まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王ルイ11世妃 マルグリート

2009-02-28 21:45:11 | フランス王妃・王女
可愛いだけじゃだめでした
ルイ11世妃 マルグリート・デコッセ


1424~1445/在位せず

まだまだイングランドとは不穏なフランスは、挟み込んでしまいましょうと
スコットランドのジェイムズ1世から皇太子ルイの妃を迎えました。

      

12歳で嫁いできたマルグリートはとても可憐で美しく、その上優雅で
父王シャルル7世の大のお気に入りになり、臣下の評判も上々でした。
しかしまだまだ子供っぽく、恋愛などに興味津々で、ポエムなどを書く少女に過ぎず
(だって12歳だもの)自分では疎外感を感じていたようです。

そんなマルグリートとルイの夫婦仲は最悪でしたが、その大きな要因のひとつは
ルイと父王が喧嘩を始めると、しばしばマルグリートが王の味方をすること…
うーん 子供の喧嘩ですね。
ルイもマルグリートのひとつ年上の十代まっただ中、反抗期ですかね。

思えばいくら広いとはいえ、宮廷内には父母、祖父母のみならず
叔父だ叔母だ、従兄弟だ従姉妹だ小姑だ…と一族郎党がいるわけで
そんなところへ外国からやてきて、誰を頼りにすればいいのか迷いますよね。
現代ならまだお母さんにご飯作ってもらってる年齢ですからねぇ。

不幸な結婚によってマルグリートは鬱症状に陥り、自分に対するゴシップは
夫ルイの仲間に流されていると思い込むようになりました。
(ちなみにそのゴシップとは、詩人を集めて不貞をはたらいているとか
 子供が欲しくないのでコルセットで締め付けているとか…)
身も心もボロボロになったマルグリートは、21歳の時、出産で亡くなりました。

最後の言葉は「あぁ、人生なんて! その話しはしないで」ですって。




             
ひたすら待つ女
ルイ11世妃 シャルロット・ド・サヴォワ


1443~1483/在位 1461~1483

ルイはマルグリートの死から6年後、8歳のシャルロットと再婚します。
8歳・・・だんだん驚かなくなってきました
で、シャルロットは15歳の時第一子を生んでますが、それも驚かなくなりました。

      

なんだか分からんが、シャルロットはいろいろな美徳を備えていたようなのです。
でもルイは彼女にかまわずほったらかし状態。
驚くべきは、1461年にルイが王に即位すると
シャルロットは即座にブルゴーニュへ追っ払われてしまったということです。
しかもなんの手当も与えず、シャルロットはブルゴーニュ公妃イザベラの助けがなければ
暮らしていけないような有様でした。
王妃が一領主の庇護を受けるなんて…

不思議なのはその後も5人ばかり子供が生まれているんですよねぇ。
気が向いたら行って…ってことですかね? 
女嫌いかと思ったら愛人も何人かいるのよね。 ふざけた野郎だぜ

ルイ11世は名君の部類に入るそうで、百年戦争で荒廃したフランスを立て直したそうですし
「最もキリスト教的な王」と言われるほど敬虔に教えを守ったそうですが
偏屈で陰険だったらしいです。

人里離れた地方で寂しい人生を送っていたシャルロットは
ルイ11世の死から4ヶ月後、アンボワーズで亡くなりました。
王がやって来るのをひたすら待つだけの短い人生…羨ましくないですね。

(参考文献 柴田三千雄『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
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フランス王シャルル7世妃 マリー

2009-02-28 21:44:55 | フランス王妃・王女
家族ぐるみで王に貢いだ
シャルル7世妃 マリー・ダンジュー


1404~1463/在位 1422~1461

シャルル7世と王妃マリーは共に
ジャン2世とポンヌ・ド・リュクサンブールの血を引いています。

      

1422年にマリーと結婚する2ヶ月前、シャルルは王の宣言をしましたが
0歳のイングランド王ヘンリー6世(の摂政)が正式な後継者として
王を宣言していました。
シャルルを王と認めたのはアルマニャック派だけでした。

2人が戴冠をするのは1429年、ジャンヌ・ダルクの活躍により
オルレアンを取り戻してからになります。

シャルル7世は、イングランドを撃退し完全に王権を取り戻すために
マリーの実家アンジュー家、中でも母ヨランダ・ダラゴンから莫大な援助を受け
1453年、やっと百年戦争を終結させました。

それなのに! そんなに世話になっておきながら!
シャルル7世は、1440年頃から愛妾アニェス・ソレルに入れあげるようになります。
彼女は王を尻にしき、派手好きで宮廷を華美にし、女王のように振る舞ったとかで
息子ルイ(後の11世)は公然と父王に反抗するようになります。

1450年にアニェスが毒殺された時にはルイも疑われたりしたようですが真相は不明です。
でもマリーは犯人にお礼が言いたいくらいだったでしょうね。

マリーは王の死後2年たった1463年に亡くなりました。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
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フランス王シャルル6世妃 イザボー

2009-02-28 10:31:25 | フランス王妃・王女
軽佻浮薄? 権謀術数?
シャルル6世妃 イザボー・ド・バヴィエール


1370~1435/在位 1385~1422

稀代の淫蕩ぶりと放蕩三昧ぶりが取り沙汰され悪評名高いイザボーは
15歳の時2歳年上のシャルル6世と結婚しました。

どうしていきなりドイツ方面から王妃を? と思ったのですけど
ルクセンブルク家とかハプスブルク家への牽制でしょうかね?

