ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の暮らす場、施設か地域か 事件2年半で考える会

2019年01月29日 15時04分11秒 | 障害者の自立

 2016年7月26日に相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件から2年半。障害者の親や家族の立場から事件を考える集会が27日、同区で開かれた。障害者が暮らす場として大規模障害者施設は必要か、地域に移行するべきか。意見が対立しがちな論点について、約3時間半にわたって議論をかわした。約200人が参加した。

 同園をめぐっては、事件から間もない時期に県が現地での建て替え方針を打ち出した際、障害者団体などからは、障害者の暮らす場を施設から地域に移していくべきだという声もあがった。その後、相模原市と仮移転先の横浜市に施設をつくる形で園を再建する方向となり、園ではいま、入所者の意向を反映して今後の暮らす場を決める「意思決定支援」が進められている。

 集会ではこうした経緯を踏まえ、園の家族会の大月和真会長(69)が家族の近況を紹介した。昨年12月に茶話会を開き、地域生活への期待や不安を語り合った際、「個室で、異変に気づかないことはないのか」「意思決定支援で家族の意見が無視されることはないか」との不安の声が出る一方、「(地域での生活の場として想定される)グループホームを見学したい」「本人の気持ちを大切にしたい」などと前向きな意見も出たという。

 大月会長は「施設か地域か、全員がグループホームへという議論ではなく、いろいろな生活の場があることが大切だ」と話した。

 家族会前会長の尾野剛志さん(75)は、息子(45)が今も横浜市港南区の仮園舎に暮らす。事件後、施設から地域への移行を求める声に反発を感じたと語った。「施設が山奥で閉鎖的というのは昔の話だ。重度の人を受け入れるグループホームはない。施設は絶対に必要だと思った」

 だが事件をきっかけに早稲田大の岡部耕典教授らと知り合い、岡部教授の息子など、複数の重度障害者が、訪問介護を受けてアパートで自立生活をしていることを知った。「施設には施設の役割がある。だが施設にこだわる必要はない」と思い始めた。

 いまは、息子が数年後には自立して、アパートで暮らせるようになることを目指し、準備を始めている。

 尾野さんは「一般の人と同じようにアパートで暮らすのが本当の幸せなのかもしれない。ただし決めるのは本人です」と語った。

 岡部教授も登壇し、「グループホームありきの地域移行に疑問を持っている」と語った。国が地域移行を促すなか、グループホームは大型化する傾向にあり、住居らしさが損なわれて入所施設に近くなっていく可能性があるという。

 岡部教授の息子はアパートで自立生活をしているが、「障害が軽いのでしょう」と信じてもらえないことも多い。暮らしの様子を描いた映画「道草」が近く公開される予定で、「多くの人に見てもらい、こういう暮らしができると知ってほしい」と語った。

 自閉症の息子がいるRKB毎日放送記者の神戸金史さん(52)は、保育園建設にも反対運動が起こる現状に触れて、地域でグループホームなどをつくる難しさに言及。「理念だけではつくれない。地域の人に存在を認めてもらい、隣の人に知ってもらうことが大切だと思う」と語った。

写真・図版

参加者は約3時間半にわたって意見を交わした

2019年1月28日       朝日新聞


精神障害者の就職をサポート「ヒトトコ」

2019年01月29日 14時53分11秒 | 障害者の自立

 就職を希望する障害者が香川県内でも増えている。法定雇用率の引き上げや、精神障害者の雇用を促す法改正を背景に、就職を支援する「就労移行支援事業所」も新たにオープンしている。(福井万穂)

 高松市のことでん瓦町駅前にあるビルの一室。障害のある利用者たちがパソコンで作業をしたり、プロジェクターを見ながら講師の話を聞いたりしていた。職場のような雰囲気のなか、電話対応やマナーなど就職に必要な講座を自由に選び、学んでいる。

