まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『大地』欲望のカオスを覗き見る

2008-11-28 01:58:42 | フランスの作家
LA TERRE 
1887年 エミール・ゾラ

もう、赤裸々なんて言葉じゃ表せない!!
剥き出しっていうかズル剥けの欲望が全篇からほとばしるこの作品は
読んでいてオロオロしてしまうほどです。

パリ近郊のボーズ平野に代々暮らす農民フーアン一家の
土地を巡る争いを中心に展開していく物語なんですが
とにかく、欲、欲、欲!!のオンパレード。
金銭欲、食欲はもとより、土地に対する欲、性に対する欲も旺盛にあり
子供たちの将来、商売、人との付き合いなど、なにもかもが欲に左右されます。

もちろん、人が欲を持って行動するのはあたりまえのことです。
でも、求めるものや守るものがほんのわずかなのに、そのために人を欺き、打ちのめし
殺人まで犯してしまうという恐ろしさ・・・
相手が他人ならまだしも、父親、長男、次男、長女、父の妹、長男の娘、
次男の従妹でもある嫁、嫁の妹、妹の夫、入り乱れての骨肉相食む死闘は
目を背けたくなるほど醜いもんです。

土地や金を手に入れるためなら、自分の父親は野垂れ死にさせてもいいんだし
夫に妹を強姦させても、ついにはカマを妹の腹に突き刺しても
バレること以外に恐ろしさを感じない人の神経ってどうなっているんでしょう。
(こういう争いって、肉親同士の方が激しいのかしらねぇ・・・

他の村人たちも同様です。
少しの損も許さず、得にならぬことはせず、金のない者には冷たく、
隣人の不幸を嘲る・・・という浅ましさ。

書いてて情けなくなりますが、これは私たちも多かれ少なかれ持っている感情ですよねぇ。
こんな感情持ってないとは言いません、もちろん。
でも、こんなに正直に振る舞えるものだろうか?
「私は欲深いんですよ!! 一円でも人より多く欲しいんですよ!!」って
大声で叫びながら歩いてるような振る舞いができるのかしら?
普通は理性とか羞恥心なんかで押さえ込むものじゃないの?
何が彼らをこんなあけすけな人にしてしまうんだろう?

とにかく、この物語にはモデルになる農村があったみたいです。
ゾラは農業に詳しい人たちから情報も集めています。
農村部の土地の相続に詳しい公証人にインタビューもしています。
本当にこんな土地柄があったというのだろうかっ? 絶対暮らしたくないんですけど・・・

ゾラの物語を読むと平静ではいられなくなります。
不安に襲われるような、駆り立てられるような感じです。
口汚いし、不潔だし、ぜったい心地よいものではありません。
それなのに、何故引き込まれてしまうんでしょう?
やはり自分たちの心の奥底に横たわっている汚らしい感情を
我知らず認めてしまっているからでしょうか?

大地 論創社


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こちらもゾラをシリーズで出していらっしゃる…欲しいなぁ
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『ABC殺人事件』せめてGあたりまで・・・

2008-11-25 00:29:43 | アガサ・クリスティ
THE ABC MURDERS 
1936年 アガサ・クリスティ

エルキュール・ポアロに届けられた一通の手紙で幕を開けるミステリー。

第一の事件は “ Andover ” で “ Alice Assher ” が殺され
次いで “ Bexhill ” で “ Betty Barnard ” が、
“ Churston ” で “ Carmicle Clark ” が殺害されます。
死体の傍らにはなぜかABC鉄道案内が…

浮上してきたのは気の弱そうなストッキングのセールスマン、カストでした。
彼は必ず事件現場の近くでセールスをしているのです。

とうとう4通目の挑戦状が届き、ポアロと被害者の家族がつくった捜査団は
Doncasterへ向かいます。
はたして殺人は実行されますが、殺されたのは “ George Earlsfield ” でした。
Dじゃない… 犯人のミスでしょうか?

ポアロといえばお屋敷とか、密室なんかが得意ですけど
この事件は広いイギリス全土を舞台にしています。
センセーショナルな連続殺人事件の衣装を纏った、緻密な計画殺人。
相変わらず誰もかれもが怪しい状況の中、ポアロは一人の人物に焦点を当てていきます。

それは、アリスの別れた夫か、少ない遺産をもらえる姪なのか?
嫉妬深いベティの恋人か、冷静そうな姉なのか?
クラーク卿の弟か、美しい秘書か、病気がちの妻か?
それとも、やはりセールスマンのカストなのか?

「確かに!!」って納得の結末ではありましたが、“ D ” までじゃ
ちょっと物足りないかなぁ…
せめて “ G ” あたりまでいってほしい感じよ。
E で Exeter かなぁ? F では?  う、浮かばない…

わたくし、推理小説はアガサ・クリスティくらいしか読んでないんですが
(ホームズは昔短篇だけ読みましたが内容忘れてしまいました
人を殺すのって、計画して、準備して、待って、隠して、偽って…と大変なこと!
ご苦労なことですが、そのエネルギーを他に向けてみようじゃないか!!
って思いますけどね

英国中を巻き込む殺人事件にハラハラが止まりません
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ドラマもすごくおもしろかったですよ!
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イギリス王ウィリアム4世妃 アデレイド

2008-11-24 18:18:31 | イングランド王妃・王女
慈愛に生きた哀しみの王妃
ウィリアム4世妃 アデレイド・オブ・サクス=マイニンゲン


1793~1849/在位 1830~1837

ジョージ3世の三男ウィリアム4世が王位についたのは、なんと65歳。
長男ジョージ4世はキャロラインと不幸な結婚を送り、なんとか娘一人を残しましたが
次男ヨーク公、三男ウィリアム、四男ケント公は揃いも揃って結婚せず
王家には後継者の心配が募ってきます。