2人の結婚生活は平穏無事に過ぎていったようですが
1392年頃からシャルル6世がしばしば発狂するようになり
“ 狂気王 ” といわれるようになってしまいます。
王は母ジャンヌ・ド・ブルボンからブルボン家の呪われた血を引き継いでいました。

王の摂政の座を巡ってアルマニャック派とブルゴーニュ派が
内戦を繰り広げるようになりますが、イザボーの悪評はここから始まります。

まずはアルマニャック派の王弟オルレアン公ルイと関係を持ち始めます。
オルレアン公は1407年、ブルゴーニュ公ジャンの家臣に暗殺されますが
イザボーが生んだ12人の子供のうち8人は、王が発病した1392年から
オルレアン公が亡くなった1407年までに生まれています。 あやし~ね

シャルル6世は、発病(分裂症らしい)していないと、まったく普通の人でしたが
発病するとイザボーが誰だか分からない上に怯えだすということで
愛人をあてがいましょう、ということになりました。
オデットという女性が1405年頃からお相手を務めています。

気を悪くしたのかどうだか分かりませんが、イザボーは王に変わって、というか
王よりしゃしゃり出てヴァロア家の結束を固めようとしますが、
アルマニャック伯(彼とも噂があります)にパリから追放され
その腹いせかブルゴーニュ公ジャンと関係を持ち始めます。

       

なんで身内ばっかり? 自分の魅力でヴァロア家をまとめようとしたのでしょうか?
だとしたら、彼女も必死で闘っていたことになりますが。

彼女のお騒がせは留まるところを知らず、1420年、イングランドとトロワ条約を結んだ際
王太子シャルルが王の子ではないという噂を否定しなかったためシャルルは後継者から外され
王は娘カトリーヌの婿イングランド王ヘンリー5世を後継者に指名してしまいます。

また、放蕩に耽り、子供たちは食べる物が無く修道院に庇護を求めたことさえ
あったと言われています。(それも1度じゃないの!)

1422年に王が亡くなると、ヘンリー5世が王と宣言した統制下に居座り
こりもせず政治に影響を及ぼしたといいますが
同じ頃王位を主張して戦っていた息子シャルル(7世)のことはどう思っていたのでしょう?
父親は誰にせよ、母親はイザボーだろうに。

1435年イザボーがパリで亡くなると、待ってましたとばかりに
シャルル7世(及びアルマニャック派)とブルゴーニュ派は和解しましたとさ
めでたしめでたし。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
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『愛国殺人』詳しくは言えなくて・・・

2009-02-28 01:38:43 | アガサ・クリスティ
THE PATRIOTIC MURDERS 
1940年 アガサ・クリスティ

この『愛国殺人』という題名の説明を詳しくしちゃうと犯人が分かってしまうので…
どうやって書き出したらいいか悩んでいます
『古畑任三郎』みたいに犯人を明かしとくという手もありますが
読み進むうちに謎解きをするという面白さが半減ですものね。

事件はポアロが通っていた歯医者が銃で頭を撃ち抜いて死んだことから始まります。
その後、歯医者が死んだ日に治療を受けた患者が毒薬で死亡したことが判明し
薬を間違えたことに気がついた歯医者が自殺したのでは? ということになるのですが
ポアロはもちろん納得いかないんですよね。

でもなぁ、登場人物やあらすじを紹介すると犯人が分かっちゃうんですよね。

じゃあ、単純な事件なんだ! と思われるかもしれませんが、違うんです。
確かに犯人が分かってからは、この人物に辿り着くべきであったということが
ハッキリしてくるのですが、別々の4つの事件が入り組んでいていて
(患者名簿の中のひとりの婦人が死体で見つかり、ひとりの男性が銃で撃たれる
 殺人未遂事件がおこるのです)
どう繋ぎ合わせていくのか、はたまた繋がっているのか? うずうずしますよ。

私、アガサ・クリスティの推理小説は早く結末に辿り着きたくて急いで読むのですが
この本は特にそうでした。
途中でだいたい目星はつきますけど、それでも最後まで面白さは衰えません

ヒントを出すとしたら…
この物語の終わりにポアロが犯人に「無駄な命などひとつもないんですよ」と
説くところがあるのですが、きっとこの犯人には理解できないでしょう。
自分のためじゃなく、国のためにやったと思ってるんだからね。
あら、大ヒントを書いてしまいました

ポアロの怒り大爆発!
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ドラマも見応えあり!でした
見てみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

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『デイジー・ミラー』最後まで読んでみて!

