まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン王フェリペ3世妃 マルガリータ

2009-04-30 00:43:49 | スペイン王妃・王女
ニッチな感じの王と王妃
フェリペ3世妃 マルガリータ・デ・アウストリア


1584~1611/在位 1598~1611

善くも悪くも凡庸であったといわれるフェリペ3世は
ほとんど政治の場に寄りつかず宮廷で時間を費やしていました。
フェリペ3世時代の宮廷費は、しばしば法外な金額に及んだと言われています。
それもそのはず、王は狩猟と晩餐会に明け暮れて政治は人に任せっきりという人でした。
政治を行っていたのは専らレルマ公爵で、フェリペ2世の時に隆盛を極めたスペインも
じわじわと下降線をたどり始めます。

そんなフェリペ3世は1599年、またいとこのマルガリータと結婚しました。
フェリペ3世は21歳、マルガリータは15歳で、当時であれば理想的なカップルです。

       
マルガリータは大変な芸術愛好家で、スペインのアート界にはありがたいパトロンでした。
ただ王の乱費に加えて王妃の浪費ときた日にゃあ、いくらお金があっても足りませんね。

1611年、マルガリータは8人目の子供の出産時に27歳で亡くなりました。
フェリペ3世は10年後に亡くなりますが、再婚はしませんでした。

悪い人ではなかったようですが、フェリペ2世とフェリペ4世にはさまれて
目立ちきれなかった王と王妃でございました。

(参考文献 岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』
      Wikipedia英語版)
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『乾し草小屋の恋』恋心の先にあるものは…

2009-04-30 00:35:57 | イギリス・アイルランドの作家
LOVE AMONG THE HAYSTACKS 
デイヴィッド・ハーバート・ロレンス

寡黙で不器用な恋の物語4篇が収められた短篇集です。
素朴で無邪気なようにみえて、男と女がお互いを求め合うという本能が
そこかしこに漂っているあたり、ロレンスらしい1冊だと思います。

『春の陰翳(The Shades of Spring)/1914年』
都会へ出て結婚した後も、田舎でぞっこんだったヒルダに手紙や本を送り続けていた
サイソンは久しぶりに彼女に会いに来て彼女が工場の番人と結婚したことを知りました。
ふたりの会話はいつしか過去へと遡っていきます。

女性の方だっていつまでも男性のノスタルジーの対象になってるわけには
いかないですからね。
たぶん、今も昔も女性の方が現実的に生きてます。

『乾し草小屋の恋(Love Among the Haystacks)/1913年』
内気で神経質なジェフリーは、恋しい女性パウラが
陽気な弟モーリスに惹かれていると知ってムシャクシャした1日を過ごします。
その夜、ジェフリーは乾し草小屋で寝ずの番をするモーリスを手伝いに行きますが
そこにはパウラが一緒にいました。
ジェフリーが物置小屋で横になっていると夫にはぐれた浮浪者の女が忍んできます。

晩生だった兄弟がそれぞれの恋を見つけた一夜の話です。
降って湧いたような恋なのですが、恋に落ちるのに時間は不要ということですね。

『桜草の道(The Primrose Path)/1912年』
ダニエルは、一家の鼻つまみ者で妻を捨てて女とオーストラリアへ逃げたサットン叔父に
ロンドンで会います。 叔父はタクシーの運転手をしていました。
ダニエルは誘われるままに瀕死の最初の妻を見舞う叔父について行き
続いて、新しい女が暮らす家を訪れます。 相手は繊細そうな若い女性でした。

男の魅力ってなんでしょう?
サットン叔父は横暴で分別なしの無頼漢にしか思えませんが…
アウトローというと魅力的に響きますね、たしかに。

『牧師の娘たち(Daughters of the Vicer')/1914年』
気位が高い牧師リンドリー家の娘たちは上品に、村人から疎外されて成長します。
姉メアリーは人として愛するに値しない牧師と結婚して気が滅入る毎日を送り
妹ルイーザは愛に生きようと炭坑夫の青年デュラントに近づいていきます。
デュラントはリンドリー家に求婚に行くことになりました。

前々から思っていたのですけど、牧師ってそんなに偉いんかい?
ロレンスもハーディーも、オースティンでも田舎の上流階級には牧師が君臨してるけど
聖職者がこんなに差別主義者でいいのでしょうか?

ちなみに、ここでもロレンスお得意の炭坑夫がからだを洗うシーンが登場します。
ロレンスってもしかして…? と思いましたが、熱烈な恋愛をしたようだし。
モームにおける船旅、オースティンにおけるおしゃべりな老婦人のように
外せないアイテムなんですかね?

突然に訪れた恋に身を焦がすのと、静かに育んできた恋が花開くのと
どちらが幸せだろう? どちらがドラマチックでしょう?
って、どっちでもいいんだけどさ…今となっては

乾し草小屋の恋 福武書店


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『12人目の妻』物足りないなぁ…

2009-04-29 01:21:14 | イギリス・アイルランドの作家

1931年 サマセット・モーム

3つの短篇が収められた小作品集です。
物足りない…3篇じゃモームの世界が堪能できないよ。

『創作活動(The Creative Impulse)』
極めて知的で芸樹的な作品を書く作家として社交界で花形のフォレスター夫人の
控えめで飾り物のような夫が自宅の女性コックと駆落ちします。
ふたりを訪ねた夫人は、夫とコックが下らないミステリーの愛読者だったことを知り
その上ミステリーを書くことを勧められ、呆れながらアパートを後にします。