ウィリアムは20年に渡ってジョーダン夫人という女優と夫婦同然の暮らしをして
10人もの子供をもうけています。

ウィリアムは46歳でジョーダン夫人と別れますが
一説にはこの頃から王位を意識し始めたのでは?と言われています。
それから6年後、ジョージ4世の一人娘シャーロットが死亡すると
次は次男ヨーク公、その後はウィリアムという王位継承が現実味を帯びてきて
議会はウィリアムの結婚を急ぎます。
なにしろ10人の庶子がいるんですからね 期待がかかります。

そこで選ばれたのがサクス・コバーク・マイニンゲン公女アデレイドでした。
アデレイド26歳、当時としてはかなり遅い結婚です。
美しい人なのになぜかしら? かなりおとなしくてパーティー嫌いだったようですが
それが原因でしょうか?

ウィリアムは53歳、二人はボンド・ストリートのホテルで1度会っただけで
その1週間後に結婚しますが、ハノーヴァーで始まった新婚生活は幸せなものでした。

同じ年(1818年)ウィリアムの弟ケント公エドワードも
27年間関係が続いていたサン・ローラン夫人と別れて
ライニンゲン大公未亡人ヴィクトリア・メアリーと結婚しています。
これも世継ぎを考えてのことでした。

     

(しかしなんですね、この家系図見るとサクス・コバーク=ゴータ家は
 英国王室を “ とりに ” きてますよね!!)

アデレイドは何度か身ごもりますが
いずれの子供たちも生き延びることができませんでした。
長女シャーロットはアデレイドが肋膜炎にかかったため早産で産まれますが
その日のうちに死亡し、イングランドで産まれた次女エリザベスは腸炎で4ヶ月で死亡。
その後身ごもった双子の王子は死産でした。

そんな彼女を尻目にヴィクトリア(後の女王)を産んでいたヴィクトリア・メアリーは
いけしゃあしゃあとウィリアムのもとへ娘の相続人の認証をうけようと
挨拶に訪れています。 やな女っすね!
王は終生ヴィクトリア・メアリーと敵対します。

とはいえ、アデレイドはジョーダン夫人が産んだ子たちや
姪のヴィクトリアに愛を注ぎ哀しみを紛らわせていたようです。
ヴィクトリア女王は、アデレイドの優しさを忘れることはなく
長女の名をヴィクトリア・アデレイドと名付けました。

アデレイドは敬虔深さ、しとやかさ、慎み深さに加え
子供を亡くした悲劇的なエピソードから、英国民に愛されていました。
慈しみも深く、彼女の収入の大部分は慈善に施されていました。

しかし中には宮廷が面白くなくなったとお嘆きの方々もいたようです。
パーティーも少なくなったようだし、アデレイドが素行や品行が疑わしい婦人を
宮廷に招かなかったことを「気取り屋」と言った人もいました。

そうですねぇ…
当時の貴族ってパーティーとか謁見以外に仕事なさそうだしねぇ
「お城で王と王妃に会って来たけどさあ…」ていうのが話題の中心みたいなものですもんね。
奥様たちはドレスを新調したり見せびらかしたりする場が減っちゃうしね

アデレイドはウィリアム4世が死に瀕した時、10日以上ベッドの側を離れず
自分の寝室にも戻らないで献身的に看病しました。

アデレイドは王の死から12年後に静かに亡くなります。
親しい人だけを招いた、できるだけ質素で静かな葬儀にしてほしいと書き遺していましたが
皆に愛された王妃の葬儀ですから実際はどうだったのでしょうね?

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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『肖像画・馬車』“成功”ってなんだろう?

2008-11-24 18:11:44 | ロシアの作家
ПОРТРЕТ 
1842年 ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ

可笑しい・・・
本当は少し怖い物語なのかもしれないのですが
私としては肖像画を描いてもらう人々の
「奇麗に描いてほしい!」「男前に描いてほしい!」という
口うるさい注文や振る舞いが、まず笑えました。
分かります! 将来、孫とか子孫なんかに「変な顔だね」なんて言われたくないもの。
いろいろ考えて、結局ありきたりなポーズになっちゃうの

前後篇に別れていて、前篇では異様な目付きの老人を描いた肖像画を買った
画家のたまごチャトルコフが、その額縁から大金を手に入れたために
肖像画家としての名声と富を得ながら、画家としての自分の才能に失望し
人生を後悔するというお話しです。

どうして才能を認められていた青年画家が、豊かな想像力を失い
平凡な肖像画家として生きていくようになってしまったか・・・興味深い話しです。

芸術家なら、成功してもしなくても同じ悩みを持ち続けて生きていくのでしょうね?
世間に迎合して豊かさを手に入れるのか、自分の世界を追求し困窮に喘ぐのか・・・
両者が一致してくれればこんなにハッピーなことはありませんけれど
うつろいやすい人々の心を捉え続けるというのもまた、難しいことです。

後篇は、売りに出されたその老人の肖像画について、ある青年が語るエピソード。
その肖像画を描いたのはその青年の父でした。
モデルになった老人は、肉体が死んでからもその肖像画によって生き長らえたいという
奇妙な望みを持った、ある高利貸しでした。

青年の父に始まり、その肖像画を手にしていた人物には、次々と不幸が
襲いかかったという話しなのですが、果たしてそれは肖像画の力だったのでしょうか?
人々の不幸は嫉妬や猜疑心、憎悪などが膨らんだことによっておこるのです。
さてさて、そんな力を持つ絵なんて存在するものでしょうか?
あったら怖いですね

わたくし、ゴーゴリは初挑戦だったのですが好きでした。
あまり大仰でなく、不思議な物語が淡々と展開してくところが。

『馬車』は軽妙なお話しということになってます。
軽~い気持ちで口約束しちゃった男性におこる、他愛もない失敗談です。
でも社交界では大失敗なことかもしれませんね。
奥様の朝の身繕いの様子も思い浮かべると可笑しいです。
2時間もかかるなんて・・・何やってんの?