2009-02-27 00:11:04 | アメリカの作家
DAISY MILLER 
1878年 ヘンリー・ジェイムズ

最後の最後まで “ つまんない話し~ ” と思いつつ読んでましたよ。
ところが最後の6ページでちょっと考えが変わりました。

長年ジュネーヴで暮らしてきたアメリカ人青年フレデリックが
アメリカからヨーロッパ旅行に来ていた若い娘デイジー・ミラーに魅せられ
彼女と関わった半年あまりの間の物語です。

デイジー・ミラーは、おきまりのとてもとても美しい娘で
自分でも十分そのことを認識している様子…かなり高慢ちきにみえます。
無邪気で奔放で、当時の堅苦しいヨーロッパの(上流階級の)考え方や習慣は
理解できないし、理解したくもないというタイプです。

一方のフレデリックはアメリカ人ですが、長くヨーロッパで暮らしたために
思考がヨーロッパ的になっているし、一緒にいる伯母が昔気質で
蓮っ葉で下品な女は大嫌い、ときています。

夏のヴェヴェーで3日ばかりの親交を結んだふたりは冬のローマで再会しますが
デイジーはかの地で常識人なら眉をひそめるほど目に余る行動をしていました。
(といっても、男性とふたりで出歩いたり夜遅く男性の客があったり、という
 ぐらいのことなんですけどね)
フレデリックは、美貌のイタリア男性ジョヴァネリと連れ立って歩くデイジーを
不快に思いながらも慕い続けますが、ある夜、突然彼女への思いが冷めます。

フレデリックという人は、デイジーに会った瞬間からメロメロで
お世辞三昧だわ、彼女を庇うわ、言いなりになるわで見ててムカムカするのよね。
ローマでは、ジョヴァネリと出かけて留守だったり、ジョヴァネリと
一緒だったりするのに何度も何度もデイジーを訪ね、バカにされても顔を見に行って…
「なんだこいつ」状態ですよ。
顔がきれいだったらそれでいいのか~  そりゃそうだろうけど…

そんなわけで私はてっきり、面食いフレデリックの恋と破局、あるいは成就までを
綴ったものだと考えていたわけですが、最後にもしかしてそれは間違いではないか?
これはデイジーの恋の物語ではないか? と思ったのです。

物語の中に、デイジーが “ ◯◯と思った ” という場面や
デイジーの感情を表す言葉は一切でてきません。
ところどころ “ 怒ったようだった ” とか “ 無関心そうに ” などと書かれていますが
それは全てフレデリックが感じたことで彼女がそうだったというわけではないのです。
けれども最後にデイジーの恋心が、手に取るように、というのは大袈裟だとしても
かなり鮮明に見えるのです。

幼稚で未熟なアプローチだったかもしれませんが、若い娘なりに一生懸命悩んで
考えだしたと思われる “ 相手の気を惹こう作戦 ” 。
このやり方は失敗も多いしあまり賢明だとは思えませんが、健気です。

とりあえず最後まで読んでよかった

デイジー・ミラー 新潮社


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『フォークナー短編集』白と黒の呪縛

2009-02-26 01:26:15 | アメリカの作家

ウィリアム・フォークナー

なんて言えばいいんでしょう?
私はこの本の中に収められている8篇の、どの登場人物にも
好意を抱くことができません … なんらかの感情すら持てないですね。

これらの短編の多くは舞台が南部で、白人、黒人、インディアンが登場している
ストーリーなのですが、当時どういう行いが “ 是 ” とされて
何が “ 非 ” とされるのかを判断するのはとても難しいという思いしかありません。

もちろん奴隷制度や一人種による他人種への迫害などが悪であることは
現代に生きるものなら理解していることですが、それが当たり前とされる環境に
生きていたら自分がどういう行動をとるか、まったく予測がつきません。
いったいどうしているだろう? 私は長いものに巻かれるタイプだからなぁ…

たぶん、南北戦争直後(1865年)あたりの物語が描かれているのですが
フォークナーはこちらが悪でこちらが善である、という書き方はしておらず
起こった事のみを淡々と連ねています。
人物の性格や感情などはできるだけ排除され、事の成り行きに釈明などもなく
善悪を判断する材料を与えることさえ拒んでいるようにみえます。
ありのままを受け入れろということでしょうか?

いくらか好きな物語は他にあったのですが、人種にふれた作品をあげてみます。

『あの夕陽(That Evening Sun)/1931年』
コンプトン家の料理人ナンシーは姿を消した夫ジーズアスを怖れて
独りで自分の小屋へ帰りたがらず、家の子たち3人を執拗に誘って連れ帰ります。
子供を迎えにきたコンプトン氏は恐怖に怯えるナンシーを独り残して小屋を後にします。

『乾燥の九月(Dry September)/1931年』
中年のミス・クーパーが黒人男性のウィル・メイズに乱暴されたと言いだし
町の白人男性たちはいきり立ちます。
ふたりを知る理髪師ブッチは濡れ衣だとウィルを庇いますが、怒った男たちの
私刑(リンチ)を止めることはできませんでした。

『孫むすめ(Wash)/1934年』
戦争後も北部へ行かず、20年もの間サトペン大佐に仕えてきた老人ワッシは
落ちぶれ酒浸りになった60歳ちかい主人が、自分の15歳の孫むすめに
手をだした時も責めようとはしませんでした。
しかし、孫むすめが女の子を生んだ時「雌馬なら立派な小屋を造ってやるのに」と
いうサトペンの言葉を聞いたワッシは今までにない行動にでます。

