まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スコットランド王ジェイムズ1世王女 エリナー

2015-11-18 22:46:13 | スコットランド王妃・王女
ペンを走らせた王女
ジェイムズ1世王女 エリナー・スチュワート
オーストリア大公ジギスムント1世妃


1433~1480

ジェイムズ1世とジョアン・ボーフォートの四女エリナーは、姉のイザベラ同様に
文学好きで詩集が出版されたという父王の血を受け継いでいました。

フランス訪問後、16歳で、チロルを治めていたオーストリア大公ジギスムントと結婚します。

ジギスムントはフランス語があまり得意でなく、忌み嫌っていましたが
中世騎士物語や実話が好きで、自分でも執筆していました。
夫婦で文章を愛するなんて素敵ですわね。
ただ、この方は政治的にはあまり優秀ではなかったようです。

エリナーは『ガリシアの王子の歴史(直訳)』の、フランス語からドイツ語への翻訳に
携わったそうで、この本は広く親しまれたらしいです。

1480年に出産で亡くなったというのですが、47歳の時なのよね…
なにかの間違いじゃないだろうか?
男の子を生んだみたいなのですが、一緒ぐらいに亡くなったみたいで
ジギスムントには後継ぎはありませんでした。
オーストリアのシュタムスに葬られました。

ジェイムズ1世の五女メアリー(1434~1465)は、さらーっと流すと
10歳(?)で、グラーンプレイ伯子ウルフレドと結婚します。
これは、スコットランドと現在のベネルクス三国あたりの結びつきの強さを示すためでした。
1465年に亡くなりました。
            


理不尽な離婚を乗り越えた王女
ジェイムズ1世王女アナベラ
ジェノヴァ伯ルイージ・ディ・サヴォイ夫人
2代目ハントリー伯ジョージ・ゴードン夫人


1436~1509

いよいよ六女、末っ子のアナベラの名は、祖母アナベラからいただいてます。

1447年、11歳ぐらいでジェノヴァ伯ルイージと結婚しました。
なのですが、1458年にフランスのシャルル7世からの要請でこの結婚は無効になります。
なぜにいきなり?
この後ルイージは従姉妹にあたるキプロスの女王シャルロットと再婚して
自分もキプロス王になるのよね…
しかも離婚は、シャルロットの夫ジョアン・デ・コインブラの急死のすぐ後なのよね…
いろいろ渦巻いてますね。

スコットランドに戻ったアナベラは、2代目ハントリー伯ジョージ・ゴードンと再婚します。
          

ところがところが、1471年、アナベラはまたまた離婚するハメに…
理由は、ジョージ・ゴードンの最初の妻エリザベス・ダンバーとアナベラが
3親等か4親等で、同族との結婚にあたるからってことらしいんだが…
そんなの離婚理由になる? 前妻と今の妻が親戚で何がいけないんだろう?
宗教的な理由なのでしょうか? 
だけど子供が(一説によると)6人も生まれた後ですよ。 何をいまさらって感じじゃない?
         
その後ジョージ・ゴードンは自分の娘を三人目の妻の弟と結婚させてます。
こっちの方がびっくりするでしょ。

離婚から38年後に73歳で亡くなってますが、離婚後のエピソードはありません。
一人で寂しく老後を送ったのか、「せいせいしたわ!」と、おひとりさまを楽しんだのか
気になるところ… でも、きっと人生を楽しんでいたと考えましょう。

(参考文献 森護氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


今年のBIGBANGはものすごーく楽しかったよぉ!やはり新曲があると嬉しさUPです
あ~! テソンのドラマー姿!もしっそっそ…  ところでスンリって前からあんなに関西弁だったっけ?
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スコットランド王ジェイムズ1世王女 ジョアン

2015-11-11 23:12:03 | スコットランド王妃・王女
身振り手振りで会話した王女
ジェイムズ1世王女 ジョアン・スチュワート
初代モートン伯ジェイムズ・ダグラス夫人


1428~1486

ジェイムズ1世とジョアン・ボーフォートの三女ジョアンは、生まれつき耳が聞こえず
“ 沈黙の貴婦人 ” として知られていました。


ジョアンは、17歳までスコットランドで教育を受けていましたが
当時は聾唖者に対するちゃんとした教育がありませんでしたので
手話というより、身振り手振りという受け取られ方をしていたと思いますし
いつも接している一部の人にしか解らなかったかもしれません。
また、公の場でそのように会話することは、無礼なことだと見なされていたようです。

ひとくちメモ
手話は、1760年にフランスの神父が聾唖学校を設立して教育を行っていた際に
そこで読み書きを学んでいた人々がサインを出し合って作り上げたものだそうです