ある意味鼻持ちならない妻がギャフンという様を嘲笑するムキもありましょうが
フォレスター夫人の “ 転んでもタダでは起きない ” 感じが笑える1篇です。

『変り種(The Alien Corn)』
必死でユダヤ人であることを隠そうとするアドルファス一家には
風変わりなエピソードで上流社会の人気をさらう叔父のファーディーがいます。
ファーディーと卿の息子ジョージが久しぶりに再会してからしばらくたつと
ジョージは出世の道を捨ててピアニストになると言いだします。

情熱と結果は比例しないという哀しい現実をつきつけられるような物語です。
ジョージは裕福に育ったせいで打たれ弱い男になっちゃったようですね。
最近そういうタイプの人は多いと聞きますが…

『12人目の妻(The Round Dozen)』
南イングランドの保養地でくたびれた男と出会い驚くべき経歴を聞かされます。
彼はオールド・ミスばかりを狙う重婚犯罪者で、すでに11人の妻を持っていて
あとひとりで1ダースの妻を持つことになると言うのです。
後日、同じホテルに滞在する老夫婦が連れて来ていた姪が突然いなくなりました。

いわゆる結婚詐欺師なのでしょうか? でもハンサムではなさそうです。
“ どうしてこの男が?” と首を傾げたくなるような男みたいなんですよ、重婚の男。
オールド・ミス専門というところがムカつきますねっ!

面白さは変わらないけど、植民地シリーズにくらべて小細工が多いような気が…
より作り話っぽくなっているという感じでしょうか?
それでもモームらしさはまったく失われてないと思います。

読者が良く知っている土地を舞台にするというのは、未知の世界を舞台にして
物語を書くより骨が折れそうですね? どうなんでしょうか?

モーム短篇選〈上〉岩波書店


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『12人目の妻』はこちらに収められています
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『たいした問題じゃないが』いちいちごもっともで…

2009-04-29 01:19:17 | イギリス・アイルランドの作家

ガードナー/ルーカス/リンド/ミルン

20世紀初頭の4人のコラムニストたちのコラムを抜粋してまとめた1冊です。

当時のイギリスの小説には新聞を読む紳士たちがけっこう登場します。
今の新聞のコラムは偽善的で各社横並びのような気がしてスルーしがちですが
新聞が真剣に、且つ隅から隅まで読まれていた時代のコラムって
どんなでしょう?と思いまして読んでみました。

新聞が情報源としてより重要な任務を担っていた頃ですから
時代の問題点を追求した語気荒いものかと思っていたら…あらら、わりとコミカルです。
コラム欄て万人に向けて持論を展開できるスペースだと思うのですが
当り障りが無い題材を扱っているものが多いようです。
週刊文春とか週刊新潮の連載コラムっぽい…
世の中を二分するようなテーマで議論を巻き起こすというようなコラムはありません。
(題名にも表れていますが、わざと選んでいないのかもしれませんね)

せいぜい議論の的になりそうなものは “ 南部(温暖地)より北部(寒冷地)の方が
怠惰になりがちで文化的に遅れている “ という部分と
“ 時間を厳守する人は臆病者だ ” という部分でしょうか?

コラムニストという職業はすでに確立していたようですが
やはりコラムのみで生計をたてているという人はいないようです。
本業に付随してコラムを書いているというパターンが多いみたいですね。

A・G・ガードーナーは伝記作家でジャーナリストですが、一番 “ コラム(評論)” という
態を成しているかな、という気がします。
記事や他のコラムから引用したり自分の体験を書いて、持論を述べるというパターン。
忘れ物とか「どうぞ」をつけるかつけないか?といった身近なテーマが多いようです。

E・V・ルーカスも伝記作家、旅行作家でジャーナリストです。
こちらはけっこう物語仕立てになっていて、誤植が招いた悲喜劇があったり
動物園のゾウが話したり、短篇小説といっても差し支えないものがありました。
少し皮肉が見え隠れ…という印象が一番強い気がします。

R・W・リンドは文藝評論家でジャーナリストです。
一番賛否両論ありそうなものを取り上げているのは(この本の中では)彼みたいです。
ちなみに上記の議論になりそうなネタはリンドによるものです。
◯◯だ!という断定口調も心地よい…アイルランド気質でしょうか?

A・A・ミルンは劇作家、小説家で童話作家、『クマのプーさん』が有名です。
やはり想像力がたくましいのか、新聞の三行広告や田舎の埋葬人記録から
勝手にストーリーを作り上げているものがいくつかありました。
真偽のほどは分かりませんが「そうかもしれない…」と思わせる筆力があります。

不特定多数の人たちが読むことを前提として、不快感を与えないように注意を怠らず
言っていることはだいたい正しい、あるいは分かる、という文章になっています。
えてしてつまらなくなりそうな内容ですが、そこはやはり人気コラムニストなので
そこそこ面白くはなっています。

だけど当時の世相がよく分かるという訳でもなくハッとさせられるという内容でもなく
特に感動もないので…何のために出された1冊かがよく分からないなぁ
この4人を一緒にして出版する意味があったのかどうだか…比較研究のためですか?
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スペイン王フェリペ2世妃 アナ

2009-04-29 01:11:06 | スペイン王妃・王女
激務の王に安息をもたらした王妃
フェリペ2世妃 アナ・デ・アウストリア


1549~1580/在位 1570~1580

イサベル・デ・ヴァロアを亡くした時、フェリペ2世は41歳でした。
悲しみに暮れていたとはいえ一国の王ともなれば後継ぎのことを考えなければなりません。

王太子ドン・カルロスも亡くなり、イサベルが生んだ王女イサベル・クララと
カタリーナ・ミカエラのふたりしか嫡子がいないというのはあまりにも頼りなく
大国スペインにとっては国家の一大事です。

そこでフェリペ2世はドン・カルロスの婚約者だった21歳のアナと
4度目の結婚をすることにしました。
これより前、フェリペ2世はイサベルの妹マルゴとの再婚を断っていますが
これは「もうフランスとはやってられねーよ」ということなのか
マルゴの不埒な噂が耳に届いていたのか、それともセンチメンタリズム?

