まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ボヘミア公ソビェスラフ2世妃 エリシュカ

2018-01-13 21:06:08 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
どうも前妃とくらべちゃってねぇ・・・
ソビェスラフ2世妃 エリシュカ・ポルスカー


1152?〜1209/在位 1173〜1178

1173年に、一度ベジドフを敗ってボヘミア王になったソビェスラフ2世の妃は
ポーランド公ミェシュコ3世とエルジェビエタの公女エリシュカです。

実はエリシュカは、生年がはっきりしていないばかりか
本当に王女だったのかどうかも定かではないんです。

だけど名前が一緒だからエルジェビエタの娘だと信じられているらしい…
今ツっこみましたよね? 名前みんなおんなじじゃん!! と

1173年に結婚しました。
     
1178年、ベジドフがプラハを包囲した時、エリシュカは城にいて逮捕されました。
けれどもすぐ解放されました。

ソビェスラフは1179年に再度蜂起するんだけれども、ベジドフに完敗します。
夫婦はポーランドではなく、ハンガリーに亡命しました。

1180年にソビェスラフ2世が亡くなるのですが、ポーランドへは帰らず
すぐにラウジッツ辺境伯コンラト2世と再婚しました。
あやしーね… なにかを勘ぐりたくなってしまうわたし…

その後の記録はないのですが、1209年に夫コンラト2世が、エリシュカの義兄
ポーランド大公ヴワディスワフ3世をレブスの戦いで敗っていまして
これは、エリシュカの死に捧げれたものだと言われています。

夫コンラト2世は1210年に死去しました。
エリシュカはドーベルルーク修道院、夫はヴェクセルブルク小修道院に埋葬されています。
なぜかしら? 一緒じゃないんだね。


               
                Jarmily Haldovéさん作
なにもわからない若妻
コンラト2世妃 ヘリチャ・ズ・ヴィッテルスバハ


1160〜1198/在位 1189〜1191

コンラト2世は、ヴラジスラフ2世が一生懸命つながりを求めた
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の引き立てで、まずは初代モラヴィア辺境伯に叙されます。

そして1189年に、フリードリヒ1世と地方貴族たちの後押しでベジドフを敗って
ボヘミア公になりました。

コンラト2世の妃は、プファルツ伯オットー7世の娘ヘリチャです。
           
1176年、16歳ぐらいで、25歳ぐらい年上のコンラトと結婚しました。

コンラトはナポリ包囲中の1191年に亡くなるんですが
その後ヘリチャがどうしていたのかわかりません。
30歳前後なので、再婚しようと思えばじゅうぶんできる年なんですけどね。

子供がいないと記録もないとは… 王妃の人生って寂しいものですね。
1198年に亡くなっています。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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ボヘミア公ベジドフ妃 アルジェビタ

2018-01-03 09:53:57 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
戦場で旗を振る王妃
ベジドフ妃 アルジェビタ・ウェルスカー


1145〜1189/在位 1172〜1173 1178〜1189

あけましておめでとうございます
今年1年が皆様にとって夢と希望と妄想にあふれた1年でありますように…

ボヘミアの継承問題は混沌を増していきますよぉ
退位・復位の繰り返しで、順番がよくわかんないよーーー!!

とりあえず、父王ヴラジスラフ2世から指名されてボヘミア公になったベジドフ。

ベジドフの妃は、ハンガリー王ゲーザ2世とエウフロジーナの王女アルジェビタです。
1157年か、1159年に結婚しました。

アルジェビタは2回、ベドジフの不在中摂政を務めました。
一度はソビェスラフ(後の2世)からプラハを守ることに成功しています。
ソビェスラフとの関係はこんな感じ
          
この争いの最中、アルジェビタは戦場に現れたらしいよ! それも旗持って!!
白旗じゃないですよ、旗を振って戦士たちを鼓舞したんですよ。
君主の妃みずから… 士気があがりますよね。

