アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

これは「ピアノの達人」ゲーム!?

2017年10月01日 | ピアノ
テレビ番組で、歌を競わせるものだとふつうに機械採点(カラオケ)というのがあるでしょ。聞いた感じでイイほうが点数高いとも限らないけども、かなり「うまいほうが高い」傾向ではあるし、少なくとも優勝するような人はちゃんと演奏としていい歌をうたってるよね。

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ピアノではこういうのって無理だよね~となんとなく思ってた。

まず大きな違いはというと、カラオケであれば伴奏に合わせて歌をうたうことが前提で、だから「正解のテンポ、リズム」がバッチリ決まってて、だからこそ機械が採点できるんだけど、ピアノって別に「正解」は決まってないしね。ひとりで弾く分には。

あぁ、つまり「正解のテンポ、リズム」を決めちゃえばいいのか。たとえば、連弾曲とかにして2ndは録音を流すとかさ。

でもそうやって打鍵の正確性はかりに拾えたとして、表現はどうする? 強弱バランスとかも「正解」を決めて機械判定しちゃう? (←らんぼう)

…どうやっても「いい感じ」のピアノ演奏を高得点になるよう機械採点するのって難しそうだよね。と思ったんだけど…

その「乱暴」なことをやってる番組がありました。なんとびっくり(o_o)

「関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王NO.1決定戦」っていうんですけど。基本的には、というか、ただ単に打鍵の正解/不正解を数えていくんです(強弱はどうでもいいらしい)。「テンポ、リズム」は機械が決めます。ほら、アレと同じですね…

「太鼓の達人」。あれも、「譜面」が流れてきて、その指定のとおりに叩くでしょ。それで、指定の音符のうち、正しい音(ドン/カ)を正しいタイミングで叩けたもの、そうでないものを数えていくんです。

「ピアノの達人」って感じですね。打鍵ゲーム。

前にも、ピアノバトルな番組で、ミスを数えて「ぼっ」と火をつけていく、いくつついたら失格、みたいのありましたけど、あれは人が聞いて判定しているようでした。だから、あんまりまとまって崩れちゃうと数えられないんで適当に代表して(?)火をつけてましたけど、こちらの番組は機械的に拾っているようで、ぐちゃっと密集した音符があっても、いくつ外したか数えられてました。一回戦は10ミスで失格になってたんですが、そうするとタイミングがちょっとズレ出すと軒並み外しますんで、一瞬で失格になってしまいます。

使われてる曲は、「革命」とか「トルコ行進曲」とか「ラカンパネラ」とかの有名どころクラシック曲…を、音数が多くて速いところだけテキトーにつないで短くした編曲版でした。どう編曲するかでゲームバランスが変わっちゃいますから、葉加瀬太郎がこの採点方式の「監修」についてましたよ。何やってんだ葉加瀬太郎。

当たり判定をどのくらいで取るかによってもゲームバランスは変わってきてしまいますが、だいたい聞いた感じでわかる程度のところで赤(ミス)に取られてました。だから判定精度に関しては特に違和感なかったですけど。

まぁなんといっても問題(?)は、パーフェクトに叩いた結果がぜんぜん音楽じゃないことでしょう。カラオケバトルとはその点、大きく異なります。

強弱もアゴーギクもないし、音色はもちろん「音を伸ばす」ということにまったく意味がなく「打鍵」の瞬間がすべてなので、「美しさは音の消えぎわに宿る」派としてはどうにも聞いてて居心地悪いです。

でも「太鼓の達人」みたいなゲームだと思えばいっそ問題はないのかもしれません。「ピアノの達人」ですね。
(マイミクさんたちの間では、「あんなものにシゲルカワイ使うなー」という怒りの声もありましたけど)

「太鼓の達人」と違うと思うところはですね、太鼓の達人なら別に太鼓をやってる人でなくても、ある程度練習すればかなり難しい譜面が叩けるようになりますけど、この「ピアノの達人」の場合はさすがにピアノ未経験者には無理だってことですね。なにしろ求められる打鍵数とスピードが半端じゃないですから、ふつうの意味で超絶技巧曲が弾けるような人でないと「クリア」できません。

優勝した人の打鍵正確性はほんと鳥肌ものでした。その人のふつうの演奏(リストとか)もYouTubeで聞いてみましたが別にふつうにうまかったです。平板とか乱暴とかいうこともなく。「ピアノの達人」ゲームのうまさというのは、ともかくピアノを演奏する素質の一部ではあるのだと思います。