アナの母マリアはカルロス1世の娘で、フェリペ2世は伯父にあたります。
教皇ピウス5世はこの結婚に異議を唱えましたが後に承認しました。
伯父はいいんだ…
     
アナは肖像画だとキツそうでクールな感じに見えますが
刺繍や裁縫など家庭的なことが好きな、大人しくて優しい人だったそうですよ。

フェリペ2世は “ 太陽の沈まぬ帝国 ” をつくりあげた王ですから
領土拡大のために戦ってばかりの人生でしたが
アナは、せめて城にいる時ぐらい王に寛いでほしいと
居心地がよくなるよう常に気を配っていたそうです。

また、幼くして遺されたイサベル・クララとカタリーナ・ミカエラを
我が子のように慈しみ、レディとして恥ずかしくないよう教育したそうです。
イサベル・クララはお年頃になると、アナの弟ネーデルラント総督
アルブレヒト7世と結婚しました。
子供は5人生まれています。(王子フェリペ以外は10歳までに夭逝)

フェリペ2世も中年にさしかかり(そりゃあイサベラも可愛かったでしょうけど)
彼女のような良妻に恵まれてホッとしたのではないでしょうかね?

1580年、フェリペ2世は隣のポルトガルも併合して即位し
アナもポルトガル王妃の座につきましたが、そのすぐ後に30歳で急死しました。
伝染性の病気でフェリペ2世も罹っていたのですが、アナだけが命を奪われました。
53歳のフェリペ2世は以後は再婚せず、71歳で亡くなりました。

フェリペ2世にも愛妾はいましたが、王妃をないがしろにすることはなく
王妃に非道な仕打ちをしたわけではないのに、なんだか妻運が悪いよね?
せっかくいい伴侶を得たと思っても、こうすぐに逝ってしまっては
だんだんメゲてきちゃいますよねぇ。

後継ぎの王子がひとり残ったことだけが、せめてもの救いでしょうか。

(参考文献 西川和子氏『世界の王宮とヒロイン(マドリッド王宮)』 wikipedia英語版)

世界の王宮とヒロイン 新人物往来社


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スペイン王フェリペ2世妃 イサベル

2009-04-28 01:44:18 | スペイン王妃・王女
溺愛された幼な妻
フェリペ2世妃 イサベル・デ・ヴァロア


1545~1568/在位 1559~1568

イサベルは、イタリア半島をめぐる争いを終結させたカトー=カンブレジ条約で
スペインのフェリペ2世に嫁ぐことになりました。

最初は王子ドン・カルロスと結婚することになっていたのですが
マリアを亡くしたフェリペ2世が「僕の奥さんに」と考えを変えたみたいです。
小説『クレーヴの奥方』によると、イサベルは「王子の方じゃないの~?」と
駄々をこねたようになっていましたが、実際は違うみたいです。

     

イサベルはとても内気でおとなしい少女で、母カトリーヌ・ド・メディシスには
畏敬の念が強く逆らえなかったということです。
でも、カトリーヌはイサベルをとても可愛がっていたようですよ。

実際結婚後にイサベルはホームシックにかかってカトリーヌと会いたがり
やっと面会が決まったのですが、どこで会うか、誰を連れて行くか、何を着るかなど
両国の間であーでもないこーでもないと議論が白熱してなかなか合意しませんでした。
やっとバイヨンヌで再会することができましたが、その後二度と会えなかったようです。

イサベルは父アンリ2世のいいつけで、少女時代をメアリー・ステュアート
同じ部屋で育ちました。
メアリーはすでにスコットランド女王だったので
イサベルは常にメアリーに優先権を与え、従順でした。
メアリーもそんなイサベルを可愛く思って、ふたりは大親友になり
友情はイサベルが嫁ぎ、メアリーがスコットランドに帰国した後も続きました。

1559年、イサベルはフェリペ2世と結婚します。
32歳のフェリペ2世は14歳の新妻に首ったけで、しばらくは愛妾も持ちませんでした。
彼女の欲しがるものは「どれだけ金がかかってもよい!」と買い与え
退屈しないように舞踏会や馬上試合などのイヴェントも開いてあげました。
イサベルはカトリーヌに「王と結婚できて幸せです」と手紙を送っています。

でもなんたって14歳ですもの。
遊び相手としては同年代の男の子の方がいいですよね?
てなわけでイサベルは、王太子ドン・カルロスや、カルロス1世の庶子ドン・ファン
カルロス1世の庶子の子アレッサンドロなど、年の近い王子たちと
楽しい時間を過ごすようにしていたみたいです。

ドン・カルロスは、もと婚約者で父の王妃としてやってきたイサベルにとても友好的で
奇行で手に負えなくなってきた時も彼女には優しく紳士的でした。
イサベルはドン・カルロスが監禁された時、しばらく泣き暮らしたと言われています。
最初の計画どおりドン・カルロスとイサベルが結婚していたら
彼も悲劇的な末路をたどらなくてよかったかもしれないね…
遺伝もあるかもしれないが、シャルル6世みたいに摂政をたててもいいわけだし…

