礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

衣笠貞之助監督の談話筆記「『女優』について」(1947)

2013-11-20 06:14:50 | 日記

◎衣笠貞之助監督の談話筆記「『女優』について」(1947)

 昨日のコラムで、衣笠貞之助が書いた「『女優』について」という短い文章を見つけたと書いたが、これはよく見ると「談話筆記」であった。取材がなされた時期は、談話の内容などから、溝口健二監督の『女優須磨子の恋』がすでに公開されたあとで、なおかつ、掲載された雑誌の原稿締め切り前、つまり一九四七年(昭和二二)の八月から一〇月までの間と推定される(ただし、衣笠監督は、溝口監督作品を見てはいないようだ)。
 この談話筆記に資料的価値があるかどうかは何とも言えないが、『映画新人』というあまり聞かない雑誌(監督新人会機関誌、発行元は近代書房)の第一号(一九四七年一一月一日)に載ったもので、簡単に閲覧できる文献とも思えないので、一応紹介してみる。

「女優」について   衣笠貞之助
 東宝の「女優」が企画されたのは、松竹の「女優須磨子の恋」よりもかなり前のことで、競作するつもりは初めからない。同じ題材を同じ方向から描きながら、しかも御丁寧に各社で競作競演するといふ流行が昭和初年にあつたものだが、多額の経費を要するといふことは扨〈サテ〉置いてもこれほど無駄で愚劣なことはあるまいと予て〈カネテ〉思つてゐる。聞くところによると、たとへ同じ題材ながら、松竹のそれとは描く方向が基本的に異つてゐるので、それがこの場合せめてもの救ひである。
 明治から大正にかけて、火のやうに烈しく行きぬき、また火のやうに烈しく自らを自らの手で終らねばならかつた「女優」須磨子を通して何かを語らねばならない――これは松竹の意図とて同じことであらう。だが、違つて来るのは、その「何か」でなくてはならない。私の場合、その「何か」は殊更めいて大仰〈オオギョウ〉に喋る〈シャベル〉ほどのものではない。新しい憲法が施行されて、男女同権が一応認められた現今とは申せ、また、法律の上では制定されない随分前から、このやうな主張は盛んであつた筈なのに世の職業婦人の言動に対する一般世人の関心にどれだけの進歩があつたか。といふよりか、一体、進歩といふものがあつたのか知らんと疑はざるを得ないのである。最近のやうに、職業に携はる婦人が多くなればなるほど、反比例して、それらの人々に対する反感・非難が社会一般に牢固として抜き難い地歩を固めてゆくやうに思はれてならない。それが、特定の職業とされる女優に対しては殊更であるといつてよい。私はやはりこれを不当とする。女優の生活は一見楽しく華やかなものだが、その特定の職業を生かさんがためには特殊の才能と、人並以上の努力と研鑽とが必要であるといふこと、そしてそれを円満に育成させてやるためには、周囲の理解と同情とのほかにはない。私は映画「女優」の中で、松井須磨子といふ生きた姿を借りて、この問題をも一度提示して、能ふれば〈アタウレバ〉何らかの形で現代の婦人問題にも触れてみたいと思つた。もとより映画は面白くなければならない。これは映画芸術の鉄則だが、最早、面白いだけでは済まされない――といふ今の心境である。だから、映画「女優」は松井須磨子の伝記ではない。これは履き違えてもらつては困る。題名の示す通り、あくまでも問題の対象は「女優」にある。また、私の抱負もこれまでに充分に云ひふるされた事柄であつて、別に事新しいものではないが、しかし現今の状態では、今なほ一応の主張の価値は充分にあると思ふのである。
 右の私の意図がどの程度に表現できるか、それは判らない。だが、幸ひにも、私の周囲には、私を援け〈タスケ〉勇気づけてくれる幾十人かのスタツフの方々がをられるし、それらの方々の日夜の努力と熱熱とをみるにつけ、私は今ひとつのほのぼのとした期待をさへ持つに至つてゐる。出来上つた作品を通じてより他に、最早、私がこれ以上に語り得る何ものもない。(談話筆記、文責「映画新人」編輯部)

今日の名言 2013・11・20

◎もとより映画は面白くなければならない

 映画監督・衣笠貞之助の言葉。談話筆記「『女優』について」(1947)に出てくる。上記コラム参照。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 衣笠貞之助・溝口健二両監督... | トップ | 『女優』で映画に初出演した... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事