ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

川合製作所 障害者も欠かせない人材

2018年07月24日 14時53分00秒 | 障害者の自立

 主に海外向け国産自動車の補修部品の加工・組み立てをする「川合製作所」(湖南市)は、従業員14人のうち、5人が知的障害のある人たちだ。長い人は40年以上、ここで働いている。県内でも最も早い時期から複数の障害者の雇用に取り組んできた中小企業の一つ。請け負った加工・組み立てで長年、不良品を出していないのが、社長の川合充彦さん(59)の自慢だ。「障害者も、健常者も、ともに会社の信用を支える、欠かせない人材です」と話す。

 「よし!」。稼働する機械の音に交じって、気合のこもった声が聞こえてくる。加工した自動車部品の一つ、クロスロッドの強度検査をする装置のそばで、障害のある男性(53)は、声をあげる。検査終了後、装置からこの細長い棒状の部品を取り出し、ひび割れやゆがみなど不良箇所がないかを目で点検し、白のマーカーでチェックを入れる。かけ声は「確認済み」を示す。1本、1本に声をあげる。

 傍らで見守っていた川合さんは、かけ声にすかさず応じた。「ありがとう」。きちんと、作業手順を守っている。「これからも、その調子で」との気持ちを込めている。彼の場合、そのコミュニケーションが仕事へのモチベーションを引き出すと思っている。操業中、川合さんは各工程をまわり、常に従業員の姿を見つめている。

 クロスロッドは車の重要な足回りの部品。その加工が川合製作所の主力となっている。規格外の部品は1本たりとも納品できない。だから、チェックに気が抜けない。

 男性は20歳で入社。近くにある、障害者同士が共同生活しているグループホームから通う。「暑いのは苦手。しかし、仕事に来るのは楽しい」と話す。川合さんは「1本ずつ念入りに確認してくれる。それが彼の持ち味です」と語る。

 男性は、クロスロッドの検査を1人で担当する。ただ、この作業が終わると、他の部品加工の応援に入る。川合さんによると、障害者5人を含むすべての従業員が複数の作業をこなすことができる。

 県内の部品メーカーから川合製作所が加工などを請け負う部品は約100種類ある。既にメーカーが生産していないものも含まれるが、アジアや中東などにも輸出されるため、悪路に耐える頑丈さなどが求められる。「品質の確かさが当社の生命線です」と、川合さんは言う。「不良品を絶対に出さないことで信用を築き、事業がここまで続けることができた」

 創業は1967年。川合さんの父、末次郎さん(88)が鍛造製品の下請け加工の仕事を始めた。初期の頃、主に加工過程でできる、製品のへりなどにはみ出したバリを削る仕事を請け負った。高度成長期、自動車が花形産業として急成長した時代。自動車部品の加工の注文が大量に届くようになった。

 現在の本社の隣にあった工場が手狭になり、75年に現在地に移転した。しかし、当時数人だった従業員では仕事をこなせない。人手不足に直面した。悩んだ末次郎さんの目にとまったのが、近所にある県立近江学園の障害のある生徒たちだった。

 学園に卒業生の雇用を申し入れた。共同作業所や授産施設など障害者の働き場所が不十分だった70年代半ば、障害者と健常者がともに働く会社がスタートした。末次郎さんは県内の他の施設にも声をかけ、働く障害者は増えていった。

 川合さんが「専務」として製作所に入ったのは86年だった。その5年前、サラリーマンをやめ、約3カ月間、手伝ったことがある。しかし、なじめなかったという。大阪に働きに出た。再び家業を手伝いはじめ、数カ月で末次郎さんから経営を任された。

 決心したことがある。「従業員全員の雇用を維持する。そのために、みんなの力を結集する。従業員一人一人が最大のパフォーマンスを発揮できるよう努力する」。それは、障害者も、それぞれの範囲内で事業に責任をもってもらうことだった。その人の適性を見極め、仕事を割り振る。決して補助的な仕事ではない。