だから…気になったことは二つ。

中学生男子で、毎コン優勝の子がこの「ゲーム」、かなりうまかったんだけど、ものすごく練習したみたい(いくらピアノがうまくてもゲーム高得点のためにはゲームの練習が必要です)。けどね、まだ若いのに、こんなゲームの練習(ピアノと似て非なる方向の)してたら肝心のピアノが下手にならない?? と老婆心ながら心配になりました。

もう一つは、優勝者が「これでピアノっておもしろいなと思ってもらえたらうれしい」というようなことを言ってたんだけど。
それは「ちーがーうーだーろー!!」って気分でいっぱいです。この「ピアノの達人」ゲームと「ピアノの演奏」は技量の一部がかぶってるだけで魅力には何の共通点もないから。やれやれ。

まぁともかく。

打鍵ゲームとしてのピアノであれば機械で採点できるってことではあります。コンクールとかで人間の審査員がせっかく並んでいるときは、そんな採点しても意味ないですね(^^)

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赤ちゃん取り違え事件のこと

2017年10月01日 | 生活
トレンドから離れすぎた話で失礼します。たまたま、文化祭の古本市で「赤ちゃん取り違え事件の十七年 ねじれた絆」をゲットしたもので。

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私は昭和41年(1966)に東京郊外の個人産院で生まれました。そのころ、赤ちゃん取り違え事件については話題になっていたとかで、私の母は(父も)生まれたばかりの私を穴のあくほど見つめてその特徴を目に焼き付けたといいます。

当時は母子別室が当たり前で、生まれたすぐから私は新生児室で世話されていて、母はまったく赤ん坊に触れることなく(!)ガラス越しに見るだけで入院期間の一週間を過ごしたそうなのですが(今から考えればびっくりですね)、生まれて数日経ったときにこんなことがありました。

母が新生児室を見に来たとき、私でない赤ん坊(一日違いで生まれた女児)が、母の名前のついたベッドに寝ていたんです。

母が慌てて看護婦さんに尋ねると、「あぁ今ちょっと置いただけだから(わかっているから)大丈夫」とのことだったそうですが…

まぁ要するに、識別は腕輪・足輪のようなものではなく、「親の名前のついたベッドに寝かせる」ということで行われていたのに、そのベッドは日々の業務の中で(沐浴とかおむつ替えとか)融通きかされていたというわけですね。いつ何が起こっても不思議ではない状況だと思います。怖。。

赤ん坊取り違えの事故というのは、まさに私が生まれたころの日本で「よく」起こっていたもので、それには必然性がありました。つまり、それ以前、自宅にお産婆さんを呼んで出産ということであれば取り違えの起こりようもないのですが、急速に病院出産が増えた時期なのです。新しい清潔なスタイルでの出産が好まれ、体制(看護婦配置など)は追いついていないので、間違えも起こりやすかったのです。私が生まれたようなローカル個人産院でも満員御礼、もっと大きな病院ではもっと次々に赤ん坊が生まれるわけですから。

昭和48年に発表された論文(赤石教授による)では、取り違え事件の発生数を32件と報告しつつも「種々の事情のため、この統計に入っていないものが、私の知る限りでも、少なくとも3件ありますので、実際の発生件数はもっと多いことは確実です」といっている(で、実際何件あったのかはさっぱりわからない)。

この「ねじれた絆」で詳細に取り上げられている沖縄での事例もこの統計には含まれていない。

ということで、そういった事例の全貌はまったく明らかでないけれども、単に個別の事例であるこの記録は、長期にわたり(取り違えられた赤ん坊が大人になるまで)取材したこと、裁判もあったことなどから、たいへん興味深い(説得力のある)ものとなっている。

取り違え事件の中には、産院を出るときに「この赤ん坊は私のではない」と母親が主張して早速騒ぎになったようなものもあるけれど、この事例の場合はまず何の疑問も抱かずそれぞれの家で育てられていた。取り違えは早い時期に起こったらしく、入院期間中、親が直接初めて赤ん坊を抱いたとき以降は取り違えられていない(だから気づかなかった)。