イサベルは1568年に4度目の出産で流産し、その日のうちに亡くなりました。
奇しくも1568年にはドン・カルロスも獄中で亡くなっています。

つねにイサベルと一緒にいるよう心がけていて、イサベルが天然痘に罹った時でさえ
離れようとしなかったフェリペ2世は悲しみにくれます。
イサベルの母カトリーヌは即座に妹のマルグリート(マルゴ)との再婚を打診しますが
フェリペ2世は辞退しました。
恐るべし、カトリーヌ・ド・メディシス

オペラ『ドン・カルロ』ではイサベルとドン・カルロスの間に、なにか恋愛沙汰が
あったような感じになってるようですけど、実際はどうだったのでしょう?
恋愛感情が無かったとは言えないでしょうけど、フェリペ2世はベッタリだったらしいし
廷臣たちの目もあるし…無理だったんじゃないかなぁ。

(参考文献 西川和子氏『世界の王宮とヒロイン(マドリッド王宮)』
      エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』 wikipedia英語版)
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スペイン王フェリペ2世妃 マリア

2009-04-27 00:11:41 | スペイン王妃・王女
またの名を“ブラッディ・メアリー”
フェリペ2世妃 マリア・デ・イングラテーラ


1516~1558/在位 (イングランド女王)1553~1558
          (スペイン王妃)1556~1558

フェリペ2世の再婚相手マリアとは、イングランド女王メアリー1世のことです。
イングランド王妃のところでもご紹介しているので、結婚にいたるまでの経緯を
さっくりご紹介します。

マリアの祖母とフェリペ2世の曾祖母はイサベル1世です。
       
マリアは37歳で女王に即位すると、結婚して嫡子を生み
義妹エリザベス(後の1世)への王位継承を阻止しようと考えました。
そこで、またいとこにあたるデヴォン伯エドワード・コートニーに近づきます。
デヴォン伯本人も周囲も、女王はデヴォン伯と結婚するものだと考えていました。

ところが、カルロス1世が王子フェリペとの縁談をもちかけると
女王はさっさとデヴォン伯を遠ざけて、フェリペとの結婚を承諾します。
なんでもカルロス1世はマリアに、フェリペの全身の肖像画を送ったそうで
その肖像画を見た女王は即恋に落ちてしまったらしいですよ!
国内の「スペインの属国になってしまう」という反対もなんのその、
マリアはこの結婚を押し進めました。

1554年、初めて顔を合わせてから2日後にふたりは結婚しました。
マリア38歳、フェリペ27歳の姉さん女房夫婦でした。
フェリペはマリアの貫禄や威厳は賞賛しましたが
「女としては…みれないな 」てなことを周囲に漏らしています。

結局後継ぎは生まれないまま、しぶしぶエリザベスへの王位継承に署名したマリアは
1558年、卵巣腫瘍で亡くなりました。
マリアは2回ほど想像妊娠事件をおこしていますが、実は病に罹っていたのでしょうか?

ちなみにフェリペ2世はマリアの死後すぐにエリザベス1世に求婚しますが断られました。
無敵艦隊をイングランドに差し向けたのはその腹いせ?ってことはないと思いますけど。

イングランド王位継承者第だった幼い頃のマリアには、各国王家から求婚が相次ぎ
フェリペの父カルロス1世も婚約までこぎつけたのですが
母キャサリン(カルロス1世の叔母でもあります)がヘンリー8世に離婚されたことや
それによってマリアの王位継承権が剥奪されたことで求婚がガクンと減りました。
その結果37歳で初婚ということになってしまったのですが…

当時のお姫様たちは、人柄ではなくて肩書きや立場で急に手のひらを返す求婚者を見て
どう思ったのでしょうね? 仕方がないとあきらめたのかしら?
女王になったら見てらっしゃい!と執念に燃えたのかしら?
贅沢に暮らせても自由に恋愛ができないというのは…かなり不幸ですよね。

(参考文献 西川和子氏『世界の王宮とヒロイン(マドリッド王宮)』
      森譲氏『英国王室史話』 wikipedia英語版)

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半分以上がカラーで綺麗です
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スペイン王フェリペ2世妃 マリア・マヌエラ

2009-04-26 02:36:59 | スペイン王妃・王女
悲劇の王子を遺した
フェリペ2世妃 マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル


1527~1545/在位せず

マリア・マヌエラは1543年にいとこのブルゴーニュ公フィリップ
(後のフェリペ2世)と結婚しました。
ふたりとも16歳の初々しいカップルでした。

フィリップは美しい母イサベルの面影が忘れられず、年頃になると
ポルトガルから妃を迎えたいと側近にリクエストします。
そこで母の兄ジョアン3世の王女マリア・マヌエラに白羽の矢がたったわけです。
         
もちろん政略結婚なんですけど、スペインにやってきたマリア・マヌエラを
一目見たフィリップは、彼女のことを概ね気に入ったようです。
仲も良かったそうですが、父カルロス1世と母イサベルのように熱烈に愛し合うまでには
盛り上がりませんでした。

マリア・マヌエラは1545年に悲劇の王子ドン・カルロスを生むとすぐに亡くなります。
享年18歳…もともとからだが弱かったのか出産がひびいたのかは不明ですが
人生これからという時に可哀想ですね。

ドン・カルロスは小さな頃から精神的に不安定で、大きくなるにつれ錯乱が激しくなり
23歳の時、フェリペ2世に監禁されて獄死します。
なにしろ血が濃い~ですからねぇ…