 工場には多数の工作機械がある。扱いを間違うと事故につながりかねない。作業手順を守る、分からないことがあれば相談する、報告や連絡を徹底する--。口が酸っぱくなるほど従業員に話した。ミスをした際には、厳しくしかったこともあった。

 川合さんは今、数年前までのそんな姿を反省する。「人は、誰もが成長する」。そのことを実感したからだという。「ほめるだけでも、しかるだけでもだめ。ひたむきに働いている人には伸びしろがある」と話す。

 発注を受ける部品加工の内容は時代とともに変化する。それに対応しないと生き残りはない、と川合さんは言う。「うちの従業員はみんな、その変化にできると思っている」 


 ◆加工した部品は世界各国に

株式会社川合製作所

 本社所在地・湖南市正福寺1271。工場は同市東寺1の6の28。資本金3000万円。創業1967年、法人設立75年。県中小企業家同友会から、2009年度の「滋賀でいちばん大切にしたい会社」の認定を受けた。

            ◇

 自動車の部品は1台で数万点に及ぶ。うち、川合製作所が加工・組み立てを請け負う部品は操舵(そうだ)やサスペンションの関連部品。車の安全性に関わる「重要保安部品」だ。主に海外に輸出される国産車の補修用で、川合製作所は現在、加工・組み立ての中盤から最終の工程を担う。部品の輸出先は、東南アジアや中東、アフリカ、中米など世界各国に広がっているという。

毎日新聞         2018年7月23日


濁流泳ぎ助けた障害者のために ビール醸造所をもう一度

2018年07月24日 14時42分01秒 | 障害者の自立

 障害のある人と地域の懸け橋になってきた岡山県倉敷市真備(まび)町のビール醸造所が、豪雨災害に襲われた。「まちと一緒に、もう一度立ち上がる」。泥だらけの工房を前に、運営するNPO法人の職員たちは再起を誓い、歩みを始めた。支援の輪も広がっている。

 真備町箭田(やた)の「岡山マインド こころ」が運営する「真備竹林麦酒醸造所」。醸造責任者の守屋寛人さん(42)は工房の清掃作業に追われていた。高圧洗浄機で床の泥は洗い流したが、麦汁を煮沸する釜や発酵タンクが水につかった。「先は長いけどビール造りの灯は絶やさない」と笑った。

 「こころ」はグループホームと作業所を営み、約20人の精神障害者を支える。代表理事の多田伸志(しんじ)さん(57)が、就労支援のため事務所隣に醸造所を構えたのが2011年。障害者らは瓶にラベルを貼ったり、たらいで麦芽をもんだりする作業に携わった。週末に開く併設のレストランで接客もし、地域の人たちでにぎわった。

 無濾過(ろか)・非加熱のビールは評判を呼び、JRの観光列車やキヨスクで売られるように。さらに地元色を打ち出したいと、市内にある岡山大の研究所が開発した大麦を近隣農家に育ててもらい、原料にする新ビールのプロジェクトが昨年始動。米国製の機械を入れたプラントも約6千万円かけて整備し、この7月に初出荷を控えていた。

 それが、豪雨で暗転した。7日朝、多田さんは足ひれを付けて濁流を泳ぎ、グループホームなどに取り残された障害者を救出。水が引いた翌日、醸造所に入ると一面茶色い泥に覆われ、たるやテーブルがひっくり返っていた。プラントも水没した。

 途方に暮れるなか、多田さんの携帯電話が鳴った。「集めた募金、受け取ってくれるじゃろか」。声の主は、ビール造りを指南し、岡山市地ビール工房を手がける永原敬(さとし)さんだった。障害者施設で地元産のビール造りに打ち込む志を絶やしてはいけないと、既にSNSなどで募金を呼びかけていた。胸がいっぱいになり、「ありがとう」としか返せなかった。