岩波文庫の『死せる魂』の表紙に書いてあるあらすじを読んで(長いし)
買わなかった覚えがあるんですけど、いつか読んでみましょう、と思いました。
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上野でハシゴしました

2008-11-24 18:00:36 | もろもろ
昨日はお天気も良かったので「上野日和だね 」と思いまして
東京都美術館の『フェルメール展』を観に行ってまいりました。

入館まで並ぶこと1時間半・・・
やっとの思いで入ったんだけど、がっっかり
そういや前もフェルメールで痛い思いをしたんじゃんか!!

前回の『オランダ風俗画展』はフェルメールは『牛乳を注ぐ女』の
1点だったけれども、それ以外はわりとバリエーションに富んだものがあって
それなりに満足でした。

今回は、そりゃあフェルメールは破格の7点だったかもしれないけど
他の画家の方々の絵が “ なんちゃってフェルメール ” みたいな絵ばっかりでさぁ

たぶん私は、“ デルフト・スタイル ” っていうのが苦手なんだと悟りました。
次回からフェルメールにつられてホイホイ出かけるのは慎みましょう、反省しましたとさ。

でも『小路』が見れたのは良かった!! 3回も戻って見ちゃいました。


         

で、思ったより早くフェルメールを見終わっちゃったので、やはり見たかった
国立西洋美術館の『ヴィルヘルム・ハンマースホイ展』へ。

私はスゴく好きだったわけだけど、うちの旦那さんの言うように
“ パラパラ絵本 ” 感は否めません。
なにしろおんなじ家の中で何十枚も書いてるから
連写の写真のポジ見てるような気になっちゃってね。
思わずダーマットでチェック入れちゃおうかってくらい・・・
少し間引いた方が良かったのでは?

画に描かれている家はハンマースホイが住んでいた家だそうで
これが白いドア、大きな白い窓、で可愛らしかったですね。
床材の感じもGood でした。

さらにハンマースホイの奥様の兄ピーダ・イルステズと
ハンマースホイの友人カール・ホルスーウの絵画も展示されていました。
こちらもいい感じに暗くて好きでした。
ハンマースホイに似てたけど・・・

余力があったらBunkamuraのワイエスも・・・と思ってましたが
力つきました。
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イギリス王ジョージ4世妃 キャロライン

2008-11-20 23:03:27 | イングランド王妃・王女
“割れ鍋に綴じ蓋”夫婦
ジョージ4世妃 キャロライン・オブ・ブルンスウィック


1768~1821/在位 1820~1821

亡くなった時でさえ新聞に酷評されたという
愚王の名高いジョージ4世の妻キャロラインは、これまた悪名高い王妃ですが
賛否両論の分かれる女性でもあります。

国からの莫大な借金をチャラにするため、長年同棲していた未亡人と別れて
王妃を娶ることに同意した皇太子ジョージは、従姉妹のキャロラインを希望します。
二人は会ったことはありませんでしたが、肖像画が美しかったためと言われています。
(もしやもしや、ヘンリー8世の4人目の妻、アンの二の舞かっ

      
キャロラインは実際もそこそこ美しかったらしいのですが
大陸では軌道を逸している(殿方と親密になりすぎるとか、身なりに構わないとか)と
ささやかれていて、母親であるシャーロットは自分の弟のお妃候補から
キャロラインをはずしたことがありました。
しかし、王太子ジョージの気が変わることを怖れた英国議会は結婚を急ぎます。

ジョージは、イギリスにやって来たキャロラインを見るなり
友人にひと言「気分が悪い、ブランデーをくれ」と言いました。
(・・・臭かったっていう説が濃厚です。風呂嫌いだったんだって
 でも結婚式の前ぐらい、お風呂に入らないかなぁ?)
一方、キャロラインも「思ったよりデブじゃんか!」と言ったとか言わないとか。

ジョージは結婚式を中止しようともしたそうですが、そうもいかず
二人の嫌悪感に満ちた新婚生活が始まります。
ジョージによればベッドインは3回だけで、結婚から9ヶ月後
一人娘シャーロットが産まれると、ジョージは家を出て二人は別居生活を始めます。

次いで館を出たキャロラインは、娘に会えないことは悲しがりましたが
新しい自宅に(主に男性の)取り巻きたちを招き、楽しい日々を送っていました。
そんな中、政治家のキャニング、海軍大将スミス、肖像画家ローレンス、
海軍大佐マンビーなど次々と恋人の名があがります。

また、突然キャロラインが養子にしたウィリーという男の子が
彼女の私生児だという噂も拡がって、とうとう調査されることになります。
父王ジョージ3世は、嫁に対して好意的でしたが、息子の激怒や
王妃シャーロットの勘ぐりに合い、あまり助けてあげることはできませんでした。

公式な行事にも一切参加できず(皇太子ジョージは以前別れた未亡人や
新しい愛人などを同席させていて、これがまた国民の非難を招きます)
移り住むごとにジョージに追い出されるキャロラインは、ヨーロッパ旅行にでかけます。