スペイン王家はこの後もさらに激しく血族結婚を繰り返していきます。
当時の政治情勢や宗教間の争いなど、いろいろ事情はあったのでしょうが
大丈夫なのかいな? と思ってしまいますよね。
結局この度重なる血族結婚がスペイン=ハプスブルク家を終焉に導くのですが
それはまた後ほど…

              
             キュートだったので上の肖像画を使ったのですが
                    実際はこんな感じだったらしい


(参考文献 西川和子氏『世界の王宮とヒロイン(マドリッド王宮)』 wikipedia英語版)

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『ママがプールを洗う日』アメリカ人て楽そう・・・

2009-04-26 00:19:05 | アメリカの作家
ONE WAY OR ANOTHER 
1986年 ピーター・キャメロン

80年代のアメリカが舞台になっている物語が13篇つまっている短篇集です。
決して明るい話ではないのですが、深刻さがなくて、行き当たりバッタリで
「なんとかなるさ」な風が吹きまくっています。

主人公たちは失業したり、恋人と別れたり、両親が離婚したりと
アンラッキーな目にあっているのですが、かなり淡々と暮らしています。
アメリカ人はおおらかなのかしら?
まあ、いつもいつも苦悩している人たちよりは付き合いやすいよね。

『大移動(Grounded)』
住み慣れたコネチカットを離れて、カリフォルニアの両親のところへ移り住むおばあちゃんを
車で連れて行くことになったので、恋人のアンを誘うことにします。
家の前でセールをやってゴミも出して、さあ出かけようという時になって
アンは「行けない」と言い出しました。

『フレディ、髪を切る(Fredie's Haircut)』
ピアスをあけてみたフレディですが母親以外誰も気がつきません。
会社でちょっと気になる同僚のダイアンが「髪が長いせいだ」と言って
切ってくれていたら所長に見つかってクビになりました。
髪を整えに入った美容院を出た時、フレディは泣かないようにこらえていました。

『その日のできごと(What Do People Do All Day?)』
ダイアンは夏の間マークとウィルのベビー・シットをしています。
ふたりの父テッドはテレビ局に入るため就職活動中、ウィルの母のヘレンはパート中。
テッドの別れた妻でマークの母アネットは、毎日ふたりが出かけると
庭のプールに泳ぎにやってきます。
ダイアンは1ヶ月前にテッドとの不倫を清算されてしまいましたが
週に1回だけは会ってやってもいいと言われました。

以上、別離と解雇と不倫がテーマになっているものを紹介しました。
どの話にも「なんでなんだよ!」と取り乱す人はおらずサッパリしてます。

ママやパパ、兄弟姉妹などファミリーはよく登場しますけど
会話がある割にはほのぼのムードが無く、むしろ孤独感さえ漂っています。
この本を読んで「両親は大切にしなきゃ」とか「家族ってありがたいな」という
教訓は得られません。
これらの家族を言い表すとしたら “ つかずはなれず ” がピッタリです。
アメリカ人的独立心の現れか? はたまた家族愛の欠如か?

それから、どの話にも結論らしきものがありません。
ただ「これからどうなるの?」と知りたくなるということもありません。
まぁ、人間の毎日なんてそんなもの… Let it be でございます。
そうやって生きて行く方が楽なのかもしれませんね。

読んでいる時はとても面白いエピソードに思えました。
でも特に心に残るという内容ではありませんでしたね。
そのかわり、世間の問題はいつも変わらぬものよだなぁ…と実感しました。

ママがプールを洗う日 筑摩書房


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こちらは単行本
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スペイン王カルロス1世妃 イサベル

2009-04-25 09:23:05 | スペイン王妃・王女
早すぎる死が悼まれた
カルロス1世妃 イサベル・デ・ポルトゥガル


1503~1539/在位 (スペイン王妃)1526~1539
          (神聖ローマ皇后)1530~1539

イサベルの母マリアは、フェルナンド2世とイサベル1世の娘ですから
カルロス1世とイサベルはいとこ同士になります。

       
1521年にイサベルの父ポルトガル王マヌエル1世が亡くなり兄ジョアン3世が即位すると
スペインとポルトガルはすぐさま縁談の交渉を始めました。
2国はカルロス1世とイサベル、ジョアン3世とカルロス1世の妹カタリーナの
ダブル結婚で合意しました。

スペインはフェルナンド2世とイサベル1世の結婚、グラナダの併合で生まれた大国ですが
あわよくばポルトガルも・・・なんていう気がなかったとは言わせません。
ポルトガルもそれだけは避けたかったでしょう、というわけで両国の間では
以前から多くの縁談が結ばれていました。

ところでカルロス1世は、父方の血を受けて神聖ローマ皇帝カール5世としても
即位したので、イサベルも皇后エリーザベトといわれる場合もあります。
ただ神聖ローマ帝国を訪れたことがあるのか・・・私には分かりません。

1526年、ふたりはセヴィリアで結婚しました。
イサベルの持参金はスペインに莫大な収入をもたらします。

もちろん、この結婚は政略結婚だったのですが、ふたりはまるで恋愛結婚のように
愛し合い、ものすごく睦まじかったそうですよ。
記録によると “ ハネムーンの間、まわりに誰がいようとふたりには関係なかった ” と
いうことで、まさに “ 世界はふたりのために “ 状態だったようです。