 地域の人々の顔も浮かんだ。障害者に「ビールおいしかったよ」と声をかけてもらい、行き会えば普通にあいさつができるようになった。ビールが障害者と地域をつないできた。前を向き、再建を決めた。

 まちの復興へ向け、多田さんは今、災害ごみを運び出すボランティアと住民を仲介している。守屋さんは再開後を見据え、イベント出店の打ち合わせを重ねる。多田さんは「ビールとともに住民と障害者が隔てなく暮らせるまちに、真備町をもう一度作り上げたい」と話した。

写真・図版

ビールの仕込み場の泥を洗い流す守屋寛人さん(左)と永原敬さん

2018年7月23日       朝日新聞


障害者グループホーム建設へ 神戸で絵画展

2018年07月24日 14時12分31秒 | 障害者の自立

 障害者が暮らすグループホームの建設に向け、神戸市兵庫区西出町1の「いかり共同作業所」が28日から30日まで、県民会館大展示室(同市中央区下山手通4)で、チャリティー企画「現代国際巨匠絵画展」を開く。ピカソ、シャガール、東山魁夷、平山郁夫など、国内外の著名な作家の作品約120点が展示販売されるほか、スペインの画家エンリク・ルビオ氏も来場し、自作や利用者と共同制作した作品を披露する。山本珠津子所長(53)は「作品に親しみながら、障害者の置かれた現状を考えてもらう機会になれば」と話している。(岡本好太郎)

 同作業所は1980年に開所。阪神・淡路大震災では旧施設が全壊したが、地域やボランティアらの支援を受けながら乗り越えてきた。現在は知的障害のある10~60代の35人が、お弁当事業や資源回収などに取り組んでいる。

 また、利用者や家族の高齢化による、将来の暮らしの不安を解消するため、2013年からはグループホームを運営。神戸市のあっせんで須磨区内の市営住宅2部屋を借り、それぞれ居宅、体験利用として自立を促す生活支援に取り組んでいる。

 しかし、別棟にあるため、職員の往来が困難▽手狭で受け入れ数が確保できない▽送迎にも時間がかかる-など課題も多く、慣れ親しんだ地元でのホーム開設が望まれていた。

 今春、作業所から100メートルほど離れた場所に土地を購入。資源回収などで付き合いのある地域の方が引っ越すのを機に「いかりさんなら安心して譲れる」と、申し出てくれた。

 新施設は4階建てをイメージ。1階に共有スペース、2階以上が個室、8人ほどを受け入れ、職員が常駐する。公的施設の整備が進まない中「シェアハウスのように、ご飯を一緒に食べ、笑い、それぞれの暮らしを見守ることができる場所にしたい」と山本所長は願う。

 2020年度の開所を目指すが、建設資金は不足している。これまで、コンサートや映画会などを開いてきたが、来場者と話す時間をもっと作れるようにと、各地でチャリティー絵画展を開く大阪の業者に協力を依頼した。企画した職員の男性(34)は「障害者がグループホームで暮らす形を知ってもらい、いろんな人とつながりができれば」と期待する。

 入場無料。収益は建設資金と災害の義援金に充てる。

チャリティー絵画展に向けて作品の制作に励む利用者と職員=神戸市兵庫区西出町1

チャリティー絵画展に向けて作品の制作に励む利用者と職員
 
絵画展に来場するエンリク・ルビオ氏
絵画展に来場するエンリク・ルビオ氏
 
2018/7/22        神戸新聞NEXT

相模原殺傷事件から2年/上 障害者受け入れる土壌 芹が谷で育む新しい絆 

2018年07月24日 14時05分41秒 | 障害者の自立

 新しい土地は、自分たちを受け入れてくれるだろうか。

  2016年7月26日、19人が犠牲となる殺傷事件があった障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区千木良)。千木良に根を下ろしておよそ50年、その間に培った絆は、突然の惨事に断ち切られた。