数年後、莫大な借金を抱え、どの国でも歓迎されなくなったキャロラインは
夫ジョージが王に即位したことを聞き、急いで帰国を決意します。
しかし、帰国した彼女を、やはりジョージ4世は拒み、イタリアでの使用人との
不倫を理由に離婚裁判をおこします。

離婚が王の立場をさらに危うくするという裁判所の判断で離婚は避けられますが
戴冠式の式場となったウェストミンスター寺院のドアを叩く彼女を
ジョージ4世は閉め出したといいます。

結局、心労のためか、戴冠式の3週間後キャロラインは息を引きとります。
ジョージ4世は彼女の埋葬も拒み、亡骸は故国に戻され埋葬されました。

ジョージ4世はとにかく評判が悪く、キャロラインに同情的な声も多かったようです。
作家ジェーン・オースティンも「王妃を支持する」と述べました。

摂政時代にリージェント・ストリートを造り散財を非難をされたジョージ4世ですが
今では有名な観光地・・・良かったんだか悪かったんだか

         
              当時のリージェント・ストリート

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』
      エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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こ画像がないのですが…女王にまつわるスキャンダルが満載です
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女王たちのセックス
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『夜の樹』心暖まらないファンタジー

2008-11-20 22:36:18 | アメリカの作家
A TREE OF NIGHT 
1945年~ トルーマン・カポーティ

私がカポーティに対して抱いている先入観は
たぶんこの本によるところが大きかったでしょう。
少しグロテスクで冷たい印象って言うのか、“ とりつく島がない ” って感じ
ちくま文庫版の短編集は南部やヨーロッパを舞台にしていて
けっこう人間味があったような気がしてるんですけど。

田舎や郊外を舞台にした作品と、ニューヨークなどの大都会を舞台にした作品に
決して小さくはない乖離を感じるのは私だけ?
あたかも田舎のカポーティと、都会のカポーティが二人いて、
好き勝手に創作活動をしているようにさえ思えます。
あまりにも作品に入り込んだため? 二重人格的な性格? 興味深いです。
短篇2冊読んだだけでこんなこと言うのもおこがましいんですが・・・

『最後の扉を閉めて(Shut a Final Door)』
初めての友人から奪ったマーガレット、パーティーで出会った女相続人ローザ、
そして恩人で恋人のアンヌ、次々と人を傷つけておきながらなぜ嫌われるかが
理解できないウォルターは会社もクビになってしまいます。
ニューヨークを去ろうと考えていると、見知らぬ誰かからの電話がかかります。

『ミリアム(Miriam)』
ある冬の日、ひとりで気持ちよい生活を送っている未亡人のミセス・ミラーは
優雅で弱々しい少女ミリアムと出会います。
ゆきずりのことだと思っていたのに、数日後ミリアムが
ミセス・ミラーの家のベルを鳴らします。 それも執拗に・・・

『夜の樹(A Tree of Night)/1945年』
女子大生のケイは、叔父の葬式の帰りに、汽車でひと組の男女の向かいに座ります。
いきなりしゃべりだした50歳ぐらいのだらしない派手な女に辟易するケイですが
次第にどうしようもない気持ちに襲われます。
女が水をくみに席を立つと、眠っていたような男がケイの方へ手をさしのべてきます。

以上、特にモヤモヤする3篇をあげてみました。

一種フリークスのようなファンタジー、夢のない幻想、
そして氷のように冷たく美しい、そんな物語でしょうか?
ハートウォーミングなものではありませんよね。

カポーティに関しては興味が湧いてきたので、他の作品も読まねば・・・
と思っています。

夜の樹 新潮社


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イギリス王ジョージ3世妃 シャーロット

2008-11-20 01:34:41 | イングランド王妃・王女
マリー・アントワネットのペンフレンド
ジョージ3世妃 シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ


1744~1818/在位 1761~1818

ジョージ2世の皇太子フレデリックが急死したため即位したジョージ3世は
正直さと敬虔さで国民から愛された王でしたが、シャーロットも才気があり
それでいて慎ましやかなところが王と同様に愛された王妃でした。

それにはジョージ3世の母親で
“ でしゃばり ” と不評だったオーガスタの存在も影響していると思われます。

       

王太子フレデリック同様、ジョージ2世とその妃キャロラインのことが
大嫌いだったオーガスタは、夫の死後も常に義父ジョージ2世と対決姿勢を崩さず
そのせいでジョージ(3世)は孤立し
即位後は母とその愛人と噂されたビュート伯の影響を受けすぎているとして
評判を落としたことがありました。

しかし結婚に関してはめずらしく母に反抗し、理想の女性と思われる女性を探し出そうと
信頼あついグレイム大佐に託します。
こうして選ばれたシャーロットは才気煥発で、特にお妃教育をしなくてもよいほど
出来た娘でしたが、オーガスタとは緊張が耐えなかったようです。
いずこにもありますねぇ 嫁姑問題。
国民はシャーロットに同情したようですね。

シャーロットは芸術にとても興味があったようで
彼女の音楽教師だったヨハン・クリスチャン・バッハのパトロンになったりしています。
また、8歳のモーツァルトは彼女の依頼で3曲のオペラを献上していますが
これにはもしかしたら、フランス王妃マリー・アントワネットの
アドバイスが影響していたかもしれません。

二人は直接会ったことはなかったのですが
やはり芸術を愛するマリー・アントワネットとの文通は
シャーロットにとってすごく楽しかったようで
音楽や絵画についての思いを熱心にやりとりしていました。