なぜ取り違えのタイミングがわかるかというと、事件が発覚してから古いカルテをひっくり返して調査したところ、体重の不可解な増減があってそれがぜんぜんありえないような数値であるためご丁寧に「改竄」が行われた形跡があったからだ。つまり片方の赤ん坊はかなり大きくもう片方はかなり小さく、毎日のように体重測定する入院中は取り違えによって奇妙なグラフができた…しかしそれに気付いてもデータを改竄して済ませ、取り違えしていないか確認することには至らなかった。ヒドイ。

この事例では、小学校入学の直前に血液型を調べ、それが両親からは生まれるはずのない血液型だったために発覚した。

ABO式でわかる範囲で「違う」ということが言い切れる組み合わせだったということである。もちろん、他人の子であってもぜんぜん問題ない組み合わせもふつうにあるわけで、そしたらまだずっと気が付かなかったということになる。

この時期に気付いたことは幸か不幸か…!?

この病院はいちおうの「誠意」を持って調査と謝罪をしたんだけれども、幸い(?)小学校就学前であるから、夏休み期間に互いに遊びに行かせるなどして慣らして秋(就学半年前)から交換したらいいんじゃないですかね的な無責任な提案をして、そんな犬や猫の子じゃあるまいし(というか犬猫でもそう簡単ではないだろうけど)逡巡し煩悶する家族たちが決断できないでいると病院側は、そんなにぐずぐずしていると面倒見切れないみたいなことを言い出す始末で(おまゆう)。

そんなこんなで訴訟に発展したんだけれども。

いったいこの、取り違えによる「損害賠償」「慰謝料」はいくらが妥当なんですか?

いくらもらえば納得できますか? あなたなら。

仮に理不尽に命を奪われた場合でも数千万ということを考えると、それ以上になりようがないけれども。
一生引きずる苦しみと悩みを抱えつつ生きてゆかねばならない(ともかく子どもを育てねばならない)重みは一億もらったからどうにかなるものじゃない。亡くなった場合ともまた違う。

裁判の結果は、戸籍の訂正と、両家合わせて1900万円の慰謝料だった。

両親はそれぞれ、交換したくない気持ちも強かったようだが、流れ(親戚からの圧力含む)に押されて結論は交換ということになった。
しかしそれは大人のロジックにすぎず、子どもがそれで納得できるわけはない。

0歳じゃなくて6歳だよ…!? 無理でしょ??

ここから先の両家の格闘は、あまりに生々しくつらくてここに要約できるようなものではない。

結論からいえば、最終的に片方の子は新しい家にある程度馴染み、もう片方は頑として産みの親を受け付けず育ての親のほうしか認めない状況のまま成人し、でもどちらの親にも経済的には頼らないで自立したいという思いを強く持って社会人になった。

あなたならどうします? 子どもが六歳になって取り違えが発覚したら。

もちろん何をどうしたって納得のいく結論なんか出ようがないんだけど、強いていえば子どもの交換はしないまま近居するかな…!? 相手側の合意が必要だけど。
しかしどういう方法を取ったところで、曲がらない子育てをする自信はないよね。子育てのいろいろな局面で、何が正しいともいいきれないのっぴきならない場面というのは必ず存在するし、そこで「他人に育てられた我が子」であれ「自分が育てた他人の子」であれ、自分の子育てポリシーを信じてがんと行っていいのかどうかいつも反問しちゃうと思うもの。


今の世の中ではもうこんな事件は起こっていないと信じたいけれども。取り違え防止というのはなかなか一筋縄でいかないらしく、たとえば足輪のようなものをつける決まりにしていた産院でも取り違え事故はけっこうあった。ずっとビニールの足輪をしているとかぶれてしまうとかで「それを外して沐浴」するルーチンになっていたりね…沐浴シーンが事故多発シチュエーションなんだからそれじゃ意味ない。

前述の赤石教授によれば、手首・足首に標識、足紋、血液型など七つもの識別法を行っていたにもかかわらず取り違えた事例があったそうで、いくら完璧な識別方法があってもそれがきちんと運用されていなければ漏れるということだ。カンガルーケアの安全性について話題になったことがあったけど…まぁあれをするかどうかはさておき、生まれたらろくに見せないで引き離し、新生児室にまとめるようなことをしていると完全な防止は難しいかなと思う。母子同室の流れは取り違え防止にも役立つということだよね。

うちの子どもたちは助産院(入院期間が重なった人は一人もいない)と自宅で生まれてるから取り違えはないよ(^^;;


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