礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『女優』で映画に初出演した演出家の土方与志

2013-11-21 08:21:17 | 日記

◎『女優』で映画に初出演した演出家の土方与志

 土方与志〈ヒジカタ・ヨシ〉は、異色の舞台演出家である。明治の元勲・土方久元を祖父に持ち、一九一八年(大正七)に伯爵を継いだ。劇作家・演出家の小山内薫〈オサナイ・カオル〉に師事し、一九二四年(大正一三)に築地小劇場を設立。
 一九三四年(昭和九)、第一回ソヴィエト作家同盟に参加するため、日本プロレタリア演劇同盟の代表としてソ連を訪問。そこで、作家・小林多喜二の虐殺について報告を行ったため、同年、爵位を剥奪された。
 その後、ソ連・フランスにおける亡命生活を経て、一九四一年(昭和一六)に帰国。ただちに治安維持法違反で検挙され、五年の実刑を受ける。
 敗戦後に出獄し、日本共産党に入党。前進座や舞台芸術学院を拠点に演劇活動を再開したという(以上、ウィキペディア「土方与志」の項より)。
 その土方与志が、敗戦後間もない一九四七年(昭和二二)、衣笠貞之助監督から、映画出演の依頼を受けた。『女優』における「島村抱月」役である。主役に次ぐ大役である。初めは固辞していた土方であったが、ついに衣笠監督らに口説き落とされる。
 土方の「皺だらけのニユー・フエイス」は、彼が口説き落とされるまでの経緯を描いた興味深い文章である。雑誌『映画新人』第一号(一九四七年一一月)所載。かなり長い文章なので、サワリの部分のみを紹介する。

 皺だらけのニユー・フエイス  土方与志
【前略】〔一九四七年〕四月の或る夜、近くの小学校へ、選挙の応援に出かけようとしてゐるとき、旧友の楠田清君〔東宝の映画監督〕が訪ねて来た。
 何んと、もつて来た話は、衣笠貞之助演出の下に、山田五十鈴さんの須磨子の傍役〈ワキヤク〉として俳優として――島村抱月として出演しろとのことだ。私は、この奇想天涯な申し様に、身体がガタガタふるへた。芝居の舞台さへ碌に〈ロクニ〉踏んだとのない私が、映画俳優とは――。
 私は、その時から、ハムレツトの様に煩悶した。私は若い頃、俳優を断念した時の理由であつた両眼が不揃ひであること、声のよくないこと、又フランスでの手術の結果、左手の運動が不自由であること等々、又、島村抱月氏が演出家であるからといつて、演出をやつてゐる私をもつて来ることは、おでんやの役を、実際のおでんやをつれて来るのと同じで、甚だ無策であらうなど、いろいろと遁辞〈トンジ〉を述べた。猶〈ナオ〉その時のスケヂユールでは、六月から撮影とのことだつたので、丁度〈チョウド〉、帝劇の復活〔トルストイ作〕の稽古及公演と同時なので、先づ、時間的に不可能であることを最も有力に断りの理由とした。
 しかし、衣笠氏、楠田君、プロデユサーの松崎啓次君、作家の久板栄二郎〈ヒサイタ・エイジロウ〉君〔『女優』で脚本担当〕やに、たうとう口説〈クドキ〉落されてしまつた。
 衣笠氏は、若し〈モシ〉映画の仕事に関心をもつなら、ハダカになつて来るべきだと聞かされた。又僅かに一度しか放送局のスタデイオで会つたとしか思つてゐなかつた衣笠氏が、私の知らぬ間に、私といふものを研究されてゐたことを聞かされ、自分の俎の上の鯉としてヂツトしてゐろといはれたことに動かされた。私も、長い演出者生活の中で、或る俳優に役を振つた場合、私にはこの役は出来ませんといはれる程、癪にさはる事はない。さふいふ場合、私は、私が君に配役することは自分の受けもつた芸術的創造の為めに必要であり、協同者として適当だと信じた為めであつて、わざわざ芸術を悪くするためや、俳優に恥辱を与へるためにしたのではないのだ、といつて来た。私はこのことを思ひ出して、この場合、私がその任でないといふことは、かへつて巨匠に対して非礼であると、素直にこの大役をうけることに決心した。
 なほ、松崎君のことばも、私を参らせた。同君は、君はこの仕事を新劇の大衆化、全国的普及化のためだと思つてやれといふ。こゝには述べないが、新劇が、そして私個人の今迄やつて来た仕事など、いかに狭い範囲にしか認められてゐないかを痛切に感じさせられてゐた私はこれにも承服せざるを得なかつた。
私は、思ひあぐんで、妻にも、二人の男子にも、幾人かの先輩や友人にも相談した。
妻は止せといふ。先輩や友人の中〈ウチ〉、私の尊敬する幾人かは、まづ愉快さうに笑つて激励して呉れた。或る友人は、色をなして折角演出者で納つて〈オサマッテ〉ゐられるものが、何も、今更やり損つて恥をかくにも及ぶまいと諫止〈カンシ〉して呉れた。
 二人の男子は、妻に、どうせ、いつでも、しなくつてもいゝと人の思ふことばかりやつて来たオヤヂだから止せといつたつてやりますよと、蔭口をきいたさうだ。
 私は、ハダカになつて未知の世界に飛び込むことにした。【後略】

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2 コメント

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おでん屋 (PineWood)
2017-02-05 00:10:27
映画女優をBSのブラウン管で観ました。溝口版の山村聡の島村抱月は以前、京橋のフイルムセンターの田中絹代特集等で観ていましたが。土方与志の板に着いた演出家振りその素直な芝居…。出演辞退の理由に持ち出したおでん屋談義も面白い!堂々とした山田五十鈴も印象的だった。それにしても計算された、衣笠貞之助監督特有の表現主義風の舞台シーンの幕切れが素晴らしいと感じました…。同じ演目でも描く方向性や角度が違うとこうも違うのかとー。
築地小劇場 (PineWood)
2017-05-22 04:13:20
土方与志が千田是也とシェイクスピア劇の<ベニスの商人>の芝居で論議してる場面が青年劇場の芝居<梅子とよっちゃん>に出て来た…。千田はドイツの表現主義のカリガリ博士紛いの出で立ちでプロレタリア演劇論を主張、ドイツ留学を夢見ている。
本芝居では貴族出身の土方が戦中フランスの農村で農奴小屋で過ごす窮乏生活も描かれ、帰国後は洋裁業の妻-梅子の逞しい姿が描かれていた。

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