まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝フランツ1世妃 マリア・テレジア

2009-12-26 00:58:46 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
ご存知!女帝
フランツ1世妃 マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ


1717~1780/在位 (皇后)1745~1765
          (ハンガリー女王・ベーメン女王)1740~1780

マリア・テレジアはよく “ 女帝 ” と言われますけれども
正式には女帝じゃないと思うんですよねぇ…

神聖ローマ皇帝になったのは夫のフランツ1世で、マリア・テレジアは皇后です。
ベーメンとハンガリーでは君主になりましたが女王です。

ハプスブルク帝国における支配者という意味でしょうけど
正式な国家の名称じゃないんじゃないかしら? いかがでしょう?

      

マリア・テレジアといえば、教育改革や軍部の強化など
偉大なる政治家としてみるべきことは多々ありますけれども、それはおいといて…

なんといっても、スペインのイサベル1世同様、恋愛結婚が有名です。

ハプスブルク家の跡取り娘ともなれば、しかも肖像画どおりの美しさなら
結婚の申し込みが殺到するのはあたりまえですよね。

              
            ハプスブルク展にもきていたマリア・テレジア像
  
しかし彼女は、幼い時にフランツ・シュテファンに会ってから彼一筋   
本当なら大国の王様クラスと結婚させられて当たり前だったのでしょうが  
フランツがマリア・テレジアの父カール6世に気に入られたことで
恋を成就することができたみたいです。 よかったね
しかし、この結婚でフランツはロートリンゲンをフランスに渡すことになりました。

ちなみに、生涯の宿敵となるプロイセンのフリードリヒ(後の2世)も
お婿さん候補にあがっていました。

マリア・テレジアの父、皇帝カール6世には男の子がいなかったので
娘が王位が継げるように、多大な努力と犠牲を払って長子相続の制度をつくり
マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンへの皇位継承を図っていました。
ヨーロッパ各国も承認してくれたのに…

いざカール6世が亡くなると、各国の王がオーストリアの王位を要求しはじめます。
はしょるけど、プロイセンの大王フリードリヒ2世はシュレージェンに侵攻して領土を奪い
バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトはベーメン王と神聖ローマ皇帝の座につきました。
上の家系図からもわかるとおり、ヨーゼフ1世皇女を嫁にしているのでね…

オーストリア継承戦争、七年戦争と続く、マリア・テレジアの長い戦いの始まりでした。
ベーメン王と神聖ローマ皇帝の座はとりもどせましたが
シュレージェンは戻りませんでした。
それでも大王と呼ばれるフリードリヒ2世を相手に戦い抜いたのはスゴいですよね!

そして驚きの16人出産 戦争しながらですよ!
さぞお忙しい毎日だったろうと、お察し申し上げます。

有名どころは言うまでもなく、ルイ16世妃マリー・アントワネットですね。
その他の公女は尼僧、パルマ公妃、ナポリ公妃、ハンガリー総督妃になっています。
フランツ1世は、メディチ家の断絶によってトスカーナ大公にもなっていたので
イタリア方面への勢力拡大をねらっていたのかしら?

あまり政治向きではなく、国家のことは妻に任せて
財政や農場経営、美術品奨励に力を発揮したという、模範的な “ 女帝の夫 ” フランツ1世は
1765年、劇場で倒れて急死します。
以後15年間、マリア・テレジアは喪服で通したそうでございます。

良妻賢母と国家君主、両方を立派にこなすのはかなり難しいと思われます。
本当だとしたらすごいですよね。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』『ハプスブルク家史話』)
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『女生徒』太宰的女性万華鏡

2009-12-22 01:41:14 | 日本の作家

太宰 治

若い頃ハマりましたよ、太宰治。
なぜかっていうと母の初恋の人(中学校の先生)の写真がすごく似ていて
気になってしまったからなのね。

記憶も薄れかけていましたので
ブームに乗って本棚から黄ばんだ文庫本を取り出してみました。

豆電球がよく似合う暗さと侘しさがあるのに、ユーモアが感じられる作風、
読んでいたら思い出してきました。

年ごろも境遇もバラバラな女性が主人公の、14篇が収められています。
主人公たちは、一見弱い立場や悩み多き状態の女性のようですが
なぜかポジティブ、というか、おおらかな印象を受けました。

女性は何も言わずに耐えるが良し!と思ってそうな気がしないでもないけどね。
でも、男ってしょうがないのです、という雰囲気も漂う…
だから許してね、ってことか?

3~4篇を選ぶのがすごく難しかったのですけれども、特に気に入ったものを…

『恥/1942年』
作品に書いてある通りの、貧しく自堕落で病気がちな作家だと思って叱咤激励の手紙を送り
ついには毛布をあげようと家まで訪ねて行ったのに…

“ 作家 ” という響きが醸し出すイメージ…今なら外国で猫と遊んでいそうですが
当時は酒浸りで女たらしタイプが主流だったのかしら?

