして
4:3:3ぐらいの割合で、社会派小説:SF:ラブストーリーが描かれています。
あくまでも私の印象ですけどね。

労働者たちが機械労働に食いつくされ消耗していくメトロポリスの主であり頭脳であって
神の域にまで達している人物が、ヨー・フレーデンセンという
愛と人の心を無くした男性です。

フレーデンセンの息子フレーダーは、富裕層の息子たちの溜まり場に
汚い子供たちを連れて現れたマリアという女性が忘れられなくなります。
マリアはで労働者たちに戦い以外で自由を得ようと訴える指導者のような女性でした。

フレーダーとマリアは再会して愛し合うようになります。
しかし恐ろしい計画を持っていたフレーデンセンは、発明家ロートヴァングに依頼した
機会人間(ロボットという言葉はまだ無かったそうでございます)の顔を
マリアと同じにして、本物のマリアを閉じ込めてしまいました。

愛するマリアと同じ顔を持つ淫らなマリアを前にしたフレーダーも
平静さを失って軟禁されてしまうのでした。

フレーダーの唯一の仲間と言えるフレーデンセンの元秘書ヨザファートも
裏切るようしむけられ、メトロポリスを発つことになります。

そしてある日、機会人間のマリアに導かれた労働者たちは暴徒となって
メトロポリスの中心を襲い、都市は崩壊していきます。
ところが、この状況を望んでいたのは、実はフレーデンセンでした。

さてさて、フレーダーとマリアはどうなってしまうのか?
メトロポリスはどうなっていくんでしょう?

どきどきするテンションを保ち続けた物語のエンディングが
いきなりそうなっちゃう? と気が抜けたりもしましたが
テレビが無い時代の娯楽である映画がもとになっていますんでね… 良しとしよう。

私が読んだ中公文庫版は、訳注も大量にあり、解説も多かったので
本の厚さのわりにはけっこう早く読めると思いますよ。

当時の最先端テクノロジー(ラジオ、バス、ネオンなど)がちりばめられていますけど
今見ればとってもアナログです。
化学が進むスピードって空恐ろしいですね。

それよりも内容がやけに現代にマッチしているような気がしています。

もしかしたら、貴族社会と庶民の格差を書いていたのかもしれませんが
近年の、所謂セレブと下流におきかえてもピッタリはまります。

徹底的に富を享受して、下々の苦労は知るかいな…と、さらに富を作る人々と
上を見たって仕方ないさ、生まれが違うんですもの…と脱力した人々のコントラスト…
最初の方の、フレーデンセンが単純労働者を見下した言葉なんか
今でも言ってる人がいそうなんですよね。

作者にどえらい先見の明があったんでしょうかね?
どんな時代も人間の本質は変わらない…ということなんでしょうか?
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フランス王ルイ15世愛妾 マリー・アンヌ

2011-06-15 22:53:43 | 王の寵姫・愛妾
姉を蹴落とす強欲さ
トゥールネル候夫人、シャトールー公 マリー・アンヌ・ド・マイイ


1717~1744/愛妾 1742~1744

マイイ家の五女マリー・アンヌは、次女ポーリーヌの死をうけて
ルイ15世の愛妾になりました。

マリーは17歳の時にトゥールネル候ジャンと結婚していていたのですが
1742年に夫を亡くして未亡人になっていました。
        
ポーリーヌが亡くなった後、ルイ15世の友人リシュリュー公は代わりを探していて
マリーに目を留めました。

1742年の舞踏会で引き合わされた二人ですが、マリーにはすでに
アニェオス公という恋人がいて、王の愛妾になることを拒みます。
しかし、アニェオス公のおじにあたるリシュリュー公とルイがタッグを組んで
アニェオス公が自ら身を引くように画策(戦場に送ったり美女に誘惑させたり)しました。

とうとうルイ15世の愛妾になることを承諾したマリーですけど、ひとつ条件を出してます。
それは、まだ公妾の座に留まっていたルイーズを追い出すこと…
マリーはルイーズと二分するよりも一人で富も力も握りたかったのね。
実の姉だろうがなんだろうが、邪魔者は消してやる!ってことだったみたいです。

当時宰相だったフルーリーは野心満々のマリーより、ルイーズの方が良いと考えて
仲裁をしますが、ルイはマリーの言い分を聞いてルイーズを退去させました。

ルイーズを追い出し公妾の座におさまったマリーはご満悦!
さらに領地や収入まで要求し、シャトールーズ公爵の称号をもらいました。
ポーリーヌ同様、王妃マリー・レクザンスカを侮辱し
悪口のネタを探そうとスパイまでつける始末! たちが悪いわね

