昨日の続きです。
三条門だけだと思っていたんです。
だからこちらの派手な方を撮影していませんでした。
京都市指定の重要文化財なんだそうです。
↑川端門
お寺の説明を引用して起きます。
有栖川音仁親王一族は主夜神尊へのご信仰あつく、明和3年(1766)本堂再建の際、主夜神堂のためこの門を寄進なされた。そのため屋根に菊紋の獅子口の瓦が置かれるとされる。
↑龍がいてはります
この門は赤門、開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財になっている。昭和49年(1974)に修復が行われた。
↑龍神堂
↑新しい感じの石版
龍神堂の説明も引用して起きます。
龍神堂に奉られる加茂川龍神は、自在な神通力を持ち、晴雨を司る神様としてわれわれや仏法をひでりや水難から守る神様である。
晴天、雨請(あまごい)等の天候を祈願するお堂として古くから信仰を集め、加茂川龍神立像が安置されていたが、現在像は本堂に移されている。現在のこの堂は昭和61年に再建された。
↑念仏万霊塔
この念仏万霊塔は、延宝6年(1678)、八世東暉(とうき)上人による「不断念仏会」の百余名の結縁を記して建てられた。
以下引用します。
東暉上人は開山袋中上人の最後の直弟子で袋中の念仏信仰、曼陀羅信仰を受け継ぎ、盛んに念仏会や曼陀羅講を開いた。
この時の念仏会は継承され、元禄17年の一万日回向、宝暦6年の三万日回向の基準となっている。
書いて見たけどもう一つよくわかりません。
↑消えていてよくわかりません
↑石仏
色んな人が寄進されたんだろうな。
いまとなっては誰がどのような気持ちで納めたのかもうわからないかも。
もの足りない説明ですんません。
今日の写真は、昨日再びここに行って撮影してきました。(笑)
こうやって見ていると面白いですね。
まだまだ知らないお寺や神社がいっぱいあります。
というか知っているところが少ないかも。
Twitter→@kyo_otoko
三条門だけだと思っていたんです。
だからこちらの派手な方を撮影していませんでした。
京都市指定の重要文化財なんだそうです。
↑川端門
お寺の説明を引用して起きます。
有栖川音仁親王一族は主夜神尊へのご信仰あつく、明和3年(1766)本堂再建の際、主夜神堂のためこの門を寄進なされた。そのため屋根に菊紋の獅子口の瓦が置かれるとされる。
↑龍がいてはります
この門は赤門、開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財になっている。昭和49年(1974)に修復が行われた。
↑龍神堂
↑新しい感じの石版
龍神堂の説明も引用して起きます。
龍神堂に奉られる加茂川龍神は、自在な神通力を持ち、晴雨を司る神様としてわれわれや仏法をひでりや水難から守る神様である。
晴天、雨請(あまごい)等の天候を祈願するお堂として古くから信仰を集め、加茂川龍神立像が安置されていたが、現在像は本堂に移されている。現在のこの堂は昭和61年に再建された。
↑念仏万霊塔
この念仏万霊塔は、延宝6年(1678)、八世東暉(とうき)上人による「不断念仏会」の百余名の結縁を記して建てられた。
以下引用します。
東暉上人は開山袋中上人の最後の直弟子で袋中の念仏信仰、曼陀羅信仰を受け継ぎ、盛んに念仏会や曼陀羅講を開いた。
この時の念仏会は継承され、元禄17年の一万日回向、宝暦6年の三万日回向の基準となっている。
書いて見たけどもう一つよくわかりません。
↑消えていてよくわかりません
↑石仏
色んな人が寄進されたんだろうな。
いまとなっては誰がどのような気持ちで納めたのかもうわからないかも。
もの足りない説明ですんません。
今日の写真は、昨日再びここに行って撮影してきました。(笑)
こうやって見ていると面白いですね。
まだまだ知らないお寺や神社がいっぱいあります。
というか知っているところが少ないかも。
Twitter→@kyo_otoko
京男さんが知らないところが多いのなら私など皆無というところですね。
京都に生まれ育っている人間の方が知らないかもしれませんよ。
圧倒的に知っている寺院がすくないのにビックリしますね。