『あの夕陽』は黒人夫婦の問題になるべく立ち入るまいとする主人一家の話しです。
憐れみをかけてあげるでもなく、放り出すでもなく…
使用人に煩わされたくないという姿勢がみてとれます。

他2篇は、概要だけ読むと白人の横暴ということになるのでしょうが
彼らは何十年もそうやって生きてきた人たちです。
「あなたたちのやっていることは酷いことなのだ」と言われたところで
キョトンとするだけでしょうし、笑い出すかもしれません。

この本を十何年ぶりに読んだ今、オバマ大統領の就任がアメリカにとって
どれだけ大きなCHANGE!であるか、少しだけ分かったような気がします。

余談です
『納屋は燃える』(Barn Burning)というのがありまして
怒りのあまり納屋に火をつけてばかりいる男性の話しなんですが
放火の理由は全く違うけど、村上春樹氏に『納屋を焼く』という短編がありますよね?
なにかインスパイアされたのかしら? それとも無関係かしら?
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フランス王シャルル5世妃 ジャンヌ

2009-02-25 07:52:50 | フランス王妃・王女
呪われた血筋を持つ
シャルル5世妃 ジャンヌ・ド・ブルボン


1338~1378/在位 1364~1378

シャルル5世は、皇太子時代の12歳の時、同じ年のジャンヌと結婚します。

“ 賢明王 ” といわれるシャルル5世は、見た目は小さな頃煩った病のせいで
決して “ 見目麗しい ” 王ではありませんでしたが、財政や経済に通じていて
まれに見る知能の持ち主だったと言われています。

一方、ジャンヌはブルボン家の出身ですが、祖父の初代ブルボン公ルイ1世
父のピエール1世、兄のルイ2世などは、なんらかの精神疾患を持っていて
ジャンヌもその不幸な血を受け継いでいたと思われます。

      

ジャンヌの精神疾患は7人目の子が生まれた頃からその兆候が強くなりました。
9人の子供が生まれましたが、その中の7人が10歳になるまでに夭折し
成人したのは後のシャルル6世とオルレアン公ルイだけでした。

不幸なことに、シャルル6世はジャンヌから呪わしい血を受け継いでしまい
“ 狂気王 ” といわれた彼のもと、フランスは内戦に陥ります。

ジャンヌは9人目の子、王女カトリーヌを出産した時に亡くなりました。
実は陣痛の最中に風呂に入りたいと言いだし、医者の忠告も聞かず
こっそり入浴したことが原因でした。
その直後カトリーヌは無事生まれたものの、ジャンヌは命を落とします。

シャルル5世はこの知らせを聞くと大変な打撃を受け、2年後に亡くなるまで
完全に回復することはありませんでした。

ジャンヌの精神疾患がどの程度のものかは分かりませんが、非道な王が多い中
愛を注いでくれた王が側にいる幸せを理解することはできたのでしょうか?
理解できていたらいいなぁ… 
残されている銅像などは2人の仲睦まじさが表れているように見えるんですけど。

              

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『厚化粧の女』船上の愛あれこれ

2009-02-25 00:53:31 | フランスの作家
LA FEMME FARDEE 
1981年 フランソワーズ・サガン

豪華客船の旅、けっこう憧れる人多いんじゃないでしょうか?
老後の楽しみにしてたりとか、ジャンボが当たったらとか。
でも私はけっこう厄介なものじゃないかなぁ、なんて思ってるんです。
気の会う人ばかりだったらいいけど、すごくいやな奴が何人かいたりしたら
数日間せまい空間に閉じ込められ一緒に過ごすってかなり苦痛です。

毎年恒例秋の音楽旅行のために、遊覧船ナルシス号に乗船した特等客の面々が
10日間にわたる旅で愛憎劇を繰り広げます。

軸になっているのは、完璧を装っている夫エリックによって自信を無くした
“ 厚化粧の女 ” クラリスと、楽天的で親切なイカサマ師ジュリアンの愛。
10日間でふたりの心はどう変化していくのでしょうか?

そして彼らを取り巻くのが、大プリマドンナと彼女を真剣に愛する美貌のジゴロ。
そのジゴロに思いを寄せるパーサー(男です)。
若い頃プリマドンナと関係があった偏屈な音楽家。
一躍脚光を浴びたルックスの冴えないプロデューサーと、役が欲しいだけで
彼と付き合うエゴイストの新人女優。
常連のひとり、ゴシップが大好きな富豪の妻と、数字にしか興味が無いその夫。

冒頭、登場人物が船に乗り込むシーンでは、アガサ・クリスティーか?
と錯覚しましたよ。
こんなにゴージャスな曲者ばかりが船上に会するなんてね。
幸い殺人事件はおこりませんでしたが、旅は平穏無事というわけには
もちろん、いきません。