フランス革命の時には、シャーロットはフランス王家が亡命して来た時のために
住居まで用意していたと言われています。
マリー・アントワネットの処刑を聞いた時、シャーロットはとてもショックを受け
打ちひしがれたそうです。

でも会ってたらどうだったかしら? 全く違うタイプの二人のようですが・・・
シャーロットは派手でもなく、堅実なやりくりをしていたらしいんだけど
気が合うかなぁ? マリー・アントワネットと。
もしかしたらお互いがいい影響を与え合って
マリー・アントワネットの生き方も変わっていたかもね。

ジョージ3世は浮気もせず(珍し~)、二人は仲睦まじく
子供も15人産まれて幸せな日々を送っていたのですが、ジョージ3世は
度々精神異常に陥るようになり、子供たちも病気になったり反抗的になったりで
(そりゃ15人もいればさ・・・いろいろあるよね
晩年は気苦労が耐えませんでした。

特に王太子ジョージの素行の悪さ、三男ヨーク公の増収相事件関与、
次男、四男の女性関係に加え、末娘アミリアの駆落ち結婚などが
夫ジョージの精神異常を重くしていき、シャーロットを悩ませました。

最後には田舎の別荘のアームチェアーで、皇太子ジョージに腕をとられて
静かに息をひきとったそうです。
その約1年後、夫ジョージ3世が亡くなります。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

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『蜘蛛の巣の家』世間ってやつは・・・゜・(>_<;)・゜

2008-11-20 01:13:50 | イギリス・アイルランドの作家
THE HOUSE OB COWEBS 
1906年 ジョージ・ロバート・ギッシング

“ 正直者が馬鹿を見る ” っていうんでしょうか?
真面目に生きている優しい人たちが痛い目にあっちゃうという話しが多くて
少し凹みます・・・

15篇の短篇にギッシングの功績を記した章が加えられています。

『ロドニ嬢の余暇(Miss Rodney's Leisure)』
立派な婦人の下宿を出て、あまり評判の良くない下宿屋のひと部屋を借りた
気丈な女教師ロドニ孃。
彼女は居心地のいい下宿屋にしようと、だらしない女主人も、飲んだくれの主人も
不躾な娘たちも含め、改革に乗り出します。
最後の難関は、もう一人の下宿人を追い出すことでした。

これは痛快でした。
ロドニ孃は、なにも正義感とか善行で下宿を改革してるわけでなくただのわがままなの。
それからヒマだったのね。
クール&アグレッシブ!! 見習いたいものです。

『豚と呼子亭(The Pig and Whistle)』
助教員ラディマンが週末によく訪れる郊外の呼子亭の主人は
王子殿下を接待したことがあるという妄想のせいで落ちぶれてしまいました。
一人で店を切り盛りするフォガレス孃とラディマンは次第に親しくなります。

老後を田舎の旅籠屋の主人として送るなんて素敵じゃない?
しかも奥さん若いの! 世のサラリーマンの憧れですね。
ペンション・ブームってありましたねぇ。
ブームも去って、いいことばかりじゃないってこともあるでしょうね?

『ゆかしい家族(A Charming Family)』
気の弱いオールド・ミスの家主シェパスン嬢は、家賃を払ってくれないライマ家を訪れ
その一家に魅了されてしまいます。
彼女は勧められるままに一家と一緒に暮らし始めますが家賃は払われず
まるで雇い人のように日々の仕事を手伝うようになります。
それでもシェパスン嬢は、家族ができたようで幸せでした。

ぜったいダマされてるっ!! て思っちゃうんですけど、そうではないんです。
ライマ夫妻は正直なんです・・・なんですが、要領はいいらしい。
そして口が上手いらしい。
まあ、本人が幸せならそれでいいかな、と思います。

明るめな3篇をとりあげてみました。

お人好しって、やっぱりダマされやすいのかな? なんて考えちゃう1冊。
いつの時代も、世間て世知辛いですね。

私はあえて人を騙そうとは思わないけど、自分も絶対騙されない自信があるんです。
なぜなら疑り深いし、お人好しじゃないから・・・
街頭募金はしませんし、マルチ商法のしつこい勧誘を撃退した経験もあります。
ぜったいお金も貸しません!! 貸すお金もないけどさ・・・
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『カストロの尼 他2篇』やっぱ親より恋人かぁ・・・

2008-11-18 02:15:35 | フランスの作家
L'ABBESSE DE CASTRO 
1839年 スタンダール

世のお父さん、お母さん、嘆きましょう
やっぱり、子供は親より恋人を選びますよ。
誰でも覚えがありますね? 親といるよりは恋人といた方が幸せだったり
一刻も早く親元を離れて愛する人と暮らしたいという思い。
でもそれが度を過ぎると・・・っていうお話です。

舞台はイタリアです。 男性が熱そうですね!!

裕福な家の娘で絶世の美女、そして修道院で育った清らかな少女エーレナは
自宅に帰って来ると、山賊の息子で自らも山賊のジュリオと恋に落ちます。
清い関係の二人でしたが、エーレナの両親は二人の愛を許しません。

そんな時、ある戦いでジュリオはエーレナの兄ファビオを殺してしまいます。
エーレナは修道院に戻され、彼女の母親であるヴィットリアの策略で
ジュリオが死んだと思いこんでしまいます。
エーレナには虚栄心が芽生え、修道院長の地位を手に入れて
愛人をつくり子供を身ごもります。

裁判によって幽閉されたエーレナの耳に
ジュリオが生きていて優れた軍人になっているという話しが入ります。

王族と一般人の結婚もタブーではなくなり、もはや死語となりつつある言葉ではありますが
やっぱり恋愛の醍醐味は “ 身分違い ” でしょう
シチュエーションも多種多様ですが、ロマンティックで物語になり易いですね。
だからって山賊と尼・・・(正確には別れてから尼僧になってます)
すごい取り合わせです。

