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【書評185-1】異文化理解の落とし穴  張 競  岩波書店   2011年11月第1刷

2024-03-28 10:34:54 | 書評
 本書は著者が様々な新聞に寄せた短い随筆を集め、7つの章だてに編集された。
1. 常識の違い、良識の違い  2. 文化の往還  3. 忘れるための思い出  4. 日本との出会い  5. 異文化を生きて  6. 美の魅惑と異文化交差  7. アメリカという測量点
 興味深い言葉を私は3,4,7章に多く見出したので、ご紹介したい。

* 第3章: 1953年生まれの著者は文革の嵐が吹き荒れた頃は中学生。医師の父親が失脚せねば自分も紅衛兵に成っていたに違いないと言うから、家柄に恵まれていたようだ。その著者が覚醒した出来事に二つある。
 1967年14歳のある日、父の勤める陸軍病院に攻撃が迫り、転居仕度中に軍医の長兄が持ち帰った蔵書にあったメリメの短編集(イ-ルの女神像)で、中でも[マテオ.ファルコネ]に描かれた人間の心を見つめる世界に衝撃を受けたと述べる。曰く;
 (裏切りと悪意が正義と革命の名において正当化され、子供や親を密告し、命を救われた者が恩人を陥れ、つい昨日まで親しかった友人に平気で害を加える事が日常的に起きた中、私はフィクションの中でまるっきり違う世界に遭遇した)
 
 それから凡そ30年後の1995年、著者は上海にあるキリスト教教会で牧師の説教を聴く。説教に涙する信者たちに囲まれ、善良と正義を絶対化する宗教教義から異端を許さぬ精神風土が中国を覆っている事に気づいた。既に日本へ留学していた著書は外から祖国を客観的に見る眼を持つに至り、共産主義支配が続く社会の矛盾を言語化した。この違和感は第3章冒頭の(わが内なる上海)にも描かれ、近代化の弊害に隠れた精神風土の指摘がここにもある。
→ 非独裁統治に生きる国民には自明の感覚だが、この気付きを得たからこそ本書に結実したのだろう。果たして、在外中国人のうち何人が同じ気付きを得ているか?極めて少ないだろう。               [続く]
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