イサベルは大変魅力的な美しい女性であっただけでなく、才知にも恵まれた
申し分のない伴侶でした。
カルロス1世が不在の間は摂政にもついて大国を治めました。
なんだか・・・そんなに完璧な人っているかしら? と僻みたくなりますねぇ。

カール1世は1517年に共治王として即位するまでフランドルにいて
スペイン語があまり話せず、8年間は通訳を要したといいます。
また、真面目で思慮深かった反面寡黙で鈍重でとっつきにくい人物でした。
フランドルからつれてきた廷臣たちの大きな態度への反発もあって
1530年までは反乱などが頻発し気が休まる時がありません。
そんな状況の中では美しい王妃と一緒に過ごす時間が
至福のひと時だったのかもしれませんね。

1539年、イサベルは6人目の子供を生んだ直後に亡くなります。
彼女の早すぎる死はカルロス1世に大きな悲しみをもたらしました。
その後19年、カルロス1世は再婚せず、生涯黒い服で過ごしたそうです。
1556年には自ら退位して、粗末な庵へ隠居し孤独と静寂の中で余生を送り
1558年に痛風で亡くなりました。

(参考文献 岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』
      江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

物語 スペインの歴史 中央公論新社


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『ポールとヴィルジニー』エデンのふたり

2009-04-25 02:16:03 | フランスの作家
PAUL ET VIRGINIE 
1788年 ベルナルダン・ド・サン・ピエール

恋愛を語る場面で、かなりの頻度で引用されている『ポールとヴィルジニー』って
いったいどんななの? と思って読んでみました。
これは王道ですね 言わずもがなですが…

フランス島という植民地の片隅にある荒れ果てたふたつの小屋の前で
長い間島で暮らしている男性が哀しい思い出を語るところから物語が始まります。

隣り合うふたつの小屋には人目を忍ぶふたりの若い婦人が暮らしていました。
貴族に弄ばれて子を宿してしまったマルグリットと
駆落ち同然に国を捨ててきたのに夫に先立たれてしまった身重のラ・トゥール夫人です。

マルグリットにはポールという男の子が生まれ
ラ・トゥール夫人はヴィルジニーという女の子が生まれます。
母子たちと忠実な奴隷ドマングとマリーの6人は、美しい自然に囲まれた
楽園のような島で、慈しみ合いながら穏やかに暮らしていました。
ポールとヴィルジニーは小さな頃からお互いを愛するようになり
母親たちもいつかふたりが結ばれることを望んでいました。

お幸せそうでなによりですね。
でもこのまま終わってしまったら物語になりませんよね。

案の定ポールとヴィルジニーは離ればなれになってしまい、数年の月日が過ぎて
やっとふたりが再会できる日がやってきたというのにぃぃぃ…
という分かりやすい悲恋物語です。

エデンの園の外には恋人たちを惑わす様々なできごとが待ち受けているものですが
この物語ではあまりそういう場面はありません。
楽園を出たヴィルジニーの辛そうな様子が少し垣間見えますけれど
他の人々は彼女がいなくなってから明るさを失った地でひたすら彼女を待っています。

『ポールとヴィルジニー』では、恋人たちが愛を貫いて結ばれる寸前だっただけに
悲しみは一層募ります。

当時書籍を購入して読書の時間を持てるのはほとんどが裕福な人たちだったでしょうから
自分の叶えられなかった恋と重ねながら涙した女性も多かったのではないかしら?
「金のためにこんなじい様と結婚してしまって…」とか
「お父様にむりやりこの男と結婚させられて…」などと思いながら愛人を待つ…
って感じかな?

それ以外にも南の島という見知らぬ異国の地が舞台になっていたことも
当時の読者の心をくすぐったのではないかと思います。

このパターンの物語は遥か昔からあると思うのですが、時代にマッチした悲恋物語が
繰り返し繰り返し書かれるのもむべなるかな…と思います。
世の中は複雑になってきたけれど、愛し合う者たちの悲しい物語は、みんな好きだもの。
すぐ映画化されちゃうものねぇ… もういいっていうのに。

引き裂かれる要因としては、昔なら家柄が主流だったようですが今はなんでしょうね?
親の反対なんかたいしたことないし…やはり不治の病とかですか?

悲恋って若い人たちだけのものじゃないと思うんですが、主人公はやはり若者ばかりね。
それがちょっと気に入らない…ひがみですね。
あ~、そういえば『マディソン郡の橋』ってありましたね
読んだけど忘れてしまいました、つまんなくて。

ポールとヴィルジニー 新潮社


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スペイン女王 ファナ

2009-04-24 01:34:09 | スペイン王妃・王女
狂気を生む嫉妬深さ
スペイン(カスティーリャ)女王 ファナ・ラ・ローカ


1479~1555/在位 1504~1555

“ ラ・ローカ ” とは “ 狂女 ” という意味です。
彼女の精神錯乱は嫉妬のためだとされていますが
実は祖母イサベルにも精神疾患があって、その血を引いてしまったようです。
無理もない…ハタからみていても心配になるほど血族結婚が多いんだもの。

ファナとハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップとの縁談は
スペイン、ハプスブルク帝国ともにフランスと敵対していたからで
両側からはさんでしまおうという目論見からまとまりました。

同時にファナの兄ファンと、フィリップの妹マルグリートの結婚も決まります。
(マルグリートは、ルイ8世と婚約してフランスで育てられていたのに
 ブルターニュ公女アンヌと結婚するために国に帰されてしまった王女です)
      
