ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

みちのくアスリート:知的障害者サッカー日本代表・加藤隆生さん /宮城

2010年05月02日 00時41分42秒 | 障害者の自立
 ◇前回大会の雪辱、南アで--秋田市在住、加藤隆生さん(21)

 06年にドイツで開かれた知的障害者のサッカー選手権「INAS-FIDサッカー選手権」に日本代表ゴールキーパーとして出場。8月の南アフリカ大会の代表選手にも選出され、再び世界の舞台に挑む。

 同選手権はFIFAワールドカップと同じ年に開かれ、世界4ブロックの代表16チームが出場する。ルールは国際サッカー連盟(FIFA)が定めるものと同じで、ピッチの広さも競技時間も変わらない「もう一つのワールドカップ」だ。

 サッカーを始めたのは3歳ごろ。サッカーをしていた3歳年上の兄の練習についていったのがきっかけだった。地元の小中学校のスポーツ少年団やサッカー部で練習を重ねた。

 読み書きが苦手だったため秋田大付属養護学校に進学する一方で、前年まで兄が所属した強豪・秋田商高サッカー部の練習に参加させてもらった。卒業後は秋田市の介護施設に勤めながら、週数回勤務後や週末にサッカーを続けている。

 県特別支援学校体育連盟のチームの他に一般の三つのチームに参加。フィールドプレーヤーとしても活躍する。

 「一生付き合っていけるスポーツ。厳しくやるのも良いし、楽しくやるのも良い。どういう形でも続けていると思う」と話す。

 知的障害のサッカー選手権の存在を知ったのは日韓共催のワールドカップがあった02年。深夜に「ちょっと、こんなのがあるよ」と親に呼ばれてテレビを見たところ、その試合が放映されていた。翌年には選抜を経て、代表チームの合宿にも参加するようになった。

 06年のドイツ大会で日本代表は2勝4敗の10位。「相手は体格が良く、容赦なく当たってくる。身体能力が高く、日本との差の大きさを感じた」という。

 今までに浴びたことのない歓声とブーイング。指示も伝わらず、緊張で一度キャッチしたボールをこぼすこともあった。ロシア戦では優位に試合を進めたが、PKで失点し0-1で負けた。その後現地での練習中に左足首をねんざし、勝った2試合には途中交代と不出場と悔しさが残る。

 一方で「現実派」を自認。雪辱を目指す南アフリカ大会だが、出場する実感はまだわかない。「1試合でも多く勝てたらと思う」

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 ■人物略歴

 ◇かとう・たかお
 88年12月30日、秋田市(旧雄和町)生まれ。180センチ、66キロ。好きなサッカー選手は元日本代表GKの川口能活選手。趣味は車いじりで愛車は「フォルクスワーゲンタイプ1」。仙台までカーレースを見に行くことも。

毎日新聞 2010年5月1日 地方版


福島消費者・少子化担当相:高崎の障害者施設を視察 /群馬

2010年05月02日 00時39分52秒 | 障害者の自立
 障害者政策の特命担当相も務める福島瑞穂消費者・少子化担当相は30日、重度の知的障害者が入所する高崎市寺尾町の「国立のぞみの園」を視察した。

 同園は232ヘクタールの敷地に重度障害者が暮らす寮や活動施設などが点在しており、現在369人が入所している。福島氏は、同園の遠藤浩理事長から施設について説明を受けた後、自閉症や行動障害の人が暮らす「かわせみ寮」、重度障害を抱える高齢者が暮らす「あかしあ寮」などを視察した。

 視察後、福島氏は「地域での生活にすぐに戻れない人に対し、この施設で移行に向けた努力をしていることに感銘を受けた。さまざまなサポートが必要だと思った」と語った。


県地域生活定着支援センター:開設 出所者の社会復帰支援 /島根

2010年05月02日 00時38分10秒 | 障害者の自立
 県は、刑務所入所中や出所後の高齢者や知的障害者の支援を行う「県地域生活定着支援センター」を、いきいきプラザ島根(松江市東津田町)内に開設した。

 出所者がスムーズに社会復帰し、再犯防止につながることを目指して設置した。出所前から面接を重ね、出所後は年金など福祉サービスの受給に向けた調整計画や、受け入れ先のあっせんをする。

 このほど開かれた開所式には、県保護司会連合会や島根あさひ社会復帰促進センターなどから約40人が出席。県から事業を委託された県社会福祉協議会の今岡義治会長が「罪を償った人が普通に生活できるように支援していきたい」とあいさつした。

 国は09年から各都道府県にセンターの整備を求めているが、開設は島根も含め17県という。

毎日新聞 2010年5月1日 地方版

ホテルを改装 障害者、高齢者の複合福祉施設 佐賀市

2010年05月02日 00時35分19秒 | 障害者の自立

 佐賀市鍋島に、障害者のグループホーム、デイサービス施設、高齢者向けの賃貸住宅が〝同居〟する複合型の福祉施設が誕生する。同市の二つのNPO法人とビジネスホテルが、ホテルを改装して共同運営する。施設集約によって施設間連携と利用者の利便性向上を図る。11月開設予定。

 施設運営を計画しているのはNPO法人「ふくしの家」と「ステップ・ワーカーズ」、ビジネスホテル「鍋島シェスト」経営の関連会社「泰山興業」。現在、ビルの4~6階で営業しているホテルを6月までで閉め、4階を介護を必要とする人のデイサービスや宿泊施設、5階を単身でも夫婦でも入居できる高齢者向け賃貸住宅8室、6階を障害者のグループホーム6室に改装する。

 高齢者住宅の家賃は、単身用が4万5千円程度、夫婦用が月額5万5千円程度。グループホームは部屋代を月額4万5千円程度(別途食費として2~3万円が必要)に設定する予定。

 就労移行支援事業所などがある1階部分には、福祉の総合相談窓口や交流スペースも設ける計画。市民対象のボランティア養成講座などを企画するなど、高齢者や介護を必要とする人だけでなく、住民にも情報発信し、地域の福祉〝拠点〟に育てたい考え。

 「ふくしの家」の江口陽介理事長は「近くの子どもたちが放課後自由に遊びに来て、高齢者と交流するなど、地域交流の拠点に育てていきたい」と話す。市民に親しまれる施設にするため、愛称を公募している。募集は7日まで、採用された愛称は5月中旬、発表する。問い合わせは、鍋島シェスト福祉ビル準備室、電話080(6458)7787。

佐賀新聞

心で指導 笑顔引き出す (上)知的障害児にサッカー

2010年05月02日 00時33分16秒 | 障害者の自立
◆「トラッソス」吉沢昌好さん
 雇用不安や貧困、社会からの孤立感が広がっている。「自分だけよければ」と人々の意識も内向きになった。こんな時代だからこそ、困難に直面する人たちに寄り添い、共に生きようとする人たちがいる。

 「ナイスシュート」。東京都江戸川区の白鷺特別支援学校体育館で、ミニゲームが進む。ゴールを決めた小学生に、吉沢昌好(34)は大きな声をかける。駆け寄ってくる児童は満面の笑み。吉沢はハイタッチしながら喜ぶ。

 知的障害児・者にサッカーを教える同区のNPO法人「トラッソス」の副理事長。愛称は「よしコーチ」。子どもたちと接する姿は、指導というより一緒に楽しんでいるようだ。

 中学、高校は部活でプレーした。会社勤め後、二十三歳でJリーグの下部チームで本格的に指導者の道を歩み始めた。教えた中学生はプロ志望が多かった。

 生活のため、友人に誘われ中学校の特別支援学級(当時は養護学級)で介助員のアルバイトを始めた。ここでも子どもたちとサッカーをした。

 そこで忘れられない衝撃を受ける。なにげなくボールを手でクルッと回した。それを見た子どもたちが表情をパッと一変させた。

 「本当に楽しそうだった」

 サッカーの楽しさを全身で感じた笑顔だった。子どもたちは本気でサッカーを楽しんだ。吉沢は以後、プロ養成の指導より、ここでのサッカーがたまらなく好きになる。

 「知的障害児のスクールを開きたい」。二〇〇三年にチームを辞め、介助員のアルバイトで一緒だった中学の同級生藤沼光輝(34)と、設立したのがトラッソスだ。

 知的障害児の指導は、コミュニケーションに気を使う。「感覚が鋭敏で独特。かといって言葉でごまかせない。結局、心と心だ」

 けが予防にも細心の注意が要る。楽しいとなると加減をせず全力でプレーする。そのため激しく衝突したり、指導の意図通り動けない人もいる。緊張感から転倒し指を骨折した人もいた。

 「けがの予防や応急処置ができれば、安全に楽しんでもらえる」。今春から、アスレチック・トレーナーを目指す大学生たちの協力を得た。

 こうした指導ができる指導者は少ない。障害児がスポーツを楽しむ場所は身近にはなかなかない。吉沢もそれを痛感する。

 中学二年の息子が通う山森裕子(39)は「いろいろ探したが、なかった。トラッソスは子どもが指折り数えて楽しみにしている。二時間かけて通っている」と話す。

 トラッソスの評判は広がり、発足時は小学生中心に十一人だったが、今は高校生以上のクラブチームと、小学生以上が参加できるスクールに計約百人が登録する。出前教室にも各地から依頼が来る。遠くは青森県にも行った。

 出前教室と会員の会費が主な収入で運営は苦しい。だが、子どもたちの笑顔が見たい一心であきらめない。夢は、さまざまな競技を楽しめる知的障害者の総合スポーツクラブ。

 「作業所もつくる。昼は仕事、夜はサッカー、なんて楽しいじゃない」

 トラッソスはポルトガル語で「足跡」の意味。「楽しい思い出を『心の足跡』として残してほしい」。吉沢はそう願っている。 

中日新聞