まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポルトガル王アフォンソ2世妃 ウラッカ

2010-04-29 20:33:27 | ポルトガル王妃
フランス王妃だったかもしれない
アフォンソ2世妃 ウラッカ・デ・カステーラ


1186~1220/在位 1212~1220

アラゴンとは手を結んだものの、やはりお隣にも予防策を、というわけで
アフォンソの妃はカスティーリャ王アフォンソ8世の王女から迎えることになりました。
母レオノールはイングランド王ヘンリー2世王女です。

         
ウラッカは、フランス王ルイ8世のお妃候補に挙がっていたのですが
祖母であるヘンリー2世妃エリナー・オブ・アキテーヌが直々に検分して
ブランカの方がフランス王妃に相応しいと言ったとかで、妹が嫁ぐことになりました。
ウラッカという名前がフランスに受け入れられないと言ったという説もあります。

欧州の中心みたいなフランス王妃になれず落胆したのか
近くに嫁げて良かったと安堵したのか、ウラッカの心境が知りたいですね。

20歳の時、1歳年上のアフォンソと結婚しました。
後にアフォンソの妹マファルダが、ウラッカの弟エンリケ(1世)と結婚します。




              
実はすごくエピソードがありそう・・・
サンショ2世妃 メシア・ロペズ・デ・ハーロ


1215~1270/在位 1246~1248

メシアは、サンショ1世とドゥルセの王女テレサが嫁いだ
レオン王アフォンソ9世の庶子ウラッカの娘です。

        

1215年頃に生まれたことになってるんですけど、だとすると結婚した時31歳。
初婚じゃないんじゃないかしら?
ちなみにサンショ2世は37歳なので、年齢的には釣り合います。
今ならなんの問題も無く適齢期と言えましょう。

しかし、メシアがサンショと結婚した時ポルトガルでは
聖職者による王権強化のせいで貴族が反発し内乱が起きていました。
1427年、サンショ2世は廃位され、トレドに亡命して1248年に亡くなりました。

その後のメシアのことがWikipedia英語版だとさっぱりわからんのですが
ポルトガル語版はかなりボリュームがあります。
[このページを訳す]で見てみたけど、やっぱり理解不能でした

やはり初婚じゃなかったみたいです。
そして死についてはバレンシアが関係しているらしい…

でも「婚姻無効の宣告を」とか「クイーン誘拐 蒸着の王」とか
気になるフレーズが並んでいてものすごく面白そうですよ!
どなたか英語版か日本語版に書きこんで下さらないでしょうか?

* Cucciolaさんがイタリア語を訳して下さいました
  コメント欄を見て下さいね。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
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ポルトガル王アフォンソ1世妃 マファルダ

2010-04-27 02:17:23 | ポルトガル王妃
ポルトガル初代王妃
アフォンソ1世妃 マファルダ・デ・サボイア


1125~1158/在位 1146~1158

肖像画…ビビッドね。

以前喜久子さんにいただいたコメントにポルトガルのことが書いてありまして
「そーよ!ポルトガルがあるじゃない」と考えたしだいです。

ポルトガルは現在の日本ではちょいと地味目な印象ですけど、すごい国だと思うわ。
イベリア半島のアラゴン、レオン、カスティーリャ、グラナダなんかが集結して
スペインという大国が形成される中を踏みとどまり
そのスペインさえ、ハプスブルク家だ、ブルボン家だと外国の王を戴いてしまった時代を
短期間を除いてほぼ自前の王家でまかなったというのは…

植民地だってすごかった!
日本にも来た!! 鉄砲がやってきたじゃないの。

そんなポルトガルは、他のヨーロッパ諸国同様古代ローマの支配があり
ゲルマン人ゴート族の支配の後、イスラム教の影響が強く入り込んできました。

11世紀、イベリア半島のキリスト教徒からの支援要請に対して
フランスのブルゴーニュ公アンリが援軍として訪れ、掌握したのがポルトゥカーレです。

エンリケ(アンリ)の息子アフォンソはポルトゥカーレ伯として父を継ぎましたが
カスティーリャからの独立、領土拡大の末、1139年のオーリッケの戦いで勝利をおさめ
ポルトガル王を宣言しました。

そんな初代王アフォンソの妃は、サヴォイア伯アメデーオ3世の娘マファルダです。
21歳の時に、少なくとも16歳年上のアフォンソと結婚しました。

           
33歳で亡くなっています。
たぶんアフォンソ1世のことだと思われる物語の中に書かれている
嫉妬した王が王妃を殺した説は、まったくもって根も葉もない話だそうです。




              
早くも家系図が込み入ってきた・・・
サンショ1世妃 ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ


1160~1198/在位 1185~1198

ドゥルセはアラゴン女王ペトロニラとバルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世の娘です。
美しかったらしいですよ。

         
この結婚は、ポルトガルとアラゴンの同盟を復活させたいと考えた
ドゥルセの兄アフォンソ2世によってまとめられました。
イベリア半島にスペイン王国は誕生していなくて、覇権争いの真っ最中ですからね。

ポルトガルだって王国になったとはいえ、まだイスラム教の力もあり
レオンやカスティーリャも再び宗主国に返り咲こうと狙っています。
カスティーリャを挟んで位置するアラゴンとの同盟は願ったり叶ったりです。

サンショ1世は文学好きで、詩などをしたためる知識人だったそうです。
植民を奨励し、新しい村や町を誕生させたことから “ 植民王 ” と呼ばれました。

ドゥルセは14歳の時、20歳のサンショと結婚し、11人のお子様を産んでいます。
王女のうち長女テレサはアラゴン王アフォンソ9世妃に
ベレンガリアはデンマーク王ヴァルデマー2世妃に
マファルダはカスティーリャ王エンリケ1世に嫁ぎました。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
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『三つの物語』想い出を遺していこう…

2010-04-26 23:14:27 | フランスの作家
TROIS CONTES 
1877年 ギュスターヴ・フローベール

えーっとですね、この一冊で私が好きなのは最初の一話だけです。
あとは伝説と昔話で、ちょっと苦手なんですよね

『まごころ(Un Cœur Simple)』
ボン・レヴェックの村で、未亡人のオバン夫人に仕えた女中フェリシテの物語です。
孤児となって姉妹と生き別れ、愛する人は徴兵逃れのために他の女性と結婚、
夫人に仕えてからは子供たちの成長を見守りながら忠実な月日を過ごしました。
夫人とともに老いていくうちに、愛する人たちを次々と失っていきます。

先日読んだ『ジェルミニィ・ラセルトゥ』と同じような境遇でありながら
対極にある生き様です。
パリという都会と村の違いなのか、持って生まれた性格か、なにしろ真反対。
欲深い人々から見れば彼女の喜びはあまりにも小さい… でもれっきとした幸福です。

『聖ジュリヤン伝(La Légende de Saint Julien l'Hospitalier)』
狩猟に夢中になり、残酷な殺生を繰り返していたジュリヤンは
ある日鹿の親子を殺したことから呪いを受け、数奇な人生を歩むことになります。
鹿の呪いは「いつか自分の父母を殺す」というものでした。

これはルーアンの大聖堂のステンドグラスに描いてある物語なんですって。
彼の人生のどこらへんからが聖人なのか、私にはよく分からん…
最後に乞食に変装した神を助けたのがポイントのようです。

『ヘロジアス(Hérodias )』
兄の妻ヘロジアスを娶るために政権も地位も投げ出したアンチパスでしたが
そのために戦いの日々は終わらず、彼女への愛情は憎しみに変わりつつありました。
シリア軍の援軍を待っていたある日、ある家の露台に美しい娘を見つけました。

これは『サロメ』の物語です。 サロメのお母様がヘロジアスなんですね。
バビロン人、ユダヤ人、パリサイ人、サドカイ人、ガレリヤ人が入り乱れ
誰が味方で誰が敵なんだか、さっぱりわからないんですけど…
福音書がテーマになっているようで、読みつけていないと理解しがたいかも、です。

一体全体、なぜにこのまるっきりテーマも時代も毛色も違う三つの物語を
一冊の本にまとめようと思ったのか?と謎なんでしたが
解説によると、三つともフローベールの故郷(ルーアン)に関係があるらしいです。

フローベールが最後に書いた物語は『プヴァールとペキュシェ』ですが
『三つの物語』は生前に彼がまとめた最後の作品集になるそうです。
最後に故郷の想い出をまとめておきたかったのかもしれませんね。
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フランス王ルイ14世愛妾 マリー・アンジェリーク

2010-04-25 23:22:23 | 王の寵姫・愛妾
神から二物を与えられなかった愛妾
フォンタンジュ公 マリー・アンジェリーク・ド・スコライユ


1661~1681/愛妾 1679~1681

アンジェリークは、ルイ14世の弟オルレアン公の再婚相手イザベルの侍女になった時
ルイの視線をとらえて、18歳で愛妾になりました。

         
アンジェリークはとても美しく魅力に溢れ、宮廷中の注目を集めました。
その容姿は堂々としていてオーラがあり、絵画などにも屡々描かれました。
ルイ14世はしばらくアンジェリークに夢中だったそうです。

ところが…彼女はとんでもないおばかさん
見た目と会話のギャップがありすぎて、人々はあきれ果てたということです。
特に女性陣はね… 大げさ百倍で言いふらしたんじゃないかしら。

ルイ14世も早々に飽きてしまったみたいです。

1680年、アンジェリークが身ごもると、ルイ14世は彼女に公爵の称号を与えます。
しかし、彼女はその後体調を崩し子供を死産、療養のため宮殿を離れました。
一説によると、ルイ14世は愛妾が不健康な顔をしているのを見るのが嫌いで
蒼白い顔の彼女を遠ざけたらしい…ひどいね
さすがに宮廷婦人たちも瀕死のアンジェリークに涙したそうです。
あくまでも噂ですけど。

宮廷の人々は、モンテスパン候夫人が毒を盛ったと信じて疑わなかったようですが
真相はどうだったのでしょうね?

結局、アンジェリークは1681年にポール・ロワイヤル修道院で亡くなりました。
彼女の死は、現在では自然死だったと言われています。

ところで、アンジェリークはひとつ流行を生み出しています。
17世紀から18世紀にかけて “ フォンタンジュ風 ” というまとめ髪が流行しました。
これはアンジェリークが乗馬の時に帽子を飛ばしてしまい
咄嗟に髪の毛をリボンでぎゅっとまとめたのを見て
ルイ14世がたいそう気に入ったことが始まりだったそうです。
初代 “ 無造作ヘア ” ってことかしら?   
            
           こちら(たぶん)フォンタンジュ風のアンジェリーク

17世紀後半には上部を盛りっとするスタイルに変化したようです。
黒柳徹子ヘアも流行っているそうだし、フォンタンジュ風の復活…いかがかしら?

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
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フランス王ルイ14世愛妾 フランソワーズ

2010-04-25 00:20:04 | 王の寵姫・愛妾
愛人界のスーパースター
モンテスパン候夫人 フランソワーズ・アテナイス・ド・ロシュシュアール


1641~1707/愛妾 1666~1691

王の愛妾を3人挙げよ、と言われたら、とりあえずポンパドゥール夫人と
モンテスパン候夫人は名前が出るんじゃないかしら?