サガンが45歳ぐらいの時に書かれた物語ですが、ぐんと華やかな感じ。
映画になったようですが、確かにスクリーン映えしそうな物語だと思います。
真っ青な海と輝く太陽と純白の船影、満天の星空とワインと圧倒的な音楽、
恋のひとつでもしなきゃって気になるでしょうね。

船長だったかな? 富豪のボーテ=ルブレッシュ夫人だったかしら?
旅の終わりに「今年ほどいろいろあった航海はなかった」みたいなことを言うんですけど
毎年あるんじゃないかしら?こんなロマティックなツアーじゃ。

デビュー当時のはかなげな瑞々しさは失われているとしても
ストーリーテラーとしての円熟味を増した面白い1冊だと思います。

厚化粧の女 (上) 集英社


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まずは上巻から…
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『悲しみよ こんにちわ』末恐ろしい…いろんな意味で

2009-02-24 01:10:26 | フランスの作家
MONJOUR TRISTESSE 
1954年 フランソワーズ・サガン

ご存知サガンの衝撃のデビュー作。
思春期特有の身勝手さと、アンニュ~イなどうでもよさが漂う
厭世観持ちの若者らしい物語なのですが、その文章力に驚愕です。

老獪というか狡猾というか…何気ないふうを装って、シンプルなことばの羅列に
喜怒哀楽や心の迷いをこっそりとつめこんだような書き方。
細心の注意を払っているんだとしたら熟練の技だと思うし、
無意識にやっているのだとしたらすごすぎる。
内容はこれといって…素晴らしい!とは思わないんですけどね。

父とその情婦エルザと海辺の別荘にやってきたセシルは
近所の別荘に滞在する25歳の法科生シリルにも出会い
怠惰で無為な日々を満喫していました。

ある日、父の驚きの一言「アンヌ・ラルセンがやって来るんだ」に
セシルは楽しい日々が終わりを告げる予感を感じます。

とうとうアンヌはやって来ます。
相変わらず美しく、完璧で隙のない女性です。
そしてやはり、家族の生活は彼女の高潔な生き方に傾いていきます。
エルザは去り、シリルとは会えなくなり、海辺で試験勉強のために部屋に籠り…
セシルは次第に苛立ちを覚え始め、アンヌを追い出す計画をたてます。

ここから、計算高そうでまだまだ脛かじりの17歳の娘が、フラフラと煩悶し
ひとり朝令暮改に苦悩する様が描かれているのですが
いい年をしたシリルやエルザがセシルに振りまわされるのが情けないですねぇ
ふたりはセシルの操り人形で、その上父親までまんまと思うつぼに…

当時のサガン自身がちょっと大人をなめていたのでは? とも考えられますね。
哲学的思考を持ち、古典からの引用もこなし、巧みに言葉を操れる18歳なら
ちょっと背伸びして愚鈍な大人を見下すようなこともあるかもしれませんね。
「え!お母さん、こんなことも知らないの~?」なんて感じでしょうか?

思いは遂げられたのに、悲しさに塞ぐセシルの胸、青春に過ちはつきものとはいえ
ちょっとヘヴィな思い出になってしまうでしょうか?
成長して、策に溺れるバルザックのヒロイン的な女にならなければ良いが…

訳者(朝吹登水子氏)が、若い娘が書いたから、と若者ぶった訳にせず
また、情婦を囲う親と子だからと、ことさら自堕落な言葉を使わせず
美しく上品に、そして清々しく訳して下さったことに感謝しています。
これが「◯◯なんだけど、◯◯しちゃって」みたいな訳だったら
逆に瑞々しさが無くなって面白さ半減だと思うんですよ、私。

悲しみよこんにちは 新潮社


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表紙が変わってました。ホッパーかしら?
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フランス王ジャン2世妃 ボンヌ

2009-02-24 01:07:57 | フランス王妃・王女
               肖像画は2人目の妃 ジャンヌ1世

芸術のパトロン
ジャン2世妃 ボンヌ・ド・リュクサンブール


1315~1349/在位せず

“ 善良王 ” といわれるジャンの最初の妃ボンヌは
シャルル4世妃マリー・ド・リュクサンブールの姪にあたります。
本名はユッタでしたが結婚の時にボンヌに改名しています。

後は…芸術が大好きで特にギョーム・ド・マシューを愛好していたということしか…

ジャンが即位する前年、ペストで亡くなっています。

       



正義漢の妻も楽じゃない・・・
ジャン2世妃 ジャンヌ1世・ドーベルニュ


1326~1360/在位 1350~1360

ボナが亡くなるとすぐ、ジャンはオーベルニュ女伯ジャンヌ1世と再婚します。
ジャンヌ1世は12歳の時、ブルゴーニュ公フィリプと結婚しましたが
20歳の時死別していて、23歳で王太子妃となりました。

1350年ジャン2世が即位しジャンヌは王妃となりましたが、結婚から6年後
ジャン2世はポワティエの戦いで大敗し、イングランドの捕虜になってしまいます。

父王エドワード3世同様騎士道精神溢れるエドワード黒太子は
囚われのフランス王を厚遇し、決して粗末に扱わなかったといわれています。
ジャン2世も捕虜生活をエンジョイしてたなんて言われたりして…