親の選んだ相手としか結婚できないっていうのも、人権蹂躙だと思いますが
このエーレナっていう娘もちょっと我を通し過ぎでないかしら?
息子を殺した相手との愛を親が認めるわけないと思いますが
彼女は頑なにジュリオへの愛を貫こうとします。

そしてエーレナの母ヴィットリアですが、才気の塊と言われてますが
娘の言うままに修道院長の地位を買い与え、娘が不貞の罪で幽閉されれば
逃がすために地下トンネルを掘ってしまうという親ばかぶりがすごいです。
いくら裕福だからって・・・地下トンネル。

しかしエーレナは、全財産を投げ出さんばかりに娘を助けようとする
母親に対しても、恋人ととの仲が引き裂かれたという恨みを露にします。
せつないねぇ、お父さん、お母さん・・・
どんなに手塩にかけても持ってかれてしまうものなんですねぇ・・・

他二篇『箱と亡霊』『ほれぐすり』は男性の嫉妬が招いた悲劇が題材になっています。
ラテン系の方々の愛は情熱的だと聞いておりますが
日本人だって嫉妬深さが激しい人はいますよね? 最近特に。
だんだんラテン化しているのでしょうか? 温暖化のせい?

カストロの尼 他2篇 岩波書店


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イギリス王ジョージ2世妃 キャロライン

2008-11-17 01:25:13 | イングランド王妃・王女
王を支えた才媛
ジョージ2世妃 キャロライン・オブ・アーンズバック


1683~1737/在位 1727~1737

賢夫人として名高いジョージ2世妃キャロラインは
4歳の時父と死別し、13歳の時、未亡人だった母が再婚したことから
プロイセン王フリードリヒ1世の被後見人になりました。
そのことが彼女の人生を大きく左右することになります。

      

キャロラインにはハプスブルク家のカール(後の神聖ローマ皇帝)や
サクズ・コバーク・ゴータ家のフリードリヒ2世などと縁談が持ち上がりましたが
フリードリヒ2世からの申し出を避けるため、後見人のプロイセン王の保護を受けていた時
娘であるプロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテを訪ねて来ていた
ハノーヴァー選帝侯妃ゾフィアの目に留まります。

母親であるゾフィア・ドロテアが幽閉されていたため
ゾフィア(選帝侯妃)は孫のジョージ(後の2世)の世話をしていて
そろそろ嫁を捜さなくてはと思っていた時でした。
ゾフィアのお眼鏡に叶ったキャロラインは、彼女の強い後押しでジョージと結婚します。

しかし父であるジョージ1世の即位とともにロンドンに移ったキャロラインは
義父と夫の絶え間ないいさかいに悩まされます。
夫ジョージは母ゾフィア・ドロテアに対する父の仕打ちが我慢できず
歯向かってばかりいたのです。

キャロラインはジョージ1世となんとかうまくやっていましたが
ジョージ1世は息子が自分になつかないのは嫁のせいだと思い
キャロラインを悪魔よばわりしていました。

いざ王が亡くなって、ジョージ2世が戴冠する時になると
王室の宝石や衣装はことごとくジョージ1世の愛人たちに与えられていて
キャロラインは借り物のドレスと宝石を身に着けて式に出る始末でした。
ほんとに懐のせまいひとだったんですね ジョージ1世って。

そんな二人の間を取りなすキャロラインに目をつけていたのが、宰相ウォルポールでした。
平和主義者ウォルポールは、好戦的で単純なジョージ(2世)への根回しに
キャロラインの力が必要だと考えるようになりました。
キャロラインはウォルポールの意志を受け入れ、以後二人はタッグを組んで
ウォルポールは表舞台で、キャロラインは影から王を支えて国を動かしていきます。

だが、なぜか
いろいろな面で評判の良いキャロラインは、長男である王太子フレデリックのことが大嫌いで
怪獣の名前で呼んだり「この世から消えてほしい」と言ったりして
子育てに大失敗しています。

もちろんそんな風に育てられたフレデリックも両親が好きなわけがなく
後年反抗的になり、議会で父に反対票を投じたり、国庫を浪費し
両親の暴露本まで出版します。 今なら大騒ぎ

ウォルポールとキャロラインに政治をまかせて形だけの統治をしていたジョージ2世は
次々と愛人をつくり、その世話や悩み事までキャロラインに相談する始末でしたが
心が寛いってゆうかなんていうか、彼女はちゃんと愛人やその子供たちの面倒を
王に変わってみてあげています。
なかなかできることじゃありませんよ、あなた

ジョージ2世も彼女を唯一の女性と思っていたようで
死の床で再婚をすすめるキャロラインに「再婚はしない、愛人だけにするよ」と
約束しています。 なに? その誓い

キャロラインはヘルニアの手術の失敗で命を落とすのですが、苦しみながらも
王太子フレデリックに対して「あの怪物を二度と見なくて済むことだけが慰めだ」と
言ったとか・・・何がそんなに嫌いだったのかしら?
まあ、一つくらい欠点がないと人間らしくないけどね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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『雀横町年代記』日記を出版するならば・・・

2008-11-17 00:03:12 | ドイツの作家
DIE CHRONIK DER SPERLINGSGASSE 
1857年 ヴィルヘルム・ラーベ

自費出版の本で“ 自分史 ” を書く人は多いようですが
自慢とか自分のことばっかりじゃ、読んでて辟易しちゃいますよね
この物語もある意味思い出を書いたものなのですが、主人公である筆者は
あくまでも脇役に徹していて気持ちよいものがあります。
物語ですから、とも言えますけど、日記を出版するならこうであってほしいと思える1冊です。