そんな真打ちのフランソワーズにはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール同様
エピソードがてんこ盛りですので、ルイーズと比較しやすい部分を書こうと思います。

父のモンテマール候ガブリエルはエスプリに富んだ方だったそうで
フランソワーズはそのエスプリを受け継いでいました。

        

小さな頃からルーブル宮に出入りしていましたが
20歳の時にオルレアン公妃アンリエッタ・アンヌの侍女になりました。

1663年、婚約者が殺されたため、婚約者の弟モンテスパン候ルイと結婚します。
結婚後はルーブル宮の近くに邸宅を借りて、宮廷に出仕していました。

美しさに加えて会話の上手さ、高い芸術性など、フランソワーズは魅力に溢れていました。
公的なイベントにも積極的に参加して(主に男性に)魅力をアピールしていました。

その後フランソワーズは、王妃マリー・テレーズの侍女になりました。
最初、ふたりは親友のように気が合っていたそうです。

フランソワーズは、ルイーズから公妾の座を奪おうと考えるようになります。
1666年、ルイ14世とお近づきになり、ほどなく愛妾になったフランソワーズは
ルイーズより才気走ったところをアピールして、自分を公妾にするようせまります。

すでにルイーズへの興味が薄れ始めていたルイは、フランソワーズを公妾にしました。
フランソワーズは、嫉妬にかられた夫と公式に別居しました。

ルイの子を生み、絶大な力を持ったフランソワーズは、ルイーズを鼻であしらい
王妃にさえ失礼な態度をとるようになります。
宮廷内では、横柄なフランソワーズの態度にちらほら敵が現れます。

ルイは例によって興味がうつり始め
1679年、フォンタンジュ公アンジェリークを新たに愛妾にします。
1681年に彼女が亡くなると、フランソワーズが毒殺したという噂が流れました。

どうやらフランソワーズは早くから黒魔術に手を染めていたようです。
1670年代から、ライバルになりそうな女性たちには毒を盛ったと言われています。

ラ・ヴォワザンという、黒魔術で有名な女性がいました。
彼女の裁判の時、ルイの心をとらえるための媚薬を1665年に使ったとか
ルイの心が離れそうになると黒魔術で取り戻そうとしたとか
次々とフランソワーズの黒い部分が表沙汰になりました。

当時フランソワーズの子供たちの教育係を務めていたマントノン候夫人
母親のスキャンダルを子供たちから隠そうと必死でした。

しかし、フランソワーズへの愛が完全には冷めきらなかったのか
それともほったらかしにしてギャーギャー騒がれるのが面倒だったのか
ルイはスキャンダルの後も毎日彼女のもとへ通っていました。

ルイはこの頃からマントノン候夫人を愛するようになり、愛妾にします。
フランソワーズの嫉妬は凄まじいものだったと言われています。
だけど、さすがにもう毒は使えないよね…
生活は荒れていき、ルイもだんだん愛想をつかし始めました。

ルイは、1685年にはこっそりマントノン夫人と結婚したと言われていて
たぶんフランソワーズは宮廷に置いてもらっているだけだったんじゃないかしら?
子供たちがいましたのでね。

1691年、フランソワーズは公妾を引退して修道院に入りました。
ルイは感謝の気持ちを込めて…ということで父親をパリ市長にして
フランソワーズにも50万フランの年金を与えました。
これは「もう戻ってこないでね」という気持ちの表れだったみたいです。

フランソワーズはその後、子供の結婚式でさえ宮廷に招かれることは無く
自分の城に用意したルイの部屋に彼が訪れることもありませんでした。

ここへきてやっと心を入れ換えたのかしら?
フランソワーズは手にした50万フランを慈善や病院に寄付しました。

1707年にフランソワーズが亡くなった時、子供の中には嘆く者もありましたが
ルイは喪に服すことを許さなかったそうです。

              
               こちらはより愛妾感が漂ってますね

普通に考えればルイーズの方を選びそうなものよね。
でも王様ともなりますと、見た目ゴージャス な女性を侍らせたいものかしら?

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipdia英語版)

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フランス王ルイ14世愛妾 ガブリエレ

2010-04-23 21:35:30 | 王の寵姫・愛妾
               こちら、妹フランソワーズのお若い頃 
妹にはかなわない…
ティアンジュ候夫人 ガブリエレ・ド・ロシュシュアール


1633~1693/愛妾 1655以降~?

モンテマール候ガブリエルの娘で、類い稀な美しさと機智で知られるガブリエレは
1651年にフロンドで宮廷デビューしました。

      

最初は両親たちとルイ14世の宮廷にいましたが
後にアンジュー公(後のオルレアン公)フィリプのもとへ移りました。
ガブリエレとフィリプはとても気が合ったらしく、生涯変わらぬ親友になります。
オルレアン公は女性と同じ気持ちを持っていらっしゃるのでね…

1665年、ガブリエレはティアンジュ候クロードと結婚します。
そしてルイ14世の愛妾のひとりになりました。

結婚て…愛人デビューのチャンスみたいですね
なんでも当時のフランス宮廷では、お互いが結婚している不倫は恋愛になるんだけど
どちらかが未婚だと姦通とか不義密通になってしまったんですと!
おかしな話ではないか?

