礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大東亜戦争決戦下に執筆された大著『不燃都市』

2016-06-18 04:05:42 | コラムと名言

◎大東亜戦争決戦下に執筆された大著『不燃都市』

 田辺平学〈ヘイガク〉著『不燃都市』(河出書房、一九四五)は、全文横組、五七二ページの大著である。図版多数、詳細な脚注のある専門書である。
 その「序」は、「大東亜戦争決戦下」の一九四五年(昭和二〇)春に書かれている。以下に引用してみよう。

  
「防空」は都市の規模・形態並に〈ナラビニ〉構造に対して、根本的変革を要求するに至つた。防空的に構築されてゐない都市は、今次欧洲大戦に於ける数々の実例が教へる如く、将来益々激化すべき頻度空襲による大規模無差別爆撃によつて根底から破壊せられ、唯一眸〈イチボウ〉の焦土と化してしまふ。
 欧米諸国に類を見ぬ「木造都市」と「過大人口」とを擁する我国に於て、問題は特に切実であり、焦眉の急である。旺盛なる防空必勝の精神、徹底せる防火訓練等の人的要素涵養〈カンヨウ〉の重要なることは、今更論を俟たぬ。然し、精神力のみを以て空襲を防ぐことは出来ぬ。料学の精粋たる航空機並に兵器による空襲に対しては、我々も亦飽くまで構築科学の最善最高を尽して、これと闘つて行かねばならぬ。防空都市建設の必然性と重要性とは正に茲にある。
 将来の都市は、然らば如何に構築すべきか。現在の都市は、果して如何に改造すべきか?
 学的に殆ど未開拓の分野に属するこの難問題に対し、建築防空的見地に立脚して、敢て回答を与へんと試みたものが本書である。即ち本書の大半を占める第Ⅰ~Ⅵ編は「都市の防空的構築」に関し、世界的動向を紹介・批判すると共に、著者の信ずる所に従つて、都市の規模・形態並に構造に就て今後我国の進むべき方途を論じた。
 本書最終の第Ⅶ編は「都市の防空的改造」に関し、我国に於て是非とも断行すべき既存重要都市の改造に就き、その基本方針を明かにした。同時に、参考の為、海外に於ける都市改造の実例を挙げ、特にその代表として、盟邦首都ベルリンの改造計画とその進捗状況を詳細に紹介し、最後に本邦諸都市に対して即時断行すべき防空的改造の具体的事例として、帝都並に大阪市の防空的建設計画に関する私案を世に問ふことを敢てした。都市構築に関する著者年来の研究並に主張と、最近戦火の欧米を親しく踏査して確め得た防塞都市建設に関する著者の信念とは挙げて本書中に披瀝した積りである。本邦都市防空の現在並に将来の為に、何等かの参考ともならば望外の仕合せである。
 尚、「空襲と建築」の題下に著者が初めて防空問題に就て識者に愬ふ〈ウッタウ〉べく小著を公にしたのは、満洲事変直後(昭和8年)の上梓に係る「耐震建築問答」(耐火・防空)であつた。国土防衛上重大にして而も前人未踏ともいふべきこの分野を、聊か〈イササカ〉なりとも開拓せんものと志して爾来十余年、その間或は戦火消えやらぬ中支戦線を踏査し(昭和12年)、或は爆弾降り注ぐ欧洲諸都市を歴訪して(昭和16年)、蒐集し得たる防空に関する内外の資料を、独自の体系の下に整理分類し、許さるゝ範囲内に於て公開したものが即ち本書である。本書の内容は、著者が今日大学に於て講じつゝある「建築防空学」の一端にも該当する。
 引用文献並に写真・図版は、悉くその出所を明記して、原著者に敬意と謝意を表すると共に、今後の研究者並に学徒の便に供した。断りの無き写真・図版は、従つて総て著者自身の原図に拠る。
 本書の最後に掲げた「帝都改造計画」及び「大阪市改造計画」は共に、東京工業大学建築学教室に於て著者が担当する建築防空学講座の関係者並に嘗て同講座の聴講生たりし諸氏その他によつて成る東京工業大学防空都市研究会の立案に係る。戦時下特に多忙なる勤務の傍ら、本計画の立案に尽力せられたる研究会会員各位に対して深厚なる謝意を表す。特に大阪市改造計画に関しては、近畿在住会員柴谷善次郎〈シバタニ・ゼンジロウ〉氏の支援と助言に負ふ所が尠くない。併記して深謝する次第である。
 本書の刊行に当り、都市改造計画案の取纏めを始め、資料の選択、原図の作成等に関しては、研究会幹事として又共同研究者として終始熱心に著者を援助された現東京工業専門学校教授工学士波多野一郎氏の努力に負ふ所洵に〈モコトニ〉多大である。特に原図作製に就ては、助手北村康彦君を煩はした所が勘くない。校正に就ては研究嘱託加藤得三郎氏を始め特別研究生恒成一訓〈ツネナリ・カズノリ〉・尾崎嘉文両工学士に多大の労を煩はした。時局下特に困難なる幾多の事情を克服して、能く本書上梓の目的を達成せしめられた河出書房の熟意、特に同書房の加納泰蔵・富田連太郎両氏の容易ならぬ尽力、並に文祥堂印刷株式会社常務取締役竹村豊作氏の格別の配慮と共に、特記して衷心より感謝する次第である。
 大東亜戦争決戦下
 昭 和 20 年 春
  東京工業大学建築防空研究室にて
  著 者

 困難な時局の中、万難を排して準備された本であったことがわかる。それだけ、「防空」の専門的研究に対する期待が大きかったということであろう。
 ところで、この本は、いつ刊行されたのだろうか。奥付を見ると、「昭和二十年八月十五日」となっている。皮肉なことに、「防空」の必要がなくなったその日に、この本は刊行されたのであった。
 ちなみに、本書の奥付は、貼り奥付で、これのみ、ガリ版刷り、タテ書きになっている。

*このブログの人気記事 2016・6・18(4・8位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする