京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

伏見稲荷大社お火焚・・・炎編

2007年11月13日 05時29分02秒 | 行事


お火焚でこうやって火を使う意味があります。
作物の豊作に導いてくださった神さまを再び天にお帰りいただくという意味なんだそうです。
「おかげでこれだけ豊作になりました。来年もよろしく」と。
手土産に神田でとれた稲のワラを燃やします。







お帰りになるとき、人々の願いも叶えてもらえるように火焚串に書き、
炎の勢いで天にお帰りになってもらいます。





人間では、どうしようもない自然を神さまに願うのは当然のこと。
最近は人間がなんでもできると奢っているように思いますね。
お金さえあれば、食べ物なんかいくらでも輸入できる。
だから自然に感謝して大切に食物をいただくということが少なくなった。





当たり前と思わずに感謝して食べ物扱う方がよいのではないでしょうか。
また子供たちにもそれを伝えていった方がよいですね。
こういう神事を観ていて思います。
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2 コメント

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おはようございます (すー)
2007-11-13 07:44:42
1枚目の写真、凄い迫力です。
これなら、人々願いも天に届きますね。

当たり前と思っていることが、本当は当たり前ではなく、いろいろな人たちが努力したおかげの結果なのですよね。
おいしい野菜を食べられるのはあたり前ではなく、農家の人、種を育てた人、農機具を作った人、その野菜を運んだ人など多くの努力の結果ですよね。
当たり前に感謝です。こんな日本に感謝です。
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>すーさん、おはようございます (京男)
2007-11-13 07:57:40
迫力でしょ。お気に入りなんです。
炎がとてもきれい。清浄な炎という感じがする。

いまの日本はおかしいですね。自然の恵みに感謝するという心が少なくなってきたからだと思う。
そういうことをこの行事は教えてくれているように思います。
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