ガブリエレは、王の愛妾にはなったものの
妹フランソワーズ(モンテスパン候夫人)ほどの野望は無くて
のし上がろうとか権力を手に入れようとはしませんでした。
「お声がかかれば…」ぐらいの軽い気持ちだったんでしょうか。
フランソワーズはガブリエレのことをまったくライバルとは思っていなかったそうです。

フランソワーズの出産にはずっと付き添い、妹を励ましました。
いいお姉さん…姉妹揃って強欲だったら大変だったことよ。

娘ディアーヌは枢機卿マザランの甥フィリップ・ジュールと結婚しました。
当時のマザラン一族&愛妾&その子供たちの宮廷ネットワークはすごいですよね。
いつか系図にしてみよう…

1693年に亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『運命の裏木戸』おしどり探偵の老後

2010-04-23 21:19:44 | アガサ・クリスティ
POSTERN OF FATE 
1973年 アガサ・クリスティ

『親指のうずき』から5年、ついにタペンスはリューマチにかかっています。
終焉に近づくクリスティの執筆活動…哀しいですね。
でもこの時クリスティ82か83歳! もう充分楽しませてくれましたね。

トミーとタペンスは、田舎町ホロウキィに手頃な家を見つけて移り住みます。
前の持ち主が置いていった古い蔵書をかたずけていると
奇妙なアンダーラインが引いてある本がありました。
組み合わせると…
「メアリ・ジョーダンは自然死ではない。犯人は私たちの中にいる」になります。

タペンスは興奮気味ですが、トミーは取合いませんでした。
しかし、そのアンダーラインを引いたらしいアレグザンダー・パーキンソンなる人物が
14歳で急死したと知ってからは、興味を持たずにはいられませんでした。

なにしろかなり昔の事件で、実際に知っている人がほとんどいません。
祖父母に聞いたり大叔母にきいたり、といった話ばかりです。
有力な証人はじい様とばあ様ばかりで、あんまり記憶がはっきりしないんだしね…

メアリ・ジョーダンはパーキンソン家の養育係だった女性とわかりましたが
ドイツ人と言われていて、スパイじゃないかという噂だったらしいのです。
彼女は夕食にほうれん草と間違って混ざっていた毒草で死にました。

トミーが昔のツテを利用してホロウキィに関するスパイ事件の情報を集めると
なんと!まさにその事件の舞台になった家を自分たちが買っていたことが判りました。

例によってはしょるわね。

タペンスは何度か危ない目に遭った挙げ句
ついに、ピストルで狙われ肩に怪我を負いました。
なぜかというと温室である書類を見つけたからなのですけど…

書類が見つかった経緯は説明できないんだけど
クリスティの読書好きが垣間見える、古い書物からの引用が手がかりになります。

書類が見つかった後はというと…
なんだか犯人が自分から現れて、簡単に見破られてしまうという
ちょっとクリスティらしくないラストでありました。

トミーとタペンスも孫がいる年代ですもの。
自らアクションたっぷりに捜査する…というわけにはいかないのはわかりますが
結局全ては諜報部が解決したみたいになっちゃって残念です。

とにかく、トミー&タペンス以外の登場人物に
80歳や90歳を越えたじい様、ばあ様が多くって、会話のとりとめの無さはすごい
年代が定かでないのに自信たっぷりに「あの時よ」と教えてくれる迷惑な親切、
自分が言うことが一番正しいという、希薄な根拠による頑固な応酬の数々。

読んでるうちに目に浮かんでくる老人ぶり…
クリスティが友人や自分自身を皮肉たっぷりに書いているようで笑えました。
そして「若者よ、あなたたちもいつかはね…」と言われているようでもありました。
私も決して若くはないんだけど…

いきなり老けこんだトミーとタペンスが大活躍!
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『親指のうずき』若夫婦、老境の人になる

2010-04-22 23:10:17 | アガサ・クリスティ
BY THE PRICKING OF MY THUMBS 
1968年 アガサ・クリスティー

クリスティ、御歳78歳の作品…それだけで☆4つです。

クリスティの作品の二大スター、ポアロとミス・マープルは
「もう歳ですよ」と言い続けて何十年、まったく歳をとっていってない気がします。
周囲は変化をみせていて、流行ものやファッションなどは変わるのだが
ふたりは相変わらずという “ 磯野&ふぐ田 ” 状態でした。

その点トミー&タペンスは、いつまでも『おしどり探偵』の若い夫婦じゃありませんよ。

実は、クリスティの中でもスパイものはあまり興味がありませんで未読が多いのです。
トミー&タペンスも半分は読んでいませんが、溌剌としていたふたりが
老人ホームの入居者に間違えられるほど歳をとってからの物語ということで
ワクワクして読み始めました。

ミス・マープル登場時から、田舎のおしゃべりで皮肉屋のばあ様に
愛情たっぷりだったクリスティの筆は、さらに冴え渡ってます。
大好きな祖母と同じ年ごろになったクリスティが書くばあ様ときたら…
なるべくそばにいたくないけど、読んでるだけなら楽しい

あ、内容ですね。

トミーとタペンスは叔母のエイダの見舞いに養老院サニー・リッジを訪れます。
エイダ叔母に追い払われたタペンスは、居間でランカスター夫人という
可愛らしいおばあちゃまに会いました。
彼女は一見普通だったのに、急に「暖炉に子供の死体がある」なんて言い出します。

その後エイダ叔母が亡くなって荷物の整理をしにいったタペンスは
1枚の絵が気になって譲り受けました。
その絵に描かれている家をどこかで見た気がするからです。

その絵はランカスター夫人がエイダ叔母にあげたものだそうですが
ランカスター夫人はエイダ叔母が亡くなる前に、急に親戚に引き取られました。
まるで何かを知られたから連れ去られたような感じでした。

タペンスの、ランカスター夫人と絵に描いてある家探しが始まります。
あーでもない、こーでもないと悩んだ末、家の場所は分りました。
トミーの留守を狙ってひとり田舎まで足を伸ばしたタペンスは
次第にその家の秘密に近づいていたようでしたが、いきなり後ろから殴られます。

タペンスはどうなるのかしら?

