気ままに

大船での気ままな生活日誌

東京物語

2010-11-25 11:19:59 | Weblog

先日、鎌倉芸術館で、香川京子さんのトークショーがあり、そのことについては記事にした。そのとき、彼女が出演した映画、小津安二郎監督の”東京物語”の上映もあった。今日は、それについて書いてみようと思う。ぼくも小津フアンで、代表作といわれる東京物語も、何度みたかわからない。映画そのものもいいし、加えて、原節子フアンでもあるので(汗)、いつみても、飽きないのだ。

香川京子さんが、小津さんは、自分は社会のことには関心がないんだ、とよく言っていたそうだ。当時は映画のみならず、さまざまな分野で”社会派”が幅をきかせ始めていた時代背景があったから、そんな言葉が出たのだろう。でも、人間をしっかり描けば、その背景の社会があぶりだされれてくる、とも言っていたそうだ。小津さんの有名な言葉のひとつに”ぼくは豆腐屋だから豆腐しかつくれない”またこうも言っている。”感情過多はドラマの説明にはなるが、表現にはならない”。大声を出して説明しなくても、小津映画は、しみじみと人々の心に小津さんの”主張”が染みわたっていくのだ。

香川京子さんは映画の冒頭部と終盤にだけ出てくる。笠智衆と東山千栄子の末っ子で、学校の先生をしている。両親は尾道の自宅から、東京にいる長男(山村聡)と長女(杉村春子)を訪ねる旅じたくをしている場面で、香川さんが顔を出す。そして、最終盤では、東京から帰ってきて、急逝した東山千栄子の葬儀の場面に再度、現れる。

葬儀を終えて、実の兄と姉は、忙しいからと、(杉村春子が)目をつけていたお母さんの帯を形見にもらって、さっさと帰ってしまう。残っているのは、次男の未亡人、原節子だけだった。香川京子は原節子を前にして、怒った顔で言う。”やあね、お姉さんたち、あたし、そんなふうになりたくない、そんなんじゃ、親子なんてずいぶんつまらない”。原節子は、”なりたくないけど、やっぱりそうなってくるのよ”、と静かに微笑みながら返す。

東京に行っても、子供たちからは歓迎されなかった。ただ、原節子だけには親切にされる。笠智衆が、あんたはいい人だなという言葉に、”私、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません・・・私、ずるいんです”という原節子。東山千栄子に次男のことはもう気にかけないで、再婚してね、そうじゃないと私たちの気が済まないから、とも言われる。同じことを、葬儀後、笠智衆にも言われ、私、そんなにいつも、亡き夫のことを想っているわけではないんです、と涙ぐむ原節子。

ラストシーン。冒頭にも出てきた、近所の奥さんが、”ほんとうに、急なことでしたね”と縁側から声をかける。団扇をばたばたさせながら、”一人になると、急に日がなごうなりますわい”と答える笠智衆。

。。。。。

ぼくも、何度も東京物語をみているうちに、笠智衆の年齢にだんだん近づいてきてしまった。映画では72歳役だったが、実年齢は48歳だったらしい。

 

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