12歳ぐらいでアンガス伯ジェイムズ・ダグラスと婚約しましたが
アンガス伯は、ジョアンが姉マーガレットに会いにフランスに行っている間に
亡くなってしまいます。

マーガレットが亡くなった後、王太子ルイ(11世)との結婚話もあったようですが
意思表示が十分できないということで実らなかったようです。
でも、実らなくってよかったと思うわ。

ジョアンは12年ほどスコットランドには戻らず、フランス宮廷か
姉のイザベラがいるブルターニュで過ごしていました。
後にハプスブルク家に嫁ぐ四女エリナーも一緒だったので、心強かったでしょうね。

フランスでの婚活はうまくいかなかったみたいで、29歳の時
スコットランドに呼び戻されダルケイス男爵ジェイムズ・ダグラスと結婚します。
けっこう晩婚ですね。
ジェイムズ・ダグラスはジョアンの2歳年上で初婚です。
この結婚でモートン伯爵に叙されています。

ジョアンとジェイムズ・ダグラスは、ジョアンの弟ジェイムズ2世から説得されて
結婚しましたが、仲睦まじさで知られています。
亡くなったのも同じ1493年で、ジョアンが4ヶ月夫に先立って亡くなっています。
肖像画の変わりに載せているのは二人の棺です。
仲良く並んでいますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと野球コーナー
ぼーっとしてたら世界野球プレミア12が開幕していたという…
小久保ジャパン、頑張ってください。 西武のおかわり君が活躍しますように…
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スコットランド王ジェイムズ1世王女 イザベラ

2015-11-05 22:00:24 | スコットランド王妃・王女
実家に寄りつかなかった王妃
ジェイムズ1世王女 イザベラ・オブ・スコットランド
ブルターニュ公フランソワ1世夫人


1426~1494

ロバート1世王女マージョリーの後は、名前と嫁ぎ先はわかるのですが
特にエピソードがないので箇条書きでだだっと紹介します。
嫁ぎ先はほとんどが国内の有力貴族なので省略します。

ロバート1世と二人目の妃エリザベス・ドゥ・バラには二男二女のお子がいました。
長女はマーガレット、次女マティルダ、二人は1515年~1518年の間に生まれています。
エリザベスがイングランドから解放された後ということになりますね。

デイヴィッド2世とジョアン・オブ・イングランド、それからマーガレット・ドゥラモンドには
嫡子がありませんでした。

ロバート2世とエリザベス・ミュアには、マーガレット、マージョリー、ジョアンナ、イザベラ
キャサリン、エリザベスという王女がいました。
二人目の妃ユーフィミア・ドゥ・ロスには、エリザベスとエギディアの二人。

ロバート3世とアナベラ・ドゥラモンドには、マーガレット、メアリー、エリザベス
エギディアの4人。

なお、列記した王女たちの何人かがダグラス姓の貴族と結婚しています。
ダグラス家の家系図は、もしかするとスコットランド王家より面白いかもしれません。
でも女性陣のエピソードが少ないのよね。 機会があったらいつか…

やっとジェイムズ1世です。

ジェイムズ1世とジョアン・ボーフォートには、二男六女のお子がいました。
長女マーガレットは、フランス王ルイ11世妃になります。

さぁ、次女イザベラですよぉ。
       
イザベラはマーガレットより美しかったと言われています。

ブルターニュ公ジャン6世は、イザベラを息子の嫁にしましょう…と考え
外交官たちにイザベラのポートレイトを送らせました。
彼らは帰国すると、確かにイザベラは噂どおり美しくて優雅だが
ちょっと “ おバカさん ” かもしれない…と報告したそうです。

ブルターニュ公は「よっしゃ!」って感じで、すぐイザベラを連れて来いと命じました。
「イザベラ以外に考えられない、賢い女よりよっぽどいい」って言ったそうです。

フランソワとイザベラの祝宴は8日間も続いたそうですよ!
よっぽど嬉しかったらしいですね。

おバカさんよばわりされたイザベラですが、詩の才能はあって
これは父親ゆずりだそうです。
姉のマーガレットの死に際して書いたイザベラの詩は、今でも残っているそうです。

1450年、夫フランソワの死をうけて、イザベラの弟のスコットランド王ジェイムズ2世は
しつこくイザベラにスコットランドへ戻って来るよう説得します。
イザベラはまだ24歳、政治的に利用しようと思ってたに違いないですよね。

でもイザベラは、帰国を断固拒否します。
ブルターニュの方がスコットランドより楽しく、人気もあったみたいです。

また、ジェイムズ2世が約束の持参金を払ってくれないとグチをこぼしていたそうで
その仕返しもあったかもしれませんね。

1494年に68歳で亡くなりますが、イザベラは40年ぐらい「私は病気なの!」と
おおげさに言い張っていました。
小説とかでよく、病気を盾にワガママを通そうとする女性が登場するんですけど
そんな感じですかね?