『十二月八日/1942年』
いつものような朝支度の合間に、ラジオから「米英と開戦」と聞こえてきます。
変わらない日常のようで、新聞もラジオも会話も、戦争のことばかりになります。

第二次世界大戦開戦の日、主婦が送った一日を記したものです。
まだまだ庶民生活は長閑で、皆が「日本が勝つ!」と思っているんですよね…

『雪の夜の話し/1944年』
せっかくスルメを手に入れて、妊娠中の兄嫁に持って帰ろうとしたのに
雪にはしゃいで落としてしまいました。
そこで美しい景色を瞳の中に残して、兄嫁へのおみやげにしようと思います。

これは『少女の友』という雑誌に掲載されたそうで、とても可愛いお話です。
でも怠け者で金づまりの作家(兄)が登場したりして… 自分のことかな?

『貨幣/1946年』
七七八五一号の百円札のひとりごとです。
新しかった時はありがたがられたのに、次第に闇の世間で使われるようになりました。
でも時には、とても心温まることに使われることもあるんです。

女性に見立てられた百円札が身の上を語るんですけどね… いい話し。
お金を使う時に、この物語を思い出せば無駄遣いが減るかしら?

他にも、孤高と清貧の画家だと思っていた夫がぁぁぁ という『きりぎりす』
十二歳で将来を嘱望されてしまった少女の戸惑いを描いた『千代女』
人の良さにつけ込まれて客をもてなし続ける『饗応夫人』なんかが好きでした。

『おさん』というのは、主人公の夫が心中する話しなんですけれども
これが太宰自身の心中を、前もって茶化しているような気がして…ちょっと複雑です。

ほんと、再読して良かったわ!!
他の本も全部読み直してみようと思っています。

太宰治 筑摩書房


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ちくま文庫は表紙が素敵です
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神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世妃 ヴィルヘルミーネ

2009-12-19 02:32:16 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
夫が早世なので・・・
ヨーゼフ1世妃 ヴィルヘルミーネ・アマーリエ
          フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク


1673~1742/在位 1705~1711

ヨーゼフ1世は、レオポルト1世の後を継いでからたったの6年で
天然痘で亡くなったのね。

ヴィルヘルミーネは30年ほど長生きしてますがほとんどエピソードがございませんの。

娘のマリア・アマーリエが嫁いだカール・アルブレヒトが、後々カール7世に即位して
神聖ローマ皇帝位が、一瞬ですけど、ハプスブルク家から
ヴィッテルスバハ=バイエルン家に移ったことがあります。

        





               
女帝マリア・テレジアの母君
カール6世妃 エリーザベト・クリスティーネ
        フォン・ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル


1691~1750/在位 1711~1740

とにかく美しかったらしい…
13歳の時に皇帝ヨーゼフ1世の弟カール(後の6世)と婚約していますが
これは野心家の祖父ヴォルフェンビュッテル公と
ヨーゼフ1世妃ヴィルヘルミーネが根回しをしてまとめたそうです。
あわよくば皇帝の座をハプスブルク家からブラウンシュヴァイク家へ!ってことかしら?

         

ただこの結婚には障害が… エリーザベトはプロテスタントだったのです。
エリーザベトが素直に改宗してまるくおさまりましたけど。

1708年にカールとエリーザベトが結婚した時
カールはブルボン家とスペイン王の座をかけて戦いの真っ最中でした。
ちなみに… カールの義理の姉マリア・アントニアが嫁いだヴィッテルスバハ=バイエルン家は
この時ブルボン家側についてたのよ~ 。
思惑が入り乱れている感じがしますね。

エリーザベトはスペインで結婚し、スペイン継承戦争を夫とともに戦いました。

1711年、兄のヨーゼフ1世が亡くなったため、カールが皇帝に指名されます。
カールはものすごくスペイン王位に未練があったらしいのですがやむを得ません。

せめてバルセロナだけでも守る! というわけでしょうか?
エリーザベトを残してひとりでウィーンに出発しました。
1713年にカールが王権を放棄するまで、エリーザベトは行政官として残り守り抜きました。

カール6世は、スペイン王位は手放しましたが
ベルギーやナポリ、ミラノなどを手に入れ、領土を広げた名君です。

子供の中で成人したのはふたりの皇女で
姉が、あの、女帝マリア・テレジアでございます。

マリア・テレジアは難しい政局にあって果敢に国政を行った女王です。
もしかしたらお父様、お母様のいいところを併せ持つ
まさに、君主たる性格の持ち主だったのかもしれませんね。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
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『ブレイスブリッジ邸』挿絵があって良かった