 やまゆり園は事件の後、相模原・千木良と仮移転先の横浜市港南区の芹が谷園舎を拠点に、小規模・分散化されることになった。芹が谷園舎は昨年4月、障害児入所施設「県立ひばりが丘学園」があった場所に設置され、利用者約110人が移った。芹が谷でも絆を育むことはできるか、園の関係者には不安もあった。

 だが、それも杞憂(きゆう)だった。地元「六ツ川四丁目町内会」の武藤博之会長は「ひばりの頃から付き合ってきた。同じように協力したい」と語る。今年は地元の夏祭りへの参加を呼びかけた。近くに住む女性は毎月、繕い物などのボランティアで園に通うようになった。女性は「やまゆり園がきてくれたから、また生きがいができた」と笑顔を見せる。

 「ひばりが丘学園」は1949年の開所以来、地域住民がボランティアに訪れたり、利用者の散歩を見守ったりするなど、地域との間に良好な関係を築いていた。やまゆり園家族会会長の大月和真さん(68)は「あたたかく障害者を受け入れてくれる土壌があった」と振り返る。

 6月16日。芹が谷園舎で恒例の交流イベントがあった。事件の前から、利用者とその家族が地元の人たちと親交を深めるため、実施されてきた。芹が谷園舎では2回目だ。

 今年は近隣住民約60人がボランティアに駆けつけ、全体で約300人が参加した。家族会や職員、ボランティアらによる模擬店のほか、新企画のカラオケ大会などもあった。

 「近隣の方々のおかげで、なんとかここで生きていく自信ができた。ここで暮らす私たちを受け止めていただき、これからもやっていきたい」。イベントの冒頭、大月会長は感謝の言葉を伝えた。

 やまゆり園の利用者たちは5月、隣接する中学校で行われた少年野球チームの子供たちの運動会にも参加した。職員たちがポップコーンを配ったり、利用者らが子供たちと一緒に競技を楽しんだりした。運動会を開いた「東芹が谷町内会」の磯田巧会長は「特別な事ではなく、身近に接点があって一緒に暮らしているからこそ、互いを支え合えたら」と語る。やまゆり園の入倉かおる園長も「仮園舎ができてわずか1年ほどなのに、たくさん声をかけてもらっている。地元の方々の存在が励みになる」と話した。

毎日新聞            2018年7月22日


障害者の人権守る「砦」に

2018年07月24日 11時22分43秒 | 障害者の自立

■差別、いじめ「発端の芽どこでも」

 佐賀県知的障害者福祉協会は18日、障害者の虐待防止をテーマにした研修会を佐賀市で開いた。現場に従事する施設職員ら25人が講話や討論を通して、虐待の認識、防止策について理解を深めた。障害者の権利を守る「砦(とりで)」となる自覚を新たにした。

  県障害福祉課の松尾未央さんが講話した。虐待について「小さな人権侵害が発端となり、加害者の自覚ではなく客観的な事実で判断される。その芽はどこでも生まれる」と注意を呼び掛けた。防止するには、支援のミスや権利侵害を許さない雰囲気をつくる大切さを強調し「謙虚さや誠実さを持って仕事にあたってほしい。皆さんは障害者の権利を守る砦になるのだから」と呼び掛けた。

 討論では、虐待を別の言葉に言い換えるという質問に対し、参加者からは「差別」「いじめ」「されて嫌なこと」「職員の余裕のなさ(から生まれるもの)」などの意見が出た。「『夏なので髪を切ったら』とか『短パンをはいたら』と言う言葉が、相手によってはセクハラとなり傷つけるかもしれない」など具体的な言及もあった。

 同協会の森永弘太会長は「職員それぞれが気付いたことを話し合い、利用者が楽しく生活を送れるようにしていってほしい」と話した。

 県によると、2016年度の障害者福祉施設での虐待通報件数は16件あり、このうち3件が虐待と判断された。

虐待防止についてグループで話し合った意見を発表する参加者
 
7/23       佐賀新聞