静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 地球温暖化の理由云々論争と無策の放置 ≫   ・・・・4/29~5/7 まで旅行のため休筆します・・・

2018-04-28 17:23:53 | トーク・ネットTalk Net
★ 1980年、青森・弘前城公園の櫻は5月のゴールデンウイーク中が満開だったのを私は毎年想い出す。 菅笠をかぶった和装の女性が津軽三味線を流しながら、花見客のゴザの間を
  練り歩く、その優雅な音と姿は今も脳裏を離れない。 今も同じく三味線流しのお姉さん達の姿は見られるのだろうか? 
   しかるに今年の開花は4月15日過ぎだった。  70年代まで、関東以西で桜の満開はちょうど新学期の始まる4月第1週、北東北では5月上旬だったと記憶する。

  いまさらだが、大気温の上昇だけでなく、南北両極地での氷解と高温化による生態系の変化、海水面の上昇、海流における流路や水温の変化等々、温暖化の証拠は枚挙にいとまなく、
  増える一方。 また温暖化の原因は、化石燃料消費よりも地球のサイクル自体が温暖化に移行したのであり、二酸化炭素排出増が主たる原因ではないと唱える研究者は絶えない。  
  そして、パリ条約で合意した施策の効果は誰にも予言できない。

◆ 問題は、原因の当否不明を理由に何もしようとしない米国のわがままな態度だ。百歩譲り、惑星としてのサイクル変動が仮に真の理由だとしても、二酸化炭素の排出増大抑制は、
 ちっぽけな人類にできる限られた対策であることに変わりがない。米国国内だって温暖化による様々な変化は色々な生活局面に出現してるはずだが、ゴア元副大統領の訴えは響かない。
 本当に米国では「公害」と称される各種の汚染被害は出ていないのだろうか? 在住時、山林に巨大な穴を掘り、生活ゴミをダンプしていた光景が目に焼き付いている。
 
   中国が態度を一転してパリ条約推進へ舵を切った理由は、アメリカへの対抗よりも、抱える公害汚染が看過できない水準まできたことに漸く目が覚めたからに過ぎない、
 と私は過去の訪問経験から推察している。 大気汚染だけではない。土壌/水質汚染(海洋・河川・湖沼)のひどさは国土と産業展開地域の広汎さから、とても昔の日本の公害規模では
 あるまい。  日本の技術指導は咽喉から手が出ているほど欲しいが、模倣はたやすくない。 巨大な投資をやれる自信は中国政府にもなさそうだ。 どうするの?
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≪ 朝鮮の統一国家樹立を 周囲は支えられるのか? ≫   ≪ コミュニケーションと異文化マネジメント ≫ 外国人を雇うのに足りない能力とは?

2018-04-28 08:40:16 | トーク・ネットTalk Net
★ 南北朝鮮首脳会談:中国が影響力確保 北朝鮮と急速関係改善で https://mainichi.jp/articles/20180428/k00/00m/030/121000c?fm=mnm
・ 南北の思惑、アメリカの狙い、中国の戦略などなど、まだまだ未知数だらけの展開を前に様々な観測がメディアを潤している。何を論じるにも時期尚早ゆえ、コメントする暇が惜しい。

 ⇒ かねてから私の胸を去来するのは「南北含むすべての朝鮮民族自らは、統一国家を持つことを本当に望んでいるのだろうか?」との微かな疑念だ。
  建前では疑いなきことだろうが、分断国家統一への選択肢は二つしかない。 ヴェトナムの武力統一(1975年)型か、あるいは西ドイツによる東の吸収(2001年)だ。
  朝鮮半島の統一は、どのような道で現実に進め得るのか? 統一こそが民俗共通のヴィジョンだとくちで言うのは簡単だが、具体的に、どの方法で統一すると合意できるのかについて、
  今回の会談で両首脳は少しでも話し合ったのだろうか? それとも米朝会談の成果を見なければ統一問題は話せない、ということか?

