京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

幽霊飴って知ったはる?

2006年08月14日 07時53分00秒 | その他


もう終わりましたが、六道詣りの時に必ず買うのが「幽霊飴」。
みなさん「幽霊飴」を知ったはったりますか?
なんか陰気な感じの飴だと思うでしょ。
美味しいなさそうやね。でもとってもやさしい味。
由来は、なかなかいい話なん。



こんなお話しです。
六道珍皇寺の門前に飴屋がありました。ある夜に表の戸を叩く音で出てみると青白い顔をした女の人が一人立っていました。「えらい夜分にすんませんけど、飴を一つ売っておくれやす」そう言って一文銭を出した。次の日も、また次の日も同じ時分に来る。それが六日連続で来はったそうです。
店の主人が「明日来なんだら、普通やないで」家人が「なんでですねん」「そりゃそうやろ。人が死んだ時、六道銭言うて三途の川の渡し料やいうて銭を六文棺桶に入れるんや。それを持ってきてるんと違うやろか」



七日目の夜、また女の人が来て「実は今日は、お足がございませんが。飴をひとつ……」と言う。主人は「よろしおす」と飴をひとつ渡すと女性は立ち去りました。主人はそーっと後をつけていきました。すると二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓地へ入っていくのです。そしてひとつの塔婆の前です~っと消えたのです。耳を澄ますとどこからか赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。おかしいと思った主人は、墓守を呼んでその女が消えたお墓を掘ってみることにしたのです。ザク、ザク、ザクするとコツン。棺桶が出てきました。恐る恐る開けて見ると、お腹に子供を宿したまま亡くなった女がでてきたのです。しかも棺桶の中で元気な赤ん坊が生まれていたのです。母親の一念で飴を買いもとめ、赤ん坊を守っていたのでしょう。
不憫(ふびん)に思った飴屋の主人がこの子を育て、後にこの子が高台寺の坊さんになったというお話。母親の一念で一文銭を持って飴を買うてきて、子供を育てていた。それもそのはず、場所が「コウダイジ(子を大事→高台寺)」。
七日目にもうお足がない。この事件以来、幽霊には足がないのだそうです。
お後がよろしいようで……。



お店の由来書きより引用分
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児八才にて僧となり修業怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八才にて遷化し給う。
されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育て飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。



お味は、麦芽糖で作った昔ながらの飴です。
味的に言うと桂飴の方が深みがあるかもしれません。ちょっとした作り方の差なんでしょう。
京都の隠れた名品です。



お店に人に、「六道詣りの時しか売ってへんの?」と聞くと
「いいえ、年中売っています」とのこと。
お土産にいかが?
コメント
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