礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国家が自動車会社に初回車検を押しつけている

2017-11-13 04:42:11 | コラムと名言

◎国家が自動車会社に初回車検を押しつけている

 昨日のコラム「日産・スバル新車無資格審査問題のツボ」に、若干、補足する。
 一九九五年五月、経済学者の野口悠紀雄氏が、『1940年体制――さらば戦時体制』(東洋経済新報社)という本を出した。この本は、日本経済は、一九四〇年(昭和一五)前後に作られた「戦時体制」を、現在にいたるまで引きずっている、それから脱却することなしは、日本経済の再生は望めないということが説かれていた。当時、たいへんに話題を呼んだ本である(二〇〇二年一二月に新版)。
 今日になって考えると、この本の意義はふたつあった。ひとつは、「戦時戦後体制の連続」という視点を提示したことである。もうひとつは、これまで政府によって採られてきた企業への統制や労働者保護、あるいは高度成長期に形成された「企業文化」等が、「新自由主義」への移行を目指していた当時の政財界にとって、大きな負担になっていることを、政財界に代って訴えたことである。この本における著者の力点は、もちろん、ふたつ目、すなわち「さらば戦時体制」に置かれていたのである。
 野口氏のこの本から、やや遅れて、同年一一月、山之内靖〈ヤマノウチ・ヤスシ〉ほか編の『総力戦と現代化』(柏書房)という本が出た。この本の「編集方針について」の中には、次のような指摘があった(執筆は、たぶん山之内靖)。

 資本の活動が国境を越えてグローバル化し、そのことによって国民国家の権力基盤が動揺しているにもかかわらず、私たちの政治体制も経済体制も、総力戦時代に構築されたシステム統合という基本性格をいまなお抜け出してはいない。

『1940年体制』と『総力戦と現代化』の両著は、問題意識も異なれば、想定している読者も異なっていた。少なくとも後者は、新自由主義を肯定する立場に立つ本ではない。しかし、これら両著の間には、重要な共通点が、ふたつあった。その第一は、一九八〇年代以降の大きな経済的・政治的変動(社会主義圏の崩壊、資本のグローバリズム化、市場原理主義、新自由主義など)に際会したことを契機に、「その前」の時代を相対化し、客観視しようとしているということである。ちなみに、「その前」の時代とは、『1940年体制』においては「戦時体制」の時代であり、『総力戦と現代化』においては「国民国家」の時代ということになる。
 そして第二には、両著とも、「その前」の時代を、「戦時戦後体制の連続」という視点で捉えようとしていることである。山之内は、『総力戦と現代化』の「方法的序論」の中で、「第二次大戦後の諸国民社会は、総力戦体制が促した社会の機能主義的再編制についてはそれを採択し続けた」と述べている。これは、野口氏の認識と、基本的に、異なるものではない。
 さて、今回の「日産・スバル新車無資格審査問題」であるが、私見では、この問題のツボは、「戦時戦後体制の連続」にある。一九八〇年代以降、資本のグローバリズム化が進み、市場原理主義、新自由主義が跋扈し、様々な「規制緩和」が進行した。にもかかわらず、国土交通省が民間自動車会社に、「初回車検」をゆだね、その審査員(正規検査員)の養成まで押しつけるというシステムが維持されてきた。この問題に関しては、二一世紀の今日まで、「戦時戦後体制」が温存されてきたと言うことができる。
 念のために申し上げるが、コラム子は、市場原理主義や新自由主義を肯定する者ではない。しかし、民間自動車会社に国家が「初回車検」を押しつけるような「国家統制」は、早急に見直す必要があると考えている。

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