まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポーランド王カジミェシュ3世妃 アデレージャ

2015-01-27 23:13:40 | ポーランド王妃
15年間ほっとかれた王妃
カジミェシュ3世妃 アデレージャ・ヘスカ


1324~1371/在位 1341~1356
カジュミェシュ3世は、アルドナ・アンナの突然の死から2年後
ヘッセン辺境伯ハインリヒ2世の娘アデレージャと再婚しました。

アルドナ・アンナと結婚した時は反ドイツ同盟のためでしたが
再婚はドイツとの関係構築のためでしょうか?
政治は刻々と変化していたわけですね。
        
しかし、この結婚はアデレージャにとって大変不幸なものでした。

アデレージャは17歳で32歳のカジュミェシュ3世に嫁いでいます。
若いお嫁さんをもらって、なんでも言うことを聞いて可愛がりそうなものですが
カジュミェシュは結婚後すぐにアデレージャと別居します。

すぐに帰してあげればアデレージャにも再婚の機会がゴロゴロあっただろうに
政治情勢がそれを許さなかったのか、別居したまま結婚はダラダラと15年続きました。
離婚後、アデレージャは故郷ヘッセンに帰されましたが、32歳で帰されてもね…

ここまで、この結婚に対してどんなアクションをおこしていたのか
なにひとつエピソードが無いアデレージャでしたが、離婚から14年後の1370年に
カジュミェシュが亡くなると、自分の財産の権利を守るために戦った…ということです。

耐えて耐えて耐え忍んだ15年間の見返りはもらわなくっちゃね!!
けれども、たぶん、カジュミェシュの死から1年後、47歳ぐらいで亡くなったらしいです。
ちゃんと勝利してから亡くなったのかしら? 最後ぐらい高笑いをさせてあげたかったよ。



不倫は不倫だからいいのかもよ・・・
カジュミェシュ3世妃 クリスティーナ・ロキザーナ


1330~1365/在位 1356~1363

可哀想なアデレージャの離婚の元凶となったのがクリスティーナです。

クリスティーナはもともとプラハの商人ニクラス・ロキザン(?)の妻でしたが
夫はものすごいお年寄りで、若くして未亡人になりました。

なんでも、肌は雪のように白く、不思議な美しさと気品を持つ女性だったそうです。
なんか愛妾のコーナーで何回も書いた文章のような気がするわ。

二十歳をちょっとすぎたぐらいのクリスティーナには、その後幸運が転がり込みます。
神聖ローマ皇帝カール4世の宮廷の侍女になることができたのです。
美貌となにかしら技を使ったんじゃないかと思われるが… これは想像。

1356年、カジュミェシュがプラハを訪れた時、クリスティーナを一目見て
その時に結婚を約束した… っていうかできちゃったわけなのね。

カジュミェシュはもともと浮気者で、相手をした女性もたくさんいたそうですが
結婚までは考えてなかったんですよね。
それが、クリスティーナとは即座に結婚の決心をしたところをみると
やはりかなりの美人か、かなりのやり手だったと思えますね。

そしてカジュミェシュは、国に帰るやいなや離婚したという流れです。

この結婚には、アデレージャ支持者の教皇インノケンティウス6世が異を唱え
別れるように申し渡したそうですが、カジュミェシュはこれを無視しています。
よく破門されなかったもんだ。

けれども、こんなにスキャンダルをまき散らした末に結ばれた二人は
あまり長続きしませんでした。

クリスティーナの不妊と皮膚病が原因だと言われていますが、さてどうでしょう?