身代金300万クラウンをつくるため、息子のルイを身代わりの人質に残して
フランスに帰った時のことです。
ルイは父王同様手厚くもてなされていましたが、それを逆手に取り
易々とイングランドから逃れて来ました。
それを知ったジャン2世は激怒し、自らイングランドに渡り捕虜の身に逆戻り。
正義漢というか、バカ正直というか…

イングランドで何かいいことでもあったのかしら?
ジャン2世は1364年にロンドンで亡くなりました。

ジャンヌがイングランドを訪ねたかどうかは分からないのですが
たぶん訪れてないんじゃないかと…戦時中だし。
後半ほとんどおいてけぼり状態、善良な人も時として困り者ですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王フィリプ6世妃 ジャンヌ

2009-02-23 21:56:10 | フランス王妃・王女
才知も評価されず
フィリプ6世妃 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ


1293~1348/在位 1328~1348

ヴァロア家初の王になったフィリプ6世は、フィリプ3世の男系の孫だったため
王位を継承しました。

メーヌ公時代の1313年にブルゴーニュ公女ジャンヌと結婚していました。

        

ジャンヌの姉はルイ10世妃マルグリートですが、姉が不幸な最後を遂げたのに対し
彼女は王を尻にしいた王妃と巷間で噂されていたようです。

知的で意志の強いジャンヌは、後年百年戦争で飛び回る王の摂政として
充分力を発揮しましたが、なんでも政務にうちこむあまり恐ろしい顔つきになり
悪魔のように見えたとまで言われる始末、評判は芳しくありませんでした。

高貴な女性は美しく上品であれば良い、という時代ですが
それだけしかない女性が不幸な目に遭っている例はいくらでもあります。
髪を振り乱して仕事に没頭する女性、結構じゃないですか!
でもフランス的審美眼でいうと、そういう女性は粋じゃないのかもね。

史家の中には「彼女はまるで女王のように振る舞い
彼女に反する者は破滅に追いやられた」と記している人もいます。
中世には多かれ少なかれ誰でもやっていたことだと思いますけど…

ジャンヌは自分がそうであったように、学識がある女性や読書家に寛大で
息子ジャンにも写本をさせたり翻訳をさせるなどさせていました。
(だから戦争弱くなっちゃった?)

55歳の時、フランスで猛威をふるった黒死病(ペスト)で亡くなりました。

家庭内に限って考えれば、多少威圧的ではあっても夫の留守を守り
教育熱心な良妻賢母な女性なんですけどねぇ
いったい何が女性の評価を決めるのか? 分からないものです。



パワフルな前妻がいたので…地味です
フィリプ6世妃 ブランシュ・ド・ナヴァル


1331~1391/在位 1350

フィリプ6世はジャンヌの死から2年、57歳で19歳のブランシュと再婚します。
もう跡取りがいるからいいじゃない というのは庶民が考えることで
政治的に老体に鞭打つ必要もあったのかもしれませんね。
中には自らすすんで再婚する王もいたかもしれませんが…

ブランシュの母方の祖父はルイ10世です。
ヴァロア家も、カペー家が王家になってまずそうしたように
王家の土台を強固なものにする必要があったのかもしれません。

      

結婚から8ヶ月後フィリプが亡くなりました。
ブランシュは妊娠中で後に王女ジャンヌが生まれました。
ジャンヌは20歳の時アラゴン王ファン1世と結婚するためにパリを発ちますが
アラゴンに到着する前に亡くなってしまいました。

ブランシュは錬金術に凝りだし、宮廷内にいくつも実験室を造ってしまったということですが
何かに打ち込まなきゃやってられないですよねぇ。
どうして再婚しなかったんでしょう?
そういえば、王の死後再婚するフランス王妃って少ない気がします。

ちなみに、百年戦争勃発の原因は “フランスの女豹 ” ことイザベルを母に持つ
イングランド王エドワード3世が、1339年、王位継承権を主張して
フランスに進軍したことに始まります。
もしや、イザベルは息子にフランス王位を継がしたいために、ルイ10世、フィリプ5世、
シャルル4世という兄弟の妃を告発したんじゃ…?という穿った見方もできますね。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
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『O侯爵夫人 他六篇』悲劇につぐ惨劇 ・(>_<;)・

2009-02-23 00:06:30 | ドイツの作家

ハインリヒ・フォン・クライスト

クライストも劇作家だそうで、当時流行のオペラや演劇のことを考えれば悲劇
それもちょっとやそっとじゃない悲劇を書きたくなるのは分かるのですが
救いのない話しって、読んでてブルーになるのよね
凡人の私はやっぱりハッピーエンドが好きですよ。

ドイツの作家はそんなに読んでないんですけど、ヘッベルだっけ?
彼もこのクライストも脳髄や脳漿飛び散るって話しが何編かあるんですが…
ドイツの方って腕力強いんでしょうか?