 昨年4月にオープンした就労移行支援事業所「ヒトトコ」。現在、うつ病や統合失調症など精神障害がある20~30歳代を中心に約20人が利用する。

 ログイン前の続き就労移行支援事業所は、病院や入所施設と一体で利用者が清掃や農作業、軽作業に取り組むところが多い。一方、ヒトトコがめざすのは「福祉っぽさ」をなくすこと。パソコンの作業を中心に、事務系のスキルを習得するための講座を用意し、若者にも抵抗感なく通ってもらう狙いがある。

 利用する男性は「今まで『早く治さなきゃ』と焦りがあったが、ここでは自分を認め、仕事ができるようサポートしてもらえる。気持ちが落ち着き、就職に前向きになった」と話す。

職場への定着が課題

 県内の障害者の就職件数は右肩上がりだ。昨年度、ハローワークを通じた就職は793件。6年連続で過去最高を更新した。昨年4月には自治体や企業に義務づけた雇用率が引き上げられ、身体、知的の障害者だけだった算定対象に精神障害者が新たに加わった。こうしたことが後押しとなり、増加は続くとみられる。

 ただ、課題となっているのは就職後の定着率だ。独立行政法人「高齢・障害・求職者雇用支援機構」のまとめでは、就職した精神障害者の約半数が1年未満で離職しているという。

 ヒトトコでは、仕事のミスマッチを防ぐため、何度もできる「職場体験」の機会を用意。同じ職場に1~2週間ほど通い、仕事内容や環境、人間関係が自分に合うか確かめられる。ヒトトコのスタッフも同行し、障害の特徴や働き方について、体験先の同僚や上司に説明している。

 運営する一般社団法人の代表理事・宮武将大(しょうた)さん(33)は、小学校時代から約8年間のひきこもりを経験した。社会復帰のきっかけは、20歳で始めた「仕事」だった。

 部屋の中では、好きなテレビゲームに没頭していた。だが、近くのスーパーで品出しのアルバイトを始めると、変化が起きた。ゲームでキャラクターがレベルアップしていくように、毎日新しい仕事を覚え、成長する自分を実感できた。

 「外の世界のほうが、ずっとおもしろい」。就職をめざして通信制の高校に通い始め、大学に進んだ。現在は、ひきこもりの相談事業にも取り組む。「障害者が働ける環境づくりは、他の社員の働きやすさにもつながると思う。働く側と雇う側の両面から、サポートしていきたい」と話す。

     ◇

 〈就労移行支援事業所〉 一般企業への就職を望む65歳未満の身体・知的・精神障害者らを対象に、職場探しや就職の準備を支援する。障害者総合支援法に基づき、自治体が指定する。利用料はかからないことが多く、期限は2年間。県内には15カ所ある。

写真・図版

「身だしなみ」の講座を受ける利用者たち

2019年1月28日       朝日新聞社


ナチス障害者虐殺の企画展、東京 優生思想、負の歴史学んで

2019年01月29日 14時42分21秒 | 障害者の自立

 精神障害者や知的障害者が虐殺されたナチス・ドイツの「安楽死」政策(T4作戦)に関する企画展が2月1~2日、東京都中野区で開かれる。1939年の作戦開始から80年。日本では昨年、旧優生保護法(48~96年)下の不妊手術の実態が次々に表面化し、被害回復に向けた動きが続いている。悲惨な歴史を知り、現代に深く潜む優生思想について考えてもらおうと障害者が通う作業所の全国組織「きょうされん」が主催した。

 ナチスはユダヤ人虐殺の前に障害者の殺害を始め、犠牲者は20万人以上にも上った。「断種法」による断種は約40万人とされ、精神医学の学会は2010年に公式に謝罪した。

 T4作戦で障害者殺害に使用された施設。煙突から遺体を焼却する際の煙が上がっている(ドイツ精神医学精神療法神経学会提供) 