 ⇒ 朝鮮半島に統一国家が誕生するのを歓迎する国、避けたい国。  前者の答えはわからぬが、後者の答えは実に明解で、それは中国に他ならない。理由は自明。

 ※ 仮に私が朝鮮半島に生まれたとしたら、<北がドイツ型の南による吸収統合に応じる代わり、核兵器は新国家のものにする。これで米中からの安保自立を担保する。
   但し、非同盟外交を周辺国が承認し、米軍も中国軍も駐留しない。>・・これを条件にするだろう。 問題は、貧しい北の底上げ負担に韓国が耐えられるか?
   ドイツの事例との比較で、朝鮮統一はどこまで実現性があるのか?

★ サッカー:ハリル氏会見・・「なぜ言ってくれなかった」残念なすれ違い https://mainichi.jp/articles/20180428/k00/00m/050/115000c?fm=mnm
1) <「なぜ問題があったなら誰も言ってくれなかったのか」。ワールドカップ(W杯)直前の解任劇の問題点は、ハリルホジッチ前監督のこの言葉に全てが集約される。>
   ⇒ 異文化マネジメントを系統的に学んだり、実務の場で何度も体験したことのある人なら、ピンとくる言葉だ。そういう人は ”またか”という感じで報道に接したことだろう。
2) <日本サッカー協会の田嶋幸三会長は解任理由を「コミュニケーションと信頼関係が薄れた」と説明した。そしてそれを埋める努力をした、とも。だが、ハリルホジッチ前監督は
  「選手によっては、こんなに直接的な物言いに慣れていなかったかもしれない」と顧みつつ、「非常に友好な関係性を保てている気がしていた。コミュニケーションには何ら問題は
  なかった」と繰り返した。>  ← 「全てをコトバで言う文化」vs「”言わぬも花””阿吽”の文化」・・・この哀しく、辛いすれ違いだ。

3) <「試合の結果が悪かったからと言ってくれれば理解しやすかった」という主張はその通りだろう。 解任理由について「真実」は見つかっていないとハリルホジッチ氏は言う。
  その上で「私には事情の分からないことが知らないところで行われている気がする。(W杯の登録選手)23人を選ぶのは日本だけでなく、どこの国でもたくさんの軋轢が起こる」。
  質問に正面から答えることはなかったが、解任劇は選手選考に絡むものとの思いもにじませた。>

 ※ (3)については協会側が何も言わないので藪の中だが、ハリル氏が直感で感じ取った何かは日本人側に在るのだろう、と私には肯ける。
  其の「何か」というのが異文化マネジメントを不首尾に終わらせる、多くの日本人が自覚できない”すれ違い”の核心なのだ。 監督に限らず、外国人を雇うことが求める日本人側の
  マネジメント能力とは何か? それをサッカー協会のみならず、あらゆるビジネスで日本人が追及せぬ以上、同じ過ちと無駄は永遠に続く。  俺に合わせろ! ではない。
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≪ 都議会議員の介入を受けた 中学校性教育での区教委恫喝 ≫  恫喝議員の宗教的信念で介入した?  政教分離を忘れたか?

2018-04-27 09:50:08 | 時評
 本件は前も取り上げた。今朝あらためて論じる理由は、毎日新聞24面記事の主見出し「都教委 改善が必要」の中に看過できない発言を見出したからである。それは;
※ 自民党・古賀俊明議員が3月16日の都議会文教委員会で<不適切な性教育が行われているのではないか>と質問した。毎日が質問理由を問うたら、以下のように答えたからだ。
  <性は子供を作り、家庭を築くことにつながる。中絶を教えると胎児の命を絶つことにつながり、不適切だ。学習指導要綱で定めない内容を教えるのは問題だ>【記事原文】
 例によって、ウェブ上の新聞記事を有料購読させて紙媒体購読者減による収入低下を補いたい新聞社の経営意図から<この記事は有料記事です>なので、ここで私が引用するサイトは挙げられない。同じ内容は毎日の購読者にしか読んで戴けないが、他紙にも本件に関する記事や古賀議員の発言は出ていると思うので、媒体を問わず、関心のある方は参照戴きたい。
 
さて、なぜ私は此の発言を見逃せないというのか?   古賀発言の過ちの第1は「中絶」そのものに関する個人価値観の押し付けである。家庭形成が減るから云々は「産めよ殖やせよ」
発想であり、人口減少への恐怖からくる「大きい事はいいことだ!」スローガンそのままだ。然し、 此のアナクロ以上に見逃せないのは、命に絡めた倫理道徳観の匂いである。