なんだか姉とは正反対ですね。
イザベラがフランス王妃になれば良かったのかもしれないね。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
わたくし、メンバーの名前をやっと覚えたばかりで、タイトル曲しか知らず、もちろんコールも知らないのですが
明日東京ドームにEXO観に行って来ます。 でもSMTOWNで楽しかったから、きっと楽しいと思ふの…
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スコットランド王ロバート1世王女 マージョリー

2015-11-04 22:04:39 | スコットランド王妃・王女
            肖像画が無いので中世のスコットランド貴婦人を再び…

王女にさえならなければ… 可哀想すぎる人生
ロバート1世王女 マージョリー・ブルース
ウォルター・スチュワート夫人


1296~1316

女王マーガレットが戴冠どころか上陸もしないで亡くなったため
スコットランド国内は混乱に陥ります。
ここからの王位継承にはイングランドがいろいろ横槍をいれてきます。

まずエドワード1世の傀儡王ジョン・ベイリャルが即位します。
ジョンと妃イザベル・ドゥ・ワーレンの間には二男二女がいます。
アグネス or モード or アンという名の長女はフィッツアラン卿ブライアン夫人になり
次女マーガレットは未婚でした。
一瞬名ばかりのスコットランド王になったエドワード・ベイリャルは
たぶん結婚していたと思うんだけどお子様の名が見あたらず…

次にブルース家のロバート1世が即位して、空位時代に幕を引きます。

測位に先だつこと10年前、ラブラブだった妃のイザベル・マー
マージョリーを生むと、すぐ亡くなりました。
        
マージョリーが6歳の時に、父ロバートがエリザベス・ドゥ・バラと再婚し
10歳の時に王になります。 マージョリーは王女になります。

しかし、戴冠からわずか3ヶ月後にメスヴァンの戦いでイングランドに敗れてしまいます。
ロバート1世は、王女マージョリーと妃エリザベス、彼の二人の姉妹を北へ逃がしますが
四人は結局捕まってしまいイングランドへ引き渡されました。

ジョン王は人質イザベラを手荒には扱っていなかったようですが
エドワード1世はまったく違う扱いをします。
人質の女性たちは、それぞれ別の場所に入れられました。

どうやらエドワード1世は妃のエリザベスの実家を見方につけたかったようで
エリザベスはヨークシャーの荘園に送られました。
可哀想なのはロバートの姉妹と、援護者のバカン伯夫人で、各々夫が処刑されたり
送られた城で檻に入れられ人目に晒されたりしました。

マージョリーは、本当はロンドン塔に入れられることになっていたのですが
エドワード1世の意向で、ノーフォークのワットン修道院に入れられました。

エドワード1世妃マーガレットは王をとりなすのが上手だったそうだけど
この件はなんとかしてあげられなかったのかしらね?

メスヴァンから1年ぐらい後に、ロバート1世はイングランドに大勝してるんですけど
人質解放はできなかったみたいです。
エドワード1世を継いだエドワード2世も5人を解放せず
マージョリーは修道院に入ったままで7年が過ぎてしまいました。

1314年、バノックバーンの戦いで捕らえられたイングランド貴族たちと交換する形で
やっとマージョリーは解放されます、が、戦いで功績をあげた
6代目ハイ・スチュワードのウォルター・スチュワートにご褒美として嫁がされます。
やっと自由になったのに~! ご褒美とは!!
ただ歳は近いみたいなので、戦いで名を上げた英雄と恋に落ちたと考えたいですね。

結婚から2年後、マージョリーは妊娠中だったのですが、乗馬をしていて落馬しました。
マージョリーは産気づいて近くのペイズリー修道院に運ばれ、苦痛の中出産しますが
数時間後に亡くなりました。 母親同様19歳で亡くなっています。

前々から思っていたんだが、妊娠中って乗馬OKなの?
乗馬してて流産したり死産だったりする王侯貴婦人がわりといるんすけど
けっこうお腹に響きそうだし、落ちたら大変じゃない?

マージョリーが生んだ息子は生き延び、嫡子がいないデイヴィッド2世を継いで
ロバート2世になり、スチュワート王家がスタートします。
せめて子供だけでも助かってよかったですね。

19年の短すぎる人生の中で、幸せだったのは何年ぐらいだったんだろうね?
もともと王家じゃなかったのに、わざわざ王様になったりするから…
娘も嫁も姉妹もいい迷惑… じゃない?