敢えて、特に救いがないものを選んでみました。

『チリの地震(Das Erdbeben in Chili)/1807年』
罪深い痴行で処刑されることになった貴族の娘ヨゼーファと家庭教師イェロニモ。
しかしまさに刑が執行されようとした時、大地震がおこり2人は命拾いしました。
避難先で大ミサが行われることを知った2人は知人が止めるのも聞かず出かけ
怒り狂った町の人びとに見つかり、取り囲まれてしまいます。

出かけなきゃよかったのにね…
それにしても未婚で子供ができたからって死刑ですか?
今の芸能人なんか半分ぐらい死刑になっちゃいますけど。

『聖ドミンゴ島の婚約(Die Verlobung in St.Domingo)/1811年』
使用人だった黒人たちに制圧されたドミンゴ島の白人たち。
指導者的人物コンゴ・ホアンゴーは、自分の混血の妻と娘トーニーをつかって
逃れ出た白人たちを殺戮していました。
ある日スイス人グスターフが助けを求めて訪れ、ふとしたことから
トーニーと愛し合うことに…トーニーはグスターフを助けようとします、が…

この物語の黒人たちはたしかに残虐です。
でも彼らもいきなりやってきた者たちに生活を破壊された人びとです。
悲恋の姿をして人種の問題をなげかけた1篇だと思います。

『拾い子(Der Findling)/1811年』
亡くなった息子の代わりに孤児となった貧しい少年ニコロを連れ帰った富豪ピアキ。
本当の息子のように愛し、なにもかもを譲ったのですが
ニコロの邪悪さは成長するにつれに増していきます。
とうとう母がわりの美しい妻に手をかけようとするニコロを見つけたピアキは…

愛を注いでも孝行息子に育つわけではないのですねぇ。
実の親子でもうまくいくわけではない親子関係、養子縁組というのも難しいものです。

けっこう暗い話しでもちょっとしたシニックとかユーモアが潜んでいるという
物語は多いのですが、この短篇集の中には鐚一文そういう話しはありません。
まっくろけです。

作者自身も34歳で人妻と心中したそうで…根っからの悲観論者でしょうか?
根が真面目すぎたんですかね?
他にクライスト作品を見かけたことがないのですが、長篇の方が持ち味が
表れているんじゃないでしょうか? あったら読んでみたいです。
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『一年ののち』なぜ大人の気持ちがわかるの?

2009-02-22 01:17:25 | フランスの作家
DANS UN MOIS,DANS UN AN 
1957年 フランソワーズ・サガン

高校生の頃でしょうか、サガンに凝りましたね~。
サガン × 朝吹登水子氏訳 × 新潮文庫 は全て揃えました。
でも日本で平凡な高校時代を送っていた私には、やはり男女の機微は分からず…
なんで買ったんだろ? 
“ サガンを読む私 ” に酔ってたのかしら? ばかですねぇ

この本を書いたサガンのすごさは、この若さ(21歳か22歳)で
なぜ40代、50代の人間が恋をするってことを知ってるか?てこと。
それも真剣で身を滅ぼしそうな恋を・・・なぜなの?

たいていの若者は40過ぎた既婚の男女が恋に身を焦がすなんて想像できない
というか、したくないんじゃないですか?
自分のお父さんやお母さんと同じ年頃ですもの、気持ち悪い気がします。

ご存知のとおりサガンは18歳で『悲しみよこんにちわ』で鮮烈にデビューし
2冊目の『ある微笑』を経て、この『一年ののち』が3冊目になるのですが
文作のテクニックは別として、急に大人びた感じがします。

若い人たちと会うのが大好きな50代のアラン&ファニーのマリグラス夫妻が催す
月曜日の接客日に集まる男女の恋愛模様が描かれているのですが
愛する人に苦しめられる人と、愛してくれる人を苦しめる人の間には
相容れない隔たりがあるのだ、ということがそこはかとなく分かった気がします。
…てこんな若い人に教えられてどうする!
でも相手は愛に生きるフランス人ですから、勝ち目はありませんね。

40代のベルナールが一夜を共にしたジョゼに夢中になって妻をかえりみず
駆け出し女優ベアトリスにどうしようもなく惹かれた50代のアランが
叶わぬ恋に徐々に身を持ち崩し、そのベアトリスの心を掴んだはずの若いエドワールが
捨てられて苦悩する様が物語を織りなしています。

40や50を過ぎた男性がことごとく若い女性の虜になるのは気に入りませんが
年齢だけじゃない何かがあるようで、少しは安心です。
(でもいろいろ理由はつけても、やっぱり若いからなんじゃ…?)
待っている同年代の妻の身にもなって欲しい…

年齢や境遇に関係なく愛につきすすむ人たち、素敵だとは思いますが
なかなかできることじゃないですよね。
よく「恋をし続けることがキレイの秘訣」なんてぇことを聞きますけど
そうも言ってられないんですよ、これが
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フランス王シャルル4世妃 ブランシュ

2009-02-21 12:48:42 | フランス王妃・王女
                肖像画は2人目の妃マリー

姉とともに捕えられ・・・
シャルル4世妃 ブランシュ・ド・ブルゴーニュ


1296~1326/在位 1322

兄王ルイ10世、フィリプ5世に嫡子がいなかったため王位についたシャルル4世は
フランスでは “ 美男王 ” と言われていてハンサムを想像させますが
同様に統治していたナヴァールでは “ 禿頭王” …つまりハゲ頭と呼ばれてたらしいです。 
ナヴァールにしてみれば占領されたようなものだから、少しは恨みつらみも…ね。
後年ルイ14世とかが被っていたようなカツラは、まだなかったのでしょうか?