もともと浮気好きのカジュミェシュが、今までの相手とは違う! とのめりこんで
結婚したのかもしれないけど、やっぱり愛妾が似会うタイプの女性だったんじゃない?
愛妾でいたら、カジュミェシュを惑わし続けて、贅沢三昧の一生が送れたかもしれないね。

1363年には宮廷を追い出されちゃったみたいですが、その2年後まではポーランドで
生存していたらしい… ということです。

生没年は不明ですが、1800年代に出た書物には、クリスティーナのことを
高い教養をもって、カジュミェシュの遺産で裕福に過ごしていた女生と記しているそうです。
いつも微笑みを絶やさず、唇を開くよりも瞳の方が雄弁だったそうで…

たぶんカジュミェシュに捨てられた後も讃美者は後を絶たなかったとみえますね。
めでたし、めでたし。

ちなみに、カジュミェシュの没後までクリスティーナが生きていたのだとしたら
カジュミェシュの4度目の結婚は重婚ということになります。
また、クリスティーナの身分が低いことから、この結婚は無効だと見る向きもありました。
そうなると、クリスティーナ、4人目の妃ヤドヴィカのどちらかが、もし子供を産んでも
後継ぎとしては認めないと意義を申し立てることができます。

これによって各国、自分の国にポーランドの王冠が転がり込むのではと
アンジュー家あたりが浮き足立つのですが、それはまた次回…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことクラフトコーナー
職場の異動にあたり、Tさんの息子さん(!)が編みぐるみを編んでくれたのでこんなことを…
     
だんな呆れるのまき… でも周りにはウケた
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ポーランド王カジミェシュ3世妃 アルドナ・アンナ

2015-01-25 20:25:08 | ポーランド王妃
NO MUSIC,NO LIFE,な王妃
カジミェシュ3世妃 アルドナ・アンナ・ゲディミノヴナ


1309~1339/在位 1333~1339

在位も長く、国内の紛争をおさえ、領土を拡大して大王とよばれたカジミェシュ3世は
4回結婚していますが、一人目のアルドナ・アンナが一番妻らしかった妃ではないかしら?

アルドナ・アンナはリトアニア大公ゲディミナスの王女です。
同い年の二人は15歳か16歳の時に結婚しました。

お決まりの政略結婚で、ポーランドとリトアニアの反ドイツ連合を強化するために
組まれた縁談です。
カジミェシュはこの結婚のためにボヘミア王女のユッタとの婚約を破棄しています。
ボヘミアもポーランドを狙っていて、味方につけておきたい国だったと思われますが
それよりもアルドナ・アンナとの結婚の方が重要だったということでしょうね。

        

この結婚でゲディミナスはリトアニア国内にいた25,000人 ( ! ) のポーランド人の囚人を
釈放して帰国させました。
25,000人て… 囚人というより捕虜ってことかしらね?

二国間の同盟は1326年のブランデンブルク辺境伯との争いで実行されましたが
その後は消滅の道を歩みます。

けれどもアルドナ・アンナの生存中は、ポーランドとリトアニアの間に紛争は無く
アルドナ・アンナがどれほど夫や政治に影響力があったかはわかりませんが
とりあえず、この結婚がちゃんと抑止力になっていたみたいですね。

そんなことより気になるのは、彼女がものすごく音楽好きだったらしいということ。
アルドナ・アンナはどこへ行くにも宮廷ミュージシャンを引き連れていたそうです。
今みたいにスマホ持ってきゃいいというわけでなく、団体を連れてくんですからね。
莫大なコストを投じて音楽聞いてたわけです。

それから、リトアニアの異教徒にも目の前で演奏させたりしたそうです。
何事も宗教が絡む当時、いくら音楽的に魅力があるからって
異教徒を侍らせるなんて危険すぎる!

ローマ教皇に破門されちゃう怖れあり、神聖ローマ皇帝にいちゃもんつけられる怖れあり
それが原因で離婚されちゃうかもしれないよ。
英王太子チャールズがスパイスガールズのファンで観に行っちゃったっていうのとは
レベルが違いますから!