ルイの移り気を目の当りにしているマリーは寵愛を失うのが怖くて
姉(三女)のディアーヌをあてがおうとした…と言われています。
マリーのせいかどうかは別にして、ディアーヌもしばしばルイのお相手をしていました。
ルイの旅行にはマリーとディアーヌ、両方が付き添っていました。

けれどもポーリーヌ同様、マリーの栄華も長くは続きませんでした。
公妾になってからたった2年後の1744年に急死してしまいました。
その後はしばらくディアーヌが愛妾におさまっていましたが
1745年にはポンパドゥール夫人が登場し、ネル四姉妹の栄光は終焉を迎えます。

            
              こちら、有名みたいなので載せておきます

ポーリーヌ同様傲慢だった愛妾マリー、急死ってあたりが怪しいですな…
毒殺の噂はあったそうですが定かではありません。

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

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フランス王ルイ15世愛妾 ポーリーヌ・フェリシテ

2011-06-13 20:33:49 | 王の寵姫・愛妾
王以外に嫌われすぎた愛妾
ヴァンテミール候夫人 ポーリーヌ・フェリシテ・ド・マイイ


1712~1741/愛妾 1739~1741

ネル四姉妹の次女ポーリーヌは、姉ルイーズに続いてルイ15世の愛妾になったのですが
優しく無欲な姉とは逆の欲深い女性でした。
        
1739年、公妾になっていたルイーズにヴェルサイユに行きたいと手紙を出し
招いてもらったポーリーヌは、早速ルイを誘惑しました。
ポーリーヌもそんなに美しくはなかったそうですが、優美な長い首の持ち主でした。

前にも書いたかもしれないのですが
当時フランス宮廷で誰かの愛妾になるには結婚していなければならないんですよ。
どちらかが未婚だと “ 不義密通 ” とか “ 姦通 ” ということになるのですが
両方とも既婚なら “ 恋愛 ” と見なされたんですって…へんな話しよね

そんなわけで、ルイはポーリーヌをヴァンテミール候ジャンと結婚させまして
愛妾にいたしました。

ルイーズは公妾としてとどまっていましたが、おねだりをしないのでほっとかれて
ポーリーヌにはショワジー・ル・ロワの城が贈られました。

ポーリーヌは金や権力に強欲で横柄でした。
王妃マリー・レクザンスカのことも人前で「魅力が無い」と侮辱しました。

こんな愛妾は…そう!すぐに宮廷の嫌われ者になります。

王妃や宮廷の人たちにとってはラッキー…と言ってはなんですけど
ポーリーヌは愛妾になるとすぐに妊娠し、出産の時に亡くなってしまいました。

ポーリーヌの遺体はヴェルサイユ市内に安置されましたが、守衛がちょっと飲みに行った隙に
暴徒が「王の売春婦!」と言って押し寄せ、バラバラにされてしまいました。
守衛も飲みに行っちゃだめでしょ…

生まれた男の子はルイと名付けられてルイーズに育てられましたが
ルイ15世は特に目はかけていなかったようです。
後にポンパドゥール夫人は娘のアレクサンドリーヌとルイを結婚させようとしました。
でもルイ15世が許さなかったということです。

長生きしていればポンパドゥール夫人デュ・バリー夫人並の
強力な愛妾になったかもしれません。

ポーリーヌが去って、宮廷は一時胸をなでおろしたかもしれませんが
このあとにもっと強力な五女マリー・アンヌがやってまいります。
詳しくは…つづく

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

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『若かった日々』若いうちに読んでおこうか…

2011-06-12 10:50:18 | アメリカの作家
THE END OF YOUTH 
2003年 レベッカ・ブラウン

作者の “ 自伝的短篇集 ” ということで、アリス・マンローの『林檎の木の下で』的な
世界観を期待して手に取ったのですけど(Book-offで100円だったし…)

うぅぅん…『林檎の~』が自分の過去を題材にして創作した作品という印象が
強かったのに対して、こちらは完全に自分の記録、私小説という感じがしました。
とても正直すぎて少し戸惑った…というのが率直な感想です。

他人の人生なのでとやかくいう資格はないですけど…
印象に残ったお話しをいくつかあげてみます。

『暗闇が怖い(Afraid of the Dark)』
小さい頃は暗闇が怖くてよく叫び声をあげ母を起こしていました。
毎年母と訪ねていた祖母の家では、祖母が叫び声をあげ母が慰めていました。
大きくなってからは逆に叫び声をあげる母を慰める役にまわっていました。
祖母も母も私も、皆同じような声をあげます。

母娘三代に渡って夜中に叫び声をあげるとは…いったいなにがあったっていうんでしょう?
暗闇、恐怖心、叫び声という一般的な材料で描いているというのに
ありきたりではなくどこか哀しみが漂ってます。
詳しくは書かれていませんが、時代も内容も異なる女の事情があるのでしょうね。