宗教の中には妊娠中絶を絶対悪と断定し禁じる教えが世界にはある。宗教の体裁でなくとも個人的にそれを正しいことと信じる人々も居る。せっかく出来た命だから無闇に殺さず、いつくしもう。 これ自体は原則論として誤っていないし、”殺す勿れ”の戒律とも背反しない。
 
 だが、政治とは宗教倫理が導く営みではなく、「最大多数の最大幸福」を諮る利害調整である。『貧困ゆえ、或いは幼くて生活能力不備であるがゆえ、妊娠した当人も生まれる子も共に幸福になるのは極めて困難になるケースが殆んどだから、情を殺して中絶する』これが妊娠中絶を最大幸福の為にはやむを得ないとする現実的な正当性だ。無論、未婚の母を全うしても立派な人生を送れる女性はゼロではない。だが、皆がみなスーパーマン/ウーマンではないから、不幸な人生を送るヒトの数は圧倒的に多い。それが情緒を離れた現実で、政治の役目は、お題目ではなく世の現実に対処することだ。

★ 特定の価値観を絶対視する宗教理念で政治を行うことが古今東西いかなる悲劇を招いてきたか、世界各地で今も続く悲惨な殺し合いを見れば誰も宗教のマイナス面は否定できない。
 だから<政教分離の原則>を代議制民主主義国家では憲法に掲げ、守ろうと努めている。日本も例外ではない。 古賀議員は<政教分離の原則>の真意を解っているのか? 
 ひょっとして、自分の言っていることは人類普遍の倫理であるから、現実政治が個人的価値観であれ倫理で行われることの方が政治家としても正しい、と本気で思っているのか?  
 そういう信念で動いてよいのは宗教家であり、政治家に許される事ではない。

 過ちの第2。「文科省の学習指導要綱に定めない内容だから教えてはいけない」と盲従・断言するなら、世の現実と指導要綱の乖離を考えたことはあるのか?
青少年の成熟スピードは速まりこそすれ遅くなどならない現実の前で、刺激的メディアは相変わらず溢れ、セックスビジネスが巷に闊歩する世の中で、子供たちが思慮なく性行為にふけり妊娠してしまうリスクは高校生年齢から中学年齢まで下がっている。数々の統計が既に其の年齢低下を証明しているのに、不要な妊娠を回避する為の知識を教えないことが何故それでも正しいといえるのか? 

 中央政府の官庁が決めた内容だから従わねばとでも本気で思っているなら、古賀氏は自分が法令順守義務の課せられた公務員ではなく、行政の監視役でもない議員であること、つまり立法に携わる立場に居る事実を理解していない事になる。 世の変化に齟齬をきたさぬよう、法令の改変であらゆる政策を臨機応変に構築する。これが国会/地方議会を問わず、立法府に職を捧げる者の本分ではないか?  ・・・・再び繰り返す。 議員は官僚の親分ではなく、行政の監視役でもない。それが三権分立の基本だろ? 地方も中央も。。。
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≪ 闘牛:牛の角突き ≫  ここでも女人禁制だって?   真面目腐って何やってるんだい?  

2018-04-26 20:19:40 | トーク・ネットTalk Net
☆ 女人禁制:角突きも? 新潟「山古志闘牛大会」でも議論へ https://mainichi.jp/articles/20180426/k00/00e/040/238000c?fm=mnm

 私は思わず眼鏡をズリおとしそうになった。 闘牛とも称されるが、スペインのあの闘牛ではなく、牛が角で頭を押し合い、退いた牛が負けになる、例の行事だ。

 全国至る所で見られるあれは収穫への感謝を基調とした民俗行事であり、自然崇拝の面からアニミズムたる神道との繋がりもあったのだろう。
 水田稲作農業で成り立ってきた日本列島。五穀豊穣を願い、自然の恵みに感謝する気持ちは世界中どこでも同じだろうが、そこに自然畏敬から<カミ←カムイ(アイヌ語)>を抱き、
 神道という生霊信仰が生まれた。願い事、頼み事、祝い事など全てが「神道」儀式に収斂されていったのが日本の土着宗教だ。今更、こんな基礎知識を述べるのは烏滸がましいが、
 敢えて復習の意味で掲げる。 失礼ながら、現代生活に潜む原始宗教の残渣と近代人権価値の抵触に想いを致すことは、そう簡単ではないからだ。