2009-12-17 01:26:11 | アメリカの作家
BRACEBRIDGE HALL 
1822年 ワシントン・アーヴィング

そうですねぇ… 完全に今を忘れて
タイムマシンにでも乗った気分で楽しむしかないですね。

語り手がアーヴィング自身だとしたら、アメリカから英国へやって来て
「古きことは良きことかな」なんて思いながら過ごした日々を綴った1冊です。
ブレイスブリッジ邸にはモデルもあったみたいです。

語り手は、ブレイスブリッジ邸で行われる結婚式に客人として呼ばれました。

邸には昔気質の主や、皆に頼りにされるまめまめしい老人をはじめ
古い時代から続く折り目正しい使用人たち、偏屈な家畜番など
ひとりひとりに物語が作れそうなメンバーが揃っています。

さらに、客として大金持ちの心優しい未亡人と堅苦しい侍女のペアだとか
保守主義の将軍である老ダンディもお出でになります。

そしてそして、近隣に名の聞こえた農場主とその息子や
長い放浪から帰って来たけれど放浪癖が抜けない校長先生だとか
村に居座ってなにかと悪事を働くジプシーの一団なども色を添えます。

各章短くて読みやすく、小気味よくはあったのですけれど…
エピソード、舞台、登場人物のキャラクター、どれをとりましても
中途半端に古めかしい気がするんですよねぇ

2世紀も前の話しだからしかたないじゃん! と言えばそうなんですが
小説には時代のギャップを感じさせないものも多いでしょう?
いつの世も人間性は不変だ、と感じさせてくれる物語。

あるいは歴史ロマン。
壮大できらびやかな舞台、独特な雰囲気、伝説的な逸話、
そんなものを醸し出してくれる物語。

そのどちらでもないわけなんですよ。

今『カンタベリー物語』を読んでいるわけなんだが
7世紀も前の物語なのに、時の隔たりはあまり気になりませんがね…

面白くない、というのではありません。
使用人の心意気とかミヤマガラスの生態について書かれたところなんか
とてもロジックで、かつコミカルで良かったです。
でも、物語として心に残ったかというとそうでもない…という感じ。

物語じゃないのかしら? エッセイなのかしら?

どちらか分からんが、昔好きの私にしては入り込めない1冊でありました。
かなりたくさん挿入されている、古典的な挿絵に救われたような気がします。
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神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 エレオノーレ

2009-12-17 01:25:53 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
宮廷を修道院にしてしまった皇后
レオポルト1世妃 エレオノーレ・マグダレーナ・フォン・プファルツ


1655~1720/在位 1676~1705

エレオノーレの生家ヴィッテルスバハ家は名家で、しかもプファルツ選帝侯家です。
妹のマリア・ゾフィアはポルトガル王ペドロ2世に、
マリア・アンナはスペイン王カルロス2世に、それぞれ嫁いでいます。

       

レオポルト1世が二人目の妃クラウディアと再婚した1673年には
エレオノーレも再婚相手の最有力候補に挙がっていました。
なぜなら彼女の家系は多産でしたし、関係を強化したい家柄ですからね。

そんなわけでクラウディアが亡くなるとさっさと縁談が持ち込まれました。
エレオノーレはたいして乗り気ではなさそうでしたが承諾しました。

実は彼女、超ド級のカトリック信者で、ずっと修道女になりたいと思っていました。
だから両親大喜び!!
(でも中世の王侯子女には、修道院長になる人が少なくないですよね。
 けっこう権力があって贅沢ができたらしいのです)
気が変わらないうちに…かどうかは知りませんが、その年のうちに結婚しました。

エレオノーレはすぐに家政に腕を振るい始めます。
夫の旅には同行し、子供たちは自らの手で育て、そして宮廷内では節約に努めます。
彼女の信仰心は、どちらかというと苦行の傾向があったみたいで
しばしば黒ずくめの装いになったりしていました。

清貧、簡素をモットーとする厳格なカトリシズムは宮廷内を支配し始め
「なんだか、ずっと喪が明けないみたいじゃなくて?」なんて言い出す人も…
だって、それまできらびやかに生きてきたんですものね?
ほんの8年前には最初の妃マルガリータの盛大な誕生祝いがあったというのに…

エレオノーレは政治的にもレオポルト1世に影響力を持ちます。
例えば…彼女が重要な政治書類を受け取って開く様を
レオポルトは側で立って見守っていたりして、まるで秘書のようだったそう。
政治的判断力がにぶい皇帝に我が道を行く皇后… お似合いなのかもしれませんが
国にとっては良かったのやら悪かったのやら。

1705年にレオポルトが亡くなります。
後を継いだヨーゼフ1世が1711年に亡くなると、弟のカール6世が皇帝になるまで
エレオノーレは摂政になりました。
新皇帝を決める会議では女主人を務め、カール6世の選出に貢献しています。
会議、まだやってたの? とも言えますけど…

カールがスペインから帰国すると摂政から退き、宮廷からも身を引いて
慈善と信仰の日々を送り1720年に亡くなりました。

良妻とはどんな妻のことを言うのでしょうね?
例えば、マルガリータは、日々の苦労が多い皇帝を癒し、喜びを与えて
ねぎらうことができたという意味で良妻かもしれません。
でも政治的には何もフォローしていませんね?

エレオノーレは、もしかしたらレオポルトには怖い妻だったかもしれません。
気が休まるなんてことはなかったかもしれないですよね?
しかし皇帝とともに戦い、肩の荷を分け合おうという姿勢は良き妻にも思えます。
しかも、ハプスブルク家待望の跡継ぎを含む11人の子供を産んでいらっしゃる。

うーん… 難しいですよね。
やはり相手と状況次第、ということになるのでしょうか?

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
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神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 クラウディア

2009-12-15 02:03:20 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
早すぎた再婚の相手
レオポルト1世妃 クラウディア・フェリチータス
               フォン・エスターライヒ=ティロル


1653~1676/在位 1673~1676

愛妻マルガリータを亡くしたレオポルト1世は、悲しみにうちひしがれていて
再婚どころではなかったのですが、後継者は必要だしスペインのこともある、
というわけで、宮廷中の期待を背負って再婚相手探しに乗り出し
6ヶ月後に義理の従妹にあたるクラウディアとの結婚が決まります。

     

たぶん親戚だからマルガリータのことも
レオポルトが彼女を熱愛していたことも知っていたと思うのよね。

でも20歳の若さで魅力もあるクラウディアは「きっと自分を好きになる」と思って
嫁いできたと思うのよ。
若さを過信するってことはよくあることです。

それに “ 神聖ローマ皇后 ” の称号には虚栄心をくすぐられますよね。
クラウディアはその年のうちにウィーンへ嫁いできました。

しかしレオポルトは相変わらず「彼女は愛しいマルガリータではない」と
嘆き悲しんでばかり。
そんなこと言われたってさぁ…

レオポルト1世という人は優柔不断で意志薄弱な皇帝だったそうで
政治的にも断固とした態度がとれずハプスブルク家を窮地に陥れたみたいですが
再婚についても人に言われるまま早まってしまったのではないでしょうか?
もう少し悲しみが薄らいでからでも良かったと思うんですけどね。

クラウディアは女の子をふたり生みましたが夭逝し
彼女自身も2年後に22歳の若さで亡くなりました。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
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『ともしび・谷間 他七篇』所詮は他人の想ひ出・・・

2009-12-13 00:39:10 | ロシアの作家

アントン・パブロヴィチ・チェーホフ

岩波文庫から短篇集が2冊出ていたから買っちゃったよ。
やはり良かったですわ、少しクールで静かめなチェーホフの世界。

9篇が収められているこの短篇集を読んでいて考えたことがあります。
それは、思い出話って本人が思っているほどにはねぇ… ということ。

小説では、登場人物が思い出を語る…というケースは珍しくありません。
この短篇集も4篇が「こんな話しがありましてね」という感じで
登場人物の思い出が語られています。
好きか嫌いかは別にして、その4篇をご紹介。

『ともしび/1888年』
鉄道技師アナーニエフが若い頃におかした過ちの話を、助手と旅人に聞かせます。
若い頃は、助手の学生のように高尚な思想を持っていたアナーニエフは
立ち寄った故郷の町で少年の頃ヒロインだったナターリヤに出会いました。
アナーニエフは、生活に不満がありそうな彼女を一夜のお相手に…と考えます。

『箱に入った男/1898年』
狩猟に来て納屋に泊まっている教師ブールキンが獣医のイワンに語ったお話。
自分の考えと様式にこりかたまったギリシャ語教師ベーリコフを
新任教師の姉ワーレニカと結婚させようと、まわりの人々が躍起になりました。
うまくいきそうに見えたのに、ワーレニカが自転車に乗ったばかりに…

『すぐり/1898年』
雨宿りをしているイワンが、ブールキンと農園主アリョーヒンに弟のことを話します。
弟のニコライは幼い頃暮らしていた田舎のような土地に住みたくて
生活を切り詰め、好きでもない金持ちの女性と結婚し、やっと土地を手に入れました。
弟を訪ねたイワンは、ニコライの地主ぶった態度に呆れます。

『恋について/1898年』
アリョーヒンがブールキンとイワンに、悲しい結末をむかえた恋の話しを聞かせます。
彼は若い頃、裁判所副所長ルガーノヴィチの若い妻アンナに恋をしました。
アンナも同じ気持ちのように思え、噂にもなりましたが、ふたりの恋は清いものでした。
しかしルガーノヴィチの転任が決まり、アンナとの永遠の別れが訪れてしまいました。