ファナ17歳、フィリップ18歳で結婚しましたが、美男美女と評判で
屈指の大国の跡取であるふたりの前途は明るいものに思われていました。

ファナが危険な船旅を終えてフランドルに到着した時、フィリップが不在で
800kmもロバで移動したなどのつまずきはあったものの、初めて顔を合わせたふたりは
(少なくともファナは…)ひと目で相手に夢中になります。

数ヶ月間はラヴラヴ で睦まじく暮らしていたのですが
“ 美公 ” と言われるほどハンサムで、話術も得意、身のこなしも優雅という
モテモテのフィリップは浮気心がムクムクと湧いてきます。
フィリップにしてみれば貴公子の嗜み程度の感覚だったでしょうが
敬虔なクリスチャンであるイサベル1世に、宗教的に厳しく育てられたファナは
フィリップに身も心も捧げきっていて、浮気が許せませんでした。

嫉妬に誘発されたのか、この頃からファナの奇行が目立ち始めました。
フィリップと怪しいとにらんだ侍女を丸坊主にしたり、衣装箱に閉じ込めたり
遂にはハサミを脚に突き立てるという凶行に及んで、フィリップをうんざりさせます。
そうさなぁ…ちょっとしたヤキモチは可愛いけど、あまりにも嫉妬深いと
相手をひかせてしまうかもね…

1497年にたったひとりの王子だった兄ファンが、1498年に姉イサベルが相次いで
亡くなったため、後継者になったファナはスペインに帰国します。
この時一緒にやって来たフィリップは、スペインが気に入らなかったのか
手続きが終わるとさっさとフランドルに帰ってしまいます。
身ごもっていたファナはスペインに残されましたが、自分もフランドルへ帰ると言って
城門に体当たりしたり、城の庭で夜を過ごしたりしてイサベル1世を悲しませました。

1504年、イサベル1世が亡くなりファナが女王に即位すると、ゴリ押しでフィリップも
共治王フェリペ1世として即位しましたが、王のフランドル優遇の政治は評判が悪く
ファナの父フェルナンド2世は行く末を危惧していました。

しかしわずか2年後の1506年、フェリペ1世は水を飲んだ後急死しました。
ファナの狂気には拍車がかかり、夫の埋葬を拒んだばかりか防腐処理をした遺体が入った
柩を持って国中を彷徨うという哀れな姿を晒すことになります。

フェルナンド2世は、とうとう1508年にファナをトルデリシャスの城に幽閉しました。
ファナは侍女が毒で殺そうとしていると思い込んで食事も飲み物も拒み
眠ることも着替えることも嫌がったそうです。
窓のない城の部屋でひたすら座り込んでいる毎日でした。

ファナは名ばかりの女王で、1516年まではフェルナンド2世が摂政として、
1516年からは息子カルロス1世が共治王として国を治めましたが
退位だけは受け入れなかったそうです。
ファナのからだの中には、神経を蝕むことになった一族の血とともに
王の娘であるという誇り高い血が流れていたのですね。

ファナの精神状態は悪化の一途をたどり幽閉が解かれることはありませんでしたが
45年以上生きながらえ、75歳で女王のままこの世を去りました。

        
                 彷徨うファナです
                    まわりの方々もお疲れの様子…


(参考文献 ホセ・ルイス・オライソラ『女王ファナ』
      三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』 桐生操氏『世界悪女大全』
      Wikipedia英語版)

女王フアナ 角川書店



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『三幕の殺人』グラスの毒を飲ませるには?

2009-04-23 01:26:58 | アガサ・クリスティ
THREE ACT TRAGEDY 
1935年 アガサ・クリスティ

人はその死に方でいらぬ勘ぐりを受けたり
知られたくなかった真実が暴かれてしまうことがあるのかもしれません。
例えば長く患っていた病気でなくなったり、不幸な事故で亡くなれば
悲しみの中葬らるだけで済むのでしょうが
殺害されたとなると何か理由を見いだしたくなってしまうのが世間というものです。

事件は元俳優カートライトの住まい “ 鳥の巣 ” で起きました。
晩餐会前のドリンクタイムにバビントン牧師が急死したのです。毒殺でした。
パーティーにはカートライトの友人や近在の人々などが集まっていましたが
寛容で慈悲深い好人物の牧師に恨みを持っているような人物は見当たりません。
けれども殺害されたことで、牧師の過去が調べられていきます。

事件が解明しないまま数ヶ月が過ぎた頃
パーティーにも来ていた医師のストレンジが自宅の晩餐会で死亡しました。
使われた毒は “ 鳥の巣 ” の時と同じニコチン
顔ぶれもポアロとサタースウェイト、カートライトを除いて同じ顔ぶれでした。
この人たちがまた…揃いも揃って怪しいんですよ

牧師は間違って殺されたのでしょうか?
それともストレンジが何かに気付いていたのでしょうか?
ポアロもカートライトも頭を捻ります。

ところがまたまた別の展開が…
数日後ストレンジの治療施設に入院していたド・ラッシュブリッジャー夫人が
届けられたチョコレートを食べて死亡します。またニコチンです。
ド・ラッシュブリッジャー夫人とは何者?
犯人は誰を殺したかったのでしょう? ひとり? ふたり? 全員?