1184年には、同じような状況でコンラト(2世)に勝利しました。

コンラトとのつながりはこんな感じ
            
しかし、1189年にはコンラトに降伏しました。
その時に捕らえられて亡くなったのか、その後亡くなったのかはわかりませんが
1189年に45歳ぐらいで亡くなっています。 処刑じゃなければよいのだが…

いくら旗を振って励ましても、こんなに攻めてくるんじゃね… しかも親戚ばっかり。
戦わされる兵士たちもいい迷惑ですよね! 親族会議で決めてほしいよ。

お子様は一男六女ですが、男の子はたぶん成人していません。
成人していたら、今後の一族の争いに加わっていたかもしれないですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
去年の12月18日にとても悲しい事があって、仕事にはなんとか行って、考えると泣けてくるので仕事に集中して
でもやはり夜になると泣けてきて… という感じで、なにも手につかない年末を送りました
まだ辛くて歌声は聞けないし、映像も見られません
でも新しい年がやってきたし、現実をうけとめていかなくてはね…

ジョンヒョン、6年間、辛い時や悲しい時、支えになってくれてありがとうございました
あなたがくれた歓びは忘れません  ご冥福をお祈りします


ひとこと年越しコーナー

で、本当は行こうかどうしようか迷ったんだけど。せっかく当たったし、旦那さんも楽しみにしてたし…というわけで
今年も東急ジルベスターコンサートで年越ししてきました
『展覧会の絵』のカウントダウンはピタッとキマって気持ちがよかったです 少し前むきになれました


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ボヘミア王ヴラジスラフ2世妃 ユディタ

2017-12-14 10:00:52 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
歴史的な橋に名を残した王妃
ヴラジスラフ2世妃 ユディタ・ドゥリンスカー


1135〜没年不詳/在位 1158〜1172

ブラジスラフ2世が、前妃ゲルトルーダの死から3年後に再婚したのは
チューリンゲン方伯ルートヴィヒ1世の娘ユディタです。
ユディタは、ブラジスラフより15〜20歳ぐらい年下で18歳ぐらいでした。

歴史家によれば、ものすごく美しく、知的で品格があり、ラテン語も話せて
政治的な知識も持ち合せていたようです。

結婚の最大の理由は、ユディタの兄チューリンゲン方伯ルートヴィヒ2世の奥さまが
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世・バルバロッサの義理の妹にあたるということ。
どんなに “ 親戚の親戚 ” 的に薄い繋がりでも、もっておきたかっのでしょうね。
       
結婚後、2年ぐらいして男の子が誕生しました。
この時ユディタは、二十歳さこそことは思えない世渡り上手ぶりを発揮します。

中世では、母親が子供の名前をつけるのが一般的だったそうなのですが、ユディタは息子に
一族の伝説的な創始者である、プシェミスルという名をつけようと考えました。
(オタカル1世の正式名称は、プシェミスル・オタカル です)
貴族たちや国民たちの♥をつかみそうなアイデアですね!

やはり神聖ローマ皇帝を手に入れる一家の出、女性も帝王学を学ぶのかもしれません。
ブラジスラフの不在中は、君主の代理を務めるほどの手腕だったようです。

そんなユディタなのですが、1158年にブラジスラフが王になった後も
王妃として戴冠したという記録がないんだって!

ブラジスラフ2世の治世中、ヴルタヴァ川の橋の建設が始まりました。
これは中世初の石造りの橋で、ユディタ橋と呼ばれていました。
この橋は1342年に洪水で流され、1357年に神聖ローマ皇帝カール4世が再建
現在はカレル橋として有名です。

夫を支えてきたユディタですが、継承争いでは意見がわかれました。
ユディタはオタカルを強く推しましたが
ブラジスラフは前妻ゲルトルーダとの息子ベジドフを指名しました。
ま、長男ですからしかたないか…

1172年、ヴラジスラフ2世が退位すると、一緒にチューリンゲンへ亡命しました。
ユディタには里帰りになりますね。

2年後、ヴラジスラフはドイツ・ザクセン州のメラーネで亡くなります。
残念なことに、ユディタがいつ、どこで亡くなったのかは知られていませんが
息子オタカルの治世まで生き延び、1210年に75歳で亡くなったという説があります。

1160年頃にユディタがチェコのテプリツェに設立した
ベネディクト派の修道院に埋葬されているのが、後に見つかっています。

ヴラジスラフ2世の王子たちは、どちらもハンガリーの王女たちと結婚してますね。
ハンガリー、よっぽど味方にしときたかったんだろうか?
     