以上の4篇は、語られる思い出話を含めて、とても良い物語なのですよ。
でも話しを聞かされている登場人物にはそうでもないみたいなのね。

『ともしび』の助手の学生は、話しを聞き終わると、すごくつまらなそうな顔で
失礼くさい返事をして、さっさと寝床に入っちゃいます。
『箱に入った男』のイワンは、いきなり別の話しを聞かせるとか言い出します。
『すぐり』のアリョーヒンは、聞いてる間に眠くて堪らなくなってしまいました。
『恋について』では、ブールキンとイワンは気まずい思いをします。
なぜかっていうと、アンナが今、けっこう近所に住んでいるからなんですけどね…

美しいものでも、醜いことでも、恥ずかしいことでさえも、
本人には忘れ難い、大切な思い出なのですけれども
他人にはそんなの関係ないもんね~っ

おしゃべりしている時に「それより私はね…」て言って、
割り込んだり、割り込まれたりっていう経験、ありますよね?
人が話している間に自分は何を話すか考えるという、カラオケ状態の経験、
話しが終わる前に次の話しがかぶさっちゃってるという、強引フェードインの経験、
特に歳を重ねる毎に多くなってきた気がする… 気をつけようっと。

物語の本当の焦点は他のところにあるということは、重々承知しておりますけれど
人の悲しい思い出話しに感動するという物語が多い中
正直なリアクションという気がして気に入りました。

好きだったお話は『かわいい女・犬を連れた奥さん』にも収められていた『谷間』
それからスノッブな若奥様が堅実な夫を裏切るお話し『気まぐれ女』でした。

ともしび・谷間 他7篇  岩波書店


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『もつれた蜘蛛の巣』メモのご用意を・・・

2009-12-11 01:30:11 | カナダの作家
A TANGLED WEB 
1931年 ルーシー・モード・モンゴメリ

私はプリンス・エドワード島の人口規模がどれくらいのものだかよく知りませんが
(Wikipediaによると2001年で13万9000人)
その中のひとつの町に、こんなにも親戚ばかりが住んでいるっていうのはどうよ? と
思わずにはいられません。

主な登場人物はダーク家とペンハロウ家というふたつの家系の人たちで
ほとんどの人たちが代々もう一方の家の人と結婚しているのね。
なにしろ何十人ものダークさんとペンハロウさんが登場する上に
もとペンハロウのダークさん、もとダークのペンハロウさん入り乱れて
さっぱりわけが分からなくなるかもしれないので、メモがいるかもしれません。

意地悪さではピカイチのベッキー・ダークおばが持っている家宝の水差しは
いったい誰に遺されるのか? を巡って一族の人たちが右往左往する物語です。
物語の中にはいくつかのラブストーリーがちりばめられています。

一族きっての美女ゲイ・ペンハロウから婚約者ノエルを奪おうとする
小悪魔ナン・ペンハロウのお話と、
ゲイを一途に愛するロジャー・ダークの愛の行方でしょ。

憎み合っていたはずのドナ・ダークとピーター・ペンハロウが
急に燃え上がっちゃうところまでは良かったが…というエピソードでしょ。

10年前の結婚式の日に夫のもとを逃げ出したジョスリン・ペンハロウの謎と
まだジョスリンを愛しているヒュー・ダークのこれからでしょ。

マーガレット・ペンハロウとペニウィック・ダークのロマンスなしの婚約のこと。
のんだくれのクリストファー・ダークの妻ソーラを愛してしまって
ひたすら夫の死を待ち続けるミュレイ・ダークのこと。
戦争のショックで妻を忘れたローソン・ダークと献身的な妻ナオミのこと。

ふうぅ… まだまだダークさんとペンハロウさんは登場しますが
ここらへんでやめておきましょうね

チクリと刺すユーモアや、女性特有の皮肉っぽさが随所にあって
モンゴメリのいたずら心が垣間見えるような気がしました。

甘くて淡い恋心や熱烈で情熱的な愛が冷める場面なんか
「フッ、恋なんてそんなもんなのよ 」というような
アダルトな悟りが描かれているように思えたんですけど…
やっぱりラストはモンゴメリらしくハッピーエンドでございます。

しかしこれだけの(結局数えきれなかった…)登場人物に
余すところ無くパーソナリティと出番を与えるというのはすごいっすね!!
ふつうは10人ぐらいで力尽きてしまいそうなものじゃないですか?
それだけでも一読に値すると思います。

さてさて、すべての発端となった水差しは誰の手に渡ったのでしょうね?
この結末には「えーーーーーーっ 」と思わないでもないですけど
丸くおさまったってことで許す(わたしは何様なのか?

