礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「孤独の文学者」本多顕彰のプロフィール

2014-01-19 06:19:57 | 日記

◎「孤独の文学者」本多顕彰のプロフィール

 カッパブックス『指導者―この人々を見よ―』(光文社、一九五五)の著者・本多顕彰(一八九八~一九七八)は、今日ではすでに「過去の人」である。しかし、岩波文庫『ユートピア』(一九三四)、同『炉辺のこほろぎ』(一九三五)、同『ロミオとデュリエトの悲劇』(一九四六)などの翻訳は、本多顕彰の仕事である。中高年で読書家を任じておられる方なら、何度か、この人のお世話になっている可能性が高い。
 本日は、カッパブックス『指導者』のカバーにあった、著者紹介をそのまま紹介してみたい。この著者紹介に署名はないが、当時、光文社常務で、カッパ・ブックスの産みの親として知られる神吉晴夫〈カンキ・ハルオ〉の筆ではないのか。

 本多顕彰は、明治三十一年、愛知県に生まれた。名古屋の八高をへて、東大英文科を卒業した。中学のころ、地方新聞の懸賞小説に当選してから、一時は作家を志したが、病弱のため断念した。映画が好きで、高校時代は映画の原作を、封切前に英文で読むのがたのしみだった。東大時代には、川端康成にカンニングをたのまれたこともあるという。
 彼の執筆活動は昭和九年以来だから、評論家のなかでも古顔だが、文壇づきあいや講演旅行などは、いっさいしない。酒もタバコものまず、「孤独の文学者」を自任しているが、たいへん人情家で、人との約束を破ったことがない。豊島与志雄〈トヨシマ・ヨシオ〉の推薦で法政大学文学部の教授になったが、そこで同郷の先輩で、中学の先輩でもある谷川徹三や、そのほか三木清、戸坂潤などと交わった。
 彼もインテリの弱さをもった一人だが、その弱さのゆえに、戦争の波にまきこまれていった人びと。そして戦争がおわると、手をかえしたように、根っからの平和主義者をもって任ずる人びと。そういう人びとを、戦前も戦後も誠実な平和主義者として一貫した彼は、心から憎むのである。そして「平和」の地固めのために、どうしても書いておかなければならなかった。そういう一念の凝り固まった本書は、いわば彼の自戒の書でもあり、あとから来る若い友への遺書でもある。

 明日は、いったん話題を変える。

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