礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東久邇宮による機密文書紛失事件の真偽

2014-01-18 05:56:55 | 日記

◎東久邇宮による機密文書紛失事件の真偽

 本多顕彰の『指導者―この人々を見よ―』(光文社、一九五五)を読んだのは、高校生のころだったと思う。平易な文章で、筆者の「私情」が語られており、高校生にとっても読みやすく、興味深い本だったと記憶している。
 その後、折を見て、再読三読している。今年になってからも、拾い読みした。本日は、今年になってから読み、目にとまったところを紹介してみよう。

 一億総ザンゲなどと言いだしたのは、ヒガシクニノミヤ〔東久邇宮〕氏だが、どういうつもりたったのだろう。あのような戦争をしたということで、日本人はみな、それぞれザンゲすべき理由をもっていた。しかし、私のようなものが、一億総ザンゲを言うのならまだわかる。夫を失い、二児を君国にささげた戦争未亡人が言うのなら、まだわかる。しかし、ヒガシクニノミヤがいうのは、どうしてであろうか。ヒガシクニノミヤは、陸軍大将であり、北支派遣軍の司令官であり、航空総監であった人であって、北支の上空で、機密文書を入れたカバンを落したとかという失敗がなければ(これはそのころ、新聞社で聞いた。そのカバンが落ちたとおぼしき村落は焼きはらわれたそうである)、もっとえらくなり、もっと戦犯を重ねたであろう。そういう人が、一億総ザンゲなどと言いだす、その心理が私にはわからない。
 しかし、私なりにその心理を解釈してみると、つぎのようになる。スガモで処刑された東条〔英機〕はじめの戦犯は、死にのぞんで、なお国民に訓戒をたれた。彼らは、みずからを、少しも戦犯とは考えていないようすであった。彼らは、わるいことをしたとは思っていないようすだった。彼らは、日本国を敗戦にみちびき、アマテラス大神以下の皇祖に相すまなかったと思っていただけのようである。国民が一生けんめい戦わなかったために、こんなことになったと思っていたらしい。だから、国民は、総ザンゲをしなげればならぬし、訓戒をたれてもらわなくてはならない。
 また、国民のほうでも、東条がわるいのは、よからぬ戦争をしたからではなくして、戦争の指導をあやまって、日本を敗戦にみちびいたからだと思っている。その証拠に、もしも、日本が戦争に勝っていたら、日本国民は東条を軍神とあがめ、東条神社を建てていたであろう。彼が大勲位、公爵、元帥、功一級金鵄勲章の保持者となっていたことはいうまでもない。今ごろは、彼の少年時代を書いた文章が、あらゆる教科書にのり、彼は国民的英雄となっていたであろう。(東郷大将のような紳士的なところはないから、世界の尊敬はかちえたかったろうが。)
 東大教授花山信勝〈シンショウ〉氏が、東条たちを賛美する本を書いたのは、まちがっている。教誨師として付きそっているうちに人情が生じたのであろうが、人情に流されて理性を失ったのは、学者として不覚であった。戦犯者たちの犯したもっとも大きい罪は、何百万という、たがいに何の恨みもない人びとを戦わせ、彼らに、地獄におちなければならぬような、激しい憎悪をもえたたさしめ、あげくのはてに殺しあわせたことである。そのことは、善意をもってやったことの、偶然の悲しむべき結果でなたかった。彼らは、はじめから悪意をもって、あの仕事にとりかかったのだ。彼らの仕事は、悪にはじまり、悪におわっていた。彼らは英雄ではなかった。悪魔であったのだ。

 筆者の本多顕彰〈アキラ〉は、思想的には右派リベラリストであるが、それだけに東条英機や軍部に対する憎悪には激しいものがある。今日、東条英機が「英霊」として靖国神社に祀られ、そこに現役の首相が参拝していると知ったら、泉下の本多顕彰はどう思うだろうか。
 また、ここで本多は、戦中の東久邇宮が起こしたという「機密文書紛失」事件にも触れている。これは、単なるウワサだったのか、秘せられた重大事件だったのか。その真偽が知りたい。それにしても、機密文書を飛行機から落とすというようなミスがありうるのだろうか。

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