■発達障がい者支援-精神科診療所に期待すること
12/14に、大阪で「発達障がい者支援-精神科診療所に期待すること」と題するフォーラムがあり、僕も登壇することになっている(「発達障がい者支援-精神科診療所に期待すること」 2017年12月14日(木) 19:00~21:00)。
これは、(公社)大阪精神科診療所協会という精神科開業医の先生方の組織主催で、ドクター以外にも、僕(ソーシャルセクター支援者)や広野ゆいさん(NPO法人DDAC代表)など民間支援者や当事者もいっしょになって登壇する。このようなイベントは比較的珍しいと思う。
進行の大久保圭策さんや西川瑞穂さんは、大阪ではよく知られた開業医で、また発達障害治療に対して先験的だったことでも知られる(医師業界では発達障害治療について、つい最近までそれほど前向きではなかった)。
だから、医者の先生方主催で、僕のようなマイナーな支援者や、まさに発達障害当事者としてピアグループの集まりなどにも取り組んできた広野さんがいっしょに登壇することは、画期的といえば画期的だ。
■発達障害独特の発見の遅れと障害受容の困難さ
が、こうしたイベントとは別に、発達障害当事者はどんどん年齢を重ねている。また、年齢を重ねながらうまく社会参加できた人、なかなかできない人、さまざま動きがある。
僕が「住吉区子ども若者育成支援事業」(tameruカフェ)において週一面談支援するだけでも、かなりの当事者の苦しみを実際知っているのだから、大久保先生や西川先生や広野さんのもとにやってくる多くの当事者の人々の悩みと苦しみと憤りと苦悩は、この問題とあまり親和性のない一般の方々の想像をはるかに超えている。
成人の発達障害の方は、多くの場合それまで不登校やひきこもり状態にあったとしても、そのことと発達障害が結びつかない。不登校とひきこもりが直接つながる出来事は、いじめだったり鬱だったり強迫障害であり、発達障害に詳しくない普通の医療者からすると、そのあたりの診断名ですませる。
また、発達障害に関心ありすぎるカウンセラーや教師たちは、拙速にそのことを伝えてしまい、当事者や保護者の反発を呼び、結果的に当事者が自分の生きづらさを「発達障害」として受け入れることが何年も遅れる。
このような、発達障害独特の発見の遅れと障害受容の困難さは、この問題がクローズアップされた10年以上前からおそらく変わらない。
■顕在化できたのに人為的に再び潜在化させられた当事者
若者支援NPOからすると、行政委託事業で動ける主たる分野は「就労支援」であり、そこ(主として地域若者サポートステーション)にいる専門家(主としてキャリアカウンセラー)は発達障害の知識が薄いため、適切な支援ができない。
知識のないNPO支援者は、当事者を鬱や単なるひきこもりと位置づけ、関心はあるものの支援体験を重ねていないNPO支援者は、なんでもかんでも発達障害として決めつけ(多くは「発達凸凹」といわれるグレーゾーン)、ある種暴力的に「告知」してしまう。
このようなことが原因で、勇気を振り絞ってサポステに行ったとしても再び潜在化(ひきこもりやニート)してしまうケースは今も後を絶たないはずだ。
これはかなり深刻な問題だと思う。
現在、発達障害や発達凸凹は当たり前すぎて、たとえばサポステからはみ出てしまった当事者はあまりスポットライトを浴びない。「その問題はわかった、わかったからあなたなりに努力しなさい」と社会が囁いているように僕には思える(「貧困支援」の社会的ブームがそれを後押ししている)。
現在30代後半や40代になってどこの支援施設にも関わらず(以前は関わっていた)、細々と生きている当事者を見ていると、「顕在化できたのに人為的に再び潜在化させられた当事者」の代表が発達障害当事者のように僕には思える。
発達障害者の声はなかなか社会に届かない。それはずっと潜在化させられているわけではなく、発見されたものの、ある意味人為的に再潜在化させられている。いま、その方々が40才に次々となっている。