登場人物まで詳しく書いているとすごーく長くなりますので
いっきに最後まで飛びますと、ランカスター夫人を見つけることはできました。
でも、彼女を救うことはできませんでした。
何故かは秘密…

トミー、タペンスにわかったことは次の通りです。
探していた家の一郭から、ダイヤモンドのつまった人形が出てきました。
養老院では不審な死がありました。
家があった村では昔、連続少女殺人事件がありましたが犯人は捕まっていません。
トミーの友人によれば、ランカスター夫人の親戚の弁護士は犯罪組織の黒幕だそうです。

一見バラバラに見えますけど、見事にラストで繋がるんだなぁ…
老境にさしかかってもアクティブに動き回るトミー&タペンスを見習いたいわ。

それよりもアガサ・クリスティでしょ!
78歳にしてこの想像力と集中力!! しかもまだまだ執筆は続きます。

トミーとタペンスが老体にムチ打って大活躍!
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フランス王ルイ14世愛妾 カトリーヌ・シャルロッテ

2010-04-21 02:03:38 | 王の寵姫・愛妾
スキャンダルまみれのモナコ公妃
モナコ公妃 カトリーヌ・シャルロッテ・ド・グラモン


1639~1678/愛妾 1662年以降~1668年

カトリーヌはフランス陸軍元帥グラモン伯アントワーヌ3世の娘です。
母は枢機卿リシュリューの姪マルグリート、
兄はハンサムということでフランス宮廷でも名高かったギーシュ伯アルマンです。
アルマンはオルレアン公フィリプ、オルレアン公妃アンリエッタ・アンヌ両方の愛人でした。

         

1660年、カトリーヌはヴァレンティノワ公ルイ・ド・グリマルディと結婚します。
ルイは強欲で見栄っ張りな人だったと言われています。

1662年、ルイがモナコ公になりまして、ふたりはモナコに移りました。
しかし、華やかなフランス宮廷に慣れ親しんだ身、モナコには早々に飽きちゃったらしく
3年後にフランスへ戻り、その後はほとんどモナコに帰りませんでした。

カトリーヌはオルレアン公妃アンリエッタ・アンヌの侍女の座を手に入れます。
彼女は美貌と知性で名を上げ、宮廷の男性たちの視線を引き寄せました。
モテるだけならよかったんだけど、カトリーヌは恋愛を謳歌しちゃったわけですね。

カトリーヌのことを “ 快楽をむさぼり食う女 ” という人があれば
“(上品に訳すと)連発屋 ” というあだ名がついたりもしました。

もちろん数多の愛人の中にはルイ14世も含まれていまして
ルイはその頃から、公妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールに興味を失い始めたそうです。

アンリエッタはルイ14世とルイーズの仲を割くことに必死で
カトリーヌのことには気づかなかったのかしら? と思いきや
カトリーヌとアンリエッタも親密なお付き合いをしていたなんて説もあり…

モンテスパン候夫人が愛妾になったからか、アンリエッタの威光が衰えたせいか
1668年、カトリーヌはフランス宮廷から遠ざけられてモナコに帰りました。

でもやっぱり宮廷がいい!と思ったか、4年後にはフランスに戻ってまいりました。
そのまま宮廷に居着いてしまいまして、6年後に39歳で亡くなりました。

フランス宮廷には麻薬のように逃れられない魅力があったのかしら?
追い出された場所へ戻るなんて、よっぽど好きじゃないとできないことですよね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『トーベ・ヤンソン短篇集』世捨て人の孤独

2010-04-21 02:00:45 | その他の国の作家
20 SHORT STORIES OF TOVE JANSSON 
トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソンといえば懐かしの『ムーミン』なわけですけど
あのほのぼのムードをこの短篇集に求めると、ちょっと違うかもしれません。
登場人物はわりと暗いし、会話はとても少ない、しかもつっけんどん。
嵐、波濤、洪水…自然は人間に襲いかかるものばかり。

今にして思えば、ムーミンも(子供向けのアニメにしちゃ)寂しさが漂っていました。
主人公がグレーだしねぇ…おさびし山というネーミングも哀しい感じだわね。

20篇の寂寥感あふれる短篇が収められています。
好きだったものをいくつか…

『リス(Ekorrew)/1971年』
浜辺で海を見つめているリスを見つけ、一緒に島で越冬することになりました。
しかしこちらが気を遣っているというのに、リスはあまりにも恩知らずです。

人と動物との心温まる交流の物語…というわけではないんですよね。
リスが板切れに乗って海を渡るって知ってました?
それともヤンソン流のジョークなんでしょうか?

