礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『日本書紀古訓攷證』1974年私家版の「結語」

2015-06-04 05:40:59 | コラムと名言

◎『日本書紀古訓攷證』1974年私家版の「結語」

 昨日の続きである。『日本書紀古訓孜證』の改訂私家版(一九七四)の本文末尾には、以下のような「結語」がある。この改訂私家版そのものを手にとったわけではないが、『神田喜一郎全集 第二巻』(同朋社出版、一九八三)所収の『日本書紀古訓孜證』は、改訂私家版を底本にしたというので、全集版から、これを引いてみる。

 結 語
 以上、余の討究せし古訓凡て二十九条を通じて窺ひ得たる所は、
 一、古訓の漢土訓詁学上より見て極めて正確たること
 一、古訓の一見疑はしきものも、必ず何等かの典拠に本づくものなること
 一、古訓には今日古典の正統的注釈書と認めらるるものに、必ずしも依拠せざるものの多きこと
 一、六朝時代より晴唐の世に亘りて、彼土に行はれしと思はるる俗語の極めて正確に訳されあること
の四点たり。而して第三の点に就きては、奈良・平安両朝に於ける漢籍の伝来、及び当時の学風等を考ふる上に、或る種の示唆を与ふるものにして、更に進みて考覈〈コウカク〉するの要あるべし。第四の点に至りては、日本書紀の撰修、竝びにその訓読に彼土の渡来人の多く参与せしことを暗示するものに非ずやと考ふ。
 書紀の古訓の漢土訓詁学上より研究すべきもの、決して以上の二十九条に止るにあらず。余は今後も尚ほ引続きて、この研究を継続せむことを欲する者なり。

 この「結語」で注目されるのは、第四条、すなわち、「第四の点」である。そして、それに関する「日本書紀の撰修、竝びにその訓読に彼土の渡来人の多く参与せしことを暗示するものに非ずやと考ふ」というコメントである。
 神田喜一郎は、『日本書紀』の「撰修」と「訓読」の双方に、「彼土の渡来人」が、多数、参与していたのではないかと指摘している。これは実は、たいへんなことを指摘しているのだと思う。神田は、初版(一九四九)の段階で、すでに、こういう指摘をおこなっていたのだろうか。
 なお、同書初版の「凡例」の第一条によれば(昨日のコラム参照)、同書初版は、「余が嘗て各種の雑誌並びに論文集等に発表せし日本書紀の古訓に関する研究を、総べて綜合すると共に、新に起草せるものを加へて一書となし」たものだった。
 すなわち、「結語」における「第四の点」は、同書初版に先立って(場合によっては、戦前戦中に)、雑誌や論文集等に発表されていた可能性もあるわけである。
 一日に図書館に行った際、『日本書紀古訓孜證』の初版のほうも、チェックしておくべきだったのである。一昨日(二日)、再び図書館に赴き、初版を確認した。本文、わずかに一〇一ページ、ハードカバーであるにもかかわらず、きわめて薄い本であった。改訂版の「結語」に相当する部分は、初版では「後語」となっており、以下のようになっていた。

 後 語
 以上、余の討究せし古訓凡て二十九條を通じて窺ひ得る所は、
 一、古訓の漢土訓詁学上より見て極めて正確たること
 一、古訓の一見疑はしきものも、必ず何等かの典拠に本づくものなること
 一、古訓には今日古典の正統的注釈書と認めらるるものに必ずしも依拠せざるものの多きこと
の三点たり。而して第三の点に就きては、奈良・平安両朝に於ける漢籍の伝来及び当時の学風等を考ふるに或種の示唆を与ふるものにして、更に進みて考覈するの要あるべし。書紀の古訓の漢土訓詁学上より研究すべきもの決して以上の二十九条に止るにあらず、余は今後も猶ほ引続きて、この研究を継続せんと欲する者なり。

 第四条がなかった。つまり、「第四の点」についての指摘がない。第四条は、一九七四年の改訂私家版において、初めて加わったものであった。【この話、続く】

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