橋の名前にまでなった王妃の没年がわからないとは… 亡命した王一族の悲哀が感じられます。
せめて墓所だけでもわかってよかったですね。
でもヴラジスラフ2世の墓所はプラハのストラホフ修道院で、二人は別々なの。
こちらはヴラジスラフ2世が設立したものです。

(参考文献 沼野充義氏『中欧』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

行って来ましたよ! 東京ドームの
BIGBANG JAPAN DOME TOUR 2017 LAST DANCE
 
ファンミからの    ステージ
1日BIGBANGを楽しんで来ました。 席はアリーナの真ん中後方付近で、サブステが真上を通るとこ! 
4人を近くで見られたよ〜!! スタンドのはしからはしまで一杯の東京ドーム中が大興奮でした
でも最後は号泣… 京セラにもハワイのテソンのイベントにも行けないわたしは、本当に見納めになっちゃうの…?
去り際の「また会えるよ」という言葉がグッときました


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ボヘミア王ヴラジスラフ2世妃 ゲルトルーダ

2017-11-30 21:27:52 | ボヘミア王妃
夫に福をもたらした若妻
ヴラジスラフ2世妃 ゲルトルーダ・バーベンベルスカー


1118〜1150/在位 (公妃)1140〜1150 (王妃)せず

ご無沙汰しておりました。
家庭の事情で今月はなかなかアップできず、マルッと空いてしまいました。
ボヘミア王妃編の続きからいってみます。

お父様ヴラジスラフ1世に、後継者に指名されなかったヴラジスラフは
ボヘミア公になり、後にボヘミア王になりました。

最初の妃はオーストリア辺境伯レオポルト3世の娘ゲルトルーダです。
母はローマ皇帝ハインリヒ4世皇女アグネスで、ドイツ王コンラート3世とは義理の兄妹です。
この結婚は、ブラジスラフにとって願ったり叶ったりでした。
        
プラハ城がブルノ公コンラト2世に包囲されている時、ゲルトルーダは
義理の弟デオポルドの援護で城を守り抜きました。
その時、ブラジスラフはコンラート3世に助けを求めようとしていたらしい。

義理の弟が善い人でよかったよ。

ブラジスラフ2世は、ボヘミアなりのキリスト教を確立しようと模索中でした。
ゲルトルーダは夫を励まし、助けました。
その結果、ブラジスラフは海外から宗教を取り入れ、目指すものを作り上げたそうです。
キリスト教には詳しくないんですが、ロシア正教とかギリシャ正教とかありますよね?
それのチェコ版ということでしょうか?
           
夫を支えたゲルトルーダは、30歳ぐらいで亡くなりました。
王妃にはなっていません。

               
             Jarmily Haldovéさん作ゲルトルーダ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことお相撲コーナー
お相撲にはまったく詳しくなく興味も無いんだが、私がブログを始めた同じ頃に、日馬富士もブログを始めてて
いったいお相撲さんて何を書くんでしょう?と思ってフォローしてた事がありました。 なので、ちょっと悲しいです


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ボヘミア公ヴラジスラフ1世妃 リチェンツァ

2017-10-31 20:46:01 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
失意の未亡人
ヴラジスラフ1世妃 リチェンツァ・ゼ・ベルグ


1095〜1125/在位 1111〜1117、1120〜1125

二人の兄、従兄弟に続いてボヘミア公になったヴラジスラフ1世の妃は
ベルグ伯ハインリヒ1世の娘リチェンツァです。

1111年に結婚しました。
姉妹のソフィアはブルノ伯オト2世と結婚しています。
妹のサロメはポーランド公ボレスワフ3世と結婚しました。
         
1125年、瀕死のヴラジスラフ1世は、後継者にブルノ伯を指名しました。
これはリチェンツァの希望でした。

しかし、ここで姑スヴァタヴァが介入してきます。
ヴラジスラフ1世は気を変えて、弟のソヴィェスラフを指名しました。

この時ヴラジスラフ1世とリチェンツァには、男の子が二人いたのよね。
なぜに息子を指名しなかったんでしょう?