T4作戦で障害者殺害に使用された施設。煙突から遺体を焼却する際の煙が上がっている

(共同通信)沖縄タイムス     2019年1月27日


「幸せの国」ブータンで見えた障害者の過酷

2019年01月29日 14時19分05秒 | 障害者の自立

「“幸せの国”ブータンでは、障害者も幸せなのか?」

そんな疑問を抱き、ブータンの首都ティンプーで障害者支援の現場で働く人々に話を聞いた私は、その内容に愕然とした(前編記事「幸せの国ブータンでは障害者も『幸せ』なのか」)。少なくとも、「教育支援」「自立サポート」「当事者団体」という三者から話を聞くかぎりでは、とても幸せな環境とは言えなかった。

もう少し、その実態が知りたい。そんな思いから、私はティンプー市内に住む、障害者として生きる青年のもとを訪れた。タンディン君、20歳。母親のトゥッケンさんも同席してくれた。

――はじめまして、日本から来た乙武と言います。

タンディン:よろしくお願いします。

トゥッケン:ようこそ、おいでくださいました。

――まずは、タンディン君の障害の状況について教えてください。

トゥッケン:脳性マヒなのですが、彼の場合は手と足に障害があります。普通に歩くことができないので、普段は歩行器のようなものを使っています。

■学校に行けるかもしれないという発想がなかった

――ブータンでは障害があると学校に通うことが難しいと聞きました。タンディン君は学校には通っていたのですか?

タンディン:いえ、通ってはいませんでした。


――それは学校に拒まれたから? それともお母様の意思?

トゥッケン:その当時はこの子のような障害者が学校に行けるかもしれないという発想がなかったんです。

――タンディン君は、可能ならば学校に通いたかった?

タンディン:うん、行きたかったです。

――もし学校に行けたら、何がしたかった?

タンディン:やっぱり友達と一緒に勉強したり、遊んだり……。

ブータンの首都ティンプーで、脳性マヒがあり障害者として生きるタンディン君のもとを訪れた
 

――学校に通うという選択肢がないなかで、お母様はタンディン君をどのように育てようと?

トゥッケン:ブータンでは、障害者はお坊さんとして生きていくことが多いんです。なので、お寺に預けようと思い、相談に行きました。ところが、この子はじっと座っていることが難しいということで、お寺にも断られてしまったんです。

この子はどうやって生きていけばいいのだろう

――学校もダメ、お寺もダメ……。

トゥッケン:目の前が真っ暗になりました。この子はどうやって生きていけばいいのだろうと。

――ご近所付き合いというか、地域コミュニティーとの関わりはどうでしたか?

タンディン:年上の人から、ひどいことを言われたり、時には殴りかかられたり……。

――いじめに遭っていたということですか?

トゥッケン:いま住んでいるところではご近所の人にもよくしていただいているのですが、以前は王宮近くの掘っ立て小屋のような場所に住んでいたんです。その当時はこの子にもずいぶんつらい思いをさせてしまいました。

――タンディン君は、いまはどんな生活を?

トゥッケン:Draktshoという障害者向けの職業訓練所があるのですが、2009年からはそちらに通っています。

――昨日、職員さんにもお話を伺ってきました。Draktshoでは具体的にどんなことを?

タンディン:学校に通っていなかったので、最初は読み書きから教えてもらいました。いまは竹などを使ってカゴを編む仕事を教えてもらっています。

タンディン:僕としてはカゴを編むという仕事をもっとやりたいんですけど、なかなか教えてもらえなくて……。でも、ただ家にいるよりも友達がいるので楽しいです。

――本人がもっとやりたいのに、なかなか教えてもらえないのはなぜなのでしょう?

トゥッケン:この子は足だけでなく手にも障害があるので、思ったよりもうまくできないんですね。10年通っても、あまり上達しなくて……。それと、習ったことをすぐに忘れてしまうという性質もあるので、なかなか先に進めないんです。

お母さんの助けになりたい

――なるほど。でも、いずれはカゴを編む仕事で自立をしていく?