『植物園(Laxthuset)/1987年』
おじいさんが通い続ける植物園で、いつも脚を休める睡蓮のベンチに
ある日他の老人が腰掛けていました。
しかも本を読んで睡蓮を見ようともしません。

孤独な老人同士の、友情とも同情ともいえない交流が描かれています。
なぜだろう? 交流が始まった後の方が孤独感が漂っているのは…

『聴く女(Lyssnerskan)/1971年』
何十年も、皆の話を黙って聴いていてくれたイェルダ伯母が変わってしまいました。
ある日伯母は、今まで耳にした家族や知人のすべてを図表にしようと思い立ちます。
結婚、親子、恋愛、不倫、憎悪…そして殺人未遂も…

家系図好きにはたまりませんけど、まわりにたくさんの人々がいてこそできることですね。
孤独なように見えて、実はうらやましい環境にいる女性なのかもしれません。

もうひとつ、とても気になるお話を紹介します。

『ショッピング(Shopping)/1987年』
ブルム食品店とエリクソンの家からめぼしい物を頂戴したエミリィは
人々が消え去った街を、クリッセが待つ真っ暗な部屋へと急ぎます。
その時、遠くにあいつらの姿が見えました…こちらに向かってきます。

どうやら街がひとつ消滅してしまったようなんですが理由は分りません。
ちょっとデュ・モーリアの『鳥』を思い出しました。
生きて取り残された者の恐怖…
私も決して独りが嫌いな方じゃないですが、こういう状況には陥りたくないですね。

この一冊の中には様々な孤独が描かれています。
雑踏の中の孤独、人嫌いの孤独、老境の孤独、死んだ街の孤独…
中には自らすすんで孤独な境遇に身をおいた人もいます。

それでも、この一冊を読み終えると少し分ったような気がします。
人には誰か(なにか)感情をぶつける対象が必要なようですね。
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フランス王ルイ14世愛妾 ルイーズ

2010-04-19 23:57:56 | 王の寵姫・愛妾
無欲の愛妾
ボージュール公 ルイーズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエール


1644~1710/愛妾 1661~1671

ルイ14世の数ある愛妾の中で、双璧と言えるのがルイーズとモンテスパン候夫人です。
ライバル視される二人ですけど、その人柄はまったく違うのです。
ふたりに関しては資料もエピソードも山のようにあって、全部書くわけにはいかないので
愛妾になった経緯と、性格の違いが垣間見える部分を選んで書きますね。

ルイーズは将校の父を早く亡くし、母がサン=レミ候と再婚したことから
ブロワにあったオルレアン公ガストンの城に出入りしていました。
ガストンを亡くした未亡人がパリに出て来た時に同行していて
その後オルレアン公フィリプ妃アンリエッタの侍女になります。

       

アンリエッタがルイ14世との浮気の隠れ蓑にしようと選んだのがルイーズでした。
ルイーズはその時17歳、ブロンドと青い瞳を持つ笑顔が可愛らしい少女でした。
片方の足が、ちょっとだけ短かったので特別仕様の靴を履いていたそうです。

控えめで野心が無さそうなルイーズなら大丈夫と思ったアンリエッタの意に反して
ルイーズは本当にルイの愛妾になってしまいます。

ルイーズは、お金にも地位にも贅沢にも興味が無く、ルイの愛だけで満足という
王侯貴族の愛人にしては希有なタイプの女性でした。

公妾になって、王妃マリー・テレーズと同席する時には
自分の身分を恥じて、尊敬の念といたわりを持って接したそうです。

5年ほどすると、ルイの愛は急速に冷めていきます。
1667年にボージュール公の称号を与えていますが
ルイーズは引退の謝礼のように思えてまったく喜ばなかったといいます。
すでにモンテスパン候夫人が愛妾になっていましたから、不安もひとしおです。

ルイは嫌がらせのつもりか、ルイーズとモンテスパン候夫人を同じ城に住ませます。
しかも旅行に出る時は、ふたりに王妃まで加えて同じ馬車に乗せたそうです。
サディスティックな人だったのかしら? デリカシィが無いわよね。

その際モンテスパン候夫人は、ルイーズに身のまわりの世話をするよう要求します。
王妃も下手に出るルイーズにはつらくあたります。
ルイーズは文句ひとつ言わず従ったそうです。

しかし、ルイーズはみるみるやつれていきました。
やはり限界がきたのか、1671年には修道院に入ろうとしています。
ルイの説得で戻ったものの、3年後に引退を許されカルメル派の修道院に入り
シスター・ルイーズと名乗りました。

修道院に入ると、王妃マリー・テレーズは度々ルイーズに会いにやってきました。
息子ルイの世話をお願いしたオルレアン公妃イザベル・ド・パラティーヌもやってきました。

後年、マントノン候夫人が彼女を訪ね「こんなところで…」と哀れむと
「あそこで受けた苦しみに比べれば…」と答えたそうです。

宮廷でのトゲトゲしい関わりあいから解かれて
友人のように接することができることに喜びを感じていたのかもしれませんね。

寵愛が衰えを見せ始めた宿敵モンテスパン候夫人も、ルイーズを訪れ
「敬虔に生きるのはどうしたらいいかしら?」とアドバイスを求めています。

              
             こんなに優しそうな愛妾の肖像画を見たこと無い…

当時の王の愛人たちは、不倫の隠れ蓑のために結婚するのがお約束だったのですが
ルイ一筋のルイーズは結婚をしませんでした。
宮廷を去った後はずっと修道院で過ごし、1710年に亡くなりました。

ルイの目は節穴かい?
こんなに無垢で愛情深い女性が側にいるというのにねぇ。
権力のある男性は、わがまま三昧のおねだり上手が可愛かったりするのかしら?
たしかに力の見せどころではあるかもね。

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipdia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

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フランス王ルイ14世愛妾 アンリエッタ・アンヌ

2010-04-17 00:05:49 | 王の寵姫・愛妾
フランス宮廷に染まったイングランド王女
オルレアン公夫人 アンリエッタ・アンヌ・ダングルテール


1644~1670/愛妾 1660以降~1665頃

アンリエッタ・アンヌはイングランド王チャールズ1世の王女で
争乱の中エクセターで生まれました。
母のアンリエッタ・マリアはアンリエッタを生むとフランスへ逃れ
2歳の時にモートン夫人に連れられてフランスに渡るまで会えませんでした。