夫の死後、失意のリチェンツァは、ツヴィーファルテン修道院に隠遁したいと申しでました。
願いは聞き入れられたのですが、修道院に向かっている途中、亡くなってしまいました。
どう思う? 私はけっこう勘ぐってるんだけどね…



                
                Jarmily Haldovéさん作
家系図のみで・・・
ソビェスラフ1世妃 アデレータ・アルパードヴスカ


1105 or 1107〜1140/在位 1125〜1140

兄ヴラジスラフ1世のご指名でボヘミア公になったソヴィェスラフ1世の妃は
ハンガリー王ゲーザ1世の孫アデレータです。
         
なにも書くことはないのだが、家系図は面白いのでのせときます。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

27日にテソンに会いに、パシフィコ横浜の
D-LITE DなSHOW に行ってきました
あれは… コンサートなのだろうか? ファンミ? ディナーショーって行ったことがないんだけどあんな感じ?
テソンは歌だけでなくておしゃべりも上手なので、すごーく楽しかったですけどね 
席メチャクチャ近くて妄想ふくらんだし…
そしてやはり、来年からBIGBANGが長いブランクに入るというはなしがありました
寂しいけど、2年のガマンだもんね!! BIGBANGの選択は良かったと思います 
 金のDくんがまぶしかったっす


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ボヘミア公コンラト1世妃 ウィルピルカ

2017-10-17 21:39:15 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
なりふりかまってられません
コンラト1世妃 ウィルピルカ・ズ・テングリング


生没年不詳/在位 1092 

兄のヴラチスラフ2世が亡くなってボヘミア公の座についたコンラト1世の妃は
Sieghard z Tenglingu という方の娘さんです。
     
なんでもヴラチスラフ2世王子ブジェチスラフが反乱をおこした時
ウィルピルカは独断でヴラチスラフを訪ねて、夫コンラトと息子に領地をくださいな!
とお願いしたらしい…

この勇気ある行動に感動したのか、ヴラチスラフ2世はOKしたのですが
なんと! コンラトはたった8ヶ月で亡くなってしまいました。
ウィルピルカのその後のことはわかりません。

その後はヴラチスラフ2世の王子ブジェチスラフ2世が後を継ぎました。
妃はルカルタ・ズ・ボゲヌ(1075〜?)ですけど、チェコ語が読めず…
               
              Jarmily Haldovéさん作ルカルタ



              
退位のときがお別れの時
ボジヴォイ2世妃 ヘルビルガ・バーベンベルスカー


?〜1142/在位 1100〜1107/1117〜1120

ブジェチスラフ2世の次は弟ボジヴォイ2世が継承しました。
妃はオーストリア辺境伯レオポルト2世の娘ヘルビルガです。
         
1100年に結婚しました。
1120年、ボジヴォイがハンガリーに追放されると、ヘルビルガは兄がいる
オーストリアに帰っちゃいます。
そして、ゲットヴェグ修道院に入り、そこで1142年に亡くなりました。

ちなみに、ヘルビルガのドイツ名はゲルトルードというらしいです。
この後、ゲルトルーダ・バーベンベルスカーという王妃が登場します。
なぜチェコでの呼び名が違うんでしょうね?