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
観月ありさの結婚式にはなんの興味もなかったわけだが、BIGBANGがかけつけたって!? なぜか? 
全員? スンリだけ? キャサリン3世からの縁ですか? お祝いに歌とか歌っちゃった? いきなり興味しんしん
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『パールストリートのクレイジー女たち』感謝状がわりの作品…だと思う

2015-11-02 20:11:28 | アメリカの作家
THE CRAZYLADIES OF PEARL STREET 
2005年 トレヴェニアン

私はトレヴェニアンの本を読んだことも、原作の映画を観たこともないのですが
ストリートっていうか、横町を舞台にした話しが好きなので
本屋さんで出だしを読んで、即購入してしまいました。
晩年の作品らしいです。

面白かったです。

前書きと後書きが無く、プロフィールもほとんど載っていないので
この物語が実話なのかどうかわかりませんが
著者の生い立ちなどを調べるのは、今回もやめときます。

ただ、最初のページに著者から
“ -前略- 訴訟好きの衝動を阻みたい、という私の抑えがたい願望により、
 すべての登場人物と名前は私の想像の産物であり、私の頭のなか以外には
 存在しないことをここに名言する ” という一文があって
勝手に自伝的作品なんじゃないかと思い込んでいます。

ジャン=リュック・ラポアントは、6歳の時、なんの音沙汰も無かった父親の手紙で
27歳の母と、3歳の妹アン=マリーとニューヨークのノースパールストリートに
引っ越して来ますが、とうの父親はパーティーの準備だけして姿を消していました。
ノースパールストリートは、失業者や保護をもらって暮らしている人々が多く住む通りです。

長い上に、いろいろなエピソードが入り交じっているので、あらすじは書きませんが
ざっくりいうと、そんな中に残された一家が9年後に通りを出て行くまでの日々を
第二次世界大戦をからめながら、主人公の少年目線で綴った物語です。

だけど、貧しい中で頑張った少年や若い母親の奮闘記みたいに考えるのは間違い。

たしかに、少年は6歳の頃から一家を少しでも助けるために、働く働く!
学校に行く前に働き、休みの日に働き、たまには夜も働く、という働きぶり。

若い母親は、貧しい中でも子供たちにはなるべくちゃんとしたものを食べさせ
からだが弱いのにウェイトレスの仕事をしながら、家事も手を抜かず家を磨きあげます。
休みの日にはお金をかけずに子供たちを楽しませようと努力を払ってくれます。 だけど…

ノースパールストリートには、少なくとも三人は、正常とは思えない女性がいます。
そして他にも二人ほど、ちょっと軌道を逸している女性が登場します。
そんな中にいて、母親は “ クレイジー女 ” のレッテルを貼られてしまうのね。

それは母親が、本来はこんな通りに住むべき人間ではないというプライドと
なるべく人を頼らずに、人に蔑まれないように生きようとするスタンスを
正直に見せすぎていたためだと思われます。
無垢で自分本位な、子供っぽさを捨てずに大人になってしまった人みたい。

4歳の時から心身ともに、そんな母親の片腕になってしまった少年は
いつか母親から逃げ出したい、役目を投げだしたいという気持ちが捨てられずにいます。

出会いがあったり、世界大戦が終わったりという段階を経て
念願だった「ノースパールストリートから抜け出す!!」という夢は叶うのですけれども
それがハッピーエンドにはならなそうな予感は、後半から色濃く紙面を覆っています。
ラストはもちろん書きませんけどね。

主人公一家以外の登場人物のキャラクターも背景もわかりやすくて
すごく感情移入しやすい作品でした。
エピソードのひとつひとつも読み応えがあって、楽しく読み通せました。
日本人としては、第二次世界大戦のとこはちょっとつらかったけど、それは仕方ないっすね。

様々なエピソードの中には、母親を褒め讃えているように思えるものもあり
母親さえこうでなかったら… と祈るようなものもありで、良いところも悪いところも
曝け出されちゃってますが、やっぱり、愛と感謝を込めて書かれているものだと思います。

もし、自伝的小説でないのなら、すっかりだまされちゃってる私… ってことになりますね。

母への愛といらだちと哀しみ…複雑な思いがつまった名作
読んでみたいな!と思った方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー

ハロウィンの日のお昼、ケンタッキーとマックで悩んだんだけど
すごくお腹がすいていたのでマックのエグチのセットを食べました
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