気ままに

大船での気ままな生活日誌

泉鏡花ゆかりの岩殿寺

2009-04-16 09:33:34 | Weblog


逗子の岩殿寺(がんでんじ)を訪ねてみました。泉鏡花は明治35年と37年に、病気療養ということで逗子に滞在していますが、その折、ここによく参拝し、周囲を散策していたということを知ったからです。

逗子滞在中は、台所仕事をお願いするということで神楽坂の元芸妓、すず女も一緒に住んでいました。これを知った、師の紅葉は激怒し、”女を捨てるか、俺を捨てるか”と鏡花に迫ったそうです。二人は、泣く泣く離別を決意しますが、紅葉が亡くなったあと、結婚し、終生仲良く暮らしたそうです。

胃腸病に加え、ノーローゼにもなりましたが、ここ岩殿寺の住職との4年間の交友関係の中で次第に健康を回復してきます。鏡花にとって、ここは生涯、忘れることのできない場所となったことでしょう。その証拠に、鏡花夫妻は、のちに観音堂の脇に”心”の字の形をした池を寄進しています。



山門入ったすぐ脇には鏡花の句碑も建てられています。
普門品 ひねもす雨の 桜かな (鏡花)
句碑の協力者の名前。鏡花の著者の装丁、挿絵を担当していた鏑木清方、(小村雪岱の名はありませんでした)、鏡花を師と仰いでいた里見、久保田万太郎、戸板康二の名前がみえました。



。。。

観音堂。
本寺は、行基によって養老4年(720年)に建てられました。坂東三十三観音霊場の第二番札所です。(一番は鎌倉の杉本寺)


観音堂手前に珍しい形(?)のお地蔵さん。
爪堀地蔵さんといい、弘法大師が、手足の病に苦しむ人々のために自らの爪で彫ったと伝えられています。


逗子駅への帰り道。鏡花とすずさんが、ふっと現われそうな家。いいな、こういう家。


コメント
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