              
             Jarmily Haldovéさん作ヘルビルガ

その後は、ボジヴォイたちの従兄弟にあたるスヴァトプルク(1107〜1109)が
ボヘミア公になります。妃はいましたが、詳細不明です。
                  
            この方らしいですJarmily Haldovéさん作

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
パワフル&セクシーなテミン炸裂中ですね!
ソロコンもどんどんこなし、エンターティナーとしての完成度を高めていっているみたい… 頼もしいかぎりです
普段のテミンとのギャップ萌えがたまりませんわ


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ボヘミア公スピチフニェフ2世妃 イーダ

2017-10-10 20:50:22 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
実家でも嫁ぎ先でも…気が休まりませんね
スピチフニェフ2世妃 イーダ・ヴェッティンスカー


1031〜不詳/在位 1055〜1061

ブジェチスラフ1世の後を継いだスピチフニェフ2世の妃は
下ラウジッツ辺境伯ディートリヒ2世の娘イーダです。
        
イーダの父親は、母マティルダの兄マイセン辺境伯エッケハルト2世に殺されました。
たぶんイーダが幼い頃ではないかと思われます。

スピチフニェフ2世が1061年に亡くなると、すぐに子供二人とともに追放されました。
どこにかはわからないんだけど、たぶん実家に帰ったんじゃないかなぁ?


               
                Jarmily Haldovéさん作
完全に政略結婚でした
ヴラチスラフ2世妃 アデレージャ・ウヘルスカー


1040〜1062/在位 (公妃)1061〜1062

兄スピチフニェフ2世を継いだヴラチスラフは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世のおかげで
初代ボヘミア王ですが、一代限りで世襲はしませんでした。

結婚は3回していて、ひとり目のマリアというお妃はさっぱりわかりません。
二人目の妃が、ハンガリー王アンドラーシュ1世とアナシュタシアの王女アデレージャです。
この結婚により、ハンガリーとの同盟を結ぶことができました。
         


               
後継ぎがいても苦労は絶えず
ヴラチスラフ2世妃 スヴァタヴァ・ポルスカー


1046〜1126/在位 (公妃)1062〜1085 (王妃)1085〜1092

ヴラチスラフ2世の三人目の妃は。ポーランド公カジミェシュ1世と
マリアの娘スヴァタヴァです。
        
だんだん “ 中欧三つどもえ状態 ” が激しくなってまいりましたね。

ヴラチスラフ2世は、スヴァタヴァの兄ポーランド王ボレスワフ2世との
友好な関係を表していましたが、国境線ではもめてました。

1092年にヴラチスラフ2世が亡くなった時、成長していた王子は3人…もめそう…
後に三人ともボヘミア公になってますけどね。

スヴァタヴァは、下の二人の不和をやわらげようと苦労したみたいです。
この当時の王家の皆さん、家族(兄弟)力を合わせて!!っていう概念がなさそう。
親からでも兄弟からでも権力を奪おう! という発想はどこからでてくるんだろう?
母親も大変ですよね、ただの兄弟ゲンカじゃないんだもの。  

末子ソビェスラフがボヘミア公になったのを見届け、1126年に亡くなりました。

                
              Jarmily Haldovéさん作スヴァタヴァ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
少女時代が5人に… あぁスヨン… INFINITEは6人になっちゃったし、BEASTはHIGHLIGHTになっちゃったし
それ以外にもいろいろと気が休まらないKポ界
そう考えるとSHINHWA(神話)ってすごいわ! このままずーーーっとSHINHWAでいてほしい


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ボヘミア公オルドジフ妃 ボジェナ

2017-09-28 21:10:56 | ボヘミア王妃
ドラマのような玉の輿
オルドジフ妃 ボジェナ


生年不詳〜1052/在位せず

異母兄ボレスラフ3世からプラハを取り戻したヤロミール&オルドジフ・ブラザーズ。
しかし、共通の敵がいなくなると、自分が優位に立ちたくなるものなのかな?
ヤロミールは1004〜1012年と1033〜34年、オルドジフは1012〜1033年と1034年
2回づつ即位しています。

で、ヤロミールは最後はオルドジフに投獄されて亡くなります。
結婚していたかどうかは不明なのですが、去勢されたって… ヤロミールに?
       
さて、オルドジフですが、最初は貴族の女性と結婚していたそうです。
しかし子供ができないので、愛妾だったボジェナと再婚しました。

ボジェナの素性はさっぱりわかりませんが、伝説によると
オルドジフがペルツへ狩りに出かけた時、美しい娘を見かけ天にも上る気分になったと…

ラブ・ハンターになったオルドジフは「動物なんか狩ってる場合じゃない!」と
さっさと切り上げ、彼女をプラハに連れ帰ったということです。
拉致ってるし… 親御さんは悲しんだことでしょう。
それとも自分からホイホイついて行ったのかしら?

