礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

鵜崎巨石氏評『攘夷と憂国―近代化のネジレと捏造された維新史』

2014-09-27 04:41:28 | コラムと名言

◎鵜崎巨石氏評『攘夷と憂国―近代化のネジレと捏造された維新史』

「鵜崎巨石のブログ」を主宰されている鵜崎巨石さんが、今月一九日、同ブログで、拙著『攘夷と憂国―近代化のネジレと捏造された維新史』について論評してくださったので、本日は、これを転載させていただく。

礫川全次「攘夷と憂国 近代化のネジレと捏造された維新史」
 今日もまたまた礫川全次「攘夷と憂国 近代化のネジレと捏造された維新史」批評社。
 このブログで、著者の作は数冊採り上げたが、本書は「日本保守思想のアポリア」「アウトローの近代史」「史疑幻の家康論」と並ぶ「ネジレ」シリーズの一環。
 であれば読む順序というものがありそうだが。行き当たりばったりであったので、そうはならない。
とは言いながら、このネジレ・シリーズには、一貫したベースがありネジレていないので、そこら辺は気にしなくとも良い。読むに従い、著者の文体や論理展開に慣れてくるから読書時間も短くて済むようになる。
 本論に入る前の贅言。
 礫川氏は盛んに在野史家と言うことを本屋(批評社)に言わせるだけでなく、自らも強調する。著者の経歴が明らかでないので、何とも言えないが、少なくとも歴史学民俗学については、アカデミックな経歴がないためであろう。
 であるとすれば、資料の収集については、相当の苦労があることだろう。アカデミズムの権威があれば、容易に旧家資料にも当たれるであろうし、図書館の利用も容易であろう。第一弟子に探させれば済む。
 自分で丹念に歩き頭を下げ、本屋に根回しして、業者仲間を経た高額の古書を買わなくてはならない。
 書き上げたいテーマも、本著にもあるとおり、「維新の群像」としてファンが多い人物や、今なお権威を有する大人物の異史であるから、関係方面の反発もあるだろう。
 同情しつつブログを進めよう。
 本著の「ネジレ」は、「日本保守思想のアポリア」とややダブるところがあるが、今回は人物や事件をテーマとして、その詳細を論ずることで、より深部に及ぶと言うことで、二番煎じとは全くなっていない。
 もっとも本作の方が3年ほど先だから、論理的に事を進めていることが判る。
 最初は本居宣長。宣長は周知の通り、日本国学の祖であり、その流れは結果として我が国民俗学にも大きな影響を与えたが、本論では、対するに同じ国学者としての上田秋成を対比として採り上げて、偏狭な宣長の論を明らかにし、これが後世、強硬な攘夷を鼓舞し、必然である開国との矛盾(ネジレ)の基となることを指摘する。
 次が、2章に渉って吉田松陰。松下村塾で維新の英傑を輩出した松陰が、攘夷を鼓吹しつつ、一時はロシア船を経た海外渡航を図った後、今度は米国船で再びこれを試みる。周知の歴史を掘り下げる。
 すなわち松陰のこの挙の裏からは、彼が刺客たらんとした意志があったこと。ないしは松陰自身の虚偽癖ないしは一貫性に欠ける分裂的な行動が明かである。
 いわば個人としてネジレを体現した人物であるのかも知れない。
 次の福沢諭吉では、後半のテーマでもある、幕臣中に顕在していた「廃帝・幕府による権力再奪取説」の伏線が、「外国の兵を借りて長州を討つ」ともに福沢の言論で長く秘せられた意見として語られる。面白い。
 同様な論が、次の小栗上野でもあったこと。
 さらには次次章では、この奪取策が、結局長州の後は薩摩打破に繋がると、西郷南州は察知していたらしいことが語られる。この際食わせ者の勝海州が描かれている。
 続く章では、弊履の如く官軍に捨て去られた「赤報隊」を通じ、別著「アウトローの近代史」で採り上げられた博徒ヤクザの維新への関与が再説される。
 さらに神戸事件や郡県制、西郷に先立つ征韓論と対馬藩の二重冊封などが語られるが、興味ある方の購読意欲のため、ここら辺で紹介はとどめよう。
 例によって、コラムなどの、編集上のサービスがある。これらはそれごとに興味が尽きないが、この中で「敵を欺くものはまず味方を欺く」。
 徳川斉昭は「実は」開国派だったとの述懐はよいとしても、ここでの吉田松陰の記述の躊躇は、読者に混乱を与えないか。ちょっとだけ不満を言っておこう。

『攘夷と憂国』は、二〇一〇年に刊行した本である。タイトル、サブタイトルからおわかりのように、かなりの「意気込み」を持って書いた本である。その割には、当時から今日にいたるまで、これといった反応もなく(批判すらなかった)、つくづく「在野史家」の悲哀を味わった次第である。ところが、上記の鵜崎氏の一文は、そうした著者の心胆を見透かす一方で、筆者がおずおずと提起したポイントを、ことごとく見抜き、平然と列挙している。著者としては、まことに有り難く、また張り合いを感じた書評であった。
 さて、上記の書評の最後のところで、鵜崎巨石氏は、コラム「敵を欺くものはまず味方を欺く」(同書二五二ページ)を意識しながら、「吉田松陰の記述の躊躇」ということを言われている。ここが、氏の鋭いところであり、優しいところである。記述に関して、著者に「躊躇」があったわけではない。吉田松陰についての捉え方が、まだ十分に定まっておらず、明瞭な言い回しができなかったにすぎない。
 今の時点であれば、次のように言うことができる。「ペリー暗殺を目的に米艦に搭乗したものの、暗殺に失敗したばかりか、海外渡航を目指したと言いつくろった。ここに、松陰における揺れと虚偽がある。この揺れと虚偽は、松陰のその後の言動を両義的(多義的)にし、その思想は矛盾に満ちたものになった。松下村塾における門弟は、その矛盾に満ちた思想に感化されたことになる。松陰の揺れと虚偽は、その後の近代日本におけるネジレを造り出すことになった。その思想は、近代日本におけるネジレを象徴するものであった」と。
 ところが、鵜崎氏は、上記書評において、吉田松陰は、「いわば個人としてネジレを体現した人物であるのかも知れない」ということを、アッサリと指摘されている(太字)。今の時点で礫川が補足しなければならないことを、氏は先取りされているわけである。おそるべき書評である。

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