『ナンシー・ブース、あなたがどこにいるにせよ(Nancy Booth,Wherever You Are)』
毎年参加していたサマーキャンプに行った最後の夏、他の女性とはタイプが違う
スカフというキャンプネームのスタッフがいました。
ある眠れない夜ポーチで彼女と会話してから、毎晩語り合うようになりました。

このお話しと、次の『A Vision』というお話しは、作者の性、つまりレズビアンへの
目覚めのようなことが書かれているようです。
私だって年上の女性や凛々しい女性教師への憧れが思春期に無かったとは申しませんけど…
人はこのようにして自分の性向に気づいていくものなのね。

『母の体(My Mother's Body)』
母の家で看病をする合間にクリスと部屋で眠っていると、姉が入って来て
「母が死んだ」と言いました。
良い香りのするお湯で拭き、ジャスミンのオイルをぬって洗い立てのシーツでくるみました。

作者はご存知の通りホームケアワーカーとして末期の人々をケアした経験をもとに
(私は読んでないけど)『体の贈り物』を書いた人です。
見慣れていると言ってはなんですが、落ち着いています。
でも淡々とした話しの中に、母親への感謝が込められているような気がしました。

ほとんど家にいなかった父親と母親の愛憎がちりばめられていますが
それはあまり気になりませんでした。
結婚生活から離婚に至るまでの話しは、どんなことであれキレイにはいかないものね。

しかし年を経てから思い出すことで、両親に、特に父親に対する苦々しさはかなり薄まり
良い思い出として語られているような気がしないでもありません。
過去を許すとはこういうことかもしれないですね。

それより死をテーマにした後半がリアルで、ちょっと気が滅入ってきました。
20年後ぐらいに読んだら身につまされて恐怖を感じそう…
今のうちに読んでおいてよかったです。
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フランス王ルイ15世愛妾 ルイーズ・ジュリー

2011-06-11 17:34:41 | 王の寵姫・愛妾
愛妾四姉妹の先陣をきる
マイイ伯夫人 ルイーズ・ジュリー・ド・マイイ


1710~1751/愛妾 1726~1742

プリンセス・シリーズに夢中ですっかり忘れていた愛妾シリーズ、
今回は忘れちゃならないルイ15世でいってみようと思います。

ルイ15世と言えばポンパドゥール夫人デュ・バリー夫人が有名ですが
なんたって “ 鹿の園 ” というハレムを持っていた王様ですからね!
愛妾の数もハンパじゃありません、ってわけで有名どころから何人かピックアップします。

まずは “ ネル四姉妹 ” の長女ルイーズ・ジュリーです。
         
父のネル候ルイ・ド・マイイには5人の娘さんがいましたが
そのうちの4人がルイ15世の愛妾になってますよ!
愛妾にならなかったのは四女のオルタンス・フェリシテだけです。

ルイ15世の曾祖父さま、ルイ14世にもアンヌ・マリーオランプのマンチーニ姉妹、
ガブリエレフランソワーズのロシュシュアール姉妹などがおりましたね。

ちなみにルイーズの母親アルマンデは、イングランド王チャールズ2世の愛妾
オルタンス・マンチーニの孫にあたります。

ルイーズは姉妹の中で一番早くルイ15世の目を引きました。
1726年に従兄弟のマイイ伯ルイ・アレクサンドルと結婚していたのですが
1732年頃に愛妾になったと考えられています。
公妾になったのは1738年です。

ルイ15世は、マリー・レクザンスカと結婚した後8年間は浮気をしませんでした。
なので王妃は、ルイが自分の侍女ルイーズを愛妾にした時には心底がっかりしたそうです。

ルイ15世の最初の公妾になったルイーズですが
政治的野心や金銭への執着は無くて、ルイ15世におねだりをすることもありませんでした。
容姿は月並みだったそうですが、とても優しい女性だったということです。
ルイ14世愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールと似たタイプでしょうかね。

ルイーズは公妾になった翌年、身内から裏切られることになります。
妹のポーリーヌ・フェリシテから「ヴェルサイユに行きたいわ~」という手紙をもらった
ルイーズは喜んで招待します…が、なんと、彼女には恐るべき野望が!

ポーリーヌはやって来るなりルイ15世を誘惑します。
ルイーズに飽きていたルイはさっさとポーリーヌを愛妾にしてしまいました。

さらにルイ15世が1542年に五女マリー・アンヌを愛妾にすると宮廷を退去させられました。
翌年には夫を亡くして修道院に身を引き、信仰に打ち込んで
敬虔な生活のうちに亡くなりました。

王の寵愛をうけるためなら姉妹の絆も何もあったもんじゃなかったんですな!
ルイーズの妹たちについては…つづく

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

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