もつれた蜘蛛の巣 下 篠崎書林


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角川文庫は1冊でしたが、こちらは上下刊に分かれているみたいです
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神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 マルガリータ

2009-12-10 01:18:44 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
皇帝を “おじさん” と呼んでいた皇后
レオポルト1世妃 マルガリータ・テレジア・フォン・シュパニエン


1651~1673/在位 1666~1673

ベラスケスの肖像画で有名なマルガリータ王女は
陶器のような肌、青い瞳、ブロンドヘアのとても美しい少女で
フェリペ4世の一番のお気に入りの子供でした。

15歳の時に叔父のレオポルト1世と結婚することになりました。
フェリペ4世も姪にあたるフェルディナント3世の皇女マリア・アンナ
王妃に迎えていました。
ここらへんの血族結婚は激しさを増してきますね。

         
なぜかというにスペインの王位継承が危険な状態にあったからです。
マルガリータが嫁いだ時、生き残っていたフェリペ4世の子供は
彼女以外には虚弱な王子カルロス(2世)とルイ14世妃マリー・テレーズだけでした。

もしカルロスに跡継ぎができなければ、ブルボン家が黙っちゃいません。
だってマリー・テレーズの子がいるからね!
30年戦争で領地を失ったハプスブルク家はなんとしてもスペインを守らねばならず
レオポルトとマルガリータの子供のスペイン継承権が条約に明記されました。
(でも結局ブルボン家に移っちゃうんだけどね…

               
                 国立新美術館にもきていました
                  ベラスケスによる幼き日のマルガリータ王女


ふたりには11歳の年の差があったのですけれど、ものすごく気が合ったらしく
観劇や音楽などを一緒に楽しんでとても幸せな夫婦でした。

レオポルト1世は、なんと言いますか… 気は優しくて穏やかな人で
旦那様にはもってこいだが、戦乱期の皇帝にはふさわしくなかったようです。
だから幼いマルガリータとの日々は、彼にとって至福の時だったんじゃないでしょうか。

マルガリータはレオポルト1世を “ 皇帝 ” とか “ 陛下 ” と呼ばずに “ おじさん ” と
呼んでいたらしいよ
叔父だから間違いではないが、ニュアンスとしては(勝手に想像すると)
「おじさまぁ~ 」って感じかしら?

マルガリータの17歳の誕生日にはイタリアから作曲家を招いてオペラを催し
盛大にお祝いしました。
このオペラは17世紀のウィーンにおける最高傑作だと言われています。

そんなラブラブのふたりに悲劇が…

マルガリータは7人目の子供を流産した後21歳で亡くなってしまいました。
やはり、あまり早くから出産するのはどうかと思うよ…
いくら愛しているからって…女性のからだもいたわってほしい。

レオポルト1世の悲しみは尋常じゃなかったそうでございます。
悲しむぐらいなら少し考えて子づくりをしたらどうだったのかね?

結局子供たちも夭逝し、スペイン王位を継ぐ男の子はいませんでした。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

ハプスブルク家 講談社


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神聖ローマ皇帝フェルディナント3世妃 エレオノーラ

2009-12-08 01:34:17 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
芸術・商工の母
フェルディナント3世妃 エレオノーラ・マグダレーナ
                  ゴンザーガ=ヌヴェール


1630~1686/在位 1651~1657

30年戦争で、ロレーヌ、スイス、オランダなど多くの領地の主権を失ったハプスブルク家は
イタリア獲得に本腰を入れ始めたんでしょうかしら?
ゴンザーガ家再登場です。
ちなみに、この頃はメディチ家との婚姻も増えているような気がします。
(そういえば二人目の妃マリア・レオポルディーネの母クラウディアもメディチ家)

         

フェルディナント3世とエレオノーラは1651年に結婚しました。
エレオノーラは21歳、フェルディナントは43歳ね。

ハプスブルク家も芸術には力を入れていたもののイタリアにはかないませんがな!
エレオノーラはウィーンの芸術と商工を保護し、発展させた皇后と言われています。

自らも詩を書いていたエレオノーラは、学術の発展にも努め学芸大学も設立しました。
彼女もまた、かなり厳格なカトリック信者でしたが
文学においてはカトリックとプロテスタントの作家を差別することなく保護したそうです。
こういう姿勢、君主や指導的立場の宗教家にも見習ってほしいですね。
そうすれば過去の戦争の大半は起こっていなかったかもしれないのに…

1657年にフェルディナントが亡くなり未亡人になった後も
エレオノーラは宮廷では舞踏会や祭典を仕切る人物として重要な役割を果たし
芸術面ではパトロンとして活動を続けました。
また、修道院もいくつか設立しています。

たしかに、未亡人とは言っても27歳ですものねぇ…
隠居するには早すぎます。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『むずかしい愛』冒険という名の日常

2009-12-05 01:35:07 | その他の国の作家
GLI AMORI DIFFICILI 
1958年 イタロ・カルヴィーノ

イタリア人作家の本はこれだけしか読んだことがないと思います。
何故に持っていたのかさえ分からない1冊…でもけっこう愉快に読めました。

直訳かどうかは分かりませんが、すべて『◯◯の冒険』という題がついている
短篇が12篇収められています。
冒険? と思われるものもありますけど、好きだった話しを3つばかりあげてみます。

