気ままに

大船での気ままな生活日誌

名残り秋 東慶寺

2009-12-08 18:23:15 | Weblog
暦の上では冬でも、まだ暖かい日は、晩秋という感じですね。名残りの秋を探しに、北鎌倉の東慶寺を訪ねました。毎年、ここの紅葉は遅くまで魅せてくれるからです。

やっぱり、まだまだの紅葉が。本堂前の真っ赤な紅葉が。名残りもみじ。


高見順さんらが眠る、高台の墓地の入り口の紅葉も。紅、黄、緑と色とりどり。


銀杏の黄金色の絨毯も。名残りいちょう。


名残りの秋を十分、楽しませてもらいました。ありがとうございます。

。。。。。

久しぶりに替え歌をやってみよう。元歌は、いるかの”名残り雪”。

(もみじのように紅くなった彼女の手をみて)

なごりもみじも 去るときを知り
ふざけすぎた 季節のあとで
今 冬が来て 君はしもやけになった
去年よりずっと ひどくなった

動き始めた(横須賀線の)電車の窓に 顔をつけて
君は何か 言おうとしている
君のくちびるが さようならと動くことが
うれしくて 上をむいてた

君が去った (北鎌倉の)ホームにのこり
落ちては積もる 銀杏を見ていた
今 冬が来て 君はまた食慾が増した
去年よりずっと メタボになった

。。。

むむっ。なななんと。秋というより、早春の花。なんという早業。ロウバイ(蝋梅)が。狼狽してしまうではないか。明日から、また、明月院とか、あちこちにロウバイの花見に行かねばならぬ。暇人のはずなのに、ぼくはいろいろ忙しいのだ。これ以上、忙しくさせないでおくれ。”忙中閑あり”とは聞いたことがあるが、”閑中忙あり”は、聞いたことがない、”寒中見舞い”はあるけど。




な、ななんと、ミツマタのつぼみまで膨らんできている。


名残りの秋を探しにきたのに、これでは、まるで早春賦ではないか。
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思いだすこと 奈良の薬師寺

2009-12-08 09:14:58 | Weblog
この秋、正倉院展に行ったときに、興福寺、唐招提寺と共に、薬師寺も訪れました。まだ記事にしていませんでしたが、先日の平山郁夫画伯の訃報をきき、是非、薬師寺のことも書いておかねばと思いました。なぜなら、そのとき、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍内の平山郁夫画伯の描かれた”大唐西域壁画”を観てきたからです。この壁画の前で、画伯の追悼の儀が行われたのもテレビのニュースでみました。

これが、玄奘三蔵院伽藍。平成3年に建立されました。この中に画伯の平成12年に完成された壮大な壁画が。西遊記のモデルにもなった高僧、玄奘三蔵がインドに向かう西域の風景が。


薬師寺というと、一見、六重の塔にみえる、実は三重の塔。東塔、西塔とあり、東塔は、創建当時からの唯一の建物で、1300年の時を重ねています。残念ながら、そのときは、修復中で、こんなふうに、姿が隠されていました。



一方、西塔は”青丹良し”の華やかな姿をみせてくれていました。昭和56年に復興されたとのことです。



この塔をみて、思いだすことがあります。中学生の修学旅行のことです。そのときのお坊さんの説明が面白くて、いつまでも憶えていました。のちに知ったのですが、その方は、その後、管長になられた高田好胤さんでした。

どんな、話だったのだろうか、すっかり忘れていましたが、今日の散歩で寄った図書館で好胤さんの随想本をみつけ、その中の”仏心の種まき”というタイトルの中に、具体的な話の内容が出てきました。その頃は修学旅行生対応係で、中高生に、なんとか、仏教に関心をもってもらうように、おもしろ、おかしく、説明したそうです。



”薬師寺の塔は一階、二階、三階にスカート(裳階もごし)はいている。だからこの塔は六階に見えんねやと。そやけど六階と違うで、三階やでゴカイのないようにと。そしたら初めて私の話に耳を向けてくれる。眼差しを三重の塔に。その子供たちの心に、あの塔の姿をもって帰ってくれるわけですよ。”そうゆうお話しだったんだ、ぼくもいつまでもあの塔の姿を憶えていましたよ。

”奈良に関して読んでおく一冊の本は何がいいかと聞かれたら、亀井勝一郎先生の「大和古寺風物詩」を推薦している。あるとき亀井先生が、息子の学校の修学旅行・一行感想文集をみせてくれた。息子の一行。”寺は金閣、庭は竜安、坊主は薬師寺ベリーグッド”。

それをみせてもらい、そうゆう修学旅行生との触れ合いで、仏心の種まきができたことを、とてもうれしく思ったそうです。”金堂の復興をお写経勧進で”というときに、これは理想論だ、できるわけがないと、みなに大反対されたそうです。修学旅行生との出会い、触れ合いがなかったら百万巻写経の勧進に踏み切る決意はできなかっただろうと、述べています。

これが成功し、2000年には700万巻写経達成、今日の、奈良時代建設当時の青丹良しの華やかなお寺へ変貌していったのでした。

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