ある秋の日、老境にさしかかった文筆家ヴァッハホルデルが
長年暮らしてきた雀横町の思い出を書き記そうと思い立ちます。

日記の中に書き綴られていく物語は、幼い頃から恋い慕っていたマリーと
その夫フランツの悲しい死から始まり、二人が残した幼いエリーゼの成長とともに
進められていきます。

横町の名士である新聞記者のヴィンメルや、悲しい思い出を持つ老婆マルガレーテ
食料品屋のおかみさんピンペネル夫人などの過去を彩る人々と
変わり者の漫画家シュトローベル、子供を抱えた踊り子ロザーリエ、
エリーゼと不思議な縁を持つ未亡人ヘレーネなどの今を共に過ごす人々が
ヴァッハホルデルの日記をうめていきます。

日記の日付に起こった出来事と過去の思い出が唐突に交錯するので
時々、これは生きてる人だっけ? 思い出の人だっけ? とこんがらがりますが
横町という、少し雑多な印象の街で流れる穏やかな日々は読んでいて心落ち着くものでした。

もう少し、横町の人々の様々なエピソードが語られる物語かなぁ、と思っていたんですが
(例えばフィリップスの『小さな村』みたいな感じに)
物語は完全にエリーゼの成長記の様相を呈していて
ヴァッハホルデルにとっちゃ可愛くて可愛くて仕方がない という思いが偲ばれます。
帰ってあげなよぉ~ 手紙だけでなく。

気になったことと言えばですね、エリーゼとその夫になったヘレーネの息子グスタフは
実はおじいちゃんが一緒なんですけど(エリーゼの父フランツは、ある伯爵の不実の子で
グスタフの母ヘレーネはその伯爵の正妻の子なんですよね)それは問題無しなの?

それから、そのグスタフっていうのがとんでもなく怠け者っていうか
お調子者でいいかげんなんだけど、結婚を許して良かったのかしら?
画家になってイタリアに行ってるようですが・・・
今後が気になるわ。

物語にはドイツとフランスの戦争の話しも出てきまして
フランス側の例えばドーデーとかモーパッサンが描くフランス人同様、
ドイツ側にも戦争の悲しみにくれる市井のドイツの人々の悲哀が描かれています。
やっぱり戦争っていいことないわ!! 普通に暮らす人たちにとっちゃね。

雀横丁年代記 岩波書店


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イギリス王ジョージ1世妃 ゾフィア・ドロテア

2008-11-14 01:42:04 | イングランド王妃・王女
大きかった不倫の代償
ジョージ1世妃 ゾフィア・ドロテア


1666~1726/在位 (1714~1726)

ゾフィア・ドロテアは、ジョージが王に即位する前に離婚していたので
王妃ではないのですが、離婚が秘密裏にすすめられたために
合法と見なされなかったようで、ジョージ1世妃とされています。

メアリー2世アンと女王が続きましたが、世継ぎを残さなかったため
スチュアート王家の血を引くプロテスタントという条件にあてはまった
ハノーヴァー家のゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世としてイギリス王に即位します。

即位したジョージ1世は、ドイツからロンドンへやって来た際
美しいと評判の王妃ゾフィア・ドロテアを伴わず
“かかし”というあだ名のエーレンガルトと“象”というあだ名のシャーロットという
見栄えのしない愛人たちを連れて来たため、英国人はガッカリしたそうです。

では、王妃のゾフィアはどうしていたのかというと
彼女は夫がイギリス王になったことも風の便りで聞かせれて
アールデン城で軟禁生活を送っていました。

      

ゾフィア・ドロテアはジョージ1世の従妹にあたります。
彼女にはいくつかの縁談がありましたがうまくいかず、気付いた時には
従兄のゲオルグ(ジョージ1世)との縁談が決まりかけていました。

ゾフィアは送られて来た見合い用のゲオルグの人形をたたき壊し
「あんなブタ鼻となんか結婚しない!!」と叫んだそうで
これが本当の “ 金髪◯◯野郎 ” ですね ・・・失礼しました。

とにかく父親がゾフィアの願いを聞き入れず
彼女は最もイヤな相手と結婚させられてしまいます。

ゲオルクの母ゾフィアは、若い頃ゾフィア・ドロテアの父に婚約破棄をされたことがあり
二人の結婚に渋い顔をしていましたが
結婚が決まると手ぐすねひいて待っていた様子・・・ 怖いわぁ

その上ゾフィアの侍女頭は義父の愛人プラーテン伯夫人
その妹カタリーナもさらに娘ゾフィア・シャーロットも、夫ゲオルクの愛人・・・て
まわりを敵に囲まれて暮らしているような状態です。
夫もゾフィーの方を見ようともしません。 つらかったろう・・・

そんな彼女に近づいたのが、スウェーデンのケニヒスマルク伯でした。
美男子の貴族の愛の告白に負けてしまった、囚われの美貌の公妃・・・なんですが
実際は美しい悲恋の物語ではなく、虚栄心と出世欲が強かったケニヒスマルク伯が
「公妃は寂しいらしい」と聞きつけてロックオンしたことから始まった恋でした。

なんたってケニヒスマルク伯は地位欲しさに
かなり年上のプラーテン伯夫人に取り入った男です。
ゾフィアは本気だったかもしれないけど、伯爵はどうだったんでしょうか?

