ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

全国障害者スポーツ大会へ選考会

2019年05月27日 16時33分14秒 | 障害者の自立

全国障害者スポーツ大会へ向け佐賀県代表の選考会が開かれ、大会最終日となる26日は県内の4カ所でボウリングや卓球などの競技が行われました。

  この大会は、全国障害者スポーツ大会の出場者を決める選考会のほか選手同士の交流を深めてもらおうと、県障がい者スポーツ協会などが開いたものです。このうち、佐賀市のボウルアーガスでは、ボウリングの競技が行われ、障害がある14歳から70歳までの選手71人が出場しました。ボウリングの競技は2ゲームの合計得点で争われ、出場した選手たちは日頃の練習の成果を発揮していました。

大会は10月に茨城県で開かれる全国障害者スポーツ大会の選考会も兼ねていて、佐賀県からはボウリングや陸上競技など6つの競技で、24人が出場する予定です。

 

 


迫り来る雨水…豪雨災害の時、聴覚障害者は?【岡山発】

2019年05月27日 16時28分15秒 | 障害者の自立

突然の豪雨…その時、聴覚障害者は…?

2018年7月、岡山県内に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。 わかっているだけでも聴覚障害者の自宅など14棟が床上・床下浸水する被害を受けた。

岡山市東区。倉敷市真備町に次ぐ約750ヘクタールが浸水したこの地域では、聴覚障害者が営む理容店が被害を被った。

被害に遭った坂口さんの理容店

当時、避難していた2階の自宅から1階の理容室に降りると足下には水が残り洗濯機は傾いていた。 清潔感のあった店内は泥水につかり、愛用のハサミやカミソリは錆び付いていた。

被災当時の店内 【撮影 坂口雅夫さん】

豪雨被害の時の様子について理容店の夫婦はこう振り返る…
夫 坂口雅夫さん: 1時間足らずで腰のあたりまで水が来た…怖くてパニックになった…

聴覚に障害を持つ夫婦を襲ったのは浸水だけではなかった…
妻 坂口環さん: 困ったことは停電でテレビが見られず情報がなかった…Wi-Fiも使えず、パソコンもファックスも使えない… 情報がなかった…

自宅2階から消防を見つけるが、SOSをどう伝えるか不安に感じたこともあったという。
妻 坂口環さん: 健常者の息子がこれからどうしたらいいか聞いたら2階にいてくださいと、言われた。 息子がいなかったら話が通じていなかったと思う…

坂口さん夫婦は数百万円かけ店をリフォームし豪雨から25日後に理容店の営業を再開した。 しかし、その後も「り災証明」や「保険」の手続きなど手話が使えない担当者とのやり取りは難航しているという。

行政の対応は?

行政も徐々に対応を行っている。
岡山県総社市の福祉課の嘱託職員で手話通訳者でもある上西智子さん。

上西さんは、西日本豪雨発生時、市内の聴覚障害者にSNSを通じ情報発信を行った。

総社市福祉課 上西智子さん: 耳が聞こえないのは情報不足に陥るので、「安心・安全」を考えると情報は大事だと思います。だから、どんな情報でも流していこうと心掛けていた。

総社市福祉課 上西智子さん

上西さんからの連絡を受け避難したうちの1人が丸山津久志さん。 同じ聴覚障害者の妻と自宅近くの中学校に避難したが、大雨の様子は見えても約3キロ離れたアルミ工場の爆発音は聞こえなかった。

丸山津久志さん: 爆発の時は、立っていたが全く気づかなかった。避難所で健常者の弟に助けてもらった。私たちだけだったら何もわからず、パンの支給もわからないままで困った…

丸山津久志さん

また、周りの人とコミュニケーションが取れずストレスが溜まったという…
丸山津久志さん: イライラしていたが、通訳の上西さんが避難所に来てくれて、話をしたりアドバイスをしてくれてイライラがなくなり落ち着いた…

豪雨災害時、上西さんは役所での窓口対応だけでなく、聴覚障害者のいる避難所にも積極的に足を運んだ。 多いときには一日400人がいた避難所で、「手話できます」と書かれたバンダナを身につけ対応に当たった。

総社市 手話通訳者 上西智子さん: 普段通りに話をして心を落ち着かせてもらおうと心掛けた。

聴覚障害者にとって災害時に大きな支えとなる「手話通訳者」。 2018年9月2日には災害救援専門ボランティアとして活動する手話通訳者の研修会が開かれた。 気象情報など正確に理解してもらい聴覚障害者の的確な避難に役立ててもらおうという試みで岡山県聴覚障害者センターなどが開催したのだ。

参加した手話通訳者: 我々、手話通訳者が認識できていないと、それを手話で伝えることはできないし、意味をつかんだ上で手話単語を選び通訳することが大切だと思う。

床上浸水の被害を乗り越え店の営業に励む坂口さんの店の壁には1枚のTシャツが飾られている… そのTシャツには… 頑張聾(がんばろう)の文字が書かれている。

健常者だけでなく多くの障害者も被災した西日本豪雨。災害時の情報伝達や支援体制のあり方が改めて問われている。

【岡山放送】


JAL、羽田で障害者向け体験会 木製車いすでそのまま搭乗

2019年05月27日 15時39分46秒 | 障害者の自立

 日本航空(JAL/JL、9201)は5月25日、体の不自由な乗客と付き添い人などを対象に、搭乗の流れを空港で体験する「JAL空港体験プログラム」の第1回を羽田空港で開いた。ボーイング777-200型機(登録記号JA773J)の実機を使用し、機内にそのまま入れる木製車いすなど、障害者サポートを紹介した。

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムで機内の細い通路を木製車いすで通る参加者

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムで木製車いすの紹介を聞く参加者

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムで機内専用の車いすを組み立てる客室乗務員

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムでJALの木製車いすから自分の車いすに乗り換える参加者

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムで紹介されたスペースが広い化粧室

 

JALが羽田空港で開催した空港体験プログラムで木製車いすの紹介を聞く参加者

 

By       Aviation Wire


「義務感で障害者と生きるのは理想的社会とは言えない」

2019年05月27日 15時20分43秒 | 障害者の自立

「義務感で障害者と生きるのは理想的社会とは言えない」と問う学生に、私は答えた

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

ヘルプカード

 すでにご存じの読者もおられようが、筆者は幼い頃から車椅子や松葉杖を利用する重症の脚部障害をもっている。

 社会生活をしながら、時々思う。もしかしたら自然災害やその他の災害が発生したとき、動作が不自由な筆者のせいで家族や周囲の人たちがより大きな危険にさらされるかも知れない、そのときには、本来ならリスクを克服する確率が高いはずの彼らにだけは、なんとか無事でいてほしいものだ、と。

 東京での生活を開始してすぐのこと、居住地を管轄する区役所で特別な名札のようなものを支給された。「ヘルプカード」(help card)と呼ばれるそれを受けとるとき、このような説明を受けた。

 自然災害であれ、その他なんでも緊急事態がおこれば、このカードを胸につけて、誰にでも手を差し出して救いを求めてください。消防士、警察、その他の公務員、ボランティアだけじゃなく、周りの誰にでもそうしてください――。

 もちろん、大規模な災害のときは筆者を担当する公務員が駆けつけてくれるのだが、その前にでも無条件に社会の助けを求められるのだと教えられた。

 「私は独りではたいへんなので、助けてください」

 このカードは周囲にそのように話しかけてくれる。そうすればもちろん状況にもよるが、可能な限り優先的に支援を受けることができるという。

災害現場で生き残る確率

 いつか日本人の友人と話していたとき、地震の話がでた。その友人は冗談半分、真面目半分で筆者にこう言った。

 「実際のところ、その時には僕よりもあなたが生き残る確率がはるかに高い。この社会には最弱者が最優先されるという約束事があるからね。もしあなたを助けなければ、周囲の人間は他の十人が犠牲になったよりもずっと残酷な喪失感を覚悟しなければならない。そのことがもたらすコミュニティの傷は言葉にできないほどなのだよ」

 筆者の胸はビリビリと震え、キュンとしたが、せっかくのその話を否定しながら、「ちょっと、ちょっと、それはどうだか。差し迫った状況になってみなければわからない」と、友人の言葉をさえぎった。

 しかしもちろん、心のなかは温かくなった。うそいつわりなく、いつも筆者は、それがどのような災害の状況であれ、韓国でも日本でも、筆者のために他の人が困難な目に遭う必要はなく、自分で自分を救う能力が一番不足している筆者が最初に死ねばよいのだと堅く覚悟して生きてきたのだった。

セウォル号事件で忘れられた話

 韓国で数年前に起きたあの「セウォル号事件」で、すぐ忘れ去られたニュースがある。

 乗客を動けないようにしておいて、自分たちだけが先に緊密に連絡をとりあいながら船を捨てて出ていった乗組員、彼らは遠く離れた仲間とも通信して、自分たちだけの秘密の通路を利用して一糸乱れずに船から逃げた。

 ところが、その義理堅く、卓越した逃走劇のなかで、病気の仲間だけは捨てて逃げていったというのである。

 一瞬ある想像が頭をかすめた。

 障害を抱え生きる筆者がそこに乗っていたら…。

 乗客ではなく乗組員だったとして…。

 ゾッとする気分だった。

 しかし、そのような気分はすぐに葬り去ることができた。その船ではたくさんの明るい高校生たちが不当にも死を余儀なくされたわけだが、(不謹慎かもしれないが)そこでは障害もなにも関係なく、皆が海に、空に一緒に行くことができた、それがせめてもの救いだったように思えた。

国家の品格

 国家のレベル、いわば「国格」とは、なにをもって判断することができるのだろうか。

 GNPやGDPによってか? G7やOECD加盟国であることか? そもそも先進国という言葉が、経済や貿易の規模で測定できるといえるのだろうか?

 もちろん経済的に豊かな国の人権状況が相対的により良いのは事実である。

 しかし、真の「国格」は、その社会の中で最も弱い人々、すなわち「マイノリティ」たちがどのような待遇を受け、どのような状況に置かれているのかによって最終的に判断されることが正しいのかもしれない。

 民主主義への渇き、人権に重点を置き、生命と自然環境の改善を叫ぶこと、そして平和と反戦、独裁政権に対する抵抗といった正義に向けた行進は、そのすべてが、社会の強い階層、つまり自己の安全と幸福を自ら守り享受することができる人々のためだけのものではない。

 それはその社会の最弱者の立場を、人間らしい生き方ができるだけの状況に引き上げるための闘いであってほしい。歴史もまた、そのような基準で記録され、解析されなければならないだろう。

 その最弱者の最も具体的な一例が障害者である。

 一国の「国格」は決して政治家たちの作為的なジェスチャーや偽善めいた言葉、国際的な儀典の格式、勢いのある企業のロゴマークによってあらわされ、評価されるものではない。その国の社会が最も弱い層としての障害者たちへ、どのような配慮をみせるかという基準でみれば正確に測定されるのではないか。

 そして、韓国はいまだ残念極まりない状況だというのが現実である。いつかのこと、日本の友人が質問した。

 「韓国は経済も急成長して、先進国に加わったし、また特にアジアではキリスト教最強国だから、身体障害者に対する待遇も世界最高レベルなのでしょう?」

 そのとき筆者は、決してそうではない、と答えようとして、ついに声が出なかったことをいまも覚えている。

学生たちの問い

 大学の同僚教員のクラスの生徒が、課題として「障害者の生活の国別の違い」をテーマにグループで研究するということで、筆者にインタビューに来たことがある。学生四人と研究室で長時間にわたり真剣に話を交わした。

 障害者について調べようとする学生たちは、実際に障害者の教員に会ってインタビューをするということで、最初は非常に緊張した様子だった。なにを質問するのか、どのように丁寧に自分の意見を話せばいいのか、わかりかねているようだった。

 もちろん、それに気付いた筆者が、若い学生の緊張を解きほぐし、彼ら彼女らがなにを聞きたいかは察しが付いたので、質問を先取りして自問自答するように答えていった。だんだん学生たちの顔には安堵の色が浮かび、むしろ筆者と話をすることが楽しくなったようでさえあった。

 筆者は自分の体験から障害者に関する重要な考えや経験を話した。韓国と日本、アメリカなどで経験した実例を挙げ、現場で筆者が直接感じたことを詳細に説明した。学生たちにはすこし勇気がうまれたようだった。

 そして、インタビュー後半の質問が傑作だった。話のまとめとして、学生たちは筆者につぎのような印象的な言葉を発したのだ。

 「先生、日本でも韓国でも、どんな国であっても、私たちがいまの社会システムのなかで、ただ義務感のようなものだけにもとづいて障害者と生きていくのでは、根本的にともに幸せに生きていく理想的な社会であるとはいえないように思えるのですが、先生はどうお考えですか?」

 また、続けて、「私たちは障害者になにをしてあげることができるか、その人たちがなにをしてほしいかをたくさん考えたいと思います。だけど、そうしてたくさんのことをしてあげることがむしろ申し訳ないことのように、負担ではないかと思うことがあります。先生はどのように思われますか?」と。

 学生たちは彼らなりにいろいろと考えていたようだ。

 


障害者の自立を支援 グループホームひより

2019年05月27日 14時55分47秒 | 障害者の自立

生活に困難を抱える人が、専門スタッフの援助を受けながら生活し、地域との交流や自立を目指す“グループホーム”。ことし3月中旬、和歌山県和歌山市直川に開設された「グループホームひより」(木下晃施設長)は、心の通い合うコミュニケーションを大切にして、一人ひとりを丁寧に受け入れています。

対象になるのは18歳から65歳までで、身体や精神などに障害のある人。掃除や洗濯などの日常生活を介護福祉士ら専門職員がサポートし、社会性を身に付けられるようにしていきます。

施設は和歌山北インターチェンジの程近く。アクセスが良い上、緑に囲まれた小高い丘の上にあるので静かで、買い物も便利です。吹き抜けのある食堂は明るくゆったりとしており、プライベートが守られる九つの個室には、ベッドや整理ダンスも備えられています。

木下施設長(52)は、グループホームでの生活を「楽しいですよ!」と話します。「親御さんの大変さを何とかしたいと願って始めました」と、利用料金も各家庭の負担が少なくなるよう、配慮しています。

生活の拠点が自宅からグループホームに変わるときには、誰もが不安になるもの。木下施設長は、新しい生活に慣れてもらえるよう一人ひとりの性格を把握し、時には注意もしながら、しっかりと向き合っています。

現在利用している人は、約2カ月で落ち着いて生活できるようになり、母親から「子どもが本当に変わりました」と、喜びの声も聞かれています。

「家庭では、愛情だけをかけてあげ、自立支援は私たちに任せてください」と随時、見学や体験希望に応じています。

問い合わせは、一般社団法人日和(℡073・463・8360)。ホームページ(http://www.hiyori223.com)。

19年05月26日         わかやま新報オンラインニュース