礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

木村政彦、記者団に「真剣勝負」のカラクリを明かす

2012-10-22 05:57:11 | 日記

◎木村政彦、記者団に「真剣勝負」のカラクリを明かす

 昨日の続きである。雑誌『真相』第七八号(一九五五年二月一日)の二九ページの途中から、三一ページの途中までを紹介する。

 これを聞いた各社のスポーツ記者がびっくりしたのもムリもない。これは大変なことになったとあわてた一同は、その足で木村の宿舎である東京神田鎌倉河岸〈カマクラガシ〉の千代田ホテルにかけつけ、力道山のしゃべった内容が本当かどいかと、木村に問いただしたわけである。
 木村はもちろん負けたことも手伝い、不愉快な顔つきであったが、一瞬「それは誰から聞いた」と反問した。そこで、力道から直接きいたと知った木村は憤然として「力道は仁義を守らぬやつだ。大体こういうことはふせておくべき事柄だ。しかし、むこうがバラした以上はこちらもバラス」といって語りだしたのは、つぎのような力道との「真剣勝負」にかんするカラクリであった。
「自分が力道と試合をするかどうかということを聞きにきたのは毎日新聞事業部長の森口〔忠造〕だ。そのとき森口には自分に力道との試合をやらないかといった。そのときの条件として、第一回戦は引分にする。第二回戦については、一回線が終ったあとでまた相談しようということだった。だいたい今までのプロ・レスには、試合前にどちらが勝つか負けるかは、さきに話し合いをつけておいてからやることがあったので、自分は力道さえ引分を承知するのなら、それでよいと答えた。しかし、いろいろ考えてみると、力道の空手打ちは危険だからやらない方がいいのではないかといったところ、それはやらないということになった。そういうわけで、自分は始めから今夜の試合は引分だと思ってのぞんだ。そうしたら試合の空気がちがう。いったいどうなのかと力道にきいたわけだ。自分は力道の急所なんぞは蹴ったおぼえはもちろんない。それにもかかわらず力道はちからいっぱい空手で撲ってきた。危険でたまらないのでレフェリーに注意してもらおうと思って、横を向いたとたん徹底的に撲られ、倒れてしまった。今夜の試合は、あれはスポーツではない…」

 なぜ力道は怒ったか?
 ここで二人の話はまったく喰いちがってしまった。力道は始めから八百長にはする考えはなかったというし、木村は始めから引分でいくことになっていたという。では、いったいどちらが本当か?――ということになるわけだ。
 数ヵ月まえからプロ・レスの実力日本一は果して力道か木村かという多分に果合いに似た興味本位の予想と宣伝が華やかにスポーツ・ファンのまえにかけられていた。
 事実この二人は昨年〔一九五四〕の春、日本では初のプロ・レス国際試合であったアメリカの世界選手権保持者シャープ兄弟対力道・木村組のタッグレース(二人組の試合)をさかいに別れ、それ以後約半年のあいだニラミ合いの状態をつづけていたのである。
 木村が力道山とケンカ別れしたイキサツについては、すでに本誌七十二号に指摘しておいたように、木村はシャープ兄弟との世界選手権興行ではだいたい負け役、勝ち役は力道ときまっていたので、試合が終ったあとのカネの分前は、力道にくらべて格段の差がつけられた。これに憤慨した木村は、現在力道の所属する日本プロ・レス協会をとびだし、国際プロ・レス協会という別派をたてたのである。
 木村にしてみれば、「俺は柔道七段の実力日本一だ」という勝負の世界につきものの強い自信とウヌボレをいだいて、力道山との決戦の日のくることを待ち構えていたわけだ。そして、去年の十一月、巡業先の岐阜で木村は、「あくまで真剣勝負で力道山と実力日本一を闘いたい」と声明、両者のあいだには果合いに似た緊張が早くも流れだしたのである。
そこで表面は「①国際プロ・レスリング・ルールで行うこと、②試合は正々堂々規約に基いて行うこと、③試合時間は六十一分三本勝負、④反則は紳士的見地より行動すること」という四項目の協定がとりかわされ、いよいよ熱戦の火ぶたは切っておとされることになったのである。
 国際プロ・レスのルールによると急所を握ったり蹴ったりすること、目を突いたり、咬んだりすること、あるいはアゴより下首を絞めてはならない、拳で殴る、肘で突くこと但し平手や手刀(手の側面)の殴打は自由、爪先、膝を用いることは禁じられているが、靴の底を平面に利かせての踏み蹴りは自由――というようにいわゆる反則はいっさい禁じられている。【以下は明日】

 多少、わかりにくいところがあるが、あくまでも原文のままとした。なお、雑誌『真相』は、東京・目黒の真相社が発行。社告には、「だいたい二十日に一回」発行しているとある。この号の定価は四〇円、送料は八円である。
 この雑誌を入手した時期は覚えていないが、まだ郵便番号が三ケタのころであったことは間違いない。貼られていた書店名の札(月の輪書林)に、〒146とあったからである。

今日の名言 2012・10・22

◎今夜の試合は、あれはスポーツではない

 木村政彦の言葉。1954年12月22日におこなわれた試合で力道山に敗れた木村は、当日の夜、宿舎で、記者たちに対し、このように語ったとされる。上記コラム参照。

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