      

ブランシュはフィリプ5世妃ジャンヌ同様、エドワード2世妃イザベルの告発によって捕えられ
姉ジャンヌが釈放され、ルイ10世妃マルグリートが死亡した後も
ひとり残されたまま1322年まで牢獄の中で暮らします。
心細かったでしょうね? 自分はどうなるのか…恐ろしさもあったでしょう。

夫シャルルが4世として即位すると、教皇ヨハネス22世が2人の離婚を認め
ブランシュは晴れて釈放されました。
その後は修道院で過ごし、30歳で亡くなりました。

12歳で結婚し、18歳から26歳までが投獄生活、哀れですね
まだ殺されなかっただけいいのかもしれないけど…

いったい女性の一生をなんと考えていたのでしょうね?
庶民の女性の生活も決して楽なものじゃなかったと思いますが
いくら裕福でも完全に “ 持ち駒 ” として右に左に動かされる人生なんて。
この時代の女性の扱いはひどいもんだと怒らずにはいられないです。



なんで馬車なんかに…?
シャルル4世妃 マリー・ド・リュクサンブール


1304~1324/1322~1324

シャルル4世はブランシュと離婚するやいなや、as soon as マリーと再婚します。

マリーの生家ルクセンブルク家はフランスの一領主で
マリーの父ハインリヒもリュクサンブール伯ヘンリだったのですけれど
1804年、ドイツ諸公家に推挙されて神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世に即位しました。

      

ドイツはナッソウ家、ヴィッテルスバハ家、ホーエンシュタウフェン家
ハプスブルク家などがお互いを牽制しつつ、皇帝の権力の弱体化を狙って
ハインリヒ7世を推したのですが、フランスとしては黙ってられませんね。

思えばノルマン家がイングランド王になったために双方の国土の取り合いは
激化していくばかりです。
リュクサンブール家は押さえ込んでおかなければ…かどうかは分かりませんが
ともかく、シャルル4世は皇女マリーと結婚しました。

結婚後まもなくマリーは妊娠しましたが、馬車に乗っている時事故にあい
深刻な状態に陥ります。
回復しないまま王子ルイを早産しましたが、ルイは数時間後に亡くなり
マリーも数日後に亡くなりました。 19歳でした。



お家断絶の憂き目にあった王妃
シャルル4世妃 ジャンヌ・デヴルー


1310~1371/在位 1325~1328

3人目の妃ジャンヌはシャルル4世の従妹にあたるため
教皇からの特免状をもらって結婚しました。

       

ジャンヌが王子を生まないとカペー家の直系は途絶えてしまうため
14歳の彼女の肩には背負いきれないほどの重責だったことでしょう。
たて続けに王女が生まれましたが、1328年にシャルル4世が逝去
王位はカペー家からヴァロア家にうつります。

自分ひとりのせいでないとはいえ、周りの目は厳しかったはず
つらかったでしょうねぇ。
18歳で未亡人になったシャンヌは再婚はせず宗教生活に入ります。
61歳で亡くなりました。

ちなみに次王ヴァロア家のフィリプ6世妃ブランシュはジャンヌの姪
フィリプ6世の息子オルレアン公フィリプの妃はジャンヌの娘でした。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王フィリプ5世妃 ジャンヌ2世

2009-02-21 00:12:05 | フランス王妃・王女
スキャンダルをのりこえた王妃
フィリプ5世妃 ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ


1292~1330/在位 1316~1322

フィリプがまだ摂政時代に結婚したジャンヌは
ブルゴーニュ伯オットー4世とアルトワ女伯マオーの女相続人で
両親に男子が生まれなければ、ゆくゆくは2つの伯領を継ぐ女性でした。

       

15歳の時フィリプと結婚したジャンヌは1314年、エドワード2世妃イザベルの告発によって
当時の王妃マルグリート・ド・ブルゴーニュとともに投獄されました。
同時に妹のブランシュも捕えられ、こちらは離婚されていますが
ジャンヌは終始一貫して無実を訴え続け、夫フィリプも彼女を擁護しました。

当時一大スキャンダルとなり舅のフィリプ4世はそのせいで命を縮めたとまで言われた事件
よく強い気持ちで戦い通せたものです。
とうとう議会で無実が承認され宮廷に戻ったジャンヌは
1316年、一転して王妃の座につくことに…人生ってわかりませんね。

フィリプ5世とジャンヌの間には7人の子供が生まれましたが、4人が夭折し
生き残ったのは3人の王女たちでした。
よってフィリプ5世は手に入れた王位を子供に継がせることはできませんでした。

ルイ10世の王女ジャンヌをサリカ法で撃退した人ですからねぇ…
(*サリカ法…ひらたくいうと「女性は王位を継げません」という法律です)

1322年にフィリプ5世が亡くなると、ジャンヌは自分の領地のひとつ
アルトワに引き下がり静かに暮らしたそうです。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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