↑大谷本廟、我が家はここじゃない。通り道なんです。
先週は、春のお彼岸でした。
お彼岸といえば墓参りですね。
どこか納得してはいないけど、墓参りに行きました。
煩悩と迷いの世界が我々の世界、それを「此岸」という。
それから解き放たれた世界、それが「彼岸」。
春分の日や秋分の日は、「彼岸」と「此岸」の距離が近くなるという話です。
だから、その時に墓参りをして、「彼岸」に行った人の所(墓)に行ってあやかろうという調子のいい話なんやね。
これって仏教の行事ですよね。
仏教では、悟った人のみがチャンとした彼岸に行く。
悟っていない人が死んだらチャンとした彼岸に行っていないらしい。
だから生きている間に、悟れるように生きなくてはいけない。
しかも、悟っても死ぬだら、美味しくない。
即身成仏という意味は、悟ってなおかつ生きている状態をいいます。
ミイラになることじゃない。
↑ヴェジタブル・サモサ
お彼岸の中日をはさんだ前後7日間だけでも、修行しないというのが本来の意味。
「亡き人を偲ぶ」ことが修行になるかどうかはわからない。
↑シークカバブ、1本とサモサをテイクアウト(父親用)
先祖を敬うことって具体的に墓参りをすることなのか?
違うと思う。
自分の身体の中に先祖はいる。
染色体の中のDNAに先祖(父方)はいる。ミトコンドリアDNA(母方)にも先祖がいる。だから、自分の身体を大切にすること。他人を大切にすること。それが先祖を敬うことのように思う。
また、子供や孫を敬う必要がある。なぜなら子供や孫に自分がいるのだから。
そして、家庭を大切に社会を大切にすることが、先祖を敬うことになる。
なにも墓参りをすることが「先祖を敬うこと」にならないと思う。
まあ、墓参りや仏壇を拝むのもいいけどね。
↑マタル ピラウ(サフランライスにグリーンピースを加えたインド風ライス)、このお店のインディカ米の料理は素晴しいと思います。他の店にない特徴です。
墓参りをしてそう思った。
だめかな・・・。
骨に魂が宿るのかなぁ・・・。
魂というのは、そんなちゃちなモノじゃないように思う。
魂は、生命発生以来ずっと生き通しなんと違うかな?
DNAと連携するけど、魂の道具に過ぎない。
道具や乗物に拘る必要はないのかも。
↑チキン・コーマ
↑ロティ(全粒粉を使った固めのインドのパン)、最近、ナンでなくロティが多い。あっさりしているのがいいのかも。
ただし、生きている間は「御身大切に」です。
そまつに扱ってはいけません。
手入れをして、大切に扱えば、かならずいい答えが返ってくる。
歳をとり、身体がうまく動かなくても、工夫して動けばいいのです。
そうしていると生きることに「深み」が出てくる。
それができた人はきっと「即身成仏」しているのだと思う。
もちろん、若くても「即身成仏」は可能。
生きている間は、しっかり生きることです。
↑塩味ラッシー、他の店でこれを言うとまともなものがでてこない。甘いラッシーなんてのは、お子様の飲み物だと思う。
なんか訳のわからないことを手が勝手に書いた。
まあ、書きたかったのでしょう。
そのまま掲載して置きます。
写真の料理は、いつも行く「チャクラ」です。
こうやって美味しい料理を食べることも、先祖供養になるのかもね。
ごちそうさまでした。(合掌・チーン)
和菓子 | |
中村 肇 | |
河出書房新社 |
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
日本人は宗教を深く考えないことで平和な社会を作ったのかも知れない。
宗教がらみの事件って少ないものね、坊主が事件を起こすことは多いけど・・・(^_^ゞ
これからの時代は、一神教から多神教的な発想がいいと思います。いいところはすべて融合すればいい。
それを日本は世界に発信すればいいように思います。
お金よりそういう考え方で世界に貢献したらいいと思いますね。
そんなことで深く考えていない自分がいたりしてm(_ _)m
そういうのってありですよね。たかが食事ですが、されど食事です。