      

17歳の時、いとこにあたるオルレアン公と結婚することになります。
前の年に兄のチャールズ2世が王政復古でイングランド王に即位していましたので
イングランド王妹とフランス王弟の結婚は、大きな政治的意義を含んでいました。

しかしオルレアン公…実は若くてハンサムな紳士が大好きという方でして
アンリエッタあまり幸福でない新婚時代を送ります。

アンリエッタは美しく機智に富んでいて、陽気でお人好しな女性でした。
恋愛にも興味津々で男性をじらして楽しむようなところもありました。

ご陽気な義兄ルイとアンリエッタはとても気が合い、親しくなって
宮廷にはよからぬ噂が漂い始めます。

一方、夫のオルレアン公はというと、アンリエッタを罵倒し
自分がどの紳士と上手くいったかをひけらかしました。
ちょっと変わった嫉妬の仕方ですよね。

いくら恋愛に甘いフランス宮廷とはいえ、王と王弟妃の不倫は
スキャンダルにもほどがある! ということで、ふたりは慎重に行動します。
特に母后アンヌ・ドートリッシュと王妃マリー・テレーズの目を欺くため
ふたりは、アンリエッタの侍女の中からカモフラージュになる女性を選びました。
ルイがちょくちょくアンリエッタを訪れるのは、侍女の中に愛人がいるから、と
思わせるためです。

そこで選ばれたのがルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールです。
アンリエッタ一生の不覚
しばらくすると、ルイーズは本当にルイの愛妾になってしまいました。

アンリエッタは腹いせに夫オルレアン公の恋人だったギーシュ伯の恋人になります。
もうぐちゃぐちゃね! 誰が誰を見返したいのかよく分からなくなってきました。

1670年、アンリエッタはルイ14世の力を借りて
夫の新しいハンサムボーイ、騎兵のフィリップ・ド・ロレーヌをリヨンで投獄し
ローマに飛ばすことに成功しました。

しかしオルレアン公は兄に泣きついたり、説得したりと手を尽くし
恋人を王の側近に戻そうとしていました。

アンリエッタは兄チャールズ2世と仲が良かったので、ドーヴァー密約の特使として
1670年にイングランドに向かいました。
使命を果たしてドーヴァーから戻った2週間後、パリ近郊のサン=クルー城で急死します。

オルレアン公による毒殺説、フィリップ・ド・ロレーヌの知人よる毒殺説が流れて
検死が行われたそうですが、腹膜炎か潰瘍という結果だったそうです。
でもね…どうかしら? いざとなったら自国の王族の肩をもつものじゃなくて?

              
               フランス風に描くとこんなかんじ…

オルレアン公はその後ルイ14世の説得で、イザベル・ド・パラティーヌと再婚します。
イザベルはアンリエッタのまた従姉妹にあたります。
オルレアン公の再婚の条件は、フィリップ・ド・ロレーヌをフランスへ帰すこと、
だったそうでございます。

革命がなくて平穏無事にイングランドに住んでいたら違う人生だったかもね?
でも、オルレアン公と結婚したら同じことになるのか…

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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フランス王ルイ14世愛妾 オランプ

2010-04-15 01:38:30 | 王の寵姫・愛妾
黒い噂を纏った愛妾
ソワソン伯夫人 オランプ・マンチーニ


1638~1708/1650以降~1679以前

オランプは1638年にローマで生まれ、父の死にともなってパリにやって来ました。
母ジローラマの兄である枢機卿マザランの威光で
1657年、サヴィワ・カリニャーノ家のソワソン伯ウージェーヌと結婚しました。
すでにこの時には、ルイ14世の愛人だという噂がたっていました。

しかしルイは妹のアンヌ・マリーに夢中だったはずだし…
マリーの代わりに…ってことでしょうか?
ちなみに、オランプはかなり簡単にルイに身を任せてしまったらしいです。

        

オランプは、ダークな髪と瞳を持つ魅惑的な女性でした。
もしかすると、ルイはマンチーニ姉妹全てに目をつけていたのかもね
オルタンスも一時期 “ 保護 ” されていたようですし…

オランプはルイ14世の弟オルレアン公の妃アンリエッタの取り巻きで
たいそう親しくしていましたが、実はアンリエッタもルイとはただならぬ仲でした。
ルイとアンリエッタのカモフラージュの女性を選ぶことになった時
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを推したのはオランプだと言われています。

しかし、本当にルイーズがルイ14世の愛妾になってしまうとオランプは激しく反抗して
「私のところへ戻って来なければ…」と脅迫までしたそうです。

1679年、オランプがルイーズを毒殺しようとしているという噂が流れます。
夫のウージェエーヌは1673年に亡くなっていましたが
これもオランプによる毒殺だと噂されました。

オランプはついにフランス宮廷から追放されて、1680年にスペインに移りました。
ところが、1689年にルイ14世の姪にあたる
スペイン王カルロス2世妃マリア・ルイサが急死すると
これもオランプのせいだということになって、スペイン宮廷からも追われてしまいます。

オランプは涙ながらに身の潔白を訴えたそうですが受け入れられず
ブリュッセルに移りました。

ブリュッセルでは音楽家のパトロンになったり、妹のマリーやオルタンスを訪ねて
イングランドへ旅行したりと、平穏な日々をすごしたようです。
1708年に亡くなりました。