“ 村で出会った ” ということで、ボジェナは身分が低かったと見られています。
オルドジフとボジェナは貴賤結婚ということになっていますが
ブジェチスラフという息子を生んだことで、プシェミスル家の救世主と呼ばれました。

有名な話しなんでしょうね? たくさん絵が残っているみたいです。
いかがでしょう? イヤがってるんでしょうか? 誘ってるんでしょうか?

   


              
           野性味溢れるJarmily Haldovéさん作ボジェナ

オルドジフの後は、息子のブジェチスラフ1世が即位しました。
ボジェナを母に持つブジェチスラフは、母親の身分の低さからずっと庶子扱いされていて
身分の高い女性との結婚の必要性にかられていました。
そんなわけで、バーベンベルク家のジェトカを拉致っちゃう、という行動にでます。
すぐ連れ去っちゃうのは親ゆずり?
              
             Jarmily Haldovéさん作ジェトカ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
京セラドームも終わって、今年はこれで終わってしまうのかしら… と、虚無感とともにすぎていく毎日ですが
テミンが言ってくれた「今度はみんなで…」を心の支えに生きていきます


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ボヘミア公ボレスラフ2世妃 エンマ

2017-09-23 21:43:48 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

王妃? 公妃? 掘り間違えちゃった?
ボレスラフ2世妃 エンマ


950〜1006/在位 989〜999

家系図、アディヴァの使い回しですみません…
          
素性ははっきりしていませんが、生没年は(不正確ながら)入ってますよ〜
ブルゴーニュ公家の公女らしいです。
西フランク王ロタール1世の未亡人と同一人物だという説もあるそうです。
そうだとするとイタリア(南フランク)王ロタリオ2世王女ということになります。

999年にボレスラフ2世が死去して、前妃アディヴァの息子ボレスラフ3世が
ボヘミア公になりました。
すると、怖れをなしたエンマは子供たちを連れてバイエルンの宮廷に逃げ込みました。
さては結婚する時に、アディヴァにひどい仕打ちでもしましたかね?

ちなみに、ボレスラフ3世は “ ボヘミア君主の中で最低 ” と言われてるらしい…

1001年にエンマの息子たち、ヤロミールとオルドジフが
神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の援護をうけてボヘミアに戦いを挑みました。
これは神聖ローマ帝国支配からの、ボヘミア支配を決定的なものにします。

1004年にヤロミールはプラハを占領し、君主だと宣誓しました。
エンマはボヘミアに戻ってムニェルニークで過ごしたとされています。

エンマの存在を裏付けているのは、ビアゴタ同様コインに刻まれていたということで
コインには “ 公妃 ” ではなく “ 王妃 ” と彫られています。
ボヘミアで初めて王になるのはブラチスラフ2世(1085〜1092)なんだけどな…

ボレスラフ3世(999〜1002/1003)は、未婚じゃないようなんですが相手がわかりません。
ヤロミールとオルドジフがプラハ奪取のために戦っている間に
一瞬王になったブラジヴォイ(1002〜1003)は既婚だか未婚だか不明です。
ブラジヴォイは、ボレスラフ1世とビアゴタの娘ドゥブワヴカ
初代ポーランド公ミェシュコ1世の息子です。

国内にいる親戚縁者だけでも「俺がなる!」と大騒ぎなのに、嫁ぎ先まで絡んでくるとは…

その後は、ブラジヴォイの兄弟にあたるボレスラフ4世が一瞬ボヘミア公になりました。
ボレスラフ4世は、ポーランド王ボレスワフ1世で、ハウニルダ、ユディタ
エムニルダ、オダと、4回結婚しております。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことニュースコーナー
ユアタイムが終わっちゃう〜  報道ステーション → ニュース23 → 半からユアタイム というのが
家の夜の過ごし方だったのに… 10月からももニュース番組?  どなたがMCかしら?