結局、ケニヒスマルク伯が離れていったことを怪しんだプラーテン伯夫人のスパイ活動と
伯爵の軽率な行動から、二人の恋愛は人々の知るところとなります。
最初、ゲオルクは見て見ぬ振りをしていたのですが
伯爵が他の領主にゾフィアとの駆落ちをほのめかしたことから離婚に踏み切り
その上幽閉してしまったのです。
ケニヒスマルク伯はどうやら処刑された様子ですが、ゲオルクは処刑を否定しました。

離婚するなら自由にしてあげればいいのにね 、どうせ好きじゃなかったのに。
幽閉といっても、ゾフィーに自由になるお金はかなりあり
しばらくすると近所の村までは出かけられるようにって、村の発展に力を貸したそうです。

でも、子供たちには会えないし、夫が王になっても戴冠はおろか一人寂しい城に残されて
一生を終えるなんて、悔しかったでしょうね。

ゾフィア・ドロテアが亡くなってから半年後
ハノーヴァーに戻って馬車に乗っていたジョージ1世に1通の手紙が届けられます。
その手紙は亡くなったゾフィアの遺言で、夫への恨み言が書き連ねてありました。
ジョージ1世はその場で意識を無くし、そのまま数日後に死亡します。
ちょっと作り話っぽいけど、どの本にも書いてあるところを見ると実話でしょうか?

ジョージ1世が感じた恐怖なんて、ゾフィアが何十年も背負ってきた哀しみに比べたら
雀の鼻クソみたいなもんですよ

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』)

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画像ないんですが… 女王たちにまつわるスキャンダルが満載です
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女王たちのセックス
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イングランド女王 アン

2008-11-14 01:42:00 | イングランド王妃・王女
地味ではあるけれど・・・
イングランド女王 アン


1665~1714/在位 1702~1714

共同君臨のメアリー2世はおいといて、エリザベス1世ヴィクトリア女王
あいだに挟まれ、なんとも地味な存在の女王でありますが
イングランドとスコットランドが完全に連合国家になり
イギリスという国が誕生するという、まさにその時君主だったのがアン王女です。

アンは義兄ウィリアム3世が定めた王位継承制度
“ステュアート王家の血を引くプロてスタント”という条件に
あてはまっていたため女王になりました。

彼女は18人の子供を産んでいます 、が、半分以上が死産で
ほとんどが5歳以下で死亡し、頼みの綱の皇太子も10歳にならずに死亡してしまいます。
このことが彼女のアルコール中毒の原因とも言われていますが
ともあれ、ひとりでも生き延びていればその後の王位の継承は
大きく変わっていたかもしれません。

アンには同性愛と間違われるほど寵愛したセアラ・ジェニングスという女官がいました
父ジェイムズ2世の愛人の弟ジョン・チャーチルの妻です。

      

子供の頃からセアラが好きだったアンは、女王になると破格の待遇を彼女に与えます
夫ジョンへの爵位や年金はいいとしても、成田空港の6倍の宮殿を与えるってどうよ?

女王に限らず、王侯貴族の人々は気に入った人を偏愛する傾向があったみたいです。
やっぱり限られた人の中で暮らし、本心が分からない人々に取り囲まれてるっていう環境が
彼等をそうさせるんでしょうか?

膨大な数の人たちに取り囲まれていながら、ある意味乏しく、寂しい人間関係ですよね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

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イングランド女王 メアリー2世

2008-11-14 01:41:00 | イングランド王妃・王女
(たぶん)亭主関白
イングランド女王 メアリー2世


1662~1694/在位 1689~1692

世にも珍しい “共同君臨” をしたウィリアム3世とメアリー2世は
同じ祖父(チャールズ1世)を持ついとこ同士でした。

    
系図のように、メアリー2世はイングランド王ジェイムズ2世の娘であり
ウィリアム3世はチャールズ1世の娘メアリーを母にもっていました。

普通であれば、王位継承権があるのはメアリー2世のみで
ウイリアムはイングランド国王になるはずはなかったのですが・・・

イングランドでは、プロテスタントの気運が高まり
カソリック信仰をしていたジェイムズ2世に対する風当たりが強くなっていました。
なんとか廃位に持ちこもうとしますが上手くいかず、あとは次の世代である
メアリーとアン(プロテスタント信者)に望みをかけようと思っていた時、
ジェイムズ2世と2度目の妻メアリー・オブ・モデナ(カソリック信者)との間に
王子が生まれてしまいました。

慌てたプロテスタント派は、メアリーの夫であるオレンジ公ウイリアムに援軍を要請します。
この時ウィリアムが出した条件がイングランド王位でした。

結局ウィリアムの無血クーデターが成功し、ウィリアムは王座につきますが
王位継承権1位のメアリーをさしおいて王になるわけにもいかず
共同君臨という形がとられました。

実は、イングランド政府は一度ウィリアムとの約束を破ろうとしています。
怒ったウィリアムがオランダに帰ると言い出し、メアリーが
自分はいいから夫を王座につけてくれと政府に頼んでいます。

もしかして、すっごい亭主関白じゃないのかしらぁ? ウィリアム。
一部には、冷静を通り越して冷酷な人物だという噂もあります。
メアリーのオロオロ状態が目に浮かぶわぁ
現に君臨した後はウィリアムばかりが目立ちます。

しかしウィリアム3世は、それなりに賢王だったようで
君主制を確立したり、国立銀行を創設したりしています。

ただ、いかんせん外国人というところが(オランダ人ね)・・・
いまひとつ国民に受け入れられなかったみたいです。

でもよく考えたらイングランドで生粋の英国人が
王になったことってあったっけかな?

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

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