夫ウージェエーヌとは(何人が本当の子かは抜きにして)8人の子供が生まれました。
その中で最も有名なのがオイゲン・フランツです。
オイゲンは、神聖ローマ軍の兵士としてフランスから勝利し続けていました。
母の悔しさを晴らしてあげたのか…孝行息子ですな。

こんなに怪しい噂がある女性、もう少し有名でもおかしくないのにね?
私が持っている悪女本には登場していません。
やはり毒がらみだとモンテスパン侯爵夫人に負けちゃいますかね

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王ルイ14世愛妾 アンヌ・マリー

2010-04-12 22:25:28 | 王の寵姫・愛妾
恋愛大王の心の恋人
アンヌ・マリー・マンチーニ


1639~1715/愛妾 1650以降~1661以前

デンマーク王妃シリーズ(長かったですね… )も終了して
次回の王室シリーズにいく前に、恒例の愛妾シリーズです。
“ 愛妾といえばフランス王室 ” という本命の中から、今回はルイ14世でいこうと思います。

マリーはローマで生まれましたが、11歳の時に父のマンチーニ男爵ロレンツォが亡くなり
兄の枢機卿マザランを頼った母ジローラマに連れられてパリに移りました。

マザランは姪にあたる5人の娘たちの美しさを最大限に利用しようと考え
後に次々と有力な家庭へ嫁がせました。

また、姉のオランプはマリー同様ルイ14世の愛妾になり
オルタンスはイングランド王チャールズ2世の愛妾になりました。

        

ただ、マリーが愛妾と言えるのかどうか…?
ルイは一時期真剣に愛したみたいですけどね。

宮廷にデビューしたマリーは、褐色の肌と陽気さ、そして美しさで人々を魅了し
ついには若き王ルイ14世の心をつかみます。
しかし、ルイにしては珍しくプラトニックなお付き合いにとどまっていました…
とはいっても、最後まではいかなかった、という意味ですね
ルイは真剣にマリーと結婚しようと考えていました。

ジローラマは占い師から、マリーが災難に巻き込まれて死に至るというお告げを聞いて
早速マザランにマリーを修道院に入れたいと訴えました。

この結婚には当然反対の母后アンヌ・ドートリッシュとマザランは
ルイとマリーの仲を割き、ルイとマリー・テレーズの縁談を急いでまとめました。

ルイから引き離されたマリーは
1661年にイタリアのロレンツォ・コロンナに嫁ぐことになりました。
ロレンツォはマリーとルイの噂を知っていたみたいで
初夜でマリーがバージンだったことを知るとビックリしたそうです。

              
               可愛いからもう一枚のせちゃうわ

1665年に3人目の子供が生まれたあたりから、ふたりの夫婦仲は悪化します。
1672年には「夫に殺される!」と言ってマリーが城を逃げ出し
その後は二度と会うことはありませんでした。

逃げたマリーは妹のオルタンスのもとに身を寄せて
1677年に回想録を書いたそうです。
何のことを書いたのかしら、ルイのこと? 夫のこと?

思えばオルタンスも夫の元を逃げ出したりしているわけだし
姉オランプも波瀾万丈だし、姉妹のことを書けばかなりセンセーショナルな本になりますね。

夫が亡くなった1689年以降にイタリアに戻り、1715年にピサで亡くなりました。

もし、ルイ14世がマリーと結婚していたらどうだったでしょう?
その後の愛妾たちは登場しなかったのでしょうか?
たぶん、そんなことはないと思うがね

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『サキ短編集』まだまだあります!

2010-04-12 00:44:51 | イギリス・アイルランドの作家
SAKI  
サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)

以前紹介した『ザ・ベスト・オブ・サキ』は、全部で90篇弱ある中から
6篇だけピックアップしたんですが、他にもまだまだ面白い話があるので
新潮社版短編集からもう少しご紹介します。

『話上手』
独身の男が、汽車の車室で一緒になった子供たちは少しも黙っていません。
子供たちの伯母はお話をしてあげますが、静かにさせることはできません。
そこで独身男が一肌脱いでお話をしてあげます。

大人には不愉快な話かもしれなくても、子供たちはとっても静かになるんです。
不道徳な方が面白いということがありますからね… 困ったもんだ。

『ビザンチン風オムレツ』
自らは裕福でありながら、労働者の立場を訴える社会主義者のソフィは
ある晩シリアの大公を招いて晩餐会を開くことになりました。
しかし、直前になって召使いたちがストライキをすると言いだしました。

自分は富を謳歌しているのに労働者の味方ぶる女性が主人公というのが
この物語をものすごく痛快にしているわけなんですけどね。
果たして上流階級から好評を得ることはできたんでしょうか?

『親米家』
ボヘミアンたちが集まるオウル街の店では、ゲプハルトの絵は不評でした。
金が底をついたらしいゲプハルトは顔を見せなくなりました。
しかししばらくすると、明らかに羽振りが好くなった彼が現れます。
常連たちは競って彼の絵を買い求めます…安いうちに。

実はゲプハルトの羽振りの好さにはわけがあります。
芸術家気取りでカフェや料理屋にたむろする人々への、皮肉たっぷりなお話。

やっぱりサキは意地悪ですよね。
笑い者になる対象がハッキリしている話や、正直者がバカを見る話も
躊躇無く書いていらっしゃったみたいです。

人をひっかけておいてオチがない話も多々あります。
自分だったらモヤモヤする…最後には「ドッキリ!」の看板を出してくれないと…

当然上手くいくだろうということが上手くいかず
上手くいかなそう、ということは、もちろん上手くいかず…
大人の自嘲とほろ苦さが堪能できる一冊になっております。

さらに岩波文庫の『サキ傑作集』につづく…
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