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ボヘミア公ボレスラフ1世妃 ビアゴタ

2017-09-11 22:51:46 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

かなりふんわり・・・なアウトライン
ボレスラフ1世妃 ビアゴタ


生没年不明/在位 935〜972

聖ヴィート大聖堂を建て、チェコの聖人として奉られているヴァーツラフ1世は
未婚なのか、お妃の記述が見あたらん…
でも愛妾というか、内縁の妻はいたらしいです。 聖人で内縁…
どうも中世の敬虔さってよくわかりません。
                
             この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

で、そのヴァーツラフを暗殺し君主になったボレスラフ1世なのですが
そのお妃のビアゴタも “ たぶん ” 妻だった…ということです。
何枚かビアゴタが刻まれたコインがあって、妻だろう、と信じられています。

ただ確証がなく、成人した四人のお子様の母親かどうかもはっきりしていません。
出生も生い立ちもわかりませんが、ビアゴタというのはブルガリア系の古い名前だそうです。
           

                    
さらにふんわり・・・な存在
ボレスラフ2世妃 アディヴァ


生没年不明/在位せず

ボレスラフ1世の公子で、ボヘミア公になったボレスラフ2世は
2回結婚したことになっているのですが、ひとり目のお妃さまのアディヴァは
ビアゴダを上回る “ いたのかな? ” 感が漂っています。

ただ、後にボヘミア公になる、ボレスラフ(3世)のお母さまとされています。
若くして亡くなったのか、正式に結婚していなかったけど、息子の即位によって
結婚してた…ということになったのかもしれないですね。
Jarmily Haldovéさんのお人形の中にもいないのよ… 謎が深まりますね。

アングロ-サクソン王エドワード・ザ・エルダーと二人目のお妃エルフレッドの
子孫にあたると言われていますが、それはアディヴァという名前が
アングロ-サクソン系だという一点にかかってます。
          
イングランドの貨幣鋳造の影響をボヘミアが受けていた、というのも
存在したという理由のひとつになっているそうです。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
だんなさんが、『ごめん、愛してる』とともに、なぜか『ウチの夫は仕事ができない』にハマっちゃって
欠かさず見ているのだが、必ず文句言うんだよね。 そんなにイヤなら見なければ良いと思うのですけど…


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ボヘミア公ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ

2017-09-03 11:10:10 | ボヘミア王妃
でたよ!鬼嫁
ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ


877 o r880〜934 or 936/在位 915〜921

ボジヴァイ1世の後を継いだのは、息子のスピチフニェフ1世でした。
しかし2年で亡くなってしまいます。
妃の名前がわからないんですけど、少なくとも息子が二人います。

               
            この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

その後を継いだのは、スピチフニェフ1世息子ではなく、弟のブラチスラフ1世でした。
妃は、ドイツ方面のHevelliというところのプリンスの王女ドラホミーラでした。
当時としては晩婚なのか、20代半ばでブラチスラフ1世と結婚しました。
         
二男四女のお子様が成人しました。

921年に夫ブラチスラフが亡くなり、息子のヴァーツラフが継承するのですが
ドラホミーラは、義母ルドミラに政治から外されてしまいます。
ルドミラは、ドラホミーラの息子二人に敬虔な教育を施していて
息子二人もルドミラを敬っていました。

特に兄のヴァーツラフは、多大な影響を受けていました。
ドラホミーラは「姑が長男を修道僧みたいに育てちまって!!」と怒り心頭です。
そして、それほど影響を受けていない次男のボレスラフに愛情を注ぎました。

            
               憎々しげに姑と息子を見る…の図

そして、ヴァーツラフ1世が即位した後、テティーンに隠遁したルドミラを
なんと!家臣に殺害させてしまいます。 引退したんだから、もういいじゃないの〜
ヴァーツラフはドラホミーラを追放しましたが、925年に呼び戻されました。