『ある海水浴客の冒険』
イゾッタ夫人は沖の方でひと泳ぎして浜辺に戻ろうとした時
セパレーツの下が無いことに気がつきます。
誰かに助けを求めようとするものの、誰もが意地悪に思えて…

きゃー! 恥を忍んで生き続けるか、威厳を守って死にゆくか…難問です。
水がすごく澄んでいる海のようで、イゾッタ夫人は見られないように泳ぎ続けるの。
そのうち疲れてしまうだろうに… 彼女はどうなってしまうと思いますか?

『ある読者の冒険』
読書が病的に好きなアメデーオは、いつもの休暇のように本を抱えて浜辺にやってきます。
人の少ない岩場で読書をしていると目線の先にひとりの女性がちらつきます。
どうやら彼女は誘っている様子… でもアメデーオは読んでいる本が気になって…

これは、その気持ちわかる! というおはなし。
アメデーオほどではないにしても、丁度いい時にっ! ということがあるんですよね。
しかし、明らかに自分より読書、という相手を誘い続ける女性もどうなんだろうか?

『ある夫婦の冒険』
工場の夜間勤務をしているアルトゥーロが朝家に帰って
妻のエリデとしばし戯れるとエリデの出勤時間になります。
夕方疲れて帰って来たエリデが不機嫌になり、ふたりで諍いをしていると
アルトゥーロの出勤時間がやってきます。

このふたりにはまだ愛が感じられるんだけれども、この先どうなっていくかは…
まったくもってすれちがいの結婚生活、ある意味冒険とも言えます。

他には、兵士、悪党、会社員、写真家、旅行者、近視男、妻、詩人、スキーヤーの
冒険と名のつく物語が書かれています。
舞台はイタリア各地で、登場人物も多種多様、短いながらも内容は多彩です。

田舎やリゾート地を舞台にしたものは美しい風景を描き
町の物語では都会を彩る人や小道具をちりばめて、女性を愛でることを忘れない。
カルヴィーノという人はイタリアが大好きな作家だったんじゃないでしょうかね?

解説をささっと読んでみると、もしかしたら哲学的な人なのかもしれません。
読む人が読めばけっこう哲学が感じられるお話だったのかしら?
たしかにエンディングにそういう傾向が見られないでも無い…よく分かりませんけど

さしあたって、哲学が感じられても感じられなくても面白い本だと思います。

むずかしい愛  岩波書店


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神聖ローマ皇帝フェルディナント3世妃 マリア

2009-12-04 02:22:32 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
そんなにエピソードがないのです…
フェルディナント3世妃 マリア・アンナ・フォン・シュパニエン


1606~1646/在位

母はフェルディナント2世の妹マルガレータで、マリアとフェルディナント3世は
いとこ同士になります。
お得意の血族結婚ですね。
         
イングランドのジェームズ1世は王太子チャールズ(後の1世)と
マリアを結婚させようとしていて、チャールズはマドリッドを訪れてまでいますが
結局(プロテスタントの)議会が承認せず破談になりました。
しかしチャールズはその後、議会の反対を押し切って
フランスからカトリックのアンリエッタ・マリアを妃に迎えているんですけれどもね。

結婚のお祭り騒ぎは1ヶ月も続いたそうです。
さすがハプスブルク家同士!
ふたりの結婚生活は幸せだったそうで、マリアもフェルディナントのことを
とても気が合う相手だと言っていました。

しかしハプスブルク家は30年戦争のまっただ中で、戦況は良くありませんでした。
一家はリンツに避難し、マリアはそこで6人目の子供を授かりましたが
妊娠中毒症で亡くなります。
その時に生まれた娘はしばらくは生きていたのですが亡くなってしまいました。
マリアと名付けられた娘と母マリアは一つの柩に納められて埋葬されたそうです。




              
さらにエピソードがないのです…
フェルディナント3世妃 マリア・レオポルディーネ
               フォン・エスターライヒ=ティロル


1632~1649/在位

マリアもフェルディナント3世の従妹で、ラインは違えど血族結婚です。
1648年に結婚し、翌年出産の時に亡くなりました。

        

1648年は30年戦争終結の年で、ハプスブルク家は大量に領土を失っています。
あまり良い時を夫と過ごせず、17歳で亡くなるとは… 可哀想すぎる人生ですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『光ほのか』最後に見せた悲しみ

2009-12-04 02:09:57 | フランスの作家
DOUCE LUMIERE 
1937年 マルグリット・オード

私は作家の生活状況や心理状態を顧みない読者ではありますが
オードが亡くなる直前に書き上げたというこの一冊は
死を前にした彼女の暗澹たる気持ちが表れているような気がしてなりません。