 牛が角を突き合わせるカタチを誰かが「相撲」になぞらえたところから<神事の匂い>が装われ、それで女人禁制も人間のとる相撲同様に模倣・導入されたのだろう。此の比定推移が
 私にはフォローできない。 男尊女卑を男も女も疑いなく受け入れていた古代の人々にとり、なぜ神様は男だけが清らかだというのか、を可笑しいとは感じなかった。
 其の当時の感性そのままを疑わない人々が今も居て、封建国家から卒業した筈の21世紀で、まだ論理矛盾に目をつぶり、押し通そうとする先にいったい何があるのか??? 

 何と言われようが、論理など糞くらえで女人禁制を未だに通そうとする貴方がた、情緒を離れ、冷静に考えましたか?
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≪ 歴史に学ぶ vs 伝統を尊ぶ ≫ 明治の成功体験にいつまで酔いたいの?  相撲・天皇制・・・神道関連伝統の殆んどは 明治以降の人為的産物だ

2018-04-26 09:07:16 | トーク・ネットTalk Net
◆ 毎日【社説】大相撲と「女人禁制」 伝統だけでは通用しない https://mainichi.jp/articles/20180426/ddm/005/070/048000c?fm=mnm
1) <日本相撲協会は春巡業から、力士が子供に稽古(けいこ)をつける「ちびっこ相撲」への女児の参加も拒んでいる。女児のけがが目立つため、安全上の観点から参加を認めない
   ことにしたと、協会は説明した。だが、安全性は参加する子供全員に配慮すべきだ。女児を外すことで確保するという理屈に説得力はない。>
2) <もとより「ちびっこ相撲」は稽古というより触れ合いの意味合いが強い。力士と同じ土俵に立ち、押したり組み合ったりすることは、大相撲を身近に感じる貴重な機会となる。
   まして協会は、「相撲道普及に努めるとともに、全国の子供たちに夢を与える」ことを巡業の目的に掲げている。女児を参加させない判断は目的に背き、ファンを相撲から遠ざける
   行為に当たらないか。>
 ⇒ (1)は女性蔑視丸出しの論理破綻だし、(2)は相撲協会の自殺行為に等しいことが直ぐわかる。 筋の通らぬことを「伝統」の名でゴリ押ししているに過ぎない。

3) <土俵が女人禁制になったのは明治時代ともいわれ、協会は女性を土俵に上げないことを「伝統」と説明してきた。>
 ⇒ 「伝統だから」のすり替えの正体がここにある。「皇室典範」と同様、うやうやしく”日本の長い伝統”と現在いわれている神道絡みの儀式は、明治維新における天皇担ぎ上げの
   正当化に神道が利用されて以来、僅か150年の歴史である。 明治維新の成功体験に寄りかかるしか何もないのか、今の日本は!

なるほど日本という国は飛鳥/奈良時代に古代豪族の王となった一族が<天皇>と名乗り、統一国家の体裁を整えてから1500年余の長さを有する。
然し、今現在の天皇制/皇室典範も相撲興行の形式も明治以後に創られたスタイルでしかないので、これを「日本の文化・伝統だ」と称するのは僭越至極だ。意図的な詐称ともいえよう。

 神道というアニミズム自体は天皇制国家樹立よりも遥かに古い。だが近代国家となってからあとの国家統治に利用されている現状は、人為的に伊藤博文が捻りだしたものであり、
たった150年だ。日本列島に人が住み始め、弥生時代と呼ばれる時期から大規模集落を形成して2000年、のうちの150年である。

☆ <歴史に学ぶ>とは、成功体験にしがみつくのではなく、変化する時代と未来を見据え、在来の物事に変革を取り入れる態度を指すのではないか? 成功にではなく、過ちの側面を含む
  過去に教訓を探さず、「伝統だから」と一切の変革を否定してかかる態度は遂には身を亡ぼす。 もうそれが、いい加減わかってもいい時ではないか? 
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