その後はプラハでおとなしくしていたんでしょうか?
934年死去説と、936年死去説があります。

935年にヴァーツラフが暗殺されるんですが、これは弟のボレスラフの画策らいいのよね。

934年死去だと、息子たちの争いを見ずにすんでたってことですね。
936年だと、弟が兄を殺したことへの心労がたたったということでしょうか?
でも、ドラホミーラは本当に何もからんでいなかったのかなぁ… と疑ったりもして…

                
               Jarmily Haldovéさん作ドラホーミラ

ドラホミーラは、オペラの題材にもなっているそうです。
姑殺しの悪女、息子を奪われた悲劇の母、どちらで描かれているのか気になりますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

SHINee WORLD 2017 -FIVE- Special Edition 東京ドーム に行ってきました



やっぱり泣けてきた… だけど、オニュの分まで頑張ってくれているジョンヒョン・キー・ミノ・テミンに
感謝の気持ちでいっぱいです。 今日も精一杯応援して、一緒に楽しんできます


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ボヘミア公ボジヴォイ1世妃 聖ルドミラ

2017-08-30 22:05:41 | ボヘミア王妃
いずこも初代は大変だよね
ボジヴォイ1世妃 聖ルドミラ


860以前〜921/在位 〜894

“ ボヘミアン ” の由来とも言われるボヘミアは、チェコあたりにあった王国で
ドイツ語ではベーメンといいます。
ドイツ王妃とかハプスブルク家の時には、たぶんベーメンと書いてたと思うのですが
風情があるのでボヘミア(ラテン語)でいきますね。

チェコ語も読み方がよくわかんないので、間違ってたら教えてください。

ハンガリーやポーランド同様、王の入れ代りも激しい国でした。
また、位置的に狙われやすくて国をとられちゃったことも多かったようです。
最初は公国でした。

他国同様、最初は伝説的な統治者が登場し、その後はモラヴィア公国の君主が治め
867年に初代ボヘミア公ボジヴォイ1世が登場します。
ボジヴォイ1世はチェコ族出身、ボヘミア初のキリスト教君主でした。
妃のルドミラは、スラヴ系の王子Slaviborって方の王女です。
        
ボジヴォイとルドミラは、871年頃に夫婦揃ってキリスト教に改宗し
プラハに初めてのキリスト教会を建立しました。

一生懸命ボヘミアのキリスト教化に励んだのですが、最初は上手くいかず
国外に追放されたりしています。
最終的にはプラハに戻り、領地を治め、プシェミスル家の基礎を築きました。

ルドミラは多くの修道院や未亡人たちへの援助を惜しまず
多くの人々に敬われていました。

子供が何人いたのかわからないんですけど、息子が二人ボヘミア公になっています。
弟のブラチスラフ1世の子にあたる孫のヴァーツラフがさらにボヘミア公になりますが
ルドミラは自らヴァーツラフを教育し、摂政のような役目を果たしていました。

ブラチスラフ1世妃ドラホミーラは、日に日に息子への影響力を強める姑ルドミラを
憎たらしー!! と考えるようになります。

そして、ルドミラが隠遁していたテティーンに家臣を送り… 物語によると絞殺らしいです。

領地の人々には慕われても、身内の中に敵がいたとは…
家臣だって、こんないい人を手にかけるなんていやだったと思うよ。

最初はテティーンの聖ミカエル教会に埋葬されたのですが
1100年頃に王廟もある聖イジー教会に移されました。

列聖は死後しばらくしてだそうです。 国にキリスト教を広めたからね。
じゃあ、なぜボジヴォイ1世は列聖されてないんでしょうね?

               
                おやさしそうなのでこちらも
                
                
そしてこれ! カワイイでしょ!! 他の王妃の画像がないので探していたらみつけました
最初は時計塔とか教会のモチーフかと思ったんですけど
Jarmily Haldovéさんという人形作家さんの作品でした
本当に可愛いし、王妃の性格が表れてるみたいなので多用してしまいそうです


(参考文献 沼野充義氏『中欧』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
今朝『スッキリ』にBLACKPINKが出演してましたね! 可愛かった〜 ジェニの声が好きなんですよね
日本語も一生懸命話してて愛らしかったよね!


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