敬虔な女性だったというだけにビックリしちゃいますが
音楽は世界をひとつにする!! という近年の風潮を(かなり)早い時期に
取り入れていたわけで、平和を望む思いが彼女を音楽に走らせたのかもしれないね… って
かなり無理矢理まとめてみました。

カジミェシュ3世との間には二人の王女が生まれています。
長女のエルジェピタはポメラニア公ボジスワフ5世に嫁いで、二人に生まれたエリーザベト
後に神聖ローマ皇帝カール4世妃になります。

1339年に急死しています。
この “ 急死 ” っていうのが、この後のカジミェシュ3世を見てると怪しいんだが…
クラクフに葬られたということなので、たぶん王廟のヴァヴェル大聖堂だと思われます。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
韓国版『銭の戦争』は観よう観ようと思ってて観てなかったんだけど、日本版のダイジェスト観たら面白い~
久々に日本のドラマを録画予約しちゃった。 つよぽんは上手いなぁ… でもパク・シニャンの方も観たいなぁ… やっぱり
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『疑わしい戦い』先導と扇動…洒落言ってる場合じゃなくて

2015-01-14 22:50:41 | アメリカの作家
IN DUBIOUS BATTLE 
1936年 ジョン・スタインベック

以前読んだ『天の牧場』と一緒におさめられていたのですが
本棚を見ていたら未読だったことをふと思い出し読んでみました。

『怒りの葡萄』『二十日鼠と人間』同様、季節労働者を描いている作品ですが
『疑わしい戦い』は視点を少し変えていて、新たな問題をを提起しているみたいです。

ものすごくざっくりあらすじを書きますと…

踏みつけられて生きてきたと感じている、ジム・ノーランという青年がいます。
彼は今の生活を全て捨てて、共産党の党員になる決心をします。

ジムは、彼の指導者的存在のマック、ハンサムな集金の達人ディック、
打ちのめされすぎておかしくなった老人ジョーイとの共同生活を送ります。
数日後、トーガス渓谷のりんご農園の賃金をめぐって労働者がいきりたっていると聞きつけ
マックはストに備えてジムを連れて現地に向かいます。

トーガス渓谷は、裕福な三人の大地主が牛耳っている土地で、りんごの価格、賃金のみならず
経済も法も彼らの思いのままになっていました。

現地の農園のひとつで、労働者のボス的存在のロンドンの息子の嫁の出産を手伝って
信頼を得た二人は、労働者の話しを聞き、語り、ストの気運の高まりを確信しました。

ここからさらに高速で書くね。

その後に続いた老労働者ダンの大けがで一気に怒りが噴出しストが勃発、
共産党シンパでランチワゴンオーナーのアルの父親が経営する
小さなアンダーソン農園を借り受けた労働者キャンプの開設、
目の前で射殺されたジョーイへの哀悼の思いから盛り上がる労働者のモチベーション、
ディックが集める大量のカンパといいペースで進むストなのですが…

初代争議団長デイキンへのトラック襲撃による彼の発狂、二人をアカと罵る労働者の出現
アンダーソン農園への放火、人々の同情の衰退とカンパの減少、と窮地にたたされ
労働者たちの士気は下がっていきます。

そしてとうとう、三人の地主たちが法に訴える時がやってきます。
マックは、今後のためにも最後まで戦うべきだという説得を続けますが…

80年ほど前のアメリカを舞台にしていますが、現代にも通じる教訓がいくつかありそうです。

物語の中でマックは、ストをおこしているのは、酷使され搾取されて怒りを抱えた労働者で
自分たちはストに勝てるよう方法を教え、バックアップするだけだ、と言います。
だけどそうだろうか?

不平不満を抱えている労働者はたくさんいますが、ほとんどはしぶしぶ仕事をしています。
りんご摘みを終えた後に向かう綿摘みの農場でも同じだろうとわかっていても
今労働をして、たとえ粗末でも寝床と食べ物と手に入れなくてはならないからです。

しかしマックは、農園でおこる不幸を怒りに変えさせ
気が変わりやすい労働者の士気を下げないようあの手この手を使います。
空腹にならないよう多めの食事を与えること、深く考えこまないよう何か仕事を与えること
怒りに変換できそうなものは怪我人であろうと死体であろうと利用すること、などなど…

勝つための方法かもしれませんが、つまり演出ですよね?
ストがおこるのをただ待っているだけでなく、おこそうとしているのでは? と
思えてしかたありません。

スタインベック自身も、動機が正義であっても、行動のどこまでが正当で
どこからが正当でないのかということを、さぐりさぐり書いているような気がします。
違うな… 共産党は、当時言われていたような悪の巣窟ではないということと
しかし、その主張のゴリ押しと行動の内容はどうなのかという
疑問を描きたかったんではないかという気がします。