事件の後、ストレンジ邸の執事ジョン・エリスが姿を消して容疑者にされます。
後は行方不明の彼を見つけるだけです。
けれどもポアロはあることに気がつきました。
すると事件は単純明快なものになってきました。

ポイントはねぇ…「一度手をつけたことは最後までやり通せ」ということでしょうか。
途中で投げ出すと何もかもぶち壊しです。

物語の最後でポアロは激怒しますが、犯罪の手口を考えれば当然のことでしょうね。

謎が謎をよぶ展開にハラハラドキドキ
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

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『ユダヤ人のブナの木』週刊◯◯という感じ

2009-04-23 01:01:51 | ドイツの作家
DIE JUDENBUCHE 
1842年 アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ

実際にあった殺人事件がベースになっているらしいのですが
女性が書いたとは思えないほど堅苦しく、情緒もへったくれもありませんでした。

情景の描写に使われている修飾語がかろうじて小説っぽさを醸し出していますが
まるで記者の思い入れが強いルポルタージュみたいになっちゃってます。

もう少し容疑者となった少年フリードリヒの年老いた母親の嘆きが
クローズアップされていたり、フリードリヒを密かに慕う少女などがいたりしたら
小説らしくなったのでは? と思うのですけど、出来事を時系列に並べているだけ…

ある村で盗伐が相次いでいたのですが、見回りをしていた山林官が殺害されます。
その時一瞬疑われたのが、すこぶる評判の悪い男の息子フリードリヒ少年でした。
結局罪は晴れますが、実は彼は盗伐団のために見張りをしていたのでした。

数年後、今度は古売商をしていたユダヤ人アーロンがブナの木の下で殺されました。
その前日、フリードリヒは皆の前でアーロンに借金の取り立てをされて
大恥をかいていたので、真っ先に彼が疑われました。
領主のS男爵はフリードリヒの家に向かいますが、彼は逃げた後でした。

事件が迷宮入りになってしまった頃、ユダヤ人たちがブナの木の一帯を買い取り
アーロンが殺されていた木に碑文を彫りつけます。
それからその木は “ ユダヤ人のブナの木 ” と呼ばれるようになったのです。

さてさてフリードリヒですが、その後どうなったのでしょう?
実はアーロン殺しの真犯人は見つかったのですが、フリードリヒは帰って来ません。
そもそも何故フリードリヒは逃げ出したのでしょう? 村人は不思議がります。

28年後、フリードリヒと一緒に逃げた私生児ヨハネスがひょっこり戻って来ます。
トルコの奴隷となって苦労し、老人のようになっていました。
彼の帰還で謎が明らかになるかと思いきや…

この28年間の出来事も、ヨハネスの口から数行語られるだけでして
フリードリヒやヨハネスが何を考えているかも分からない…
しかも! 真犯人が逮捕されたことが分かる場面もあっけないんですよ。
ミステリーでもなく冒険小説でもなく、ましてや恋愛もない。
小説と呼ぶにはあまりにもイマジネーションが欠如していると思います。

作者はグリム兄弟と親交があったということですが、童話とまではいかなくても
もうちょっと想像力を駆使して脚色をしてもよかったのではないかしら?
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『家族の記録』“変哲もない”家族の記録

2009-04-22 01:26:18 | ロシアの作家
СЕМЕЙНАЯ ХРОНИКА 
1852年 セルゲイ・チモフェーヴィッチ・アクサーコフ

名前は変えていますが、作者の祖父、父、その家族のことを綴っている物語です。
最初はどうなることかと思いましたよ・・・つまんなくて。

第1章には祖父ステパンが新しい土地を探して移り住み
パグロヴォという立派な村ができるまでが描かれています。
特筆するところはありませんが、ステパンの暴君ぶりはよく分かります。

第2章はステパンがこよなく愛する従妹プラスコーヴィヤの結婚の物語。
美男子で人気者のクロレソフは、結婚後立派な夫ぶりを発揮していましたが
次第に本性を表して、忌まわしい人物に変貌します。
事実を知ったプラスコーヴィヤは別離を決意し、ステパンは彼女を救います。

第3章から第5章は、作者の両親にあたるアレクセイとソフィヤのなれそめから
作者が生まれるまでの物語なのですが、これはもう『渡る世間は鬼ばかり』ばりの
嫁 VS 小姑 and 姑の争いの連続です。

なにしろアレクセイには姉妹が4人いまして、三女と四女がすごい意地悪なの!
母親と五女はそのふたりに逆らえず、一緒になってソフィアによそよそしくします。
しかも善良なアレクセイはまったく気付かず、頼りにもなりません。
(長女は亡くなってまして、次女はお人好しでソフィアが大好きなのです)

けれども暴君であるステパンが、美しく才気あふれるソフィアを気にいったことから
ソフィアもその特権を行使しようと、舅のご機嫌取りに余念がありません。
ますます気に入られ、逆にそれが小姑の嫉妬を招くという “ 負のスパイラル ”
この先うまくやっていけるのでしょうか?

作者はソフィアの息子ですから、やはり肩入れしがちになっております。
確かに小姑ふたりはヒドいし、嫁に行ってるんだから自分の家の心配をしなよ、と
言いたいところです。
でもソフィアもちょっと高慢じゃないかしら?
姉たちをはじめ田舎の生活を見下しているみたいだし
すぐ激怒してアレクセイを叱りとばすのはどうかと思うよ。

ステパンとアレクセイ、二代に渡る物語で、プチ・ルーゴン・マッカールみたいですが
ルーゴン・マッカールみたいなドラマティックな展開はありません。
(かろうじて第2章が物語になりやすい要素を含んでいますかねぇ)

けれども、あまりにも普通の家族のことを本にしようと思い立った、その無謀さに乾杯!
しかもそんな物語がそこそこ面白いというのは驚きでした。
時代が違うことと、ロシアという独特の土地柄がそう思わせてくれたのでしょうか?

家族の記録 岩波書店


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