タンディン:いえ、僕は小さなお店を持ちたいんです。お菓子などを売る雑貨店。お店を大きくして、お金をたくさん儲けたいとは思ってなくて。でも、少しでも稼ぐことができれば、お母さんの助けになるから。

――とても聞きにくい質問で恐縮なのですが、その……順番で言えば、お母様のほうが先にこの世を去ることになってしまいます。そのときは……。

タンディン:お母さんがいなくなったらと思うと……怖い。とても怖いです。だけど、そうやってお母さんに心配をかけてしまうことが申し訳なくって……。

そう言うと、タンディン君は顔を真っ赤にしてこわばらせた。その目からは大粒の涙が流れ出す。隣に座っていた母のトゥッケンさんがたまらず息子の体を引き寄せ、その手で涙を拭った。

トゥッケン:私にもその不安はあります。いまはご飯を作ったり、お湯を沸かしたりということもすべて私がやっていますが、彼にはそんなことが何もできません。ブータンでは国からの支援といったこともないので、私がいなくなったあとは……中学2年生と小学4年生の妹たち、もしくは親戚に頼るしかありません。

タンディン:でも、お母さん。僕だって前よりはいろんなことができるようになったよ。昔は自分でご飯も食べられなかったけど、いまは自分で食べられるようになったし……。

――日本では、ブータンは“幸せの国”として知られています。それについてはどう思いますか?

タンディン:僕は、“幸せの国”かどうかはわからないけれど、この国がとっても好きです。これだけ自然が豊かで、とても風景が美しくて。

トゥッケン:もちろんすばらしい国だとは思いますが、やはり格差が大きいのかなと。上の人とのつながりがあれば救われることもありますが、そういったツテもない私たちは……。

――幸せになるには本人の努力も必要になってくる。健常者と障害者では、その必要とされる努力の量は平等と言えるのでしょうか?

トゥッケン:やはり、障害のある人にとっては……難しいところがあるのではないでしょうか。ただ、この子もDraktshoに通うことで、少しずつ自分でできることが増えてきました。今後、このような支援というものが増えてくれば、障害者であっても幸せに生きていくことができるようになるのかなと。

タンディン:僕は平等だと思います。みんなで力を合わせれば、きっといい生活ができるようになると思うから。

必要とされる努力の量は平等と言えるのか?

初めて訪れたブータン。たった数日間の滞在ではあったが、“幸せの国”に暮らす障害者たちは、あまり幸せそうには見えなかった。もちろん、「何より大切なのは家族を中心とした人と人との絆であり、それを感じられるブータンは幸せである」という言説も成立するのかもしれない。しかし、障害者が置かれている環境は、あまりに酷であった。

今の日本では障害者に対する社会的な支援が充実してきたが、過去を振り返れば、日本もいまのブータンの状況とそう変わらない時代があったことは否めない。先人の尽力によって、少しずついまの環境が整備されたことにあらためて感謝するしかない。

また、視点を変えて、福祉先進国と言われる北欧の人々が日本を訪れ、私と同様のインタビューを行ったとき、彼らがどのような感想を抱くのかも聞いてみたい。いや、本音を言えば、聞くのが少し怖い。

「健常者と障害者では、必要とされる努力の量は平等と言えるのか?」

これからの日本社会を考えていくうえで、今後も忘れずに持っていたい視点だ。

母亡き後のことを想像し、「怖い」と漏らすタンディン君

2019年01月27日      東洋経済オンライン


IPC、マレーシアから障害者世界競泳の開催剥奪

2019年01月29日 14時14分04秒 | 障害者の自立

 国際パラリンピック委員会(IPC)は27日、ロンドンで理事会を開き、2020年東京パラリンピックの出場枠が懸かる、今夏の障害者競泳の世界選手権について開催権をマレーシアから剥奪したと発表した。マレーシア政府が政治的理由から、イスラエル選手へのビザ発給を保証しなかったため。

 大会は7月29日から8月4日まで、マレーシアのクチンで開かれることになっていた。IPCは2月11日まで代替開催地を募集する。パーソンズ会長は「開催国が特定の地域の選手を政治的理由で排除するなら、他の開催地を探すしかない」とのコメントを出した。

2019.1.27        サンケイスポーツ