バートンという若い医師が登場するんですけど、彼は党員ではないけれど
ストの地に駆けつけ、党の行動(作戦)を助けるのね。
だけど時々、マックとジムに疑問をぶつけます。
なぜそうしなければいけないか? 他の人を巻き込まなければいけないか? と。

邦題は『疑わしき戦い』ですが、直訳すると『勝ち負けない戦い』で
現代的に訳すと『勝ち目のない戦い』だと、まえがきで訳者橋本福夫さんが書いています。
私も途中から、これは勝てないな… と思いました。
やはり出身も境遇も熱意もバラバラの大人数を長時間まとめるのって難しいですね。
結局、権力者は最後には勝利するのよね、映画やドラマと違って…

だけどこういった行動が、資本主義者と言う名の独裁者・排他的な国家主義の
是正につながっていっていたとしたら、完全な負けというわけではないのかもしれません。

スタインベックが社会派らしい一面を存分に表現したストーリー
読んでみたいな!という方は下の題名ををクリックしてね

疑わしい戦い〈上〉 (1954年) (ダヴィッド選書)
疑わしい戦い〈下〉 (1954年) (ダヴィッド選書)

ひとことフィギュアスケートコーナー
羽生結弦キュンもよいですが、わたしのまわりでは町田樹、通称マッチーの素敵ぶりが小さな話題になっていて
今度本が出るらしいっていうので小さく盛り上がっています。 ちなみに私は小塚崇彦ファン  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ポーランド王ヴワディスワフ1世妃 ヤドヴィカ

2015-01-12 20:50:07 | ポーランド王妃
夫唱婦随で国をつくった王妃
ヴワディスワフ1世妃 ヤドヴィカ・ボレスワヴォヴナ


1266~1339/在位 1320~1333

しばらくプシェミスル家に王座をもっていかれていたピアスト家でしたが
ヴァツワフ3世の死から16年後に、大公だったヴワディスワフ1世が王位獲得に乗り出し
1320年に王座につきます。

ヴワディスワフの血統はこんな感じ。

          

ブワディスワフとヤドヴィカが結婚したのは1293年です。
ヤドヴィカは27歳ぐらいです。
当時としては晩婚ですが、なにかわけがあったのかしら?

        

結婚した当時はヴァツワフ2世がポーランド王で、王座を狙えるブワディスワフは
潰しておきたい相手ですよね?
そんなわけでヴワディスワフの一家の毎日は危険に充ちたもので
ヤドヴィカと子供たちは隠れて暮らさなければなりませんでした。

即位したブワディスワフは、戴冠式でヤドヴィカが被る王妃の冠を新たに作りました。
「苦労をかけたね」っていう、ブワディスワフの気持ちでしょうか?
この冠はその後代々ポーランド王妃に受け継がれました。

ブワディスワフ1世の即位は、ポーランド国内でおきていた分裂を弱め
国の新たな再統一への一歩となりました。
まだまだ先は長いんだけどね…

また、ポーランドはボヘミアなどの介入を防ぐために
国外に盟友を増やす必要がありました。
そんなわけで王女エルジェピタがハンガリー王カーロイ1世に嫁いでます。

ヤドヴィカは夫の治世中は積極的に政治に参加したらしく
夫の死後は摂政なんかもしたみたいなんですけど、エルジェピエタは母の血をひいたかね?

ヤドヴィカはブワディスワフの死から6年後の1339年に亡くなりましたが詳細は不明。
スタリ・ソンチの修道院に葬られました。
なぜに夫と同じヴァヴェル大聖堂ではないのでしょう?
「墓だけは別にして!」っていう、近頃の奥さまと同じ考えだったりして…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
野村萬斎~? って思ってた『オリエント急行殺人事件 三谷幸喜版』 楽しかったさ。あの名前のこじつけ方
これから二夜目です。 犯人もわかっちゃったところからどう二時間もっていく気か? ワクワクですね
コメント
この記事をはてなブックマークに追加