『孤児マリー』『マリーの仕事部屋』
両親を早く亡くしたマリーの、少女から女性へを描いた物語でした。
主人公は苦境に立ち向かうタイプの女性ではありませんが
軽やかに、しなやかに人生を生き抜いている印象がありました。

『光ほのか』の主人公も同じような境遇の、同じような性格の女性のようなのに
なにかが違う気がする…

主人公エグランティヌ “ ほのか ” は両親を亡くして祖父に引き取られた少女です。
祖父は彼女が生まれたことで、息子の嫁、息子、妻が死んでしまったと思って
孫娘を憎んでいます。
学校に行くようになると、おとなしいせいで皆からいじめられました。

でも実は彼女はまったく寂しくはありませんでした。
乳母をしてくれたクラリッスおばさん、犬のトゥー坊がそばにいましたし
たったひとりの親友マルグリットもいました。
それに子供の頃から一緒に遊んでいたノエルと愛し合うようにもなり
ついには結婚の約束もしたのです。

けれど祖父が亡くなり、悪い噂のせいでノエルの心が離れていき
クラリッスおばさんが亡くなり、トゥー坊まで死んでしまって
ひとりぼっちのエグランティヌはパリへ出ます。

ここから、はしょりますけど…
結局エグランティヌはノエルのことを愛し続けて結婚をしないの。
パリでの20年来の隣人で、妻の悲しい思い出を持つジャックとはお互いを理解し合い
身も心もひとつになるのに、ふたりが愛しているのは別の人なんですよね。

もう、一緒になっちゃえばいいじゃないの! と私なら思います。
たぶん読んだ人の半分ぐらいはそう思うんじゃないでしょうか?

でもそうはいかないうちに、エグランティヌにもジャックにも
不幸が… どんどん不幸が…

マリーものと同じような物語でありながら、この物語後半に圧倒的に漂う虚無感。
これをオードの心情と言わずしてなんと言いましょう?
やり残した、できなかった様々な出来事が胸をよぎったのでしょうか?
味わうことができなかった家族の愛や、叶わなかった恋を思い出したのでしょうか?
決して幸せではなかった人生を憂いでいたとは思いたくありませんが…

でも、オードは最後まで慈悲深い心の澄んだ女性だったそうですよ。
それは主人公エグランティヌの人柄にも、とてもよく表れています。

あと8ヶ月、刷り上がった本が書店に並ぶまで生きていられれば良かったのに、と
思わずにはいられませんが、万事に控えめなオードらしい逝き方だったのかもしれませんね。

光ほのか  新潮社


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神聖ローマ皇帝フェルディナント2世妃 マリア

2009-12-02 02:01:43 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
とりあえず・・・
フェルディナント2世妃 マリア・アンナ・フォン・バイエルン


1574~1616/在位せず

フェルディナント2世はガチガチのカトリック教徒でして
カトリック派を率いて30年戦争を戦った皇帝として有名です。

その最初の妃になったのは従姉にあたるマリア・アンナでした。
うーんと…家系図的にはにぎやかなんだが、彼女のエピソードは何も…
フェルディナントが皇帝になる3年前に亡くなっています。
      



               
国のために結婚したというのに・・・
フェルディナント2世妃 エレオノーラ・ゴンザーガ


1598~1655/在位 1622~1637

マントヴァではたぐいまれな美しさで名高かった少女エレオノーラは
フェルディナントが皇帝になって3年目の1622年に結婚しました。

     

すでに30年戦争は勃発していて、ドイツ国内の新教派
例えばプファルツ、ブランデンブルク、ザクセンなどの公女や
ヨーロッパ諸国の新教派である北欧、イングランドあたりから
妃を迎える状況じゃなかったのかもしれないね。
フランスはカトリックですが仲悪いしイタリアの取り合いをしているし…

しかしゴンザーガ家はこの結婚で恩恵を受けることはありませんでした。
1630年のマントヴァ継承戦争の際には同盟国であるはずの皇帝軍に
都市を破壊されてしまう始末。
故郷がそんな目にあうなんて、嫁いで来たエレオノーラはどう思ったことでしょうね。

エレオノーラは美しいだけでなくとても信心深い女性だったそうで
(中世では敬虔であるというのは美徳だったみたいですね)
グラーツやウィーンなどにいくつかのカルメル派修道院を設立しています。

夫の死後もオーストリアで暮らしていたらしく
1655年に亡くなるとカルメル派の修道院に埋葬されました。
1782年に聖シュテファン大聖堂に移葬されています。

国のために…と若い身空で異国へ嫁がされた各国の王女たちですが
故国との関係が上手くいくならまだしも、失敗に終わった時の後悔って…
想像するにあまりある哀れさですよね。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家史話』 Wikipedia英語版)
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